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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

あこがれの生活

農家の長男や商売している人や職人さんなど生まれた家で一生を終える人がこの辺でもたくさんいるのですが、そういう人生がいまごろになって羨ましくなりました。

結婚してからでも五回引っ越しをしていて、そのために消費した時間、労力、お金を思うと取り返しのつかない喪失感にとらわれます。

生まれた家で一生を送るとなると、人生は落ち着いたものになり、それだけで思い煩うことも少なくて済み、生活が充実します。

人生まるごと堪能できるというわけです。

生きとしいけるものすべてのいのちの音に耳を傾ける余裕もできるのです。


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家は小さければ小さいほどいいと思っています。

立って半畳、寝て一畳と言いますが、わたしは四畳半の部屋に別に台所があるだけでいい。

時代劇の長屋の間取りです。

掃除なんかパッパッと掃き出すだけでいいし、ご飯だって一汁一菜どころか一汁にお漬物だけでもいい。

必要最小限の家具と台所用品を一生愛しむような生活ができればそれが幸せです。

先日、テレビで、引田天功さんが家を一七軒持っているのだと言っておられましたが、わたしは聞いてぞっとしました。

また、必然性もないのに憧れだけでモナコに住んでいる人がいましたが、すぐそこの郵便局に行くのにもブランドものを身につけていないと馬鹿にされるのだと言っていました。

身震いするほど嫌な生活だと思いましたが、本人は満足なのでしょうから何も言うことはありません。

豪邸があってお金も付けるから住んでくれと頼まれても、わたしはゼッタイお断りします。

漬物店の帳場
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戦後の焼け跡に立つバラックの写真なんか見るといいなあと思ってしまいます。

木っ端を拾い集めてきて七輪で煮炊きをし、家族全員が小さなちゃぶ台を囲んで食事をし、晩は、雑魚寝で折り重なるようにして寝るというような生活。。。

こういう生活への憧れはだれにもあるのではないでしょうか。

しかし、こんな簡素な生活がいいということになると、資本主義や新自由主義は困るのですね。

これから貧しいものはさらに貧しくなって否応なくそういう生活になるのですが、幸せ感など微塵もない過酷なだけの暮らしになるのでしょうね。

けだものの世界にも見られないよう弱肉強食の世界が現出するのだと思います。









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by michi-no-yuri | 2013-11-21 19:52 | Comments(0)
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