きょうは2月26日、2・26事件から77年目に当たります。
2・26事件に関わった人間の遺書や手記、裁判に関する資料などを収めた「2・26事件」という550ページに及ぶ大部の本があります。
久しぶりにその本を手にして、装丁のくたびれた感じから、いかに執着して読みふけってきたかが偲ばれます。
一時は諳んじるくらいでした。(ウソですw)
いちばん印象にあるのが、不謹慎かもしれませんが、磯部浅一が獄中で書いた「行動記」(仮題)の次のような箇所です。
「ー午前4時20分出発して、
栗原部隊の後尾より、溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時、俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の連隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとえんものなしだ。
(同士諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角、言うに言えぬ程面白い。
一度やってみるといい。
余はもう一度やりたい。
あの快感は恐らく人生至上のものだろう。)
人生至上の快感を経験した人間は
やはり、叛徒でなければならず、
銃殺されなければならないのでした。
そのおよそ30年後に、
三島由紀夫が2.26事件という歴史の必然を
完結させるべく書いたのが「英霊の声」です。
「などてすめろぎは神となりたまいし」
それに応えられたのかどうかは知る由もありませんが
それから、およそ10年を経て、
昭和天皇は初の記者会見でそのことに言及されました。
「立憲君主としての立場(一線)を超えた行為だった」
ブログを初めてきょうで一年を迎えました。
何の理由もないのですが、区切りということでしばらくパソコンを閉じます。
(あした開けるかもw)
何を言おうが、何を思おうが、日本のこれからの行方は決まっているのでしょうね。
しかし、これはニヒリズムではありません。他力本願的見地からの感概です。
そう思うと腹がすわり、爽やかな風に吹かれているような気持ちになります。
×