おとつい、NHKで「カラーで見る東京の100年」という番組を見ました。
関東大震災と東京大空襲で壊滅した東京が10年もしない内に、以前にも増して立派に復興しているのを見て、わたしは日本人の底力に瞠目すると同時に、この力の源泉はなんだろうと考えてしまいました。
敗戦から3ヶ月半後の21年のお正月には、若い女性が着飾って晴れやかな顔で皇居前を歩いていました。
日本人は国がどうであれ、同胞が300万人以上戦争で死んでも、その死屍を踏み越えて逞しく生きていける民族なのでしょう。
もちろん、そのこと自体に長所と欠点があるのはいうまでもありません。
マッカサーが離日するとき、沿道にたくさんの人が出て別れを惜しんでいる映像を見て、これが日本人の底力、復元力の源泉かもしれないなと思いました。
つまり、変わり身の早さです。
あれほど憎んだアメリカの聡司令官のマッカーサーに対し、日本全国から感謝の手紙が何千通と寄せられたということを読んだことがあります。
マッカーサーにどうかこれから日本を統治してくださいと懇願する手紙も多かったそうで、わたしは恥ずかしいというより醒めた気持ちになったことを覚えています。
これが、名誉ある、誇りある日本の裏面、反面の姿です。
いまも変わりません。
日本はスバラシイ国、誇らしい国だと声高に叫んでいる人たちをわたしは信用しません。
そういう人たちが状況が変わればマッカーサーさま様になるのです。
それがどんなに恥ずかしいことかなど考えもしないのです。
わたしは、日本に生まれたことが嬉しく、ちょっと誇張した言い方をすれば来生も来来生も未来永劫日本に生まれますようにと願わない日はないくらいです。
ただ、それだけでいいのです。
日本の豊かな美しい自然と洗練された伝統文化のなかで、平凡な生活を営めることを喜んでいられるだけでいいのです。
「神社本庁の本質」という記事を読みました。
戦前とまったく同じだなと嘆息がもれます。
神社本庁も、あの宗教に冒されてしまったのですか。
というより、もともとそういう素質?を有していたのでしょう。
ネオナチ、在特会、統一教会、そして神社本庁ということですか。
戦争の空気を察知するとこういう集団が湧いてきて威張り出します。
そして「神国日本」などと叫びだすのです。
もと来た道です。
もっとも「神国日本」に相応しからぬ人間が大きな顔をしだします。
そして、状況が不利になったとみるや、またお社の奥深くに身をひそめて何食わぬ顔でやり過ごすのでしょう。
反省することはありません。
反省することを知らないのです。
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