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谷間の百合

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十九日 その二 曽野綾子さんの脱原発批判。

月刊誌や週刊誌を読まなくなってから5年は経つと思いますが、きのう、新聞で「新潮45」の広告を見、そのなかに佐伯啓思さんの「『維新の会』の志向は天皇制否定である」という見出しに興味をそそられて本屋さんに直行しました。

その論文はまだ目を通していないのですが、巻頭を飾る連載コラムらしい曽野綾子さんの「人間関係愚痴話」を読んで並々ならぬ?違和感を覚えました。
この人がこれほどの政治的人間だとは知りませんでしたが、新聞でコラムを読むだけの読者であるわたしが知らないのも無理はありません。

それにしても、曽野さんはなぜそこまで嘉田さんを批判されるのでしょう。
先ず、卒原発についてこう書いておられます。


「一番驚くのは、『原発を〇年までに止める』という公約である。それほど期限を切ってできるものなら、今まで日本人はやっていただろう。そこには経済的、政治的さまざまな流動的難問が山積しているから、いくら試算しても、簡単には解決できないような事情があったのである。」
「多くの智者ほど、現実的に原発ゼロが〇年後に実現できるかどうかという技術的現実に 自信がないから口にしないだけである。」


今更言うのも馬鹿らしいことですが、脱原発は、経済的、政治的、技術的な問題でできないのではありません。
アメリカやIAEAや原子力ムラの権力(利権)亡者が立ちはだかっているからです。
それが唯一、最大の難関なのではありませんか。
たとえ、経済的、技術的な問題があっても、日本人に克服できないことではありません。
それに、原発が地震で壊れたら、経済なんか吹っ飛んでしまうのです。それがイチバンの問題ではありませんか。

いま稼働しているのは大飯だけです。この夏の猛暑は、一基も動かない中で乗り越えました。
ところが、曽野さんは、そのために、4兆円分のエネルギーを外国から買ったと書いておられます。わたしには初耳です。事実なら、なぜ政府は黙っていたのでしょう。
脱原発に対する有力な反論になったことを、なぜ黙っていたのでしょう。

曽野さんによれば、嘉田さんの「子どもが安心できる食や大地」という発言は、
「もっとも今日的に軽薄なアジテーションの調子をもっていた。」と言い
嘉田さんが、滋賀県から多くの職員が福島のために派遣されていると発言されたことには、職員の派遣は滋賀県だけではないだろうと 「こういう飛躍した表現は、悪い意味で女性的なものだ。」と、まるでケンカ腰ですが、わたしには意味が分かりません。
なんだか、自分は論理的に考えられる人間だという傲りのようなものが見え隠れします。
曽野さん、ご乱心?

いままでアフリカや中東の文明の及ばない地域に住む人々の生き方を紹介し、安全と水はタダだと思っている日本人の能天気さを痛烈に批判してこられていた曽野さんのことですから、原発なんかいらない、停電くらいに堪えられなくてどうする、と言われるものだとばかり思っていました。

曽野さんがいつも言われるように、安心安全なところなどどこにもありません。危険だらけです。しかし、多くの危険は、個人の注意や努力で避けることができます。それこそが曽野さんの持論である自己責任です。自分を守るのは自分だという自己責任です。
しかし、原発は個人の注意や努力で避けることはできません。
放射能を個人で除けることは不可能なのです。

小説家として、人間を観察してこられた曽野さんが、原発に関しては目が曇るようです。
なぜですか。あまりにも政治に関わられたからですか。政治に魂を売られたのですか。

曽野さん 神は原発を容認されているのですか。









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by michi-no-yuri | 2012-12-19 17:43 | Comments(2)
Commented by 菜の花 at 2012-12-20 00:01 x
曽野綾子さんが“人類みな兄弟”と唱えていた人の娘さんだとしたら、その発言には納得できます。
Commented by michi-no-yuri at 2012-12-20 12:26
菜の花様
コメントありがとうございました。
日本財団の会長に就任されたときは驚きましたね。
なんだか、クリスチャンの隠れた一面を見るようです。
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