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谷間の百合

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四日 その一 「天罰を当てる方法、かわす方法」 (バカ国民帝国日本の滅亡より)

わたしは歴史も人間も信じないのですが、厳密に言うと、信じないのではなく「分からない」ということなのです。
信じる根拠を持っていないということです。
分からないから肯定も否定もありません。

この中でも
「そもそも『事実とは何か』ってのがメチャクチャむずかしい、、、」
と言っておられますが、そういうことです。

ネット上のうわさややらせの報道をもとにああだこうだとひとを批判、中傷しているわけですから、ほんとうに愚かなことだと思います。
目の前で起きていることさえ、正確に見て判断できる人はほとんどいません。
能力や性格によって、ものの見方に決定的な差があるからです。

ナニゴトも簡単に信じてはいけないのです。
しかし、反対に、陰謀論者のように、最初から疑いの目で重箱の隅をつつくようにして自ら疑惑の虜になっている人もどうかと思います。

「因果応報の法則は微塵も揺るがない、、」ということで、わたしが信じるのは輪廻転生と因果応報の法則だけです。
バチが当たるとはよく言ったもので、何か嫌なことや悪いことが起きるのには必ず自分の中に原因があるということでしょう。
バチを当てるのはだれかというと、法則というか、自分の良心だと思います。
(なお 「裁くな、自分が裁かれないためである」というイエスの言葉の真意を教えていただき、目からウロコでした。)


四日 その一 「天罰を当てる方法、かわす方法」 (バカ国民帝国日本の滅亡より)_c0243877_114128.jpg


「バカ国民帝国日本の滅亡」より。

「天罰を当てる方法、かわす方法」

要は、因果応報というのを知っているか、または信じているかどうかってことです。
信じてない人には、バチが当たってもそれを「バチ」とは認識しませんのでわからないんですw
自分が原因を作って、自ら「バチ」を引き寄せているんですね…
これが企業だったとしてみてください。
今期も赤字、来期も赤字、ず~っと赤字…どうなりますかね?
きょうあすに潰れることはないかもしれませんが、このままでは”倒産”するでしょう。
悪いことをしていて、それを改めなければ、現世、前世で”倒産”しなくとも、いずれ破滅するでしょう。
企業の経営と同じですよ…
しかし、愚かな社長は経営も無視して酒と女に溺れ、潰してしまいます…
愚かな人間は、自分の人生を潰してしまいます…
「これくらいは大丈夫」「みんなもやってるから」「なんでおれだけがこんなめに…」
そういうことを言ってると、まあ”ダメ”でしょうね~
…で、まあここまではみなさん、わかるんですね…
「そりゃそうだわな」という反応は、そこそこあるのです。しかし…
自分が正しいと思っていると…
「だから、これくらいは許される」とか「こうしなければダメだ」とかいう人が多い。
それと同じことですが、相手が犯罪者だったりすると…
「これくらいは当然だ」とか「悪人をかばい立てしてはいけない」とか言い始める。
「あいつは、悪いやつだから、”こうしてやるんだ”。”なにが悪い”」…とね…
いや…別に悪くはないです…正しく事実に基づき、罪状が判断できるのであれば…
でも、大抵”正しい判断”はできないものなんです。
そもそも「事実はなにか」ってのがメチャクチャむずかしい。
ネットの”噂”や、”やらせ”ばかりの報道で判断して”正しい判断”ができますか?
できないですね…そのことをほとんどの人がわかっていない。
そして、もうひとつ。
「あいつは、悪いやつだから、”こうしてやるんだ”。”なにが悪い”」…と考えるとき忘れていますね?
因果応報の法則を…
自分がやったことが、そのまま跳ね返ってくるんですよ…
みなさん、「相手」のことしか見ていない。
「相手」だけ見て、「悪いやつには報いがなければ」と思い、自分がやってしまう…
あのね…ピンク商売でも、じれったいからと、自分が手を出したら”犯罪”ですよ…
「悪いやつだから」と自分が裁いてしまうのは、そういうトンデモ・エロオヤジと同じなんですよ。
それに…
自分が裁いてしまうと、相手が受けるべき”天罰”を自分がシェアすることになります。
相手には100%の”天罰”を受けさせるべきであって、それをシェアしちゃダメですよ…
「裁くな、自分が裁かれないためである」というイエスの言葉を”寛容”だと思っていません?
あれは、相手に100%の”天罰”を与える呪いのことばだといってもいいんです。
本筋は、「自分で裁くことで、自分に”天罰”を引き寄せないように」という趣旨ですがね…
因果応報を信じていないから「かばい立てするのか?」とか「甘い」とか言うんですよ。
私は”寛容”で「裁くな」と言ってるのではない。
くだらんやつのために”天罰”を喰らいたくないという”利己的な理由”で言っているんです。
自分が裁いて”天罰”をシェアすることこそ、よっぽど「かばい立て」ではないですか。
「愛の鞭」とは、相手を罰することで自分も罰しているんですね。痛みを共有しているのです。
「憎い」のだったら、相手を罰するという”愛”を実践してはいけないでしょう?
そういうことを勘違いしているのでなく、すべてわかった上でやってるのなら、「どうぞご自由に」ってとこですが、多分ほとんどの人が勘違いしてるんじゃないですかね~
因果応報の法則は、微塵も揺るがない…
悪人には100%の天罰を与えよ…
自分たちは天罰を喰らわないように身を慎め…
よって、天罰を与えつつ、自分たちはそれを避ける方法が…
①「裁くな。自分が裁かれないためである。剣を取る者は剣で滅ぶ」
②「よい人にもわるい人にも、太陽のように同じように”よいこと”をしてあげなさい」
…なんですよ…









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by michi-no-yuri | 2014-09-04 11:08 | Comments(0)
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