吉本の芸人が、何千万という収入がありながら母親に生活保護を受けさせていたことが
このところずーっと話題になっています。
「貰えるもんは、もろといたらええ」と言ったということが、大阪クオリティなどと言われて揶揄され侮辱されていることがわたしは悲しい。
ある人が、日本を悪くしたのは、吉本、日教組、創価学会だと言ったことには大いに納得するのですが、とくに、吉本という悪貨が、良貨であった本来の大阪を駆逐してしまったことは返す返すも口惜しいことです。
以前にも書いたことがあるのですが、
東京で役人人生を勤め上げて帰郷した人から聞いた話です。
その人も大阪生まれなのに、大阪には偏見があって、ゼニ、カネがすべてのがめつい世界だと思っていたそうです。ところが、そうではなかったと。
東京では他人のお金で飲食する人間が多いが、大阪人は自分のお金で飲み食いする。
つまり、そのことが象徴しているのは、大阪商人に代表される大阪人には独立不羈の精神と進取の意気があるということだというお話でした。
これは、父が、ゼニ、カネよりも大事なものがあることを教えてくれたエピソードの一つですが
父が、毎朝、ある公共の場所の清掃をひとりでしていたことを、某新聞社が聞きつけて記事にしたいと言ってきたのですが、父は会おうとはしませんでした。
そのとき「恥を知るのが日本人や」と呟いた父をいまでもはっきり覚えています。
何であれ、新聞に載るというのは恥ずかしいことだったのです。
父がしていたことは、無意識だったでしょうが、陰徳を積むということで、決して人に知られたくないことだったのでしょう。
「細雪」とは言い過ぎかもしれませんが、田辺聖子さんなどの小説の中にほんとうの大阪があるのではないでしょうか。どちらも読んだことはないのですが、
何となくそんな気がしました。
先日、ほんとうに久しぶりに大阪のミナミをちらっとだけ歩いて多国籍都市のような印象を持ったのですが、表面的には大きく変貌したとはいえ、
大阪商人の心意気は、細々ながら絶えることなく、大阪の地下水脈を流れているのを
こころの琴線で感じることができました。
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