朝、いつものように考え事をしていたとき、急に、「わたしはだんだんきれいになる?」というフレーズがこころに浮かびました。
どこかで聞いたフレーズだと思うまでもなく、光太郎が智恵子のことを「あなたはだんだんきれいになる」とうたった詩のタイトルです。
人間、生まれたときは真っ白で、年を経るほどに汚れていくというのが大方の見方だと思いますが、わたしは逆ではないかと考えています。
だって、汚れるために生まれてきたわけではないからです。
たしか、啞蝉坊さんも同じようなことを言っておられたと思いますが、何のために生きているのかをちょっと考えれば分かることではありませんか。
欲望や嫉妬や悪意を遮断するのは並大抵のことではありません。
しかし、それが人生の目的だとは考えられないでしょうか。
幸い、わたしは内省的な人間に生まれました。
内省という鏡に映る自分の醜さと絶えず向き合ってきました。
だれに言われなくとも、自分の醜さ、美しさはよく分かっています。
だから、自己正当化など考えもおよびません。
わたしには、実に長い年月をかけて、少しづつきれいにしてきたという自負があります。
それはいまも進行形で、だから
「わたしはだんだんきれいになる」ということです。
現実を言っているのではなく、意思であり欲求なのです。
竹原信一さんのツイッターに紹介されているエックハルト・トールという人の言葉がこころに染みます。
「言葉やラベルを貼り付けないで世界をありのままに見れば、奇跡のような畏敬の念がよみがえる、人生に深さが戻ってくる。ものごとは再び初々しさ、新鮮さを取り戻す」
見るもの、目指すものを間違えて、苦しい人生を生きている人のなんと多いことでしょう。
「あなたはだんだんきれいになる」 (智恵子抄より)
をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺の際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽(せいれつ)な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
春日大社参道
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