古賀茂明さんへの批判的なコメントを見て、わたしはその程度の認識なのかと失望と怒りを覚えました。
言うまでもなく、問題は古賀さん個人ではなく、古賀さんが訴えておられたことです。
日本がとんでもないことになろうとしているのに、この静けさは何だろうという焦りと絶望感、、、
結局、古賀さんを批判している人たちは図らずも日本への無関心と無知をさらけ出したことに気がつかないのです。
小林よしのりさんが古賀さんを「被害者意識が強い」と言っていますが、つまり、小林さん自身に日本人としての被害者意識も危機感もなく、危機的状況がまったく分かっていないということです。
こんなときでも個人攻撃しかできない人間がいることに悲しくなります。
また、小林さんは「コメンテーターなんて、そんなに執着することか」と言っているのは、自分がテレビからお呼びがかからないことへのウップンですか。
しかし、テレビに出ることは執着すべきことなのです。
山本太郎さんは執着しています。
なぜか? それほどテレビの影響は大きいからです。
自分の考えをできるだけ多くの人に伝えたいからテレビに出ることに執着するのです。
個人的な動機ではありません。
被爆に無関心な人が多いのも、テレビが政府の意向に忠実だからです。
だから、太郎さんは被爆の現実を知らせたいと必死なのです。
古賀さんをテレビ向きではないという声が多かったということで、わたしはバカも休み休み言えと思いました。
情けなくて涙が出ます。
テレビ向きの人ってテレビに出ることの「責任と義務」を知っているらしい竹田圭吾のような人間のことですか。
毒にも薬にもならない人のことですね。
局の方針に添うコメントをすることが「義務であり責任」だと考える人間のことですね。
ほんとうに哀しくなります。
高村副総理がアメリカへ行って、自衛隊員のいのちを差し出したというのになにも関心を示さない日本人、
アメリカが南シナ海での戦争まで示唆しているというのに、何も感じない国民。
ポーツマスの不平等条約に怒り、全権大使の小村寿太郎を帰国させるなと激昂した日本人はどこに行ってしまったのでしょうね。
進んで日本を売ってきた高村さんは、何も心配することなく、むしろ凱旋気分で帰ってくるでしょう。
山本太郎さんの街頭記者会見は、カメラを向けないのでどれほどの聴衆がいたのか分かりませんが、近くを多くの人が通り過ぎていきました。
立ち止まることもしない人々、、
古賀さんが橋下市長のブレーン?だったことや規制撤廃論者だということは知っています。
だからどうなのですか。
そんなことに囚われ引っかかって本質を見逃している人がたくさんいることがわたしは嘆かわしい。
わたしは古賀さんが「アイ アム ノット アベ」と言われたことに賛同し感動しているのです。
それがすべてなのです。
批判する人は「アイ アム アベ」か「アイ アム ノット アベ」か旗幟を鮮明にしてほしい。
もちろん、これは総理個人への好悪ではありません。
そのことに日本の運命がかかっているということです。
どちらでもないとか関心がないという人は黙っていてください。
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