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谷間の百合

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小沢さんが元気で嬉しい。

小沢さんが「脱原発」視察のためドイツを訪問されるということです。
小沢さんは、今後十年以内に原発ゼロを目指すとされていますから、いよいよ具体的な行動にでられたということなのかもしれません。

「暗黒夜考ブログ」様は、野田政権が「2030年原発ゼロ社会」を謳いながら、いつの間にかうやむやになった理由として次のように書いておられます。


≪民主党が一旦掲げた「2030年原発ゼロ社会」の実現をあっさり断念したことに驚きと呆れの念を感じた方が多いことであろう。
いま思えば、その”分岐点”は「9月13日」であろう。
その日に何が起きたかと言えば、アーミテージ・ナイと共に日本を操るマイケル・グリーンの”下僕たる”前原誠司と長島昭久がアメリカから呼び出しを受けて渡米し、世界の”原発利権”を牛耳る胴元連中らに極めて強い”恫喝”を受けたのである。
即ち、野田・民主党が「2030年原発ゼロ社会」の実現をスローガンとして掲げたことに対し、日本における大きな”利権””飯の種”を失うこととなる”原発利権”を司る連中どもが激しく怒り、そのスローガンを即刻撤回するように命じられたということである。
しかし、翌日の9/14になると”空気は一変”、読売新聞記事に書かれているように、アメリカのみならず、原子力産業に纏わる”利権”でぼろ儲けをしてきた英仏両国によって、「日本の電力インフラを考えると合理性が見いだせない」「核拡散防止の観点から、国際社会への責任放棄になる」といった尤もらしいイチャモンが続出し、野田・民主党が一旦掲げた「原発ゼロ社会」の実現に対し、事実上の「NO!」が突き尽きられたのである。≫



いち早く脱原発に舵を切ったドイツに対しては何も言わず、なぜ、日本にはかくも激しく干渉してくるのでしょうか。かれらは、なぜ、日本の電力インフラのことにまで口をだしてくるのでしょうか。
「核拡散防止の観点から、国際社会への責任放棄になる。」のなら、ドイツにも応分の責任があるはずではありませんか。

このごろ、いや~な気分がするのが、国際社会の日本イジメともとれる風潮です。
先日は、ニューヨークタイムスが、尖閣は日清戦争の戦利品として日本が盗ったものだとの中国の主張を認める記事を掲載しました。これは、明らかに、日本を怒らせて、煽る意図があったことは一目瞭然です。
また、スペインとイタリアの新聞が、広告ではなく、竹島は韓国領だとする記事を載せたということですが、これなどは買収の匂いがフンプンします。韓国が何かにつけて使う手ですから、いまさら驚くことはありませんが。

日本は、国際裁判所に訴えるということしか言えないし言わないのですが、認識が甘くないですか。国際裁判といえども正義が通用するような世界ではないと思います。

日本が苛められる原因は、野田総理自身にあるのではないでしょうか。あの顔がよくないのでは?苛めたくなる顔なのではありませんかw

日米同盟一筋はダメでしょう。ABCD包囲網ではありませんが、日本はいつアメリカに梯子を外されて、世界から孤立するか分かったものではありません。梯子は日本から外したいところですが、夢ですね。

すべては、リーダーにかかっているのです。リーダーの責任なのです。
内心、今に見ておれ!小沢さんが天下をとったら見返してやるから!と思いつつ、小沢さんの身の安全が心配でなりません。

(暗黒夜考様は、この記事について、個人的な仮設、妄想だと断っておられますが、状況証拠から犯人はこの人物以外ありえないと思われる事件と同じで、これを仮説、妄想と言われる必要はないと思いますが。)









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# by michi-no-yuri | 2012-10-05 11:02 | Comments(0)

どんなときでも明るい未来を。。。

「酔生夢人ブログ」様が内田樹さんの文章を丸ごと転載しておられますが、わたしは、別の観点からとても興味を引かれたことがありました。
次のような部分です。


≪維新の会の「おとしどころ」がわかったような気がする。
いったいどのへんに「おとしどころ」があるのか、こういうことは事後的に「あのときに私はそう予見していたのだ」と言っても所詮「後知恵」である。
あとで賢しらな様子をするよりは、はやめにばんばん予言しておいて、外れたら謝るというのが私のやり方である。
こういうことについてはできるだけ断定的な予言をした方がいい。
それが自然科学の骨法である。
仮説の提示、実験、反証事例の出現、仮説の書き替え。
自然科学はそのエンドレスの繰り返しである。
だから、科学者はその段階で適切だと思った解釈を断定的に語らねばならない。
どうとでも取れる玉虫色の解釈をすること(「ノストラダムスの大予言」みたいなこと)はしてはならない。
どれほど愚かしくても、未来について「これから、こうなる」ということははっきり予測しておいたほうがいいというのが私の考えである。
そうしないと、自分が推論に当たってどんな要素を読み落とし、どんな推理上の誤りを犯したのかが自分にもわからなくなるからである。
問題は「予言の遂行性」ということである。
強く念じたことは実現する。
だから、誰かが断定的に予言したことは、誰も言わなかったことよりも実現する可能性が高い。≫



わたしは、よく「読ませる文章」とはどういう文章だろうと考えることがあります。
目を通す五つか六つのブログを、わたしは、何に惹かれて読み続けているのだろうと分析を試みるのですが今一つ掴めなかったのが、この内田さんの記事を読んで気が付きました。
それらのブログには、必ず予言的要素があり、明るい未来への展望が書かれているということです。分析を試みるまでもない、当たり前の単純なことだったのです。
誰だって明るい未来がいいに決まっている!

ところが、わたしの書くことはどうでしょう。なんの展望もなく、好きだ嫌いだと言っているだけではありませんか。
他人様のブログには、あんたの好き嫌いなんかどうでもいいんだよ!と毒付いているくせにです。

しかし、そもそもわたしは、自分の考えに絶対的信を持っていません。
根っこは揺らぐことはありませんが、枝葉は、そのときどきに吹く風に翻弄され続けています。そんなわたしが、どうして未来の予測を語ることができるでしょう。

しかし、これからは少しづつでも未来へ目を転じていこう。そうでないとあまりにも無責任ではないかと思うようになりました。
結局は、予測がハズレるのを恐れているだけなのですが、内田さんの言われるように、そのときは、ゴメンナサイでいいのですよね。

明るい展望を語ることにかけては、この人の右にでるものがいないと思われるのが、「つむじ風」の飄平様ではないでしょうか。
楽観主義者であることが、革命家の必須の資質だと、どこかで読んだことがありますがまさしく、台風や飄が好きなところといい、革命家の面目躍如ではありませんか。









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# by michi-no-yuri | 2012-10-04 11:27 | Comments(0)

十月三日 その二 シリアのこと。

過激派の流入が続いて、シリアが混迷を深めているということです。
二十八日には、クリントン長官が反体制派へ非軍事支援として35億円の供出を表明したそうですから、米欧の支援がある限りますます内戦は泥沼化していくのでしょう。

そもそも、この内戦の原因、切っ掛けは何だったのだろうと、ふと考えてしまうことがあります。ほとんどの人はそこまで考えないと思われるのですが、日本のこれからを知る意味においても、ほんとうはそこがイチバン肝心なことではないでしょうか。

シリアはだれと戦っているのでしょう。
反体制派勢力とはどういう組織でしょう。
なぜ、欧米がそれを支援するのでしょう。

すべてのメディアは、政府側を悪、反体制派を善というイメージの報道をして国民を洗脳しています。山本美香さんを殺した犯人については、このところ聞かれなくなったのですが、当初は一方的に政府軍だとする報道がなされていました。
(彼女は、だれかによってあそこに行かされたのだという説がありましたが、わたしは、大いにあり得る話だと思っています。イラクで殺された香田証生さんのときも、ちらっと思ったことでした。)

元駐シリア大使の国枝昌樹という人の書かれた「シリア」という本の紹介と書評を見たのですが、その中で特に印象に残ったのが、アルジャジーラの記者が「嘘は書けない」と言って次々と辞めていったという件です。アルジャジーラには、まだこのような気骨や正義感のある記者がいたということです。
こういう類の行為に接するたびに、つくづく、日本人には「個」がないのだという自虐的な思いが込み上げてきます。

「嘘は書けない」という以前の問題として、真偽への関心が薄いのではないでしょうか。
何が真実かを追求する資質が、もともとないのではないかと思うことがあります。
しかし、
ジャーナリストや記者は、もし、自分が「事実」を書けば、この腐敗しきった社会に一石を投じることになるかもしれない、蟻の一穴になるかもしれないという自覚を持ってほしいと思います。それは恐ろしい自覚かもしれませんが、それが自分たちの使命ではありませんか。
たとえ勇気がなくても、その自覚との葛藤だけは持ってほしいと思います。

その「事実」とは、特別な何かである必要はありません。社や局に充満しているであろう欺瞞性や偏向性を匿名で告発するだけでいいのです。それだけで、確実に何かが変わっていくのです。

あなたたちの堕落、腐敗、つまり、特権意識や長いものには巻かれろという体質、体制が、あまりにも長く続いてきたので、わたしたちはもう何も期待しなくなっています。期待しないどころか、「ゴミ」だと思っているのです。
しかし、ひとりでもいいのです。
「嘘は書けない」と言う人はいませんか。


それにしても、こんな無益な大義のない内戦がいつまで続くのでしょう。街は破壊され、ただ人が子どもが死んでいくだけの内戦。
愛様が言われるように、殺戮が目的ということが真実味を帯びてきます。









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# by michi-no-yuri | 2012-10-03 17:33 | Comments(0)

十月三日 その一 「いのちの音」

マドモアゼル愛様の記事を転載。

「何が幻想で、何が現実であるのか、今の内にそれを問い直すことが求められている。」
ということで、最後の二行にその指針が提示されています。
先ず、「命の音」を聞くこと。

ニワトリを飼っていたころ、わたしはかれらが嫌がるのを捕まえては抱っこしていたのですが、そのときのからだの温もりが今も手に残っています。
いつか、斉藤史さんの歌集の巻頭口絵の写真で、史さんがニワトリを抱いておられるのを見て、思わず頬が弛みましたが、史さんも、わたしと同じような気持ちで抱いておられたのだろうなと想像して感激したものでした。

生きものの体温に触れ、命の音(心臓の鼓動)を聞いて、なおそれを殺して食べようという気持ちになるでしょうか。
わたしは、動物たちが、人間と同じように、あるいはそれ以上に、死というものを認識していることに確信を持っています。
苦しみや悲しみに対する感受性は、もしかしたら人間以上かもしれないと思っています。

最近の若いひとは、なかなか異性に触れる機会がないかもしれませんが、それでも幻想の世界に閉じこもるのではなく、小動物や小鳥に触ることくらいはしてほしいと思います。そして「いのちの音」を聞いてほしいと思います。


幻想レストラン
テーマ:ブログ
先日、新宿のビルの上にある人気料理屋へ連れて行かれた。なぜ人気かというと、よくその店の前に行列ができていたのを知っていたからだ。

一度のぞいてみよう、、、と思っていたが、たまたま行く機会を得た。

店内は明るく外からの光がよく入る、まるで温室のような雰囲気。人気店らしく確かに混んでいた。

注文を済ませ、待つこと数十分。昼のサービスタイムにしてはけっこう時間がかかるので、さすが、本格的なのかしら、、、と思って、やってきた料理を口に運んだ。

味がよくわからない、、、おいしいのか、まずいのかが、なんとなくわかりにくい。最初は本物はこんなもんなのかな、、、とも思ったが、何口食べても何がおいしいのか、どこがまずいのかもわからない。

そして段々とわかってきたのは、どの料理にも共通する無機質さだったが、これはレンシレンジ特有の味だと気がついた。

味に命がない。まずいならまずいと、おいしいならおいしいと、はっきりしてくれればいいのに、すべてがあいまい。

そして思ったのは、そうか、あいまいだから批判されることもなく、周辺のイメージで全体をよく感じさせているのだな、、、ということ。そして大勢の人はそれがいいと思っているという現実。

レストラン内部の一応の豪華さ。ウエイトレスのにわかに学んだように見受けられる一流的な応対。なのに疲れが目立つ感じ。大きめの器で料理がさも非日常のように見せる工夫。

料理のメニュー数も多いが、わずか数種類食べただけだが、何をたべてもきっと同じテイストなんだろう、、、とわかってしまう。

要するにどこにも本物はないのに、どれもさも一流のように見せるためだけの工夫のオンパレード。まさにここは幻想レストランであると思った。

最近、この手の「幻想レストラン」がとても多い。しかもそれなりの人気を集めている。本当の味よりも、それらしさ、、、みせかけ、、、が一流に見えることが大事になってしまった時代。

中身がなく、体裁のみの、電子レンジ味を食べさせられることに、他の多くのお客は何も感じていないのを見て、私は再び驚いたのだが、時代はそこまで変化したのだと一種のあきらめの境地に。

大きな窓の外は、屋上になっていて、しゃれたベンチでパンや牛丼に食らいつくサラリーマンの姿があり、時々目が合う。

向こうは向こうで、お前ら、うまいもの食っていて、、、というどこかしら反感を感じる視線を受けるが、間違いなく、あなたの食べてるもののほうがおいしいですよ、とは、最後まで気づかないことであろう。

今はやりの店の多くはおそらく幻想レストランであろう。しかしそれはそれで仕方ない。それなりの良い雰囲気で、それなりに見てくれもよくして、、、それをそんなには高くないお金で味わわせてくれるのだから、確かにはやるのは当然かもしれない。

こうした中で私たちはいつしか、幻想学校へ行き、幻想企業に勤め、幻想結婚をし、幻想人生を送っていくのだろうか。

幻想は現実に弱い。現実を幻想に置き換えて置けるうちはそれでもいいが、一度、重たい現実が訪れたとき、私たちは幻想人生を、果たして持ちこたえることができるのだろうか。

幻想レストランんからの帰り道、東京の広尾を車は通過していく。信号待ちの横道からは、ベンツ、BMW,ベンツ、トヨタの最高級車と、次々出てくる。

その中の数台は慶応の小学校の前で停まった。送り迎えなのだろう。あどけない顔の小学生が迎えに来た車に乗り込む。

私は心の中でつぶやいた。「だめだよ、、、そんなことが大事なんじゃないんだよ。こんなことで自分を他の人と違うと思っちゃダメだよ、、、」

私の声が小学生にもちろん届くわけはない。車は挨拶もせずに私の車の前に割り込み、アクセルを吹かして去っていった。

なぜかくすんで見えた広尾界隈の空気は、そこが幻想都市であることを教えてくれたかのようだった。しかし幻想都市の命はいま、息も絶え絶えではなかろうか。

私たちは今生きているその場で、生活を立て直さなくてはならなくなるだろう。流通システムに頼らない生活の方法をつくる必要がきっと出てくる。

幻想都市はいずれ壊れると思う。幻想生活もやがて消えていく。福島の現実を見ればそのことがわかる。何が幻想で何が現実であるのか、今のうちに、それを問い直すことが求められている。



命の音 自己嫌悪からの脱出 深い瞑想への案内 ヨガセッションへの集中 ペットの安寧 乳児の安寧 トーニングによるリアリティ体験










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# by michi-no-yuri | 2012-10-03 10:57 | Comments(0)

アメリカは「収穫」を前にして焦っている。

石原慎太郎が「日本よ」で、金曜日の官邸前デモについて、六〇年安保を引き合いにだして、相変わらず愚かな大衆だと言わんばかりに嘲り見下した文章を書いています。
この人にとって、国民は在って無きがごとき存在で、愚弄し嘲笑することでしか国民と向き合えないのです。しかし、愚かなのは自分自身です。
自分が多くの国民から、親バカの売国奴だと嘲りの目で見られていることが分からないからです。
国民を無視、蔑視する為政者は、いずれ国民から復讐されるのが世の法則です。

かれは、たかだかコンビニの店長くらいの器量しかない息子を総理大臣にしようというとんでもない野望を抱いた我欲に凝り固まった人間です。
息子は頭が悪いから植木屋になったらどうかと言ったという東郷平八郎は、さすがに恥を知った人物でした。
(実際に息子は植木屋になったそうですが、周囲が、軍神の子息を植木屋にはしておけないということで宮内省に召しかかえられたということです。)

親バカでも、かれがほんとうに息子を愛しているのなら、息子がその器ではないこと、
仮に総理大臣になっても恥をかいて歴史に汚名を残すだけで、それでは余りにも哀れではないだろうかと考えるはずなのです。
結局は自分の私利私欲だけなのです。おそらく、かれが愛しているのは自分自身だけであって家族ではないのだろうと思います。


きょう書きたいのはこのことではありませんでした。
文章の中に「私の親友だった若泉敬」と書かれていたのが目に止まったからです。
親友だったかどうかは知る由もありませんが、この人は、そのときの都合によって人を親友にしたり知人にしたりする性癖があるので真相は分かりません。

くわしくは知りませんが、若泉敬という人は、沖縄返還に当たり、佐藤首相から密命を帯びて訪米し、アメリカと迫真の交渉をした人だということくらいは知っています。
そして、最後に「歴史に対して負っている重い『結果責任』をとり。。。」と書いて、自決した人だと。

石原慎太郎は、アメリカに行って何をしましたか?
売国です。
若泉敬が、アメリカで血のにじむような、息詰まるような折衝を重ねたこととは天と地の違いです。
愛国と売国、利他心と利己心、無私と我欲
このふたりの人間性の目のくらむような懸隔!!!


きょうのサンケイに、アメリカの「国際評価戦略センター」の主任研究員が、
日本の譲歩は、中国の侵略を招くだけだと言って、日本に発破をかけています。煽っています。
いままで、わが国に中国人の流入や進出を陰で奨励してきたのはアメリカではありませんか。よくよく練られた戦略が、いま、まさに「収穫の秋」(戦争)を迎えようとしているのですから、アメリカは居ても立ってもいられないのでしょう。









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# by michi-no-yuri | 2012-10-02 10:16 | Comments(0)

アメリカの本命は石原伸晃さんだった?

自民党総裁に安倍さんが決まった日のNHK9時のニュースを見て、あれっ?と思ったことがありました。街頭でマイクを向けられた人の二人が安倍さんについてネガティブな意見を言ったからです。NHKはそれを安倍さんの前で流しました。
そのとき、安倍さんはアメリカにとって好ましくない人物だったのだということがはっきり分かったと思いました。
本命は、まさかの伸晃さん!?だったのでしょうか。

それ以外の局でも、総じて、安倍さんに好意的ではなかったように見受けられました。

従軍慰安婦発言はともかく、インドに、パール判事の子孫を訪ねていったことがアメリカの逆鱗に触れたのでしょうか。
一応、辞任は健康上の理由となっていますが、何か隠された真実があったのかもしれません。

日米同盟の深化とか、小泉改革の継承とか言ったのは、あるいは敵の目を欺くためだったとしたら面白いですね。
もしかしたら、安倍さんが、韓国人脈や統一教会人脈を独自に持っていることが、アメリカにとって不快なのかもしれません。何でもアメリカを通じないといけないことになっているのですから。

わたしにとっては、中川秀直、甘利明、菅偉義など、腹の黒い人間(菅さんは目が暗い)が側近にいることが、安倍さん個人への悪感情以上に安倍さんを忌避する要因になっているのです。
甘利さんなんか思わず、「日本なんかどうなったっていい!」と叫んでしまった人ですよ。


畑仕事が忙しい。
やっと、キャベツの苗を植えることができました。去年は植えるのが遅くなって、葉っぱが巻きませんでした。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-29 11:18 | Comments(0)

自民党はアメリカに依拠するしか生き残れない。

自民党総裁に安倍晋三さんが決まりました。
だれがなっても、従米路線に変わりがないばかりか、ますますそれが深化していくことでしょう。

だから当然、安倍さんのスローガンである「戦後レジームからの脱却」の中に、アメリカの占領政策は入っていません。
安倍さんの頭にある「戦後レジーム」とは、主に、朝日新聞などによって作られた(捏造された)自虐史観のことだと思われます。
「美しい国」を損ねたのは、自虐史観だということです。モチロン、わたしも同感です。
しかし、その自虐史観をウラで操作したのはだれなのでしょう。
いつの間にか、右も左も、うまく懐柔されてほんとうの敵から目を逸らされてきました。

安倍さんが、南京事件や慰安婦を取り上げて問題化することは、アメリカの望むところです。簡単に言えば、日本人の中国や朝鮮への対抗意識を掻き立てることが、安倍さんに与えられた役どころだということです。

しかし、中国政府が自国民に対してそうであるように、その対抗意識や不満が自分たちに(アメリカに)向かってくるような事態にでもなれば、安倍さんは即失脚させられることでしょう。
所詮、自民党も安倍さんも、日米同盟に依拠するしか生き残れないということです。

安倍さんの豊富な人脈は、強味であると同時に弱味であり危険でさえあります。統一教会との縁を断ち切ることができますか。(もっとも、統一教会自体風前の灯かもしれませんが)
保守層がもっとも嫌悪する朝鮮カルトと安倍さんの関係は、すでに広く人の知るところとなっていますが、そこには目を瞑っても安倍さんを支持したい人がたくさんいるのも不思議な現象です。

拉致問題に熱心だという評価には呆れます。いまだに経済制裁の強化しか言えない人間になにを期待するのですか。
被害者家族の中に、安倍晋太郎さんだけが自分たちの訴えに耳を傾けてくれたと信頼を寄せておられる方もいますが、真相は、安倍さんが、親しい統一教会を通じたら、何か分かるかもしれない、交渉の糸口が掴めるかもしれないと思われたということではないでしょうか。もちろん、わたしの想像です。

マドモアゼル愛様が、ホロスコープで見られたら、安倍さんは、ほんとうに日本を愛している人間だと出たそうですが、そうであっても、根本のところで間違っていたらどうしようもありません。
安倍さんに、圧倒的、決定的に不足しているのは「胆力」です。
(あの石破さんに地方の支持が集まったのは、実際はどうか分かりませんが、一見、胆力があるように見えるからではないでしょうか。)


(わたしもホロスコープで見てもらったことがあります。欣喜せんばかりに嬉しかったのは、「永久の精神障害から守られている」と出たことです。)









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# by michi-no-yuri | 2012-09-27 10:44 | Comments(1)

「私を病院に入れないでください。」

久しぶりに、それを手にとりました。
見るのが辛いので、抽斗の奥に仕舞っていたものです。

母の定期入れ(カード入れ)なのですが、その中に、二つに折った紙片が入っていて
そこに、長男の住所と電話番号、そして、その下に、やや大きい字で
「私を病院に入れないでください。」と書かれていたのです

そのころは、かなり病状も進行していたのですが、それでも、それとなくお別れを言いたい人のところへ出かけたりしていましたので、いつ倒れてもいいように用意をしていたのだろうと思いました。
しかし、その後、ふと、これは長男への強いメッセージではないかという思いが浮かんできました。
世の長男に共通の性向ではないかと思うのですが、兄は、母にたいしていつもぶっきら棒で命令口調でした。照れもあるのでしょうが、それにたいして母はいつも黙ったままなので、およそ意思の疎通など成立するわけがないのです。
そういうことなので、直接自分の思っていることを言えず、紙に書いて伝えるしかなかったのではないかと思いました。

母はそれほどまでに、病院に行くのを拒みました。
そして、自分のことが言えない母が、一世一代の「わがまま」を押し通したのです。
(「私を病院に入れてしまえば、あんたたち子どもは楽だもんね」と、こんな嫌味さえ言ったのです。)

先日の「しほ」が死んだときにも思ったことですが、ほとんどと言っていい人が、家族の看病を受けることなく、病院で死んでいきます。それが当たり前のことになりました。
病人が、たとえ家にいて治療したいと思っても、それが言えないし、できない空気ができているのです。

しかし、看病するということは、「喜び」であり「幸せ」なことなのです。そのことをほとんどの人が知らずに、自分もまた病院で死んでいくのです。

認知症や寝たきりになった配偶者を、在宅介護している夫や妻がたくさんおられるようですが、その大変さは想像に難くありません。
しかし、あのときは大変だったけど、人生の中で、もっとも充実した時間だったと、後になって思い出されるのではないでしょうか。わたしにはそう思えるのです。

今は、核家族で、多くの女性が外へ働きに出ているので、在宅介護なんて夢のようなはなしです。
しかし、愛する家族を看病する喜びを捨てても、働きにでることが価値のあることだろうかと思うことがあります。人生の価値ってなんだろうと。。。

竹中平蔵が、女性の労働力が日本経済の成長の鍵だというようなことを言っているそうですが、竹中平蔵が言うというだけで、それが陰謀だと分かるではありませんか。
社会の仕組みや家族制度を破壊して、より多くの奴隷を生み出すことがその目的だと分かるではありませんか。

「しほ」が立てなくなってからの一週間ほど、安らかに死んでほしいと祈るような気持で看病できたことは「喜び」でした。
しほ! もっと看病したかったよ!

母の看病のときは、経験もなく、知識もこころも貧しくて、とてもとても看病したなどとは言えないのですが、いまなら落ち着いて、こころを込めて看病できるのにと思うと涙が止まらなくなります。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-26 11:03 | Comments(1)

今が日本の運命の岐路?

マドモアゼル愛様の「戦争屋さんにそんなに乗りたいですか」の記事から。

≪すでに国民は売り飛ばされているのと同じである。しかし、売り飛ばした上の者たちも、時間と状況が切迫してきている。彼らにはみずから富を生み出す力はなく、しかも自らの欲のためにデリバティブにおける失敗があり、その清算の時期が迫っている。

彼らとしてもとにかく急ぐしかない。なので、やり方が露骨になっているのである。野田も石原も自分がやっていることがどんな意味を持っているかはもちろん知っている。また、多くの良識ある人に見透かされていることももちろんわかっている。

しかしそれでも知らん顔をして、役割に徹していくという厚顔でやるしかない、、、。≫


「かれら」は富を搾取、収奪するシステムを作り出しただけで、みずから富を生み出す力はないということですね。
そのシステムが行き詰まってきたから焦っていると。
なんとか、危機や脅威を煽ってそのシステムを軌道に乗せないと、自分たちのお尻に火が付きそうということが、尖閣騒動の動機ですか。。。
でも、だれだって戦争は嫌でしょう。責任ある立場の人は尚のこと戦争は嫌でしょう。
だから、戦争を煽っているのは、微塵も責任感のない連中なのです。

しかし、「盛者必衰」は宇宙の「理」(ことわり)です。
少し、滅亡を先延ばしにしたところで、いずれ必ずそのときはきます。歴史を俯瞰すればよく分かることです。


以前書いたことですが
ナチスは、ゲットーの中に、ユダヤ人自身に評議会と警察組織をつくらせました。
選ばれた人間は、ナチスのイヌとなって同胞を苦しめましたが、結局最後は一人残らず絶滅収容所に送られたのです。
そして、わたしはこう書きました。
ご主人は気まぐれだから、いつまでもいい思いができるとは限らないと。
しかも、そのご主人自身がその後どうなったかを考えると。。。。

野田政権のみならず、日本の上層部の人間は、宗主国のご機嫌をとることに汲々としていますが、いったいそれは何のためですか。
モチロン、国のためではありません。このごろ、自身のためですらないのではないかと思えてきました。
野田総理自らがこう言いました。「わたしには、まったく私心はありません」と。
わたしには、それが「私にはこころがありません」と聞こえたのですが、どちらにしろ
これが自分のためですらないことを証明していませんか。
怖い怖いご主人をただ恐れる習性が身についた結果なのかとも思えますが、そんな思いをしてでも総理でいたいというのが、理解に苦しむところです。

≪私は野田や石原の力は今後急速に落ちていくと思う。日本はむしろ、それとは逆の方向に今後進むのではないだろうか。むしろ、そうした大きな流れに恐怖を抱いたこれまでの日本統治の上層部が、危機感を持って、あまりちゃんとした展望を持たずに、暴発した事態が現在の状況ではないか。≫

小沢新党に寄せる国民の期待に怖れを抱いたということでしょうか。
その証拠に、マスコミの小沢さん無視は徹底しています。

この尖閣に端を発したこれからの世界の潮流に、日本が舵取りを誤らないように乗り切ってほしいと祈るような気持です。小沢さん、お願いです!









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# by michi-no-yuri | 2012-09-25 11:36 | Comments(1)

「日米同盟の強化」を訴える鉄面皮な自民党総裁候補たち。

きのうの続きなのですが、
わたしは、改めて、日米同盟によって日本は守られている、だから、どこの国も手を出せない、だから、平和なのだということが、無意識のレベルで、日本人のあらゆる層に染みついていることを思い知らされています。
しかし、そう思っているのは日本人だけで、中国、ロシア、南北朝鮮はそうは思っていないでしょう。日本はアメリカの保護領だと思われているのではないでしょうか。
そういう意味で、どこの国も手を出せないというのは当たっています。

ちょっと考えれば、日本が守られているのでないことは、中学生でも分かることですが、
いつの間にか、そのちょっと考えることさえ日本人はしなくなっていたのです。
沖縄を除き、米軍基地の存在は、ごく日常的な光景として日本の風土に溶け込んでいるかのようです。


テレビで、自民党総裁候補の五人が街頭演説で、揃って「日米同盟の強化」を訴えていました。テレビで流すのは、一人につき10秒にも満たない時間なのですが、その数秒の中に、必ず、そのフレーズが入っていました。
上からの指示というより、例によってお家芸である「忖度」の精神が発揮されたということかもしれません。目出度く、視聴者の耳には「日米同盟」だけがインプットされたようです。

民主党によって日米関係が毀損されたので、自分たちが修復しなければならないという使命感があるようなのです。正確には、民主党ではなく、鳩山さんによって毀損されたということですが、心配には及びません。その後の二代にわたる総理によって修復を通り越して、すべてがアメリカに言われるがままの政権になりましたから。

世界で反米デモが起き、日本でも微かに「対米自立」の声が聞こえてきたというのに、
かれらはいったい何を見聞きしているのでしょう。何を肌で感じているのでしょう。
何も見ていないのです。目とこころは、ひたすらワシントンを向いているのです。

わたしにとって、野田総理は希代の嘘つきであり、安倍さんは希代の恥知らずです。
安倍さんなんて、顔を見るのも嫌だ。
戦後レジームからの脱却なんて、そんな大事業が何であんな人にできましょう。
そのことは、在任中に嫌というほど思い知ったはずなのに、忘れたのか、アメリカにコントロールし易い人間だということで推されたのか分かりませんが、恥を重んじる?日本人が、なぜ、まだこんな人に期待するのかとつくづく虚しくなります。
それに、あの異形にして異相の石破さんが人気があるというのもわたしの理解を超えます。伸晃さんのことは、論外ということで。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-24 10:46 | Comments(0)

「宇治川」 河畔にて。

山崎行太郎さんの「戦後から戦前へ」について。

≪日本人は「対米自立」を実現したければ、それは同時に「戦争の可能性」をも引き受けることを意味することを知るべきだ。≫

全然、違います。
日本人は長い間そう思い込まされてきたのです。それが、まやかしであることを、尖閣騒動が浮き彫りにしました。アメリカが一人の老害売国奴を指嗾して、尖閣危機を演出したことが、わたしたちの目にはっきり分かったのです。

「戦争の可能性」つまり、戦争を引き起こす要因は二つあると思います。(急に考えたことなので、外にもあるかもしれませんが)
一つは、戦争利権です。
二つ以上の国を仲違いさせて脅威を煽り、そして、戦争にもっていくことで、お金が儲かる仕組みの戦争経済のことです。

二つ目は、「油断」です。
太平の夢を貪っている国、国民が、侵略を誘発するという歴史的事実は沢山あります。

 ≪今、「対米自立」を志向するということは、日本が日本独自の軍事力で自主防衛体制を構築し、軍事的に自立すると言うことである。≫

ここで、山崎さんはなにを言わんとしておられるのでしょうか。
覚悟を持て、ということを言っておられるのなら、その通りです。
国民の覚悟に優る軍事力はありませんから。

世界を見ると、どんな小国でも自主防衛体制を築いているのです。
こんな当たり前のことさえ日本人は考えもせず、しようともしてきませんでした。
正確に言うと、アメリカがそうさせなかったということです。

≪戦後日本の「平和」は、反戦平和主義というイデオロギーによってではなく、「日米軍事同盟」ないしは、「従米隷属体制」と言われる戦後的政治システムによって保護されていたに過ぎない≫

これも違うと思います。
「冷戦構造」によって均衡が保たれてきたというのが「平和」の実態ではありませんか。
戦後の政治システムを軍事同盟とか隷属体制だとか簡単に言われますが、「戦後史の正体」を読むまでもなく、アメリカに抵抗して失脚した政治家の存在や、軍事同盟はおろか、日米同盟という言葉さえタブー視されてきた歴史もあるのです。

それがどうでしょう。今の政治家は、恥も外聞のなく嬉々として「日米同盟の深化」を叫んでいるではありませんか。わたしは、恥かしさと怒りでそういう人間の顔を見られないのです。

「対米自立」なんか出来っこないと思っている人が、とくに政治家に多くいます。
わたしも簡単なことだとは思いませんが、出来っこないことはないのです。
考えようによっては簡単なことなのです。
唯一それを可能にするのが、国民の覚醒と覚悟です。これほど強いものはありません。
そうではありませんか?!

ほんとうに、日本はアメリカによって骨抜きにされました。
アメリカは、もう日本人には気概も誇りもないと見切ったから、こうまで傍若無人に干渉してくるのではありませんか。
アメリカの意識には、依然として日本は無条件降伏した国であり続けているのではなかろうかと、このごろよく思います。わたしたちは、無条件降伏した国の国民のままなのではないかと。

日米同盟とはこういうことではないでしょうか。
金のなる木である日本はアメリカの保護領なのだから、だれも手をだすな!
金のなる木はだれにも渡さない!
これがアメリカの本音ではないでしょうか。
中国もロシアもこのアメリカの本音をよく知っていることでしょう。
流れによっては、アメリカと中国が手を組んで、日本を潰しにくることだってあり得ないことではないでしょう。

「尖閣軍事衝突に勝負あり」なんてトンデモナイ!
いまだ、戦争のイメージが日露戦争で止まったままの人がいるのですね。
もしかしたら、これからが本番かもしれないのに。

≪仮に、戦争になれば、勝ったとしても悲惨は避けられないし、これからの時代、戦争という愚かな対立競争は卒業すべき時に来ている。≫(つむじ風ブログより)

ほんとうにそう思います。たとえ、勝ったとして、それが何をもたらすでしょう。
負けた国の国民の(勝った国の国民も)悲しみや恨みを背負い続けるだけではありませんか。そんな負の連鎖に終止符を打ちたいとは思いませんか。


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# by michi-no-yuri | 2012-09-23 12:15 | Comments(0)

日本人に染みついた奴隷根性。

山崎行太郎さんの「日中軍事衝突に勝負あり!!」を読んで、わたしは、えっ!?と思いました。以前から、えっ?!と思うことがよくありましたが、今回のえっ?!は、その最たるものになるのではないでしょうか。

事態は「日米の素早い軍事行動によって、完全に封じ込められたと見ていい」と、最初から、山崎さんの中では、日米共同ということが既成事実として、何の抵抗もなく受け入れられているようです。それはそうですね。日米同盟ですからね。
うらを返せば、日本はアメリカなしでは戦えないとうことのようです。

「日本の言論人の中に、『対米自立』を主張しつつも『対中隷属』を主張している人がいることに驚く」として、孫崎さんを名指しで批判しておられます。
孫崎さんが、親中派とは知りませんでしたが、「冷静な対応を」「中国を刺激するな」というのは、大局的、現実的、常識的にみて当たり前の心情であり反応ではないでしょうか。わたしも、ドキドキしながら、沈静化するのを祈っていましたから。

アメリカはもう百年以上も前から、日本と中国、日本と朝鮮の離間政策をとっています。
アジアが一つになることを怖れているということもありますが、そうすることで得られる物心両面の利益がハンパではないからでしょう。
だから、「東アジア共同体」を唱導した鳩山さんは失脚させられました。
共同体はともかく、わたしは、両国とは距離を保ちながら、波風が立たないように
上手に付き合っていくことを願っていますが、朝鮮とは無理なようですね。
これは、決して、甘い考えではありません。わたしにとっては、すべての国が仮想敵国
です。これが安全保障の基本です。
その上でいかにうまくつきあっていくかということです

アメリカは日中が仲良くなることを許しません。
山崎さんは、石原慎太郎や政府の行動を評価しておられますが、日中を戦わせて共倒れ状態にした上で、漁夫の利を独り占めしようというアメリカの戦略を知った上で、尚かれらを評価されますか。

この記事の中で、わたしがもっとも違和感を覚えたのは、山崎さんが、「中国の属国になるくらいなら、アメリカの属国でいた方がいい」と言っておられることです。
どっちの属国になる方がましか、などというような発想がどこからでてくるのでしょうか。いやしくも、普通にプライドのある人間が口にできることではありません。
どっちも嫌に決まっているではありませんか!!
そういうのを奴隷根性というのです。

山崎さんは「三島由紀夫論」という本を出しておられますが、(わたしは読んでいませんが)三島由紀夫こそ「対米自立」のために自決したのではありませんか。
それは当時は理解されませんでしたが、今はどうなのでしょう。
小さくとも「対米自立」の声が聞こえてくるようになったと思うのは、わたしの空耳でしょうか。

品性や知性のカケラもない、無責任極まりない石原慎太郎のような人間を、断固支持するとは、山崎さんも随分勇気のある方ですね。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-21 12:25 | Comments(1)

終わりを告げる鐘の音を聴きたい。

中国の反日デモは、たとえ数百、数千人でも大きく取り上げますが、日本の10万人に及ぶ反原発の官邸デモは、ほとんど無視に近い状況です。
しかし、それを国内メディアの偏向だと非難する人はいても、世界のメディアはどうなのかということに視線を向ける人はあまりいません。
アメリカやイギリス、中国などで、日本の大規模デモは報道されたのでしょうか。
わたしは、寡聞にして知らないのですが、そこから、浮かび上がってくるのが、IAEAとその上部組織が世界のメディアを支配、掌握している実態ではないでしょうか。

しかし、それも時間の問題かもしれません。ネットが真実を暴いていくからです。
それを、かれらは怖れ、いま、必死にネットに規制をかけようとしているということでしょう。

中国での反日デモは、政府の呼びかけで一夜にして終息しました。
わたしが、少なからず、中国に羨望を覚えるのは、善悪の判断は別にして中国では、政府と国民の関係が濃いということです。
濃いということは、敵意であれ、憎悪であれお互いが無関心ではないということです。
(人がもっとも傷つくのは、憎しみではなく無関心だと言われています。)
中国政府は、絶えず、国民の動向に神経を尖らせています。無理もありません。
毎日、どこかで暴動が起きているといわれる国情ですから、いつ、どんな切っ掛けで
それが政府転覆の起爆剤になるか分からないからです。
ということで、中国政府は一瞬たりとも目を逸らすことなく、国民を見ています。
悪く言えば、監視(拘束、投獄)  良く?言えば国民の不満に敏感ということです。

逆説的に言うと、もし、諦めや無関心が社会を覆っていたら、暴動も起きないということになりませんか。

翻って、わが日本を見るとどうでしょう。
官邸デモがいくら膨れ上がっても、野田総理は平然を装っています。閣僚の面々にも、何の緊張感も見受けられません。個々の政治家がそれに危機感をもったという声もほとんど聞こえてきません。

国民を舐めきっているのです。国民にも舐められて仕方ない面があります。
どっちもどっちなのです。
どっちにも真剣さがないからです。別に真剣にならなくても、何となく生きてこられたからです。

これからは違います。
しかし、この「これからは違う」ということを、どれだけの国民が認識しているでしょう。どれだけの政治家が、当選時や就任時に言う常套句である「責任の重さに、身が引き締まる思いです。」ということの正念場が、まさに、いまなのだということを自覚しているでしょう。


「反戦の家づくり」様が、なぜ、反原発の声が無力なのかということを、次のように分析しておられます。


≪しかし、平和裏のうちに10万人20万人が集まって原発が止まるかというと、残念ながら絶対に止まらない。
なぜ止まらないのか。これだけの声を無視することは、自らの選挙にリスクはあるはずなのに。
要は、どちらのリスクが高いか、ということだ。

いかに極悪民主党といえども、できれば有権者にウケのいいことをやったほうが、選挙で楽なのは言うまでもない。しかし、いまそれをせず、あえて極悪政策を立て続けにおこなっているのは、それをやらなかったときのリスクが、有権者に嫌われるリスクよりも大きいからだ。

官僚のサボタージュに始まり、スキャンダルの暴露、検察による言いがかり起訴、マスメディアによる総攻撃、「米国を怒らせた」という脅迫、暗殺。
選挙のリスクどころか、選挙にたどり着く前に政治家として抹殺されてしまうリスクのほうが、はるかに大きいのだ。

そんな大げさすぎる、というなかれ。暗殺以外は、この2年半のあいだ、小沢一郎をめぐって私たちの眼前で繰り広げられてきたことだ。そのまんまだ。
たぶん、小沢以外の政治家であれば、とっくの昔に消し飛んで、運がよければ陶芸でもやりながら隠居生活、運が悪ければ獄中生活、場合によればあの世で雲上生活だ。


何が政治家にとって命取りか。その最大のものが「アメリカの意向に逆らうこと」だ。
これは、外交や防衛だけの問題じゃない。
日本というのはアメリカのアジア戦略のコマだ。コマとしてのあり方は、政治、産業、国民生活の全般に及んでいる。その重要ポイントにおいて、アメリカの意向に逆らっていないかどうか、それを政治家は敏感に察知しながら態度を決めている。≫



いつまでこんなことが続くのでしょう。
終わりを告げる鐘の音が、どこからか、微かでも聞こえてきてほしい。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-20 11:25 | Comments(0)

戦後の歴史は日本文化の喪失の歴史。

みにくいお鼻のパネッタ国防長官が、アジア歴訪の初日に日本にやってきました。
長官は、主権が対立する問題にはどちらの味方もしない、ということとセットのように、
尖閣は安保の適用範囲だと言いました。この二つは矛盾しないのかと思いましたが、深く考えると頭が痛くなりそうなので考えないことにしました。
要するに、どちらの味方もしないというのは、中国へのメッセージで、安保適用は日本への励ましのメッセージだということでいいでしょうか。

きょう、かれは次期首相の習近平さんと会うようですが、オモテには出てこない内々の話し合いが持たれるのかもしれません。
それにしても、パネッタ長官は嬉しそうですね。
この千載一遇のチャンスに、手を拱いていられなくて出しゃばってきたのでしょう。

しかし、極東の火種よりも、中東始め世界で広がりを見せている反米デモも相当深刻なことになっているのに、そちらを放置しても、こちらに干渉してくるのは、いよいよアメリカも詰まってきているということでしょうか。

だれかが、日米同盟は、日本よりもアメリカにとってメリットがあるのだと言っていましたが、ほんとに、考えればそういうことですね。
アメリカにとって、手っ取り早くお金がとれるのは、日本だけです。(可哀そうに、アメリカはもう日本しか頼れるところがないのです。)
こういう状態を逆手にとれる政治家は小沢一郎さんしかいないのに、小沢さんの不在がウラメシイ。

きのうのデモでは、毛沢東の肖像が多く掲げられていました。解説によると、中国人は反日よりも、格差社会に不満を持っていて、それで、貧しくとも平等だった毛沢東時代
への回帰願望が起きているのだということでした。
なるほど。
わたしは、すべからく平等に、という考えは持ちませんが、貧しくても、明るく、こころが豊かだったころに回帰したいという気持ちは、かれらに劣るものではありません。

お金を盗られただけなら何ということもありません。
昨晩は、床についてから、戦後の歴史は、日本から日本文化と日本の精神を喪失させられていった歴史だったのだと思い、茫漠とした気持ちになりました。
破壊と搾取を、自立や個性や成長という糖衣に包んで誤魔化し、これが新しい価値観だと喧伝されました。それによって、本来の文化、制度や習慣は、旧弊、悪弊のように思い込まされて、自らを恥じるようにして姿を消していきました。
確かに、悪弊や旧弊はありましたが、それを除去するさいに、これこそが日本文化の神髄だという「かたち」も一緒に、乱暴に葬ってしまったのです。残ったのは、味も素っ気もない合理主義でした。

その破壊されたもの、姿を消していったものの、目に見えるもの、目に見えないものも合わせた膨大な残骸、死骸を想像して、わたしは、さらに茫々たる気持ちになりました。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-19 12:30 | Comments(0)

「よし」と「しほ」の死から。

(「つむじ風ブログ」の「不思議な少年」の記事に触発されて)

日月神示は、共食いになるから四足を食べてはいけないと言っています。
わたしは、その言葉通りに理解しています。
すべての生きものは、形こそ違え、同じいのち、同じ魂だと思っているからです。

九年前に、延命治療のせいで苦しませて死なせてしまった「よし」という犬が、そのことをはっきりと知らせてくれたと思っています。

死の三日前、かれは、庭に行こうと覚束ない足取りで三段の階段を降りると妹(母犬が同じ)の傍らに立ちました。そして、遠くの青山高原、さらに遠方の鈴鹿山脈の方を向いて並ぶと、いつまでもその姿勢でふたり黙って突っ立っていました。
わたしは、ああ、かれは、自分の死を悟って、妹に別れを告げているのだと思って見ていました。(わたしには、とても長い時間に感じられました。)

それから、かれは畑に行きました。
土に鼻をつけるようにして、さも愛おしそうにその匂いをかぎました。
次にかれがとった行動を、わたしは、溢れる涙の中で見ることになりました。
かれは、空に垂直に顔を上げて、目を閉じました。
そして、鼻腔を膨らませて、一月末の冷たい鮮烈な山あいの空気を、胸いっぱいに吸い込んだのです。

わたしは、なんというものを見たのだろうと思いました。
その後、わたしは、目に見ることのできない「魂」というものを、そのとき見たのだと確信したのです。


先日は、「しほ」が死にましたが、癌はあったものの苦しむことなく自然に死なせてやることができました。
うちには、もう一匹「とも」という名の六歳のオス犬がいます。
かれは、後からわが家にきた「しほ」を頼りきっていました。

かれは、死の床にいた「しほ」から、二メートルほど離れて背中を向けて寝ていたのですが、「しほ」が少し動いたり、声を発したりするたびに、顔を振り向けて実に悲しそうに見たのです。苦しいというような悲しみの目でした。

「しほ」が病気だと分かったころかから、それまで同じ容器で水を飲んでいたのをぴたっと止め、ひとりお風呂場に行って飲むようになりました。「しほ」に与えていた壜詰の赤ちゃん用の離乳食にも、いくら勧めても決して口をつけようとはしませんでした。

かれは、「死」というものを認識していたということではないでしょうか。
人間が持つ、「死」への畏れや穢れを、本能的に持っていたということではないでしょうか。

人間も、ときに、土の匂いをかいだり、空を見るようなこころのゆとりを持ったらいいのにと思ってきましたが、その土も空も、放射能で汚染されてしまいましたね。


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# by michi-no-yuri | 2012-09-17 10:57 | Comments(0)

他国の意のままになりたくない。

ジョセフ・ナイが、中国人のデモ隊が掲げる「日本人を皆殺しにせよ」という横断幕に驚き、その驚きを記事にしてコリア・タイムスに寄稿したということです。
「東シナ海で戦争が起きるとでもいうのか。米国は尖閣諸島に日米安保を適用すると宣言した。」と書いているそうです。

驚きとは、驚喜のことでしょう?
この機を逃さずに、安保が適用されるということを強調しておくことで、日本政府を安心させ、さらに強気にさせて一気に戦争に持ち込みたいのでしょう?

遠くワシントンにあって、あの連中が、固唾をのみながら一喜一憂している心の内が
よく見えるようです。
もう、中国も韓国もどうでもいい!
それよりも、あの連中の意のままになりたくない!! という気持ちのほうが強くなってきました。


すぐ暴徒化する中国人をみて、民度が低いと言う人がいます。わたしもそう思いますが
内心忸怩たるものがあります。
国内にたくさんの米軍基地を抱える日本、何一つ自分で決めることができない日本。
そんな日本が、ちょっとお行儀がいいというだけで他国の民度がどうのこうのと言えるでしょうか。わたしは言えません。

ここにきて、日本はアメリカの指嗾によって戦争に突入するのでしょうか。
歴史は繰り返し、また、真珠湾に戻るのでしょうか。
進歩や進化なんて、ほんとはそんなものはないのかもしれません。
人間の考えることは、どこでも、いつでも,そう変わり映えのするものではありませんものね。

戦後の七十年近く、日本人が汗水垂らして働いてきたのは、何のためだったのでしょうか。アメリカに骨までしゃぶられるためだったのでしょうか。
それが、アメリカに楯突いた国民の十字架だとでも? そんなバカな!!









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# by michi-no-yuri | 2012-09-16 13:37 | Comments(0)

尖閣国有化宣言は宣戦布告?

野田総理が、尖閣の国有化宣言をして中国が色めきたっているのを傍目に、キャンベル次官補は記者会見で、お互い話し合いで平和裏に解決してほしい、と言いました。
わたしの僻目かもしれませんが、なんだか、よしよし、といった感じの嬉しさが隠しきれないように見えました。やっぱり、ノダはわれらに従順な犬だと。

中国では、さっそく、日本人の被害がでているようです。日本人経営の飲食店などは、
店頭に中国支持の張り紙を貼ったり、のれんに中国国旗を垂らしたりと、暴徒の攻撃をかわすのに懸命のようです。

日本政府は、在留邦人の安全、生命と財産をどのようにして守るつもりでしょうか。その方途はついているのでしょうか。
おそらく、何も考えていないでしょう。被曝者や被災者も見殺し同然の歴史上例のない酷薄、残忍な政権なのですから。

石原慎太郎は、ことが大きくなるころには、自らフェードアウトしていくのでしょう。
来訪者に、けたたましく吠えたてる犬は、来訪者が一歩敷地に入った途端、しっぽを巻いて犬小屋に逃げ込みます。
かれは、アメリカから、吠える犬の役割を仰せつかった人間だということです。

きのう、森田実さんの話しを聞いてからしばらく、わたしは、心臓がドキドキしてなりませんでした。
早く、政権交代をして日中関係の修復を計らないと大変なことになると言われたからです。日本は中国に喧嘩を売ったのであり、中国は売られた喧嘩を買わざるを得なくなったのだということです。

とくに、年配の人に多いのですが、中国と戦争になっても、アメリカがついているから大丈夫だと信じ切っている人がいます。
そんなはずがないではありませんか。

アメリカの計画はこうなっています。(ジョセフ・ナイの対日報告書)

最初は日本に加勢するふり?をして、徐々に、後方に退き、日本と中国の全面戦争に誘導していく。そして、アメリカは漁夫の利を得る。ということだそうです。

当たり前ではありませんか。
自分の利益にならないことで、なんで、日本のために戦争をしますか。
トモダチだから?
カツアゲばかりするトモダチを真の友だちだと思えますか。

アメリカが助けてくれるなどと能天気に信じている人たちは、多分、敗戦と同時に、恥も外聞もなく、マッカッサーさまさまになった日本人の子孫なのかもしれません。


≪ジョセフ・ナイの「対日超党派報告書」≫

1、東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。

2、そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するであろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。

3、米軍は戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。

4、日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行う。

5、東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。

6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-15 10:43 | Comments(0)

日本は情けない国なのです。

「ROCKWAY EXPRESS」ブログに
駐リビア、アメリカ大使が殺害されたことについて「リビアでの『民主化』の拠点となったベンガジにある領事館で『民主化』されたリビア国民の放ったロケット弾で殺害された」つまり「飼い犬に手をかまれたのだ」と書いておられます。
そして、最後を、暗示的、魅惑的な言葉で次のように締めくくっておられます。

「見ていればいい。」
「自分の蒔いた種は、自分で刈り取ることになるのが世の習いだ」と。


反米の狼煙は、燎原の火のように広がっていくのか、あるいは、どこかで終息するのかは分かりませんが、わたしは、かれらの反米感情の根っこにあるものは何だろうと考えることがよくあります。(フィフィさんに訊きたいです)

いま、リビアはどうなっているのでしょう。
カダフィ大佐の衝撃的な死から以降のリビア国内のこと、リビア国民の現状など、こちらの知りたい欲求に応えてくれる報道は皆無です。

わたしは、カダフィ大佐が「なぜ、日本人は原爆を落としたアメリカと親しくなれるのか」と言ったときの悲しそうな顔が忘れられません。ほんと、だれしもが不思議に思うことでしょうね。

どんどん反米感情が拡大していく中で、日本だけがアメリカの属国として、宗主国に身もこころも捧げていることで、これからどうなっていくのでしょう。軽蔑される国になるのではないでしょうか。
今のところは、大佐のように、なぜだ?なぜだ?で済んでいても、その内きっと、蔑まれ、憎まれる国になっていくのではないでしょうか。

日本は、むかしロシアに勝った、多大な犠牲を払ってアジアを解放したのだなどという過去の栄光は、もはや、恥かしくて、情けなくて口にできないではありませんか。
サムライジャパンなどと、スポーツの世界のこととはいえ、どうして誇らしく思えるでしょう。

昭和天皇は、某国の元首か大使かが、日本の武士道を称揚したとき、そのようなものが今の日本にありますかと反問されたそうですが、これも、四十年の五十年も前の話しです。今は、外国人でもそんなことはお世辞にも言わないでしょう。

リビアでアメリカは、飼い犬に手を噛まれたということですが、そういうことは日本では起きようがありません。
牙も爪も抜かれて、ひたすら恭順の意を示し、ただ生存を確保することだけに汲々としているのです。
逆らえばどうなるかが身にしみているのです。ときどき、更に、身に染むようにと見せしめの犠牲者が出る仕組みになっています。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-14 11:46 | Comments(1)

日本人は、独裁の恐怖を知らない。

(きょう、二度目の投稿です。)日本維新の会の結党集会における橋下市長の演説を、
わたしは、自分に「しっかり見ておけ」と言い聞かせながら、必死の思いで目を凝らしていました。
わたしの目に映ったのは、まごうことなき狂った独裁者の姿でした。

かれは、その中で、自分はへびのように執念深い人間だからと前置きして、3,4年前の新聞をチェックしたと言いました。そして、だれ一人今の自分を予想したものはいない馬鹿ばっかりだと、胸を張って吐き捨てるように言ったのです。新聞人にしたら、腹に据えかねる発言のはずなのですが、やはり、かれのバックについているアメリカを慮って何も言えないのです。かれもそれがよく分かっていて言いたい放題で恫喝しているのです。

わたしのブログが、かれの目に触れることはあり得ないのですが、かれは、主たるブログを遡ってチェックするのではないでしょうか。たとえ、過去の記事はスルーしても、これからは必ずチェックすると思います。

かれは、ヒットラーを軽く上回る独裁者になるでしょう。小泉純一郎など足元にも及ばない独裁者になるでしょう。

わたしは、他のブログ、とくに右寄りのブログを見ることはほとんどないのですが、
多分、橋下市長の国政進出を歓迎する人が多いのでしょうね。
この演説を聞いても、恐怖心を覚えないような人ばっかりなのでしょうね。。。

維新が国政を握るようになったら、それは白紙委任をされたことだから、自分の一存で何でもできると臆面もなく豪語する人間を、それでも、面白そうだからいっぺんやらせてみようなどと言う人を、わたしはこころの底から憎みます。

日本人は、ほんとうの独裁政治の恐怖を経験していないのですね。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-13 18:06 | Comments(0)

忠誠心の喪失。

きょうの「正論」の執筆者は、過日、「こわい雑巾」でも取り上げた新保祐司さんの
「いまの危機は『忠誠心』の喪失に」という論文でした。

自分の力量不足でいままで書けなかったのですが、わたしが、何とか文章にしたいと思っていた命題でした。わたしの思いがすべて汲み取られているとは言えないまでも
時宜に適った問いかけだったと嬉しく思いました。

≪人間が人間である根本的な根拠に、忠誠心がある。人間は自己の外部にある対象に対して忠誠心を抱くことによって、初めて自己を持つことができるという逆説的な存在である。今日の精神の危機は、この忠誠心の喪失にある≫

きのう、わたしは、国と自分は一体だと書きました。
それは、自分の外部にある対象(祖国や皇室や主君)に忠誠心を持つことで、初めて自己を持つことができる、という意味での自己同一性のことだと言ってもいいのではないでしょうか。
言い換えれば、外部の対象に忠誠心(愛)を持たない人は、自分が生きた証しを持てないということになります。

≪自己に対して忠誠であることは、「戦後民主主義」のイデオロギーの一つであろうが、自己に忠誠であることは、忠誠がそもそも自己の外部あるものを対象にするものであるから成り立たないのである。この矛盾を矛盾として感じないのは、「戦後民主主義」という「空想」の中にいるからである。
この矛盾の中に長く生きてきたために、日本人の自己は、ついに自家中毒を起こして腐敗、自壊してきている。≫


この自家中毒から抜け出すのは、歴史を知ること、歴史的人物を知ることで十分なのだと思いますが、それがなかなか難しいようです。
歴史教育や情操教育を阻んでいるのは、やはりアメリカで、皮肉なことに、日教組の方針は、はからずもアメリカの占領政策と一致しているのです。


話しは違うかもしれませんが、いつだったか、何気なく「自分のために涙を流したことはない」と言ったとき、娘が「嘘つき!」という目でわたしを軽く睨みました。
いま、思ったのですが、忠誠という言葉を「悲しみ」という言葉に置き換えると、悲しみも、そもそも自己の外部にあるものを対象にしているということになりますから、純粋に自分のために涙を流すということが、わたしにはますます分からなくなります。

それ以来、わたしは、自分のために涙を流すとは、どういうときだろうと考え続けています。人は寂しいとき涙を流すのでしょうか。でも、寂しいという感情も他者の存在あってのことでしょう。この世の無常を感じて、寂寞とした心境になったときの涙はどうなのでしょうか。唯一、思いついたのが、悔悟の涙ですが、これだって、外部の対象との関わりから生起するものではありませんか。
(その後、娘はこんなバカな母親のせいで、いっぱい涙を流したのではないかという思いが込み上げてきて、胸が潰れる思いがしました。)


またまた話は変わりますが、
石原伸晃さんも、谷垣さんに忠義を尽くせば、(モチロン、形だけでいいのです)もう少し株があがったのにと思います。
忠義や忠誠ということに感動するのは、古今東西,普遍の人間の真実ですから。









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# by michi-no-yuri | 2012-09-13 11:30 | Comments(0)