わたしが辺野古に関心を持つようになったのは鳩山政権のころからですが、いまのように深く考えるようになったのはごく最近のことです。
人は考えないでしょうか。
なぜ沖縄に、日本に米軍基地があるのかを。
基地反対などと言えば、たちまち反日左翼のレッテルが貼られるのですが、自分の国は自分たちで守りたいというのがなぜ反日になるなかわたしには分かりません。
これこそが真の保守本流ではないでしょうか。
「天は自ら助くる者を助く」と言うではありませんか。
自ら国を守ろうとしない国民に、どれほど強力な助っ人がいても駄目なのです。
愛国心や正義感に燃えた少数の軍隊が敵の大群を破ったという例は歴史にも数多あるではありませんか。
愛国教育を目論む政府が、自国の防衛を他国に依存していることの矛盾にわたしは卒倒しそうです。
依存ならまだしも、アメリカの戦争に参加して地球の裏側まで行くということのどこに愛国心があるというのですか。
日本人は沖縄に米軍基地があることが抑止力になっている、守られていると思っているのでしょうが、違います。
きのうも書きましたが、日中対立の構図を維持するための米軍基地です。
日中が仲良くすることをアメリカは恐れています。
日本人の嫌中感情がそれを後押ししています。
中國の膨張主義を言い立てて、日本の過去の侵略はなかったことのように口を噤む人たち。
南京大虐殺にまつわる多くの誇張やウソを指摘して、すべての悪業を覆い隠す人たち。
歴史の修正ではなく隠蔽、改竄です。
わたしも日本の悪業や蛮行を知りたくありませんでした。
信じたくありませんでした。
わずかの善行や特攻隊の精神などで悪行を見ないように必死に抵抗してきました。
しかし、無理でした。
葬儀場やゴミ焼却場、はては子どもの声がうるさいと幼稚園の建設にも反対する人たちは、沖縄に基地を押し付けていることになんの痛痒も感じていません。
人間のエゴは止まることをしりません。
原発のある住民は、町が寂れる、雇用が無くなるという理由で再稼働に賛成します。
被害が自分たちのエリアで収まるのならそれもいいでしょう。
高浜町長は、自分の責任において、と言いましたが、一町長がとれるような責任ではありません。
いのちで贖ってもとれるような責任ではありません。
実際は責任など感じていないのです。
責任は上の偉い人がとると思っているから言えることです。
しかし、上の偉い人が責任をとることはありません。
いまの日本を一言で言えば、無責任、無法国家ということです。
内地の人間が、基地反対の沖縄住民を反米左翼だ、プロ市民だ、外国の工作員も混じっているとか誹謗中傷するのは恥ずかしく醜い行為です。
まんまと分断工作に嵌っているばかりでなく、関心もないくせに沖縄のことに口を挟むなと言いたい。
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