きょうの「産経抄」(たまにしか見ない)が靖国参拝について書いています。
よくある「過去の過ちを繰り返さないために参拝すればいい」という意見について
岡崎久彦さんが著書の中で、「それでは、英霊に対し『お前たちは、悪い戦争のため
ムダに死んだ』というに等しい」と書いておられるそうです。
わたしは、正直、どっちもどっちだと思います。
どちらも、思想的、政治的立場からの発言だと思うからです。
自らを、真正保守と名乗る人たちのいかがわしさに、もううんざりしているのです。
8月15日が近づくと騒々しくなる人たち、靖国神社を政治的に利用しようと、ここぞとばかり声が高くなるひとたち。
なにも主張しない人たち、なにも言わない人たち、言葉にならない、言葉にしたくない悲しみをこころの深くに湛えている人たち。
そういう人が行くところなのです。
沈黙こそが、鎮魂に相応しいのです。
あなたたち、騒々しい人たちには、英霊の憤怒の形相や悲しみの表情が見えないでしょうね。
本の紹介欄に
天皇皇后両陛下「祈りの二重唱」という本の書評がありました。
著者の竹本忠雄さんの
「短歌の詩型(フォルム)そのものに、悲しみを浄化する力、一種の霊性が宿ると確信する」という言葉に共感を覚えました。
こころに悲しみは残っても、悲しみそのものは浄化される、というか、浄化を信じることで救われるということでしょうか。
靖国の英霊の悲しみや怒りはいつになったら浄化されるのでしょうか。
この本を、さっそく読みたいと思います。
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