菅原文太さんが亡くなられました。
奥様が出された「小さな種を蒔いて去りました」というコメントにこころを揺さぶられた人は多かったのではないでしょうか。
二つの種の内最初の種しか報じなかったメディアもありましたが、珍しくサンケイは全文載せていました。
良い意味で、この夫にしてこの妻ありという夫婦には滅多にお目にかかれないのですが、その稀有な例が菅原さんのご夫婦だったのではないでしょうか。
芸能界に棲む人間は政治的発言を極力控えます。
それが芸能界で生きて行く上での必須の賢明な選択なのだろうと思います。
しかし、もうそんなときではありません。
今はすでに有事なのです。
芸能人である前に、一人の日本人、一人の生活者として声をあげてほしいと思います。
菅原さんが蒔かれた種が育つまでは待てないのです。
そうではなく、遺志を継ぐとは自分も種を蒔くことです。
日本人として、生活者として声を上げるということです。
子どもが戦争を知らないのは当たり前ですが、しかし、知らないままで大人になった人間に、その間なにを考えて生きてきたのかとわたしは言いたくなるのです。
戦争について知る機会は山ほどあったはずです。
なにも感じてこなかったのですね。
戦争はドンパチで始まりますが、それは一瞬で終わります。
その後に必然的に現出するのが、非戦闘員を巻き込む戦慄するような非人道的、非人間的な世界です。
集団的自衛権は国民を守るためとはよくも言ったものです。
真っ赤な嘘です。
戦争で国民が守られた例などありません。
国の犠牲になられた英霊などと上っ面のきれいごとはもうたくさんです。
そういうきれいごとを言って、また日本を戦争のできる国にしようとしているのはもうバレバレなのです。
先日、学徒出陣式での東条英機の演説の映像を見て思ったのが、
戦況が追い込まれて学徒まで動員しなければならなくなったことの重大さに対する政治の責任も悲壮感もその表情から読み取れなかったことです。
為政者の無能、傲慢、無責任によって何百万人という日本人が殺されたということです。
そして、いままた、あのとき以上の無能、傲慢、無責任によって日本は存亡の崖っぷちに立っています。
選挙になると学会の人が投票を頼みにきます。
いままでは曖昧に笑ってやり過ごしてきましたが、もう駄目です。
はっきり言います。
集団的自衛権や消費税に賛成した罪は大きいと。
下駄の雪、金魚のフンなんかでは足りません。
わたしはいい比喩を思いつきましたが、あまりにも下品なので書けません。
とにかく「平和の党」「生活の党」の看板は降ろしてください。
×