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谷間の百合

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死に急がないでほしい。

この一年の間に、本気で自殺を考えたことがある二十代の若者が、なんと36%にも上るのだそうです。

わたしは思わずこころのなかで「嫌だ!」と叫びましたが、わたしがなにを思おうと言おうと若者はあとからあとから自殺していきます。

就職が厳しいこと、正社員になれないことなどが原因だろうと解説していましたが根本的な問題は、国が国民を見捨てているということではないでしょうか。

それによって、人間関係も希薄の状態から断絶の状態に突入し、そこに開いたこころの空白に孤独感や虚無感が忍び寄ってきたのというのが真実ではないでしょうか。

政府は、少子化をいかにも喫緊の問題のように言っていますが、そう装っているだけで、本心はむしろ逆で、少子化を促進するようなことばかりしています。

多分、移民受け入れのための伏線というか地ならしでしょう。


中曽根さんが提唱した留学生十万人受け入れはすでに達成され、今は2020年を目途に30万人の受け入れが進行しているようです。

今年、企業は外国人を大量に採用しましたが、そのための留学生だったわけで、どこまでも企業優先の政策です。

国際競争力を強化するということが最大の目的だということです。日本の若者のことなど眼中にないのです。


先日は、元入管所長の坂中という人物が、この先50年間に1000万人の移民をいれなければならないと提言していましたが、かれは何者ですか。

おかげでわたしは不快な数日を過ごすことになりました。

なぜ、日本人を減らして移民を受け入れるのか、その答えは明瞭です。

日本殲滅(乗っ取り)作戦です。

日本人の遺伝子を持つ日本人をできるだけ減らしたいのです。

これを「スロウ忍」ブログが言われるところの米英帝シオニスト勢力をご主人に持つ中曽根、小泉、石原の諸氏がさせられているということなのでしょう。

政府はわたしたち国民を捨てたのです。

このことをしっかり認識してこれからの生き方を模索しなければなりません。

どうか自殺しないでください。死に急がないでください。

マドモアゼル愛様がこう書いておられます。(最後の数行だけの転載になりますが。)


≪日本人も目覚めれば、すぐにへちまみたいに、良い意味でグータラ人生を楽しめるというのに、まだまだ、必死に誰かさんのために奴隷のように働いて稼ぐつもりでしょうか。どんなに働いていも生活は楽にならないというのに。

こうしたインチキをあばいて、人類を貧困から救い出す一連の流れが、おうし座新月、うえさくの満月、そして金環食へとつながる天体の運行とリンクしていると、私は解読する。

だから今、失意にある人、もう死にたいと思って追いつめられている人、絶対に大丈夫。安心を。≫


もうすぐ、社会が劇的に変わるかもしれないのです。

反対に、もし放射能で全滅するようなことになれば、そのときまで待って一緒に死ねばいいではありませんか。

(若い人や子どもはできるだけ脱出して生き残ってほしいのは言うまでもありません。)


小説が読めない(根気がなくて)わたしが珍しく最後まで読んだのが「電車男」でした。

本を読んでこんなに泣いたのは初めてでした。

若い人の多くが、結婚は勿論のこと恋愛も諦めているらしいということを知って、何という社会だろうかと悲憤せずにはいられません。生身の異性に触れることもなく、恋することもなくかれら彼女らは生涯を終えるのですか。

だれがこんな社会にしたのですか。


尖閣問題で、確実に戦争への道筋がつくられようとしています。

そのときはまた若者が死ぬことになるのですね。そのために飼い殺しにされているのですね。

為政者は国民をそのときの鉄砲の弾くらいにしか思っていないのでしょう。
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# by michi-no-yuri | 2012-05-03 12:49 | Comments(3)

続きです。

日本人は日本人の戦いしかできない、と書きましたのは、それではいけないという意味でもあるのです。

日本はいつからアメリカという国を仮想敵国として意識し、そのための備えをしてきたのかは分かりませんが、アメリカはごく早い時期、それも黒船来航以前から日本を仮想敵国などというまどろっかしいものではなく、直截に侵略すべき国として照準を合わせてきたのだと思います。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」に代表されるような日本研究は、日本という異文化への関心や知的好奇心というよりも、いかに日本を支配し、富を収奪するかという戦略に沿った研究だったといってもいいのではないでしょうか。

そのために、日本人の価値観や行動様式を知る必要があったということでしょう。

そういうアメリカに対して、日本は常に受け身の関係で、アメリカがどういう国かという研究がどれだけなされていたのか甚だ疑問です。

日本は昔、外国人の柔道選手に、オリンピックで初めて敗けて日本柔道界に衝撃を与えたと聞いたことがありますが、その勝因というのが、柔道というものを科学的に徹底的に分解、分析して理論化したことにあったということでした。

この話から思い出すのが、昭和天皇が戦争の敗因は科学を疎かにしたことだといわれたことです。

昭和天皇の言われた科学は、科学そのものというより科学性、科学的精神のことだと推察するのですが、日本人はこのことを深く、重く受け止めなければならないと思います。

いくら軍備を充実させても、この科学的精神と相手を知るということを疎かにしたら盲目で戦うようなものだからです。

戦争を阻止するためにも、平和を維持するためにも、とにかく相手を知るということに心血を注いでほしいと願わずにいられません。
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# by michi-no-yuri | 2012-05-01 16:38 | Comments(4)

日本人は日本人の戦いしかできない。


国歌については、「海ゆかば」を推す人が多いのですが、準国歌というのはどういう扱いなのでしょうか。

意味が分かりません。

「君が代」に続いて「海ゆかば」が演奏され歌われるのならいいのですがいまのような扱いでは若い人は知らないままになってしまいそうです。

中には、「君が代」ではなく、もっと勇壮で戦意を高揚するような国歌を希望する人もいるようですが、日本人にはムリみたいです。

軍歌をみても、どこまでも明るく、もの哀しく、多分に童謡的な要素があって、これが日本の軍歌の限界でもあり素晴らしいところでもあるからです。

「海ゆかば」の曲が流れるなかで、特攻機が敵艦の集中砲火を浴びてあえなく海中に没していくシーンはなんど見たかしれないのですが、そのたびに、特攻隊員のみならず日本人の無念さを思って流した涙の量はどれほどになるでしょうか。

ところが、ある時から、その無念さがきれいに消えたのです。

これで良かったのだとさえ思えるようになったのです。

キリモミ状態や、直線を描いて海中に突っ込んでいくシーンを無音にして見ていて、美しい、これが日本の「いくさ」なのだと静かに見ているのです。

日本人は、勝敗ではなく、それ以上の価値を守るために戦ったのではないかという思いがこころを占めるようになったのです。

これは、マドモアゼル愛様のある記事を読んだときに瞬時にわたしのこころが変化したことに依るものです。

マドモアゼル愛様のブログや「つむじ風」のブログで、わたしは、この「瞬時」にしてこころが変化したり分かるということを何度か経験したのです。

これは、三聖病院の宇佐院長が、心の病は徐々に治るということはない、治るときはインスタントに瞬時に治るのだと力説されることと同じ事情、同じメカニズムなのではないでしょうか。

それだけ、わたしのこころは柔軟で包容性があるのだと自慢させていただいてもいいでしょうか。だって、わたしは自分の考えが正しいと思ったことがないのですから。
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# by michi-no-yuri | 2012-05-01 09:58 | Comments(0)

夏は来ぬ。

きのうは新緑をもとめて近辺のあちこちをドライブしました。

湯あたりという言葉がありますが、新緑にも「あたる」ということが言えるのかけさは起きられませんでした。

それで、欠かしたことのないラジオ体操と犬の散歩が果たせませんでした。

ずーっと感動のしっぱなしだったのですから無理もありません。

いきなり、耳元で鋭く啼くホトトギス

水が張られた田の面に、白い雲がゆっくり流れていきます。

それらが、フクシマの見捨てられた自然や田畑と重なってよけい情感を揺さぶりました。



夏は来ぬ

卯の花の 匂う垣根に

ホトトギス 早もきなきて

忍び音もらす 夏は来ぬ


五月雨の そそぐ山田に

早乙女が 裳裾ぬらして

玉苗ううる 夏は来ぬ


五月やみ ホタルとびかい

水鶏(くいな)なき 卯の花さきて

早苗うえわたす 夏は来ぬ



大好きな、多分、イチバン好きな唱歌です。

わたしにとっての「歓喜の歌」です。

でも、この一年でもっとも美しい季節は、「美」の宿命に洩れず、あっという間に終わってしまいます。

(この歌では、田植えとホタルが同時にでてきますが、昔はそうだったのでしょうか。)
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# by michi-no-yuri | 2012-04-30 18:08 | Comments(2)

わたしは、やっぱり神さまにお願いすることにします。

きのう、ひろみさんからのコメントで、一人ひとりが声を上げなければという強いメッセージをいただきました。
いつもいつも背中を押されているようで、正直なところ、もう少しお手柔らかにと思っています。(笑)

わたしにはそもそも元気というものがありません。

このブログを書くのがいっぱいいっぱいで、あとは寝ているようなものです。(このところ、畑で忙しくしていますが)

ブログも五つか六つ目を通すだけで、長い記事や難解な記事ははなからスルーです。

根気というものがないのです。

そういうわたしですから、つい安易に神さまにお願いしてしまい、ひろみさんから叱られることになりました。

一人ひとりが声をあげなければならないということに、反論や異論のあろうはずはありません。

このたびの小沢さんの無罪も、多くの人の声があればこそで、その声の大きさを無視できなくなったからでしょう。

もっとも、かれらの側に多少でも正義があれば、いくら声が大きくても雑音として耳を貸すことはなかったのでしょうが、何分、弱味のあり過ぎる連中ですから。

(「自民党政治のパンツを剥ぐ」というブログによれば、森ゆうこさんと八木啓代さんの決死の行動によって、もし、有罪になれば世界的スキャンダルになるということで無罪にせざるを得なかったということでらしいです。)

しかし、一人ひとりの声は、ともすれば一人ひとりのエゴの発現ということになりかねません。

同じ目的のために、小異を捨てて大同にというのも最初だけですぐに各人のエゴが出てきて自然消滅というのが大概のパターンです。

脱原発くらいは国民のコンセンサスだと思っていたのに、そうはならずに利権や思惑が錯綜して収集がつかない状態です。

東電、推進派は、自分たちの利権、保身、メンツを守るのに死にもの狂いですし、その縮図が地元にもあるようです。

脱原発にみせかけて再稼働か増税かの選択を迫る市長も現れました。

また、尖閣買い上げについて、都庁に掛かってきた電話の九割は賛同するものだったそうです。

おそらく、それによって中国と戦争になってもいいというより戦争を望んでいる人たちでしょう。

戦争がどういうものか想像もできない人たちなのです。しかし、こういうのも国民の声です。

ひろみさんには人間への信頼が根底にあるのですね。スバラシイ素質ですね。

そこがわたしと違うのかもしれません。

人間は、常識、良識、理性、正気といったものを最後まで持ち続けることが可能だろうかという疑問が、わたしのなかにあります。

わたしはそれらを持っているだろうか、持っているとして、どこまで、いつまで持ちこたえることができるだろうかという疑問がたえず頭をもたげてきます。

そんなものは、時代の激変に直面すれば、あっ気なく瓦解し変質してしまうのではないだろうかという恐れです。

なんやかやという経緯を経て、わたしは最後に神さまにお願いすることになりました。

日本の神々ならきっと良きように計らってくださると信じることにしたのです。

このこと、どうか非科学的だとは思わないでほしいのです。

天皇陛下が毎日、そうしておられるのですから。


「つむじ風」のコメントで見たのですが、ひろみさん、大変お元気とのこと思わず顔がほころびました。

わたしなんか病気になればすぐ神さまに縋ってしまいそうですがひろみさんに倣って勉強もしないといけませんね。

わたしは勉強嫌いの劣等生で、ここがイチバンひろみさんと違うところだといつも思っているのです。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-29 10:51 | Comments(5)

どうすれば、かれらを日本から追い出せるでしょうか。

石原都知事の『無罪と言ったって灰色、限りなく黒に近い判決』との発言は官僚とマスコミに洗脳された模範解答だと「スロウ忍」様は言っておられます。

また、「真実はマスコミが垂れ流す情報の真逆にあるとみて間違いない」とのことですが、これが、わたしが産経新聞を愛読する理由なのです。

産経の記事の真逆に真実があると思えるのですから、真実を探し出す労力がどれだけ軽減されるか、その恩恵ははかりしれません。

限りなく黒に近いのなら、どこがどうグレーなのか、根拠をあげて言わないのは卑怯ではありませんか。

言えないですね。

何しろレクチャーを受けての発言ですものね。

いつか、わたしの息子が、テレビでかれが喋っているのを見て「この人は,其処らあたりで聞いてきたことを喋っているだけみたい」と言ったことがありますが、たいした慧眼ではありませんか。

ほんとうに、かれは物事を筋道立てて真剣に考えたことがあるのでしょうか。

口からでまかせを言って、何十年も日本の国に関わってこられたのですから、世間なんて甘いものです。

何が憎いかと言えば、そういうことです。

日本という国を私物化しているような態度です。

(わたしは、あの日本人離れ?をした歩き方に虫唾が走ります。)

小泉進次郎さんが記者に囲まれ(なぜ、記者はかれにコメントを求めるのでしょう。)

「よけい霧が深まった」と言っていましたが、その霧の正体は何ですか。

言えないでしょう?ジェラルド・カーチスという偽神父のような、ユダのような顔をした先生からどんな教育を受けたのですか。

若い内に,反日という毒を注ぎ込まれ、行き先は地獄と決まっている道をこれから歩んでいくのかと思うと憐れです。

父親は、その「悪」を自分ひとりで引き受ければいいものを、息子にも分け与えてしまいました。なんという父親でしょうか。

父親の過去が,進次郎さんの耳にも入らないはずはないと思うのですが、スルーなのですか。

まともな神経の人間なら、恥かしくて、地面に穴を掘ってそこに顔を突っ込まずにはいられないと思います。

わたしは、ジェラルド・カーチスのような人間が、日本のことに口を差し挟んでくるのが耐えられません。

どうしたら、かれらを日本から追い出せるでしょうか。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-28 09:52 | Comments(1)

素直に喜べない「無罪判決」

無罪と聞いた途端、わたしはフィギュアの鈴木明子選手のように
手を叩いてピョンピョン飛び跳ねました。

その後、しばらくして脱力したようになり、きょうはもう何もしまいと決めて肘掛け椅子にからだを沈めました。

しかし、その内、ジャパンハンドラーがこのまま手を拱いているわけがないではないかという不安感が徐々に胸に満ちてきました。

その不安感は、夕方の情報番組で、橋下市長の再稼働の発言を聞いてピークに達しました。わたしは不安感と不快感で眠れぬ夜を過ごすこととなったのです。

けさ、イチバンに「反戦の家づくり」のブログを読んで、わたしが感じたことと同じようなことが書かれていたことに意を強くしたものの、それが却って不安感を募らせることにもなりました。

管理人様は、犯罪認定しながら無罪判決を出した理由の一つはアメリカに、小沢一郎を飼い殺しにする=角を矯める意図があるのではないかと分析しておられます。

実は、わたしは小沢、橋下の連携などあり得ないと思っているのですが、
もし、可能性があるとすれば、橋下のような人間を野放しにしておくのは危険だから、自分の陣営に取り込んで、それこそ角を矯めるという戦術もありかなと思っていました。

ところが管理人様は、それがアメリカが小沢さんに対して意図していることではないかと言われるのです。

なるほどです。橋下市長がツイッターで小沢さんを持ち上げているのもそういう意図があるのでしょう。

つまり、ジャパンハンドラーは橋下市長に奴隷頭(総理大臣)を任せて、その流れの中で、小沢グループを取り込んでいくというのが無罪判決の狙いではないかと。

アメリカが求めているのは、ストレートに自分たちの言うことを聞く有能なキャラクターであり、それが橋本市長なのだと。

過日、わたしはアメリカはもうTPPなんかどうでもいいと思っているのではないかと書きましたが、それは、政府を相手にするよりも橋下市長を首相にする方が手っ取り早く事が進むということをかれらが考えているのではないかと思ったからです。

きのう、マスコミは橋下市長のコメントをとるのに必死だったようですが、ついに姿をみせなかったそうです。

管理人様いわく、ここで間違うわけにはいかないからご主人様の念入りなレクチャーを受けているのだろう、ですって。

わたしも同じことを思っていたので笑ってしまいましたが、あれだけ饒舌で雄弁にみえる人間でも自分の意思ではなくレクチャーをうけて喋っているのだと思うと憐れになります。

それにしても他人の意思をあれだけ見事に喋れるのは一種の天才かもしれません。

さすが、アメリカはいい人物を探し当てました。

代わりに会見した松井知事は、「維新の会」と小沢さんの連携はあり得ない。政策がまったく違うと、つい本音を喋っていたようです。正直は人なのでしょう。

住民に、増税か再稼働かの選択を迫っている件についても今更驚きません。

そもそも、関西財界を初め、原発推進派に取り囲まれている人物がどうして脱原発を行えるでしょう。すべてパフォーマンスです。

八つの提案を引っ提げて官邸に乗り込んだのもそうです。

一石二鳥のパフォーマンスです。

国民受けのする大義名分を見つけては,上京の機会をつくるのです。国民に存在をアピールする一方で、怪しげな人物と合って密談をこらせるからです。

先日は、安倍元総理と合っていたようですが、まあ、想定内の人物ではあります。

いろいろな人物と会う度に、発言が微妙に変化していますから、注意して聞いていなければなりません。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-27 11:17 | Comments(0)

東大という「悪」 (あくまで象徴としての)

東大を初め、元帝大と言われる大学の建学の意義や精神は、公への奉仕だったはずです。

小沢さんがよく言われる「ご奉公」がその本分だったはずなのに、

そんな精神はすでに明治のころから姿を変えて、立身出世がまかり通っていたようです。

しかし、そのころの立身出世はまだよかったのです。

国のためという気持ちもあり、貧しいものに自分の富を分配するという気風があったからです。

優秀なのに家が貧しくて上の学校に行けない子どもに出資するということはよくあったことだと祖父母などから聞いていました。現在の奨学金に相当するものです。

しかし、いまどこを探してもそういう気風も伝統もありません。


戦後は、ひたすら立身出世と私利私欲のための東大になりました。

それが当たり前になりました。

ただ、私利私欲だけなら、その道義的責任のほとんどは個人が負えばいいのですが、かれらはそれに飽き足らず、積極的に売国、壊国に関わっていったのです。

薄弱な精神によって、己が欲望の赴くままに。

その一方で、国民は「お国のため」という考えは軍国主義につながる「悪」の代名詞のように思い込まされてきました。

それに代わって、個人主義はスバラシイ価値なのだと教えられたのです。

それが、アメリカがもっとも日本人に洗脳したいことだったのです。

そこに隠された意図とは、国民のこころをバラバラにして、二度と団結して強い国にならないようにということです。

しかし、国の平和と安泰を願い、国民の幸福を思って国に奉仕することがどうして「悪」でなんかでありましょう。

いま、日本は亡国の瀬戸際にあると言われています。

小沢さんではありませんが、国民にとっても最後の「ご奉公」になるかもしれません。

国のために、何かができることは嬉しいことではありませんか。

誇らしいことではありませんか。

無能で邪悪で無慈悲な為政者によって、わたしたちは国とつながっているという安心感と喜びを根こそぎ奪われました。
(かれらはその罪の大きさを想像すらできないでしょう。)

それを国民の連帯感と思いで取り戻したいではありませんか。

国家の建設という大事業を、日本人の誇りと意地にかけて成し遂げたいではありませんか。


「阿修羅」に、「月刊日本」からの亀井静香さんのインタビュう―記事が転載されています。繰り返し読んで胸がいっぱいになりました。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-25 11:06 | Comments(0)

東大という呪縛

ある喫茶店で、その女性に会ったのはもう十年以上前のことです。
七十代半ばくらいだったでしょうか。
隣の席のわたしに、身を乗り出して話しかけてきたのですが、それがなんといきなり
息子二人が東大を出たという話だったのです。
呆気にとられてチラっとウエイトレスの方を見ると「また始まった」という顔をしたので、その女性はだれかれなしにその話をしていることが分かりました。

先日、久しぶりにその喫茶店に入ったらその女性がいました。荒んだような、すこし痴呆がでているような風体を見てわたしは胸を突かれ、言いようのない悲しみに襲われました。

以下はわたしの想像ですが、
息子二人は東大を出たあと、お役人になり東京に居を構えた。
親元へは何年どころか何十年も帰ってきていない。
嫁や孫の話しがまったくでてこないのは、一度も顔を見たことがないから。
息子も母親を東京に呼ぶことはなかった。

彼女は自分の幸福のすべてを、息子二人を東大へ行かせることと引き換えてしまったのかもしれません。だれかれなしにそれを話すのは、払った代償を少しでも取り戻したいからでしょうか。
わたしは彼女の中の荒涼とした心象風景を思ってぞっとすると同時に、
自分の子どもたちが、社会的に何一つ自慢するものがなくてほんとうに良かったとこころの底から思ったものでした。

東大を出た人間は死ぬまでその肩書の呪縛から自由になることはできません。
母親が自分の幸福を犠牲にしたように、かれらは自由を犠牲にしたのです。
真の「自由」というものを感じることから見放された哀れな人間ではないかと、わたしは思っているのです。(かれらには分からないでしょうが。)
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# by michi-no-yuri | 2012-04-24 10:46 | Comments(0)

戦争のつくられ方

天木直人さんの記事は転載先で見るくらいで、なかには賛同できる記事が少なからずあるものの違和感を持つことがよくありました。
わたしは、意見や見解の違いで違和感を持つことは滅多にありませんので、この違和感をどう表現していいのか分かりませんが、
エラそうに言わせてもらえば、思想や論理の不徹底さへの違和感ではないかと思っています。
たとえば、右でも左でもないと称する人がどっちつかずかと言えば、決してそうではなくそこには確たるポリシーがあるのですが、天木さんの場合はそういうものも感じられないのです。

特に、直近の二つの記事を読んで、正直驚かずにはいられませんでした。
どうも、天木さんには、欧米への信頼感のようなものが思想の根底にあるようです。

「野田首相を引退させる最善の方法」という記事では、イギリスとドイツの国連大使夫人が、シリアのアサド大統領夫人へ、「ご主人を止めさせて」というメッセージに、
弾圧で殺された子どもを前に泣き伏す女性の映像なども紹介した動画をユーチューブに投稿した行為に賛辞を述べておられます。
外交官夫人のことはともかく、天木さんは元外交官としてなぜ欧米のプロパガンダを疑うことをされないのですか。それが湾岸戦争の教訓だったはずです。
少女や看護婦に嘘の証言をさせてアメリカは戦争に突入していきました。
このことによって、わたしたちでさえ、戦争はこうしてつくられていくのだということを知ったのです。
まして、殺された子どもがなぜ大統領側の犯行だと言えるのですか。
確か、ドイツのジャーナリストがシリアに入り、見ると聞くとではまったく逆だったと証言していたと思います。
そもそも、天木さんには、何でシリアが非難、攻撃されるに至っているのかということへの考察がありません。シリアは何か悪いことをしたのですか。何もないから、大統領の弾圧に苦しむ国民という構図のシナリオを描いたのではありませんか。


「アウンサンスーチーさんを見捨てた日本政府」では、ニューズウィーク日本語版の記事を秀逸だと評しておられますが、その記事たるや、惨憺たるものです。
イチバン驚いたのが、スーチーさんをマンデラやガンジーと同列に評価していたことです。欧米と戦ったガンジーと欧米の手先のスーチーさんが同列だなんて……..

日本政府がスーチーさんに冷たいというのはほんとうですか。もし、ほんとうならその理由が知りたいです。興味があります。まさか、テイン・セイン大統領を歓迎したことがその理由ではないでしょうね。欧米が支えているスーチーさんを日本政府が冷たくするとは思えないのですが。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-23 16:32 | Comments(0)

仏隆寺に行ってきました。

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今年も仏隆寺に行ってきました。満開でした。

十五年ほど前に初めて訪れたのは晩秋の寒い日で、
辺りに人影はなく寂寞としていました。

写真の中の人と人の間に小さく見える黒い四角の部分が山門です。
その犬は下界を睥睨するかのように、その前で仁王立ち?していました。
まるで劇画の世界でした。
わたしが声を掛けると、犬は躊躇いも見せず、真っ直ぐに駆け下りてきたのです。
そして、下で両手を広げて待ち構えていたわたしの胸に飛び込んできました。

お寺に犬の写真があります。まったく別物で、似ても似つかぬ犬です。
なぜなのか分かりません。
その犬は小柄な(小型犬ではありません)日本犬で、
俊敏なからだと聡明な目を持っていました。
わたしはあのような犬を他に見たことがありません。

もう、疾うに死んでいるのは間違いないのですが
わたしはいずれかの生で、なんとしても巡り合いたい………
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# by michi-no-yuri | 2012-04-22 21:25 | Comments(0)

「存在の耐えられない軽さ」

東電会長に内定した下河辺という人を、どこかで見た顔だと思ったら
AIJの浅川社長でした。よく似ています。
証人喚問での答弁を聞くともなしに聞いていて、わたしは「つむじ風」の飄平様が
過日の記事で次のように書いておられたことを思い出していました。(いま、その記事が探し出せないのですが)
悪いことを知って行うのと、知らずに行うのとどっちの罪が深いかというと、知らずに行う方である、なぜなら反省することができないからだと。
まったく、その通りなのです。
浅川社長は、悪いことをしたという自覚も認識もないようです。それが、存在感の薄い印象を与えるのではないでしょうか。同じことなら自覚的な「悪」をしなさいよ。そうでないと救われませんよ。
よく、救いようがないと言われますが、救われようがないと言うのが正しくはありませんか。自分を救うのは、自分しかいないというのは、罪の自覚が救済の前提だからです
それにしても、あれだけ雰囲気が似ているということは、下河辺さんも浅川さんと同類の人種だと思ってもいいのでしょうか。


女優の杉本彩さんが、韓流スターのどこがいいの?というような発言をされて問題になったようですが、感じ方は違うかもしれませんが、わたしも激しくそう思います。
韓国の映画やドラマは見ませんので、映画スターは知らないのですが(ヨンさまは知っています)K.POPの男性グループなど、かくも頻繁にCMに出てくるとどうしても目に入ります。そのたびに、この薄気味の悪さは何だろうと思うのです。
人間性が感じられないとでも言えばいいのでしょうか、このウス~い感じは何だろうと思うのです。
昔、「存在の耐えられない軽さ」という映画がありましたが、わたしにとって、かれらは、軽さに薄さがプラスされたような「耐えられない存在」なのです。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-22 10:10 | Comments(1)

小沢さんが待ち遠しい。

岩上安身さんが小沢さんにインタビューしておられる動画、一時間と長いのですが、
わたしは最後まで気が抜けない感じで一気に視聴しました。
インタビューの出来不出来は偏に聞き手の力量に掛かっています。
真剣勝負に臨むくらいの気持ちでないといけないのです。
珍しく、小沢さんが能動的、積極的に喋っておられるのは、岩上さんの気迫と熱意に感応して自然にそうなっていったのでしょう。

TPPについて、今までは、自由貿易ということと、そのためのセーフティネットの整備ということくらいしか聞いてこなかったのですが、今回はかなり踏み込んだ発言をしておられます。
アメリカの幾つかの大企業の世界戦略に、アメリカ政府が歩調を合わせてやっていることである。
アメリカの狙いは、医療、郵貯にあり、規制を緩和して日本の社会をアメリカ流にするという意図があって、いうなれば、日米構造協議(年次改革要望書)の総決算なのだと。

推進派の議員が、これは日米同盟なのだとか、日本が主権を主張するのは五十年早いとか言っていることは、信じられないこと、何か勘違いしているのではないか、政治家としての認識も 見識もないと驚いておられます。

核武装が潜在的な抑止力になるという意見については、政治的にはアメリカはじめ周辺国との間に摩擦を生み、軍事的には、結局使えないものを持っても意味がないから反対だということです。

以前から、中国国内の不安定要因を指摘しておられましたが、それがいよいよ表面化してきたのではないか、中国が政治的、経済的に不安定になれば北朝鮮を制御することができなくなり、それが北の暴発を誘引する要因になるかもしれない、ということらしいです。

さすがに、もう「政治と金」という言葉は聞かなくなりました。
小沢さんが無罪になり、政治に復帰してこられたとき、そういうウゾウムゾウのゴミ人間にはもう、小沢さんを攻撃する余力はないでしょう。しかし、そこで終わらないのがマスゴミ人間です。それまでのことは口を拭って今度はきっと小沢さんを持ち上げるのでしょうね。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-20 10:34 | Comments(0)

尖閣は小沢さんにお願いします。

石原発言について、
なぜ、かれがアメリカに行き、アメリカで発表したのかということについて
疑問を投げかけている人はいないようです。おそらく、かれはアメリカに報告すると同時に許諾の確認をしたかったのではないでしょうか。また、それは中国に対してばかりではなく、日本に対しても、アメリカが後ろ盾にいるのだということをアピールしたかったということだと思われます。

日中国交交渉で、日本側が尖閣問題をテーブルに上げようとしたら、中国(周恩来)は
領土問題の議論は止めようと制し、その後、鄧小平も「棚上げ論」を繰り返したということです。(鄧小平は、ほとほと尖閣の処置に困り、爆破して島がなくなればいいと言ったという記事をどこかで見た記憶がありますが自信はありません。)
それほど両国にとって困難で微妙な問題を、思慮に欠ける、後先が考えられないパフォーマンス男が、アメリカで得意気に尖閣買い上げをぶち上げたのです。

きょうの新聞は「中国各紙は抑制報道」という見出しで、北京紙や新京報の次のような記事を紹介しています。
「右翼人士と少数の民族主義者の心理に迎合したもの。中日友好関係発展の主流を揺るがすことはできない」と,実に、冷静で的確な論評です。そうなのです。右翼人士とはよくぞ言ってくれました!

小沢さんは、かって、尖閣は日本の領土なのだから日本が守るのは当然だと言っておられました。わたしは、この問題は小沢さんの復帰を待って、小沢さんに全権を委ねるのがいいと思っています。国と国の交渉事は最終的には個人の人間と人間の話し合いになります。その人間の経験、識見、決断力に、相手方との信頼関係がなければ成立しないのです。つまり、小沢さんでなければゼッタイできないということです。

どうか、中国が今の冷静な対応を持ち続けてほしいと祈るような気持ちです。
わたしは胡錦濤さんが嫌いではありません。どこまでも慎重で軽薄なところが微塵もないあの重厚感は頼もしいではありませんか。温家宝さんも、面の皮が薄いのか、何でもすぐ顔に出るところは笑ってしまいます。

尖閣問題はアメリカのネオコンと上海閥の共同工作だともいわれていますが
とにかく、石原知事の思惑なんかすべて見透かされた上にスルーということでしょうか。
ほんとうに恥ずかしい人です。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-19 11:49 | Comments(0)

不忠の臣

なんと下劣で卑怯な人間でしょう。
橋下市長が当選したとき以来の不快感です。
都民はこんな人間を何度も選んだツケをきっとその内払わされることになるでしょう。
しかし、それは都民だけでなく、日本人すべてにその災いが降りかかるのです。

尖閣を都が買い上げ、しかも都が守ると言ったのです。どうして守るのでしょう。
何の対策も計画もないままに、こういう無責任な放言をぶち上げるところがペテン師としてのかれの真骨頂です。
尖閣買い上げの話は橋下市長も聞いていたそうですが、アメリカに行ったのは、お墨付きとゴーサインを貰うためだったのでしょうか。アメリカで発表すれば言質にハクがつくとでも思ったのでしょうか。なんという時代感覚かと呆れます。エラそうに振る舞っても所詮はアメリカの犬です。

このニュースに賛同の声が多いのだそうです。そんなことは分かっています。それを当て込んでの言動ですから。
アメリカが小泉元総理に靖国に行かせたのと同じ戦術です。国民はまんまとそれに引っかかり、いまだにそのことをもって小泉純一郎を評価している人がたくさんいます。もっとも靖国に参拝してほしくない人間が、神社の奥深く本殿まで上り、英霊を侮辱し汚したのです。

靖国参拝と尖閣買い上げには同じ意図が隠されています。日本人のナショナリズムに火をつけることです。中国との戦争に日本を引きずり込むことです。
そのとき、ひとり石原慎太郎は悠々と高みの見物を決めこみ、満面に不敵で醜い笑みを
浮かべていることでしょう。

ナショナリズムが煽られることを小沢さんはいちばん危惧しておられました。日本のことを真剣に思っている人なら当然です。
その日本のことをもっとも心配しておられるのが天皇陛下です。
日の丸、君が代の強制は好ましくないということを、あえておっしゃられた真意がそこにあるのではありませんか。
またまた陛下のご深憂が増しました。何という不忠でしょうか。日本の支配層には不忠の臣や逆賊しかいないのでしょうか。涙滂沱たる思いです。

稲垣足穂が、自分のある作品の末尾に、この作品は天皇陛下に読んでもらっても恥ずかしくないという自信がある、と書いていましたが、政治家もそういう気持ちで政治を行っていれば、こんな日本にはなりようがなかったのです。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-18 10:50 | Comments(0)

無題。

わたしは任侠映画のファンだと日頃豪語していますが、ほんとは映画館で見たことなんか一度もなく、DVDも鶴田浩二主演のものを数本見ただけです。でも、それでいいと思っています。
先日の続きになりますが、
わたしは、三島由紀夫が高倉健を買っていなかったことが嬉しくてなりませんでした。
(ファンの方には失礼ですが)高倉健さんのファンは任侠を知らないのだと思います。
乱暴な言い方になりますが、健さんに憧れるような人間は、半島人の見せかけの力の前に簡単に拝跪するような人種なのです。(健さんがそうだとは言いません)

任侠には優しさや甘さがなくてはなりません。
精神にもしぐさにもどこか「なよっ」としたところがなくてはなりません。
それでいて「やると思えば、どこまでやるさ」の度胸と芯がなくてはなりません。
わたしが、仙波さんをどうしても任侠に見てしまうのは、ああ見えてwそういう条件をすべて備えておられるからです。「しぐさ」に、時々女性的な「しな」が出ることがあり、そういうところを見るたびにわたしの頬が弛みます。
もう、任侠なんて存在は、歴史の彼方に消えてしまいましたが、わたしは仙波さんの上に任侠の精神の残照を見て、哀惜の情を掻きたてられているのです。

その男性のことがしきりに思い出されるのは、やはり任侠繫がりだったことに気がつきました。
人妻wのわたしに、好意を寄せてくれた男性ですが、一度お茶をしたときに
かれは「美人ならいくらでもいるけれど…….」と呟くように言って言葉を切り、それっきり黙ってしまいました。
わたしには最高に嬉しい言葉でした。
石堂という人が、礼儀正しい人間が人殺しをする、それが泣けるのだと言ったことが
そのまま当てはまるような男性でした。
(自慢話になるかもしれませんが、匿名だからいいでしょう)


石原都知事がワシントンで、尖閣を都が買い上げると言いました。
マッチを擦れ、つまり、中国を刺激し挑発せよとアメリカに言われたのでしょうか。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-17 10:48 | Comments(0)

日本はアメリカに従属することを積極的によしとした。

いまだに中曽根、石原、竹中平蔵氏の論稿を定期的に掲載するサンケイですが、その中にあって佐伯啓思さんの文章に出会うと、ほっと息がつける感があります。

「サンフランシスコ条約六十年」と題する文章ですが、佐伯さんは
「この条約の締結によって、日本は国際社会に復帰したが、それはアメリカへの新たなる従属であった。しかも、われわれ日本人の大半は、この従属をやむをえない暫定措置だと思うどころか、自発的に意図し、積極的によしとしたのである。」
「ある人たちは、この従属を、日本の国際社会への名誉ある復帰とみなした。」
と述べておられます。

先日、わたしはNEVADAさんが
「日本が、米国の核の傘に入っている間は、世界中の国は日本に対して尊敬をもって接していた」と書いておられることをおかしいと言いましたが、こういう卑しい心性の源流がここにあるのです。NEVADAさんも、アメリカへの従属を積極的によしとした一人なのです。

サンフランシスコ条約と同時に締結された日米安保条約には
「日本の防衛は暫定的措置であり、日本自身が自国の防衛のため、漸進的に自ら責任を負うことを期待する。」と明記されているそうです。

孫崎さんが、六〇年代後半までは、外務省は米軍を日本から撤退させる方針だったと言っておられました。まさに、条文にある「暫定的措置」の文言に立ち返り、着々と自主防衛の道を模索していたというのです。ところが、六九年の秋に、外務省に方向転換と変質を余儀なくさせる事態が突発したと。何があったのでしょう。沖縄返還と関係があるのでしょうか。

それ以降は、制御が利かなくなったジェットコースターのように、日本の政治は正気を失って暴走を始めたということでしょうか。

わたしは、4,5年前までは政治に何の関心もなく、無知そのものでした。サンフランシスコ条約も安保も名前を知っている程度でした。だから、今知ることが新鮮で衝撃的なのです。しかし、徹底的に勉強嫌いで、広く浅くをモットーにしているわたしは、それ以上深く知ろうと思うことはありません。実に、無責任で不誠実だと思うのですが。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-16 20:20 | Comments(0)

桜二題

奈良の榛原に仏隆寺という古刹があります。
仏隆寺の千年桜として有名なのですが、なかにし礼さんが小説の舞台にしたり
テレビで紹介されて以来、多くの人が押しかけるようになりました。

15年くらい前に初めてそこを訪れたとき、その犬がいました。お寺にはお寺の犬がいて、その犬はどこからともなく来てお寺に住みついたということで、ひとつ山を越えて室生寺に参拝する人を途中まで見送っていったりしていたそうです
この犬の運命にわたしは深く関わってしまったのですが、これ以上書くことはできません。
いまだ、胸に涙が溜まっていることもありますが、お寺に迷惑がかかることを怖れるからです。
わたしが情けを掛けたばっかりに、悲しい運命に合わせてしまったのではないかと、噂などから想像するだけで、それ以上くわしいことを知るのが恐ろしくて尋ねることはありませんでした。
情けは人のためならずと言いますが、情けを掛けるのも、その先の先まで考える想像力がないと、情けが仇(アダ)になるのだということを、わたしはそのとき嫌というほど知ったのです。


余命半年と言われていた母が、吉野の桜が見たいと言ったとき、わたしは黙ったまま返事をしませんでした。その混雑を想像して恐れをなしたのです。
そして、花見客の喧騒の余韻も鎮まった五月の中ごろに叔母も寄せて三人で吉野に行きました。体調のせいもあったのか、浮かない沈んだ顔の母が強く印象に残りました。

医者の見立て通り、半年後に亡くなったとき(母は入院も手術も頑として拒みました)
わたしは何かに突き動かされるように生まれて初めて七首の短歌をつくりました。
日本人は悲しみが極まったときは、悲しみを突破する手立てとして、散文や詩ではなく
短歌にはけ口を求めるのでしょうか。しかも、そういうときは、三十一文字だというくらいの知識しかないわたしでもつくれてしまうという不思議な力が短歌にはあるのですね。
その七首の短歌を、怖いもの知らずで忌明けの挨拶状の末尾に挿入したのですが、褒めてくれる人もいて驚きました。

それ以来、母への贖罪の気持ちもあって毎年吉野に行きます。
今、ふと思ったのは、わたしは混雑や雑踏に恐れをなしたのですが、母はその雑踏や人いきれをこそ感じたかったのかもしれません。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-15 10:08 | Comments(0)

昭和残侠伝「死んで貰います。」

松原照さんの世見は有料サイトのはずなのですが、なぜか、わたしは見られています。
不思議の世界の人に促されるように、歴史の真相や真実を書いておられるようですが
韓国が大好きだと公言される照さんには、ぜひ、朝鮮の歴史を、とくに、近、現代史をその不思議の世界の人に聞いてみてほしいと思います。

昨晩はジュリー(澤田研二)三昧で、3時間くらい聴いていたでしょうか。
いつも、ジュリーは、「唯ひとりの人」だと思うのですが、この「唯、ひとりの人」になる条件とは何だろうとよく考えます。
映画スターでそれに当るのが、母も熱烈なファンだった市川雷蔵です。

ちょっと調べものをしていて、ある主婦のブログに出会い、そこで
三島由紀夫が市ヶ谷に向かうタクシーのなかで聴いていたのが「昭和残侠伝」の主題歌「唐獅子牡丹」だったということを知りました。しかも、三島由紀夫は高倉健ではなく池部良が好きだったそうで、それについては、「映画芸術」という雑誌で、石堂淑郎という人との対談で次のように語っています。

昭和残侠伝「死んで貰います」のどこが良かったですかの質問に
「何よりも池部良が良かった。 他人のためにやっていることを、自分のこととしている、なんと言うか、自分の中に消えていく小さな火をそっと大切にしているような、あの淋しさと暗さが何ともいえない。わかっているという感じだ。」

そして、健さんのほうが良かったという編集部の人間には
「あなたは武士じゃないんだ。」と言っています。
わたしはこの一言がとても嬉しかった……つまり、高倉健には武士も任侠も演じられないと言っていると思えたからです。
(わたしは画面に高倉健が出てくるたびに目を逸らします。)

また、石堂という人が「礼儀作法をよく守る奴が結局人殺しをやる。これが泣かせるんですね。」と言っていますが、それが任侠ではありませんか。

残念でならないのは、市川雷蔵に本格的な任侠映画がないことです。
若親分シリーズでは……
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# by michi-no-yuri | 2012-04-14 11:29 | Comments(0)

和田アキ子さんへ。

和田アキ子さんが、携帯に夢中で和田さんが入ってきたのに気付かず、挨拶しなかったAKBの子に腹を立て、携帯を取り上げて二つの折ってしまったということです。
いつも思うのは、なぜあの人たちはそこまで挨拶に拘るのかということです。
島田紳助さんの不祥事も、ほとんど相手の挨拶の仕方が気に入らずに切れたことが原因でした。
(その人たちが在日だということは後で知ったことですが)わたしは一時期、かれらとの接触が頻繁にありましたが、かれらはまともに挨拶もしませんでした。というより挨拶というものを知らないのでは、という印象でした。
どうも、挨拶は自分たちがするものではなく、先方がするものだと思っているみたいです。
よく言われるように、かの民族には対等という概念がなく、どっちが上か下かということにしか関心がないということです。だから、挨拶の仕方が気にくわないということは、明らかに自分は人間として相手より上等だと思っているということです。そういう「上」の人間に対して、跪け(ひざまずけ)土下座しろということなのでしょう。

かれらが何かというと「土下座」という言葉を持ち出すのは、
属国として、ひたすら中国に叩頭し土下座してきた悲しい歴史からきているのでしょうか。自分たちがさせられたことを、だれかに仕返しをしたいという、いわゆる「イジメの連鎖」です。

和田アキ子さん、島田紳助さん、星野さん、張本さんなどに共通しているのは
いつの間にか日本のご意見番になって、やたらお説教をすることです。
徳のない国の人たちが、日本人に徳を説いているのです。
もう一点共通しているのは、暴力のオーラを怖れ、かれらの取り巻きや子分になる人間が多いことです。モチロン、そこには芸能界やスポーツ界を仕切っているのが誰であるかをそれとなく知っていてヨイショする習性がついたということもあるでしょう。
まさに、日本と半島の力関係の縮図がそこにあるのです。

タレントやリポーターが取材などで人の家にお邪魔することがよくありますが
その時に、面白いほどかれらの素姓が露呈するのです。
日本人なら、何も言わなくても体全体に「遠慮」のオーラが自然に出るものですが、
かれらにはそれがないのです。のそ~っと入っていくのです。
ひと様の家という感覚がないようなのです。

わたしが、在日の女優さんに日本のお母さんが演じられるだろうかと思うのも
そういうことなのです。「遠慮」や「慎み」を表現することが可能だろうかと。
飛躍かもしれませんが、結局「慎み」が演じられないそういう人たちによって、日本の社会から「慎み」が消えていったということではないでしょうか。

今からでも、あの人たちを怖れないことです。
大声でイチャモンつけてきたら、倍返しの声で怒鳴り返すのです。あるいは黙って睨みつけるのです。退いてはいけないのです。
テレビ局にデモをかけるのもいいかもしれませんが、基本はひとりひとりがきちっと対処することです。
相手にしたくないと思っても相手をしていかなければいけないのです。
向こうは、こちらの「相手にしたくない」という気持ちを散々利用して、ここまで勢力を拡大してきたのです。そういうことなのです。

大阪もいろいろですから和田さんのような言葉遣いのところがあるのかもしれませんが、大阪で生まれたわたしの周りで、たとえ男性であってもそういう言葉遣いを聞いたことがありません。和田さんを始め吉本の芸人はどこまでも大阪を貶めてくれますね。
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# by michi-no-yuri | 2012-04-13 11:21 | Comments(2)