ほぼ治ったのですが、長い間苦しんだ症状がありました。
何と表現したらいいのか、変な言い方ですが、目が回らない「めまい」というのがイチバンぴったりするように思います。
その症状が出ると、わたしは、恐怖のどん底に突き落とされます。少しでも顔を動かすとどうにかなってしまいそうで、わたしは硬直したまま、症状が収まるまでの数時間を過ごすことになります。
なぜ、これが恐怖なのかと言いますと、司令塔、あるいは羅針盤ともいうべき脳の機能が働かなくなるからです。
そのとき、ひたすら願うのが、頭さえしっかりしていれば、他のどんな苦痛にも耐えますからこれだけはカンベンしてくださいということです。
先日、偶然なのですが、吉野秀雄という歌人の次のような短歌が目に留まりました。
《血を吐きて何にすがらむ、たどきなし冷たき秀処を掴みいるのみ》
秀処は「ホト」と読み、この場合は「おちんちん」のことだそうです。
「たどきなし」とは、頼るところがない 寄る辺ないという意味です。
わたしの、そのときがまさに「何にすがらむ、たどきなし」という状態でした。
そして、この短歌から先ず、感じたのが、
男性は、最後の最後には、掴むところ(すがるところ?)があるんだなという羨望にも似た感情でした。
(そんな最後の大事な拠り所を、あまり悪いことに使ってはいけないと思いますよ)
東海臨界事故の被曝者について、染色体がバラバラになって、いわば、人体の設計図が失われた状態だったということを本で読んだときも恐怖しましたが、
日本の今が、まさに、設計図も司令塔も羅針盤もない状態だということですね。
「何にすがらむ、たどきなし」の可哀そうな日本!
荒涼とした心象風景のなかでただ茫然とするばかりです。
しかし、これも神の思し召しなのかもしれません。そう思うしかありません。
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