サッカーワールドカップが終わり静かになりました。
静かなことが何よりです。
きょうの桜井よし子さんのサンケイの連載コラム「美しき勁き国へ」は「殻破る日本、世界は歓迎」というタイトルでした。
「安倍政権にかってない国際社会の追い風が吹いている。」
「国際社会の日中に対する評価は対照的だ。信頼されているのは明らかに日本。」
「安倍首相の政治、外交には、みずみずしい力が満ちている。」
「絶えて久しくわが国のリーダーが失っていた自信に満ちた姿。」
集団的自衛権行使容認によって「日本を縛っていた殻のひとつが確実に打ち破られ、国家としての甦りが始まった。」といことになるそうです。
桜井さんの目には、その独裁的手法が「みずみずしい力」「自信に満ちた姿」に映るようなのです。
安倍総理が嫌いなわたしも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、偏った見方をしているかもしれませんが、しかし、いちばんの問題は、独裁的手法を肯定し歓迎する心情なのです。
普通ではない総理の「決めるべきときは決める」という姿勢をリーダーに必須の能力だと高く評価することです。
その先にあるのが、独裁政治、ファシズム、全体主義、秘密警察だということまで考える人がごく少数だということです。
だから、ヒットラーが生まれたのです。
きょう書きたいことは別にあって、それは、天木直人さんが、毎日新聞が一面トップで報じたスクープ記事を丸ごと信じておられることへの違和感です。
この五月に、超党派の日中友好議員連盟の会長として訪中した高村副首相が、中国のナンバー3という人物に「総理はもう靖国には行かないと思うから、11月に北京で開かれるAPEC会議で日中首脳会談に応じるように習主席に伝えてほしい」と言ったのに、習主席は応じなかったという話です。
わたしが疑問に思ったのは、天木さんが次のように言っておられることです。
『私が高村氏の発言の中で注目したもう一つの言葉は、安倍首相は第一次内閣の時に、「自分が我慢すれば日中関係が良くなるなら」と靖国参拝を控えたのに、良くならなかった。
だから「自分が我慢してもこんな状態ならば、参拝しようという気持ちになった」、と安倍首相の心情を述べているところだ。
という事は、この5月の高村副総裁の訪中で習近平にメッセージを送ったにも関わらず習近平がそれに応じなかった事を見て、安倍首相は習近平との首脳会談をあきらめ、中国包囲網強化という対決姿勢に転じたのだ。
そう考えれば、それ以来倍首相の対中強硬姿勢に一層の拍車がかかった事がうなずける。』
第一次安倍内閣では、総理は夫人を同伴して真っ先に訪中をして友好ムードを演出しました。
中國も歓迎しました。
それが第二次内閣になったとたんガラッと変わったのです。
天木さんの解釈では、総理が中国包囲網を強化しだしたのは、この2カ月くらいのことになります。
そんなはずはありません。
それに、わたしは日中会談を意図的に拒んでいるのは日本側だと思っていま
わたしはここで総理は嘘をついていると思いました。
総理が我慢した相手は中国ではなく、アメリカだったのではありませんか。
それは言えないことなので、中国のせいにしてアリバイをつくろうとしたのではないでしょうか。
先の靖国参拝も、事前にアメリカからそれとなく参拝をしないようにと言われていたのです。
それを、支援者を裏切れないと言って総理は強行し、アメリカは「失望した」と言いました。
小沢さんによると、アメリカが「失望した」という表現を使うのはよっぽどのことなのだそうです。
なぜ、アメリカが靖国に神経を尖らせるかといえば、それが総理の言う「戦後レジームからの脱却」と連動する恐れがあるからです。
極東軍事裁判否定に繋がるからです。
靖国はそういう問題を掘り起こすのです。
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