いつもは数羽いるにわとりの姿が見えないので、諦めて立ち去ろうとしたとき、林のなかに、目を奪うような白い輝きを放つ一羽が目に止まりました。
近寄っても動じる素振りも見せず悠然たるのも道理で、神宮のにわとりは神の使いで神使と呼ばれている格式のあるにわとりなのです。
わたしは自分よりも上座の魂であることを一瞬で感じました。
このように、今生では動物や鳥のかたちをしていても、人間よりも優れた魂を持ったものはたくさん存在するのだと思います。
エックハルト・トールが
「これは、わたしたちにとってはなかなか捉えにくい概念ですが、実を言うと、「時間」と「空間」は同じものなんです」
と言っています。(竹原信一さんのツイッターより)
しかし、わたしにとってそれは捉えにくい概念ではなく、ごく若いときからそう思っていました。
「空間」を「まるい」イメージでとらえるのは自然だと思いますが、わたしは同じように「時間」もまるい「円」として捉えていました。
だから、
「草木のように、いささかの努力も迷いもなく、舞い落ちる落ち葉のように、、、まるで、生まれていなかったかのように未練も痕跡も残さずに消える、これがいのち」
と竹原さんが言われることがすぐに理解できたのだと思います。
人間の生を直線や右肩上がりではなく、「円」のなかで捉えていたからだと思います。
ペットに非常な苦痛を与えて死なせたとき、ときどき心臓のあたりに、ピンポン玉より一回り小さいまるいもの(マリモみたいだと思いました)が現れました。
それが現れるのは恐怖でした。
よく、胸が痛くなると言いますが、これがその究極の痛みなのかと思いました。
あの「まるい」ものは何だったのでしょう。
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