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谷間の百合

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正論」執筆者のお気楽。

三日の「正論」の執筆者は新保祐司さんでした。
記事の中に、
「横光利一が『今、文壇で一番頭が悪いのが中野重治だ』と言ったことに対して、中野重治が『俺は頭は悪いかもしれんが強い頭だ』と言ったというエピソードが紹介されていて面白いと思いました。

「自分で考えず、ただ回転の速い、整理能力の高い、要領のいい」のが「いい頭」であって、日本を再生させて内外の国難に取り組んでいけるのは「強い頭」でなくてはいけないと筆者は言っています。

「強い頭」とは「強い心」だと言い換えてもいいと思いますが、多分、大方の人は、それに意思が強固で、何事にも動じないという人というイメージを重ねるのではないでしょうか。
もちろん、それを否定はしませんが、わたしがイメージするのは、例の映画「山猫」の中の「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」というセリフでした。
つまり、柔軟で臨機応変なことが、わたしの思う「強い頭」です。

とても臨機応変とは言えませんが、いつでも変わり得るという意味において、わたしは「強い頭」の部類に入るのではないかと思っていますが、まかり間違っても「いい頭」ではないことは確かです。

わたしは新春にあたって、小沢さんが好きなこの言葉を思い出しては反芻していましたが、ほんとうに、日本が日本として変わらずに生き残るために、日本は変わらなければならないと真剣な気持ちで思っていました。

新保さんについては「今の危機は忠誠心の喪失に」で取り上げましたが、
安倍総理の誕生で、「戦後レジームからの脱却」が可能であるかのような期待を持たれている新保さんには失望を禁じえません。(想定外ではありませんでしたが)

「戦後レジームからの脱却」と「日米同盟の強化」は矛盾しないのでしょうか。


きょうの「正論」は平川祐弘さんでしたが、新保さんもそうですが、保守派と言われる言論人のお気楽さが気になりました。

「言論の自由の国(つまり日本)は中国より上等」なのだそうですが、中国のことはどうでもいいではありませんか。それより、日本が言論の自由がある国だという認識がおかしくありませんか。
自分たちが自由に書いていることが何よりも言論の自由の証しだと思っておられるとしたら、とんだ太平楽です。あなたたちがそう思っているとしたら、それは、あなたたちの書くことが、権力側にとって毒にも薬にもならないからです。

自ら言論の自由を放棄したマスコミの罪はとても大きい。
何者かを怖れ、何者かに媚びへつらい、右顧左眄して自己検閲に励み、自ら、自由を投げだしたマスコミ、ジャーナリズムの罪はとてつもなく大きい。
かれらは、権力者から与えられた情報しか報道できないのです。
巨悪には盲目でなければならないのです。

「半世紀前、朝日など大新聞が煽動したから東京は反米安保で荒れたが、それでも、俊秀は渡米を希望していた。」

朝日が煽動したかは知るところではありませんが、今も対象こそ違えマスコミが同じことをやっていることへの認識はないのでしょうか。

そのとき、渡米を希望し、のち渡米を果たしただろう俊秀たちはその後どうなりましたか。すっかりアメリカに魂を抜かれて、アメリカの代弁者になった俊秀もいたのではありませんか。










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by michi-no-yuri | 2013-01-07 18:02 | Comments(0)
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