小沢さんが、在日中国大使館を訪れて程永華大使と意見交換されました。
それまでも小沢さんが中国側と水面下でコンタクトをとっておられたかどうかは知る由もありませんが、せっかちなわたしは程大使と会われたのがあまりにも遅く感じました。
わたしは程永華という人に悪い印象がありませんでした。
政治家や官僚にはないソフトな感じで、ほんとうに日中のために汗をかいておられるということが、テレビでちらっと見るだけでも伝わってきたからです。
その会談の席で、小沢さんが
習近平主席がドイツで、日本人が戦前の歴史的事実に目をふさいでいる旨の発言をしたとされることについて、事実と異なると指摘されたということです。
この文脈からは、歴史的事実に間違いがあるのか、歴史的事実に目をふさいでいることが違うのかが判然としないのですが、どちらなのでしょうか。
安倍総理は自ら中国と会うことを拒んでおきながら、相変わらず「対話のドアは常にオープン」だとうそぶいています。
先日は、身内の議員に「そう言わずに総理から出向いて行ってドアを叩かれてはいかがか」と質問され、そうしたいと思うが、その時はぜひ条件をつけないでほしいと答えていました。
総理に条件をつけているのは相手側ではなく、側近や取り巻きではありませんか。
総理が少しでも中国にたいして宥和的な態度を示すことを、そういう連中が許さないのではありませんか。
かれらにしたら、中国と話し合いを持つことさえ売国にうつるのでしょう。
日本の平和主義者たちは、軍備さえ否定し、戦争回避にはあくまで外交努力を尽くせと言ってきましたが、いま、そういう声は微々たるもので、その声は風に乗ってさえ耳に届くことはありません。
いかに国民感情が一方向に流されているかということです。
さんざん言われてきた日本人特有のネガティブな気質です。
戦争はしてはいけないのです。
「いのちを守る」「子どもを守る」ということは、本来なら当たり前だったことなのに、そうではない現実を見ることになろうとはだれが想像できたでしょう。
「いのち」にも右と左があるそうです。
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