二人の人間を殺して「長期刑務所」で服役している殺人犯の著者が書いた本を読んだのですが、全体を通じて非常に考えさせられたことが二つありました。
一つは、その長期刑務所に収容されている囚人のほとんどに罪の自覚がないことです。
したがって、当然、犯行についての反省や贖罪の意識もありません。
かれらにとっての「反省」とは
「事件の発覚の原因や不手際について反省し『次はもっとうまくやろう』ということ」
だそうです。だから、かれらがどういう気持ちで刑務所生活をおくっているかといえば
「ここでは犯罪行為についての雑多な情報が交換され、受刑者はいながらにして犯罪力の強化に努められる。」
「服役すれば、過半数の人間は悪徳を教えられ、犯罪指数を上げて出所していく。」
というのですから驚くではありませんか。
軽犯罪ならともかく、殺人犯がパワーアップして社会にでていくのです!
ここを読んで思い出したことがありました。
江戸の獄に入っていた松陰の、獄中での生活や出来事を書いた文章に、まったく同じことが書かれていたことです。
同房の囚人たちは、寄っては情報交換に励み、出獄してから行う悪事の学習をしていたというのです。
道理で「世に盗人の種は尽きまじ」ということです。
わたしは、かれら犯罪者の、自分の欲望を満たすためなら何でもする、人のいのちを何とも思わない、平気で嘘をつくという、顕著な共通の性向は、そのまま、政治家や官僚や企業の多くの人間にも当てはまるのではないかと思いました。
人のいのち(子どものいのち)を何とも思わない、欲望、つまり、自分の出世やポストのためなら良心も簡単に捨てられる、ウソをつくのなんかは朝飯前。反省もしません。
そもそも反省とはどういうことかを知りません。
両者にある違いは、欲望を満たすために努力(勉強)をしたか、しなかったかの違いだけかもしれません。
こんなことを引き続き考えていたら、それはわたしたち一般人にも言えるのではないかと思えてきました。
大きく法に触れることはぜず、一応健全な社会人ということになっていますが、自分さえ良ければ人のことはどうでもいい、平気で嘘をつく、反省も知らないなどという人がほとんどではないでしょうか。
わたしだってビミョーです。
しかし、うそをつけばこころは悲しみ、人を傷つければこころが痛みます。
なぜでしょうか。
だれにだって良心はある
根っからの悪人はいない、と言われていることをわたしはこう解釈しています。
それを証明するのは来生、来来生に待たなければいけないのではないかということです。
これもわたしが転生を信じる理由の一つです。
なぜなら、最終的には(?)すべての人が救われるというか、救われなければならないからです。
もう一つの考えさせられたことは、別の日に譲りたいと思います。
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