ブログトップ

谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

蝉よ  この八月に哭かずにいつ哭くというのか。

あれは蝉の声なのでしょうか。
突発性難聴のわたしの耳には、それがほんとうの蝉の声なのか耳奥で鳴っている雑音なのかが判然としません。


孫の墓ひとり掘りおり蝉しぐれ<


叔母があるときの手紙の末尾に書き添えていた句です。

都会に住む長男が、生後間なしに死んだ子どもの骨を持ってふるさとに帰りました。母親同様、生活や仕事に追われていた長男は骨を母親に預けると、またそそくさと実家を後にしたのです。

そういう経緯はなにも書かれていませんでしたが、叔母は息子の生活の苦しさをよく知っていてもなお尚どこかにぶっつけずにいられない怒りや悲しみをこの句に込めたのではないかとわたしは思いました。

叔母は涙を見せることのない人でした。
ひとりのときでさえ涙を流すことはなかったのではないでしょうか。
人間、涙の出る内はまだ元気なのです。

黙々と孫の墓を掘る叔母のこころを知って蝉は泣いたのです。
わたしがこの句を思い浮かべるたびに胸に振動が走るのは、叔母の代わりに泣いた蝉の声が蝉しぐれとなって身内に降り注ぎ、その激しさに圧倒されるからです。

蝉は、涙もでないほど不幸な人に代わって泣くのでしょうか。
短い一生をそのために生まれてくるのでしょうか。

断弦のように、ぴたっと泣き止んだあとのあの深い静寂に、わたしは爽やかな諦観のようなものを感じます。
涙が枯れるまで泣いたあとのあの気分です。


蝉よ  声を限りに泣いておくれ

声なき死者に代わって、ここを先途に泣いておくれ

この八月に哭かずにいつ哭くというのか。









×
[PR]
by michi-no-yuri | 2013-08-13 10:06 | Comments(0)
<< 支配層に連なる醜い人たち。 傾国のうば桜たち。 >>