きのうのサンケイ「正論」の寄稿者はまた新保祐司さんで「仰げば尊し」の二番の歌詞について書いておられました。
互いに睦し 日ごろの恩 別るる後にも やよ 忘るな 身を立て 名をあげ やよ 励めよ 今こそ 別れめ いざさらば
この歌詞の中の、「身を立て、名をあげ」というところが立身出世主義的だということで封印されてきたということですが、新保さんがもっともこころを打たれるのは外でもないこの歌詞だということです。
とくに、「やよ」という音の響きの意味が分からなければこの歌の真価は分からないだろうと言っておられます。
それはともかくとして、わたしは文中に引用されていた次の文章になんども目を通しましたが、なかでも斉藤茂吉のうたはいつまでもこころの中を揺曳し余韻を引きずりました。
福田恒存は、日露戦争の戦跡、旅順を訪ねた時の回想を書いている文章の中で、斉藤茂吉の歌
あが母の 吾を生ましけむ うらわかき かなしき力 おもはざらめや
をあげ、それについての芥川龍之介の『菲才なる僕も時々は僕を生んだ母の力を__近代の日本の「うらわかきかなしき力」を感じている。
わたしはこのうたについて一言の解説も感想もでてきません。
まして、これを反戦歌という範疇で捉えようという視点は持ち合わせません。
おそらく、福田恒存も旅順を回想したときにこの歌が浮かんだのは純粋な哀しみ、鎮魂のうたとしてだったと思われます。
ところが、新保さんは、時勢に合わないからと封印されていた二番について、こういう「ご意見」ももうそろそろ少数意見になってきたのではないかと書いておられるところをみると、わたしには新保さんが「うらわかきかなしき力」を真に分かっておられるとは思えないのです。
今回この歌を取り上げられたことから垣間見えてくるのも「うらわかき,かなしき力」の上に国家があるというどこまでもお国大事の思想です。
お国のために犠牲になるのは尊いことなのですという思想です。
もちろん、お国は大事です。
いうまでもないことです。
しかし、新保さんが支持される安倍総理にお国大事のこころがありますか。
専守防衛の枠を超えて、戦争を仕掛けるようなことばかりしているではありませんか。
国のことよりも自分の権力と権威が大事ではないですか。
いったい安倍総理のどこを見ておられるのですか。
「子どもを生み、立派に育てることが最大の国家への貢献」と言った自民党議員のメンタルと変わらないように思えてくるのです。
こういう意見は突発的にでてくることはありません。
そういう空気が醸成されてきているということです。
「うらわかき、かなしき力」によって生を受けた同じ人間が、立派に育った子は戦闘要員になり、立派に育たなかった子は役立たずとして差別される、そんな社会になるのだけはご免です。
わたしは、「うらわかき、かなしき力」によって生まれた子どもの多くも、また「うらわかき、かなしき力」として国のために散っていったことを思うと、深いかなしみをおぼえずにはいられません。
歴史を美化しないでほしい。
戦争ができる国にするために「靖国」を美化しないでほしい。
安倍総理が靖国について「国のために戦い、倒れた方々に手を合わせ尊崇の念と、ご冥福をお祈りする」という言葉を言うときわたしは耳を塞ぎます。
きょうの防大の卒業式の送辞でも、総理は「安全保障上、日本を取り巻く周辺の環境は厳しさを増している」と言っていましたが、厳しい環境をつくっているのが自分だと承知した上で言っているのでしょうから罪が深いです。
(ちなみに、わたしはどんな理由であれ歌詞を改竄したり封印することには反対です。)
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