asayasuさま
コメントありがとうございました。
わたしの記事を読まれてそういう事実を書かずにいられなくなったであろうお気持ちはよく分かります。
お察ししていただいているように、ここに書かれていることは凡て既知のことというより、わたしは長い間そういう言論空間にどっぷり浸かってきた人間なのです。
歴史の光の部分です。
光があれば影があるのは当然のことなのに、わたしは影の面を故意に見ないようにしてきていました。
バーモウ首相、ネール首相、ナセル大統領などが言ったこと、
南京大虐殺と同じで、どこまでその数字が真実に近いかなどは知る由もありませんが、毛沢東が自国民を3千万人殺したといわれていること、蒋介石が台湾で民衆を虐殺したことも知っています。
日本が戦った相手が毛沢東の率いる中国共産党でなかったことも知っています。
しかし、戦った相手が問題だとは思いません。
どっちにしろ犠牲者や被害者は国民、市民なのですから。
コメントの中で、中国人にいちばん寄り添ったのは日本軍だと書いておられることは「光の部分」として否定はできないと思います。
しかし、山口淑子さんは、具体的な証言はされていないようですが、日本軍の残虐行為を見ておられました。
具体的に証言されなかったのは、日本人としてそういう事実に苦しまれたからではなかったかと想像します。
軍律が厳しかったから慰安所を設置したのかも、というのがわたしの理解でしたが、やはり、戦後の国際世論という勝者の論理はそれを許しませんでした。
また、戦争が長引くとともに軍律は緩み、最後は収拾のつかない状態になっていたのではないでしょうか。
わたしがもっとも言いたいことは、アジアの解放にそれほど尽くした国が、なぜ今他国の属国に甘んじているのかということです。
コメントに書かれているような史実をライフワークとしているような保守派の知識人は、なぜ、日米同盟という名の属国の身分に何も感じないのでしょうか。
総理は訪米にあたって、日米同盟のさらなる強化と言っていますが、そういう総理を支持することに何の疑問を感じないような人間に、日本の過去の栄光を書く資格はありません。
総理は面従腹背ではないかという期待はあり得ません。
日本を売ってしまって腹背する意味も根拠もありません。
戦争が終わったあとも現地に残って独立運動に身を投じた人がいました。
欧米列強に虐げられている人々を見捨てることができずに、こころから独立を願って戦った元日本兵がいたことは日本人の誇りです。
歴史の光としての素晴らしい日本がありました。
それを裏切ってきたのはだれなのでしょう。
ほかでもない国民であり、いま総理がその影の歴史を完結させようとしています。
ビルマの独立のために義勇軍を組織、訓練した雷将軍こと鈴木大佐のことはご存知でしょうか。
その鈴木大佐が日本に帰国するときに、「ビルマ独立義勇軍」から贈られた感謝状は、真情溢れる文章で綴られていて涙なくしては読めません。
(むかし、インド独立の志士ボースを匿った「中村屋」の相馬黒光の自伝を読んだことを思い出しました。)
保坂正康さんが、天皇陛下は、なんで戦争になったかをず~っと考えたおられるのではないかと言っておられましたが、もう遅いかもしれませんが、なんで戦争になったのかを振り返って考えることがほんとうに大事なことだと思います。
日本は悪かった、いや、良いこともしたという議論は不毛だと思われませんか。
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