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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

教養について。

きょうの新聞の「正論」の広告に、「福田恒存とその時代」という見出しのタイトルを見て、思い出したことがあります。
教養について書かれたものでしたが、こういう話しでした。(うろ覚えですが)

著者が地方の旅先で、田舎のバスに乗っていたときのこと、途中から、エプロンをつけたおばあさんとその娘か嫁のような女性のふたりが乗ってきて隣に座ったそうです。しばらくして、おばあさんが自分に顔を向けて何か言ったのですが、突然のことですぐには飲み込めなかったのですが、どうやら窓を開けてもいいか? つまり、風が当たることに気を遣って、了解を求めているのだということを理解します。

著者は、東京ではこういう場面に遭遇したことがないと言って驚き、これこそが教養というものではないかと書いておられたと思います。
しかし、わたしは、こういうことは日常的に見る光景なので、著者が東京では見たことがないと言われることの方が驚きです。

わたしは、いい話だなと思いましたが、一方で、もしかしたら、著者には地方への偏見があったのではないだろうかと思いました。

文化や教養と言われるものがまだ僅かでも残っているとするならば、それは大都市ではなく、地方の方にその残滓が見られるのではないでしょうか。
たとえば、わたしの祖母などは貧農の嫁でしたが、どこかの武家の奥方かと見紛うような風格がありました。もちろん、著者が言うような教養も身についていました。

要するに、教養とはたしなみでありマナーだということでしょう。
こういうことは、人に教えられるものではなく、持って生まれたものなのかもしれないなとわたしは思っています。
道を尋ねるとき、車の窓から顔をだしてということができないわたしは、必ずといっていいほど車を降りてから尋ねるのですが、だれに言われたわけでも、自分でそうしよう、そうすべきだとか思ってしていることではないのです。
わたしが、ただ一つ親に言われたのは、家にきたお客を複数人で見送るときは、お客の姿が見えなくなるまで、話をしてはいけないということだけでした。


きのうの安倍晋三さんの代表質問をちらっと見ましたが、中野重治という人に、「揉み手をした暴力団」と評されたおじいさんの岸信介と同じかそれ以上のオーラが漂っていたように感じました。
いつだったか、自宅のような部屋で、安倍さんと談笑している男性をテレビで見て
この品のない男性はだれだろうと印象に残ったのですが、後日、その人物が安倍さんの弟だと知って、さもありなんと納得したことがありました。
しかし、その下品さは際立っていましたねえ。
要するに、あの一族には教養がないということでしょう。

結論としては、教養は、氏素姓も貧富の差も都会と田舎の違いも学歴も関係ないということです。









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by michi-no-yuri | 2012-11-01 12:42 | Comments(0)
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