いすゞトラックのCMソングは、わたしの大好きな曲なのですが、はじめて聴いたとき、わたしはしばらく忘れていた子どものころの憧れの人生を思い出して胸を焦がしました。
それはトラックの運転手と結婚して毎日毎日助手席に乗ることです。
(景色を眺めたり、考え事が出来ないので運転手には憧れません)
朝、早く起きて作ったおにぎりとコーヒーを入れたポットを抱えて嬉しそうに助手席に乗り込んでいく自分の姿を想像しては幸せ感に浸っていたものでした。
残念ながら、今生でその夢は叶わず来生に持ち越されましたが、死の間際の願い事は叶うそうですから、それを信じて旅立とうと思います。
引っ越しのとき、わたしは初めてトラックの助手席に乗ったと思っていたのですが、上の二人の子どもから、助手席に乗ったのは自分たちだからお母さんが乗ったわけがないと言われ困惑しました。
あの運転席の高さに感動したのはウソだったとでも、、、?
よくよく考え記憶を辿っているうちにぼ~つと見えてきたのが、出発前にお願いして助手席にちょっとだけ乗せてもらっていた自分の姿でした。
どうやら、そこからわたしの空想、妄想が始まったようなのです。
目的地までの現実にはありえない臨場感、幸福感は空想から生まれて記憶になっていたものだったのです。
「胡蝶の夢」ではありませんが、夢と現実の違いって何なのだろうと思います。
どっちだって同じことのように思います。
どうせ、現実も夢幻のように消えていくのですから。
マドモアゼル愛さまが
この世の姿には、実はあまり意味がない。なぜなら、それは過去に属するものだから、、
夢の方が実態であり、現実はすでに結果の世界なので、何の力もない、、
と言っておられることがそうなのでしょうか。
たとえば、一葉のパリの街角の写真から想像するパリと、実際に旅行で行ったパリとではどのような違いがあるのでしょう。
どのみち現世はまぼろしではありませんか。
CMソングのコメントには、泣いた、涙がでたという人がたくさんいました。
前奏の段階から感動するのですが、それが
さぁ 走り出そう 夜明けの街へ
朝がはじまる 朝がはじまる
のところにくると、大ゲサに言うのですが「涙滂沱と流れて止まず」となるのです。
日本の朝はいつはじまる、、
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