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谷間の百合

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二日 その一  わたしが放射能安全説を採らない理由。

自分に科学的な素養があればもっとフクシマのことが書けるのにとよく思います。

「ちょっと勉強すれば分かる」と息子は言いますが、勉強の一言でアレルギーが生じそうです。

それに、わたしは勉強して分かるものではないと思っています。

ものが分かるには、パッとひらめきのように分かることと、長い熟成を必要とするものがあるように思います。

しかし、「ひらめき」だって何もないところからでてくるものではなく、やはり知的好奇心による蓄積と熟成の賜物だと思いますので、結局は同じことです。

では、原発や放射能の知識がないわたしが、なぜ安全説をとらないかと言えば理由は簡単なことなのです。

安全を言っている人が例外なく政府や原子力ムラと繋がっているからです。

保身以外のなにものでもないと思うからです。

酷い人たちです。

自分の地位の保全のために日本が放射能まみれになってもいいということですから、どれほど欲深い臆病な連中なのでしょう。

反対に危険を唱える立場の人たちは、それによって得る利益など皆無です。

それどころか常に身に危険が付きまといます。

だから、わたしはそれだけで信じるのです。


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安全説をとらないもう一つの理由は、小出助教授も言っておられたように、安全面では「最悪を想定する」という生き方です。

原発を作った人はほんとうに安全だと思っていたのでしょうか。

信じていたから、事故を想定したマニュアルがなかったのですか。

そうではないでしょう。

わたしは関係者の責任感のなさに驚くのですが、それというのが上から言われたことに従っていたからではありませんか。

初めから日本人の発想や設計で建設されたものではないからでしょう?

原発に賛成する人は、汚染水を貯めるたくさんの巨大なタンクや、汚染土を入れた除染袋があちこちに積み上げられているのを見てなにも感じませんか。

わたしはいつかタンクや除染袋で日本中が埋め尽くされるのではないかと心配でならないのですが、、


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by michi-no-yuri | 2015-03-02 11:07 | Comments(0)
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