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谷間の百合

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チェルノブイリの泉は祈りによって守られました。

「つむじ風」ブログの「佐野千遥博士の健康論は小気味良い」を共感しながら読ませていただきました。

クスリは毒、医療は金儲け、が口癖だった母は、自らが癌になったときもその言葉を忠実に守り、一切の治療を拒否して逝きました。
そんな母の娘でありながら、なんと情けないことに、わたしは、愛犬が末期の病魔に侵されたときは完全に冷静さを失って医者に縋り、どんなことをしても助けてやってくださいと哀願したのです。

昔、「自然治癒力」という本を読んで、非常に印象に残ったエピソードがありました。
それは、先進国では、すぐ重症患者は家族から離されて集中治療室に入れられるが
後進国(確か、ラテン系の国だったと思います)では、そういう設備もなく、家族は患者のベッドの傍に付きっきりで話しかけたり、お祈りを捧げたりしていることが多いそうです。そして、その結果、患者の蘇生率や回復率は、後者の場合が圧倒的に多いということが書かれていて、わたしは、強い感銘と啓示を受けました。

それなのに、わたしは、愛犬を苦しみの内に死なせてしまったのです。
多分、そのときは、「祈り」というものに全幅の信頼が持てなくて、上っ面の感銘だったということかもしれません。

最近では、映画にもなった「アレクセイの泉」の例があります。
チェルノブイリの30キロ圏内にある泉を村人が守ったというお話です。
村人は逃げ出さずに、どうしてきれいな泉を守ったと思いますか、と元東電社員の方は問いかけ、そして、こう言われました。「祈りです」と。

わたしは、漸く、「祈り」は、物理的な波動であって、それによって、必ず何かが動くのだと信じるようになりました。
だから、日本のことを祈ろうと思うようになったのです。


飄平様は、医者にはセンスが必要だ、センスとは、感覚的能力のことだと言っておられます。
わたしは、主に、歯医者ですが、いつも、センスがあるとかないとか言っては医者を代えることになります。感覚的なことなので、言葉での説明が難しいのですが、わたしは、このセンスというものをイチバンの判断基準にしています。
モチロン、地位や学歴などなんの関係もありません。

ホリエモンさんに、間違いは正してやらなければと刑務所まで出向いて行かれた亀井静香さん。わたしは、亀井さんのこういう人間的センスが好きなのです。

ちなみに、わたしは去るものは追わずと言う人が嫌いです。もっとも、去る人間にもよりますが、仮に、群れから外れて道に迷っている子羊を見て、そのまま放っておけますか。

亀井さんから見たら、ホリエモンさんがそうだったというのではなく、むしろ、一匹のホリエモンさんが他の99匹に悪影響を及ぼすことを懸念されての行動だったということではないでしょうか。

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# by michi-no-yuri | 2012-08-06 11:40 | Comments(1)

ちょっと変だと思ったこと。

「コンピューター解析などで得られたヒトゲノム情報を基に、新しい医薬品を開発するゲノム創薬科学の専門家」である、京大の辻本豪三教授が、贈収賄容疑で逮捕されるという事件が起きました。
わたしは、直感的に、これは狙われたのではないかと思いました。モチロン、何の根拠もありません。
新薬開発と聞くだけで、そこに、巨大で凄まじい利権が渦巻いていることが想像されます。当然、国内、国外を問わない、生き馬の目を抜くような競争が日々繰り広げられていることでしょう。あるいは、個人的な嫉妬なども絡んでいたかもしれません。

以前も、内容は忘れましたが、東大教授が、研究費を私的に流用したとして起訴されたことがありましたが、そのときも変だなと思いました。


きのう、岩上さんが児玉龍彦教授を取材しておられる動画を視聴したのですが、とても違和感がありました。ズルズルした喋り方でほとんど聞き取れなかったのですが、なんで、あんなにニヤニヤしながら話されるのでしょう。
除染はお金の問題ではないということですが、除染がほんとうに有効で、新たに放射能が降らないということが確認されなければ、そういうことは言えないのではないでしょうか。
山下俊一さんや経団連会長とは、なんらかの繫がりがあるような印象でした。

国会で発言されたときの児玉さんと、動画のなかの児玉さんが同じ人物だとすると
二重人格者かも?と思ってしまいました。

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# by michi-no-yuri | 2012-08-05 09:50 | Comments(1)

原発は日本人の希望も可能性も奪う。

一昨日のサンケイ「正論」に、
京大教授、藤井聡さんの「原発が止まる『地獄』こそ直視を。」という論文が掲載されました。
原発が止まった場合に予想される三つの理由を書いておられるのですが、わたしは、何か不自然なものを感じました。ほんとうに、これだけを理由で原発が必要だと考えておられるのかという疑問です。
中野剛志さんは、核兵器保有のためとはっきり言っておられ、それには反対ですが、論拠としては納得できます。
ところが、藤井さんは、専ら経済に及ぼす影響だけを取り上げ、そのためのエネルギーとして原発はなくてはならないと言っておられるのです。

わたしは、なぜ、エネルギーがこの先もずっと原子力だということを前提にされるのかが分からないのです。なぜ、新しいエネルギーへの視点がないのかと不審に思うのです。

経済が分からないから甘く考えているのかもしれませんが、国土が汚染され、失われて何のための、誰のための経済かと思うのです。
原発を全廃した結果でてくるさまざまな困難や支障は、それこそがわたしたちの「希望の灯」になるのだとは思えないでしょうか。新しいエネルギーと雇用が生み出される契機となるからです。国民がこころを一つにして知恵と団結で困難に立ち向かえられるのはこの上ない喜びではありませんか。

オリンピックの入場式で、日本人選手団が、途中退場させられたのは、福島のガレキで作られたバッジ(コサージュ?)が原因だったということです。福島の人たちがこころを込めて作ったことを思うと切なくなりますが、問題は日本政府がそれを隠していることです。
政府は、放射能被害はあくまで限定的なものだという立場をとっていますから、こういうことが公になることを怖れたのでしょうが、この日本と世界の認識の根本的な違いは、いずれはっきりとした形で表れてくるのではないかと思います。

原発は津波ではなく、地震で崩壊したということです。いま、原発の下を活断層が通っていることが問題になっているのに、確率がどうのこうのと言っている場合でしょうか。

わたしは、原発に賛成している人たちは、明らかに、騙され洗脳されていると思っています。そして、そういう人たちから見れば、わたしたち反対派の人間こそ洗脳されていると映るだろうと思います。わたしは、それを否定しません。
しかし、同じ洗脳でも、原発事故を想定して反対するのと、いつ起きるかわからない地震よりも経済だと思わされる洗脳とどちらがましな洗脳でしょうか。どちらがより賢明な選択でしょうか。

藤井さんが故意かどうか、隠しておられることの一つが、電力は足りているという事実です。
小沢さんも言っておられましたが、東電の原発は一基も動いていないのに、何の問題も起きていません。もし、電力不足が深刻な問題なら、政府はマスコミを通じて連日節電を呼びかけるはずなのです。
石油ショックのときだったと思いますが、テレビ局は深夜放送を自粛したのではなかったでしょうか。ところが,深夜放送も深夜営業も何一つ変わることなく今日も「平常運転」です。
もう、隠しきれるものではないのです。

福島とチェルノブイリの立ち入り禁止区域のことを思うと、胸が苦しくなります。地球の一部がもう永久に失われたのです。
それでも、原発が必要だと?!
ふくいちは今日も放射能を吐き続け、被曝しながらシシュポスのような終わりの見えない作業をしている人がいるというのに、政府は再稼働に踏み切り、それに賛成する人たちがいることが不思議でなりません。

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# by michi-no-yuri | 2012-08-04 15:30 | Comments(1)

「まむしの子」の末裔。

小沢さんの党本部での政策発表を、ユーチューブで視聴しましたが、
翌日のサンケイの記事の中見出しは「維新との連携が第一?」となっていて、そのあまりにも露骨な悪意と無知にもう耐えられなくなりました。
なんでも、維新との連携を意識して、維新と対立する政策、つまりTPPについては発表を先送りにしたのではないかと書いています。どこをどう聞けばそうなるのか、頭がおかしいとしか思えませんが、翌朝の朝ズバでもまったく同じことを言っているコメンテーターがいましたから、おそらく、言わされているということでしょう。

消費税反対と脱原発が大きな二本柱になっているとはいえ、TPPについて口を濁されたり、先送りにされた事実はありません。はっきりとアメリカの言いなりになってはいけないと言っておられます。

維新との連携についての質問には
(正確ではありませんが)改革を志すものは、それぞれがそれぞれの場で頑張っていけばいいと言われたのです。
分かりましたか? 「それぞれ」という意味が。

ついに、奥様の手紙が大量に配られた件についての質問がでましたが、さすがに、小沢さんは感情を露わにされました。当たり前です。
アメリカは、政治家にはプライバシーはないという考えなのか、いろいろ、聞きたくもないスキャンダルが暴かれますが、ここは日本です。日本はそうであってはいけません。

鳩山さんがデモに参加されたことについても
「あれは人気取りに決まっている」とか「あそこに入っていかなければ国民の声が聞こえないのなら政治家失格だ」とか言っている人びと。
「まむしの子」の末裔は今日も元気に跳梁跋扈しています。
断るまでもなく、階級や身分制の観点から言うのではありませんが、まったく、生まれも育ちも悪い人たちです。
鳩山さんは生まれてから一度もお金に不自由されたことはないでしょうが、庶民の生活を思って、消費税に反対されました。
想像力によって、いくらでも貧しい人びとにこころを添わせることはできるのです。
鳩山さんはそういう人だと、わたしは思っています。

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# by michi-no-yuri | 2012-08-03 11:15 | Comments(0)

亀井静香さんの優しさと怖さ。

亀井静香さんが、原発事故が日本で起きたのは、神様の手が動いたのだと。
神の意図は、原発という人類に対する反逆に、日本が旗手となって立ち向かうことにある、ということだと言っておられます。
わたしは、日本が世界で最初に、そして唯一原爆を投下されたのはなぜだろう。
そして、また、原発事故に見舞われたのはなぜだろうと考えたとき、やはり、亀井さんと同じように思わざるを得ませんでした。

森羅万象に存在するもの、生起するものはすべて必然だということですから、原発事故もそういうことになります。
サタンがやったことでも、サタンもまた神のしもべであり、神の手の内にあります。
わたしは、必然のように、「ヨブ記」を想起せずにはいられませんでした。

そして、日本は神に選ばれた国で、神に試されているのではないかという思いがだんだんと確信に近いものになってきました。
亀井さんが言われるように、日本が世界を先導する旗手となって、この原発という人類に対する反逆に立ち向かうことが約束されているのかもしれない。神の試練をしっかり受け止める以外に日本の進むべき道はないかもしれないと。


亀井さんは、あくまで、オールジャパン、大同団結を目指しておられるようですね。確かに、日本が生きるか死ぬかの瀬戸際に、国のなかにあって対立したり、いがみ合って
いる場合ではありません。石原知事や橋下市長も取り込み、その上で、反原発で立ち上がった国民に合流して、日本中を「ええじゃないか」にすれば、もう、怖いものはないのです。アメリカも早々に引き揚げていくのではないでしょうか。

なぜ、石原なのかという問いに、亀井さんは、かれは「生命を捨てても日本を変える」と言っていると応じておられます。
わたしは、これが亀井さんの優しさでもあり、怖いところだと思っています。策士の面目ここにありではないでしょうか。石原さんが、自分の思うように国を変えたいと思っていることは事実でも、命を捨てるというのは言葉の綾か出まかせに過ぎないことは先刻承知しておられることでしょう。つまり、亀井さんは、石原は「生命を捨てる」と言っている、ということを外に向かって言い触らすことで石原さんを追い詰めていこう、そして、我欲を捨てていっしょにやろうというところまで引っ張っていこうと思っておられるのではないでしょうか。

ホリエモンさんが、獄中から、某週刊誌にコラムを連載しているそうで、それを亀井さんは読んでおられたそうです。そして、間違ったことは正してやらなければと刑務所に面会に行かれたそうですが、相手に拒絶されたと。
わたしは、こういう亀井さんが大好きです。
小泉元総理が刺客として送り込んだ人間であっても、いっしょに選挙を戦ったことを何かの「縁」と思っておられるのでしょうね。

何かというと自分は顔が悪いからといわれるのですが、では、だれが顔がいいのですか。そんな人がいますか。
わたしは亀井さんが好きなのに、もう少し自信を持ってください。

野田総理のように二目と見られない顔でも憎らしいほど堂々としているのを見ると
亀井さんのそういう自信のないところが可愛いのかも。(笑

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# by michi-no-yuri | 2012-08-02 11:54 | Comments(0)

すべてのことに終わりがある。

ほっとくつろいだときなどに、いまがイチバンいい時かもしれないと思うことがよくあります。犬2匹も含めて病気でもなく、諍いもなく生きていられることが僥倖のようにさえ思えるのです。それも、不思議なのですが、ずっと先の未来からいまを振り返ってそう感じているような気持なのです。
そして、そのときいつも思うのが、この状態は長くは続かない、その内、必ず終わりがくるということです。

早速、小さな終わりが訪れようとしています。
犬の一匹にガンが見つかったのです。
14歳ということもあり、もう何もせずにおこうというのが、みなの一致した意見でした。処置をしないとどうなるのかは分かりませんが、犬はその歴史の中で、そうして生きてきたことを思えば、治療することの方が自然に叛くような気がします。
人間と同じで定期健診などで見つかることが多いのでしょうが、それがいいことなのか
どうかわたしには分かりません。

七年前に死んだ愛犬は、末期の腎臓病でしたが、どんなことをしても助けたいというわたしの気持ちが仇となって、苦しみの内に死なせてしまいました。
後で、治療しなければ楽に死ねたということを、内科の先生に聞きました。

突然、立ち上がったかと思うと、恐ろしいばかりの形相になり、何度となく断末魔の叫び声をあげました。暴れるのを必死で抱き留めながら、犬が断末魔の叫びをあげるたびに、わたしもそれに合わせて泣き叫んでいました。

専門的な知識は何もありませんが、できるだけ治療はしない方がいいのではないでしょうか。営業妨害になるかもしれませんが、楽に死なせてやることをイチバンに考えるべきではないでしょうか。
後で聞くと、これ以上は心臓が持たないという限界まで、強い薬が投与されたということでした。医者に言わせれば、飼い主が望んだことだということになりますが、無知な飼い主に何が分かるでしょう。

世の中は、刻々と変化しています。始めがあれば終わりがあります。
死んでいくものがあれば、生まれてくるものがあります。

いつのまにか、近所のお年寄りがいなくなっています。
いつも見かける犬が死んで、そのままになっている空っぽの犬小屋を見るたびに、世の無常と寂寞を感じます。

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# by michi-no-yuri | 2012-08-01 15:10 | Comments(2)

無題。

きょうのマドモアゼル愛様の文は、我が意を得たりというか、これこそわたしが書きたいことだったのです。モチロン、愛様のように書けるはずはありませんが。

一部分を転載させていただきます。

《揺れるとは、その場に限定されず、重力から自由となり、時空をも超えることを意味する。

よって、あらゆる争いは不要であり、存在をあえて誇示する必要も一切の思惑もない。ただただ存在することの歓喜に近いのだろう。よくはわからないが、きっとそうだと思う。

このゆらぎこそ、日本のお家芸ではないだろうか。

そしてこのゆらぎの中に、これからの新たなあらゆる可能性が眠っている気がする。

ひとつの答を求める貧しさ、、、ひとつの目的を追求する貧しさ、、ゆらぎの中にすべてを取り込んでいって、その変化を見る、、、楽しむ、、、そこに開示されてくる世界がきっとある。》


以前にも書きましたが、わたしは、自分の考えが正しいと自信を持ったことがありません。いろいろな人が言っていることの間を「ゆらゆら」していると言えば、信念も節操もない人間だと蔑まれるかもしれませんが、でも、実際そうだったのです。
自分でもクラゲみたいだと自己否定に陥ることもありましたが、
しかし、ものは考えようで、その反面の真理は、何ものにも囚われない自由な精神ということではないでしょうか。

いつごろからか、日本が好き、日本を守りたいというこころさえあれば、他はどうでもいい、「ゆらゆら」でいいと思うようになりました。
思想信念や主義主張なんかどうでもいい、
情と想像力だけでいい、と思うようになりました。


わたしが、森繁久弥さんに惹かれるのも、森繁さんの精神や感性に「ゆらぎ」を感じていたからではないでしょうか。
たとえば、女性(妻)が、価値観だとか自立だとか言ったら、森繁さんは「好きだというだけでいいじゃないの」と言われそうで、この森繁さんの真骨頂の源泉に「ゆらゆら」があるのだろうと思います。そして、これこそが真の「男力」というものではないかと思うのです。
(この世の地獄を見た人間は「ゆらゆら」することで精神のバランスをとるしかないのかもしれません。)
鳥羽一郎さんなども、きっとこう言われるのではないでしょうか。
「夫婦なんだから、それでいいじゃないか」と。(実際は恐妻家かもしれませんがw)
しかし、これが言える男性がなかなかいないのです。

わたし自身は「ゆらゆら」でよくても、それが家族をして「ほっとけない」となり、心配のタネになるようです。だから、ブログを書いていることは内緒です。
(男性の気をひくにはこれに限りますね。テコでも動かないように見える女性は嫌でしょう。わたしも、別に計算してゆらゆらしているわけではありませんがw)

しかし、なぜ人がゆらゆらすることに抵抗を感じるかといえば、それが、「ぶれる」ということと同義に捉えられているからかもしれません。ぶれてもいいではありませんか。
一度、清水の舞台から飛び降りるつもりになってゆらいでみてはどうですか。
「こだわり」とか、「鉄のような意思」とか「初志貫徹」などが尊重されてきた中で、なかなか難しいことかもしれませんが。

わたしは、祖父の師匠である、高浜虚子の
「去年今年貫く棒のごときもの」という句が好きではありません。何が言いたいのか分かりません。変わらないもの、変わってはいけないものを棒のごときものと表現したのなら、その感性を疑いたくなります。
なぜか、「ゆらゆら」から、この句を思い出しました。

わたしのイチバンお気にいりのイヤリングは、透き通ったミドリ色のガラスで、葉っぱのかたちをしています。付けると、ゆらゆら揺れます。
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# by michi-no-yuri | 2012-07-31 11:31 | Comments(2)

同じ心ならん人と。

きのうの「つむじ風」ブログに

《 時代の思潮は、相似形である。人間の諸相は相似形である。時代は大きく進展したかに見えるが、人間のやっていることは昔も今もほとんど変わりがない。手にするおもちゃは違ってくるかも知れないが、人間の心根は今も昔も変わりがないのである。》


とありました。シンクロというほどのことではありませんが、この日、わたしは、徒然草 十二段「同じ心ならん人と」を繰り返し読んで、尽きせぬ興趣をおぼえていました。
書かれていることが、いつもすぐ目の前に感じられて、徒然草って不思議な書物ですね。
ほんとうに、人間の心根は今も昔も変わらない。

心を同じくする人と、しんみりと世の儚さなどを語り合えたらどんなに嬉しいことだろう。しかし、現実には、そんな人はいなくて、相手に気を遣ってうまく話を合わせていると。
また、少し意見を異にする人が好ましく、そういう人と言いたいことが言い合えれば
どんなに心が晴れるだろうと言いながら、しかし、そういう人と同じ嘆きを嘆いていても、その「言い方」が自分と違うとわびしくなると。

この「言い方」とは、わたしがいつも言う「語り口」のことでしょうね。問題は「言いよう」なのでしょう。「ものは言いよう」というそれです。
わたしは、声についても、その声がどこから出てくる声かが気になります。
腹の底からか、心臓の辺りか、喉からか、はたまた舌の先からか。
舌の先から言葉を発する人が、当時も今と変わらず多かったことでしょう。

先日、日本人の悪い性向として、その場の空気を読んで、人と違うことを発言するのを怖れるようになったと書きましたが、これは兼好の言っていることとは似て非なるものですね。兼好のそれは無常感であって、打算的に他人に合わせているのとは根本的に違うでしょう。

ところで、わたしは一〇五段の「北の屋かげに消え残りたる雪」が、
ビジュアル的にも、雰囲気的にも、これほど美しい場面はないと思っています。うだるような暑いさなかに、このシーンを想像するだけで、体感温度が一気に一〇度は下がるような気がします。

わたしは、語り合っている若い高貴なカップルの女性に、十代の自分を重ねてうっとりを通り越して、ほぼエクスタシー状態になるwのですが、問題は相手の男性で、すぐには思い浮かびませんが、夫では夢が醒めますw

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# by michi-no-yuri | 2012-07-30 17:01 | Comments(1)

魂の重い人には、音楽さえ不要なのかもしれません。

わたしは、オリンピックが余り好きではありません。
マスコミがオリンピック一色になるからということもありますが、ハラハラ,ドキドキする試合
(勝負事)が見られないからです。そういうことなので、どんなスポーツも後で家族に結果だけを教えてもらうというのが、わたしのスポーツ観戦なのです。

そんなわたしですが、今回はロンドンということで、開会式には、ひそかに期待するものがありました。これまでの、人目を引く奇抜で絢爛なものからの逆転の発想をいくのではないかと思うところがあったのです。都会的センスの、シンプルでウイットに富んだオシャレなアイデアで人のこころを魅了するような演出がなされるのではないかと。

そんな期待は見事に裏切られました、少し見ただけで退屈でした。冗長な印象しかありませんでした。
しかし、考えてみれば、フリーメーソンの本家本元で、人びとのこころに平和やほんとうの人類愛を感じさせるような演出がされるわけはなかったのです。そんなことも、うっかり忘れていた自分が悔しくなります。

マドモアゼル愛様がこう言っておられます。

「みせかけのイルミネーションとノイズと言っていい大音響。そこに繰り広げられる
まったく浅い人生感や見せかけの愛情や人類愛。」「魂の重さがもっとあった昔の人が見たら、きっと本当に窒息して死んでしまうのでは。」


魂の重い人には音楽さえ不要なのかもしれません。

以下、失礼とは思いますが、後半部分だけ転載させていただきます。


これからの人類は見せかけの光、、、映像、、、そして見せかけの音、、ノイズ、、周波数によって、こうした未来を運命づけられていく、、、、ということであろう。

逆に言うと、命の光、、、内面の光、、、命の音、、、自然の音、、生活の音、、、こうしたものが、最期の抵抗となってくる。

みんなはスピーカーから出る音でも、実際の音でも、大した差はないと思っておいでかもしれないが、そんなことはない。

音は振動で体の内部に入り込み、私たちの体内の水を振動させ、細胞レベルで影響を与える。

死に属する音はあなたの細胞を弱らせ、大きく精神に影響を与える。

命の音は、あなたの全身にしみわたり、命の元とつないでくれる。

音と光があなたを責める武器にも、あなたを守るものともなる。

インチキな光、インチキな音で、世界をはかろうとする力が随所に出てくる。これまで以上に出てくる。

若者はこれから店などを開く際に、店内でCDなどかける必要はない。528Hzをはじめとする、古くて人間によく働く周波数を実際に流す、、、、トイレのドアを開けるたびに、古代ソルフェジオ音階のパイプ風鈴が鳴る、、、コーヒーが入れあがったら、高周波の倍音が鳴る、、

そんな自然音がキラキラ輝く店内にしたら、客は魂からくつろぎ、再店してくれるようになる。

人は本当の愛情と魂レベルでの快適さを拒否することはできないためだ。

どんなにいい音楽でも、CDガンガン、、、、それがいいのか、それとも、リアルな高周波の倍音がキラキラ鳴る空間がよいのか、、、、快適とは何か、音と光の面からもう一度、若者は考え直してみるとよいと思う。

素晴らしい、魂しいのビジネスがきっと見つかり、十分に収益を上げることもできると思う。


世の中には、音に神経質な人がいますが、わたしは、自然の音、生活の音、それに人の声をうるさいと思ったことがありません。以前、マンションに住んでいたとき、隣から長時間ピアノの音がしたのですが、わたしは認識すらしていませんでした。
さらに、何と、隣家でボヤが出て、消防車が3台もきていたそうですが、わたしは、翌朝、挨拶にこられるまで知らずにいたのです。そういえば、消防車のサイレンの音がしていたかなとぼんやり思い出したのは、耳では認識していたということです。
そのとき、わたしはテレビを見ていたのですが、もし、テレビに集中していれば、外の音をうるさく感じたのでしょうが、いつものように、テレビを見ながら、頭はほかのことを考えていたということなのでしょう。

また、こういうこともありました。
近くの小学校で、お昼休みに音楽をかけるのですが、あるときから、ゲーセンでかかっているような音楽が流れるようになったのです。これには、さすがに音に鈍感で寛大wなわたしでも我慢できませんでした。
クレーマー的な行為は嫌だと思いながらも堪りかねてわたしは学校に電話しました。
電話にでてきた校長先生は「音楽もいろいろですから」と、この新しい音楽が分からないのかとバカにしたような口ぶりで、さらにこう言ったのです。「これは子どもたちのリクエストですから」と。
わたしは、ぐっと堪えましたが、「何のための先生ですか!」と言いそうになりました。
子どもの要求通りのことをしていればいいのなら、わたしだって勤まります!

どうか、子どもにはいい音楽を聞かせてやってください。そうでないと、わたしのように演歌しか聴かないような大人になりますw

わたしは、愛様が音にこだわりをもたれるのがよく分かります。
声と発声によってその人がどんな人かが分かるとわたしは思っています。
だから、取り調べの可視化は必要ない、録音だけで十分だと。
むしろ、可視化は、その人間の内奥の声を聞きとる邪魔になるような気さえします。

愛様が書いておられるように、ほんとうの音と嘘の音を聞き分ける耳を持たないと、人はいつまでもマインドコントロールから脱することはできません。
真実の声を聴くために、いつも耳を研ぎ澄ませていたいと思います。
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# by michi-no-yuri | 2012-07-29 11:30 | Comments(1)

国民は独裁者を受け入れたのですか。

橋下市長のことはもう触れたくないと思っていました。ことに、文楽協会とのやりとりを見てからは、ほんとうに、もう嫌だと思っていました。

しかし、嘔吐感を抑えながらも書かずにいられなくなるのは、このような人間を選んだのは、わたしたち国民なんだという苦い思いが、払っても払っても付いて回るからです。
民主主義の手順を踏んで出てきたことへの取り返しのつかない思いというのでしょうか。
国と国民に正常な感覚や規範、そして、常識が健在ならば、このような人間は出てこなかったと思います。
まったく、恥も外聞もあったものではありません。
文化にたいしても、生殺与奪の権力を行使しようという野蛮極まりない行為に、だれも異議を唱えない、「恥を知れ」と一喝する人間もいないのです。それほど、世の中が劣化しおかしくなっているということです。

なぜ、あんなことを言わせておくのですか。補助金を出す、出さないは市長の独断で決められるのですか。三百年以上の歴史ある文楽が市長の一言でどうにでもなるなんて!!
あんなことを言わせてはいけないのではありませんか。即、だれかが止めるか、発言を撤回させなければいけないのではありませんか。
だれも言える人がいないのですね。。。

森田実さんが、大阪で、市長の批判はできない。すぐ、圧力がかかるからと言っておられます。市長自身、恫喝が目的なのか、すべてメディアはチェックしていると言って憚りません。普通の神経ではありません。異常です。

文楽協会との話し合いを公開にすることになぜあれほど固執するのか。それは、最初から相手の言い分を聞くつもりはなく、自分の一方的な弁舌をメディアを通じて広く国民に知らせることで、独裁者としての自分に陶酔したいからです。
相手を言い負かしたい。相手にダメージを与えたいというこころがあるだけです。

わたしが、在日との攻防(笑)でイチバン強く感じたのはそれです。とにかく、自分が優位に立ちたい。相手がお客さんであろうが、年上であろうが関係ありません。
人のこころを傷つけるのが快感なのです。
市長が在日だと言っているのではなく、メンタリィティが同じだということです。

異常なことを異常と感じない、思わない社会がわたしは恐ろしい。
小泉郵政民営化のときと同じです。
西尾幹二さんは、そのときの空気を、みんなは、小泉さんの後ろに控えるアメリカの影に怯えたのだというようなことを書いておられましたが、まったく、いまもそうなのです。
「かれら」は膨大な宣伝費と権力で日本の政治家や官僚やマスコミを籠絡したのです。
橋下市長のバックは、そのとき以上に複雑で広範に亘っているのかもしれません。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-28 11:04 | Comments(1)

尖閣戦争の足音が聞こえる?

野田総理は同党の議員の尖閣対応への質問に対して
「尖閣の領土、領海で、周辺国による不法行為が発生した場合、必要に応じて自衛隊を用いることも含め、政府全体で毅然として対応する。」と答えました。
政府はアメリカがしっかり後ろに付いていてくれるときだけ、「毅然」とできるそうです。

尖閣の周辺の海域は、海上保安庁の監視船が常時巡回しているとしても、総理が自衛隊の出動を明言したのはこれが初めてではないかと思い、わたしは大変驚きました。
野田総理と石原都知事が、オリンピック開会式をスルーしたのは、もしかしたら、
尖閣戦争突入が最終段階にきたことを示唆しているのではないかと思い愕然とします。

きのう、森田実さんの自由報道協会での記者会見を視聴して、わたしが、いままで直感だけで書いてきたことがそう間違っていなかったことにほっとすると共に、やりきれなさが噴出しました。

大阪にある石原事務所の人間が森田さんを訪ねてきて、
とにかく、石原は戦争がしたいのだと。
中国は許せないのだと。
それで、人が死んでも構わないと思っていると、言ったそうです。

わたし自身は確信しているのですが、ぜひ、かれの出自を調べてほしいものです。
なぜ、尖閣だけを特化してそこまで執念を燃やすのかを説明してほしいものです。
まるで、石原さん個人の憎悪や怨念だけで日本を戦争に引きずり込もうとしているみたいです。
これほどの国賊がかっていたでしょうか。
妖怪的売国奴と言われている中曽根さんだって二の足を踏みそうなことを、かれはどこまでも憎悪の炎を燃やし続けて戦争へ突入しようとしているのです。
気が狂ったのか。 モーロクしたのか、人生最後の夢を見たいのか。

女性で戦争好きなおばさんの桜井よしこさんが、ベトナム戦争を見習えと言っているようですが、見当違いも甚だしい。アメリカとソ連の代理戦争のように言われていますが、
本質は、ベトナムが民族自決、民族自立にいのちを賭けて戦った戦争だったのではありませんか。
アメリカに指嗾されてするような戦争とはわけが違います!!

中国も、日本人が尖閣に上陸すれば、手を拱いているわけにはいかないでしょう。
内憂が高まれば、一気に国民を戦争に向かわせるかもしれません。

「反戦の家づくり」様が予測しておられるように、大きな戦争には発展しないかもしれませんが、小さな小競り合いでも、もし、自衛隊員に死者がでれば、とても名誉の戦死とは言えず可哀そうです。
石原都知事は他人事のように、死者がでてもかまわないと言ったそうですが
そんな人間のために、自衛隊のみなさん、ゼッタイいのちを賭けないでください。
死なないでください。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-27 11:22 | Comments(0)

失われた聖なる世界への回帰のための反芻行為。(つむじ風ブログより)

フクイチで陣頭指揮に当たり、いまは食道癌治療で入院中の吉田元所長が、あるシンポジューム宛てのビデオレターのなかで
「原子炉の冷却作業をする人間は、撤退すべきではないと死を覚悟していた。部下は
『地獄の中の菩薩』」と言っておられます。

かれら作業員は、国民に知られないままに、このまま癌に蝕まれて朽ちていくのでしょうか。そういう人たちの犠牲の上に、国民は辛うじて生活が営めているというのに、
一方では、オリンピックが始まり、みなが熱狂する姿がこれから繰り広げられるのかと思うと、居心地の悪さを通り越して苦痛さえ感じます。

政府や東電は、かれらのことを、国民に知らせなければなりません。かれらの自己犠牲の精神を讃え、感謝しなければならないのです。
学校でも、かれらのことが感動と感謝をもって語られなければならないのです。


むかし、司法試験を受けるために、新聞配達をしていた青年と、玄関先でよく立ち話をしたことがあります。その青年があるときこう言ったのです。「そんな考えは、世間では気狂い扱いされる」と。
わたしは何も奇嬌なことを言った覚えはありません。ただ、世間の人が偉いと言う人をわたしはエライと思えなかっただけなのです。それを、かれは反社会性だと感じたのかもしれません。
分かり易く言うと、死を覚悟して作業している人と、沢山の肩書を持ち、かの副島隆彦さんが人格者だとして信頼する山下俊一さんとどちらが偉いかということです。
こんな簡単なことを言っただけなのに、なぜ、わたしは気狂い扱いを受けなければならないのでしょうか。

その青年は検事志望でしたから、今頃は悪の組織の歯車となって、わたしのような真っ当な人間wを気狂い扱いして冤罪をつくっているのかもしれません。

ほんとうに、こういう人たちが顕彰されないような国は悪い国です。
悪い人間が幅を利かせ、いい人が社会の片隅に追いやられて息絶えようとしているような国がいい国であろうはずがありません。こんなことがいつまでも許されていいはずがありません。


きょうの「つむじ風」ブログの記事です。

この連載は、伊達や酔狂で連載しているのではない。心の対話であり、失われた聖なる世界への回帰のための反芻行動だ。
分かる人は読んでほしいし、つまらない話と言うことならば、スルーしてほしい。
 聖書を読み、親しんできたひとりではあるが、今ひとつ、解せないところが多かった。そして、その解説を求めることも好きではなかった。解説はその人の解釈だし、得てして、教団宗派の解釈となるからだ。
 得心が大事である。納得する、それがなければ、うち捨てる他はない。それが探求というものである。そう言う意味から、そこに向かって、ひたすら、孤独に歩む他はない。人には頼れない性分であるし、そこを頼っては、ひとつの妥協にしか過ぎない。
 その中にあって、偶然見つけた一冊の書籍が、『The Aquarian Gospel of Jesus』であった。今は絶版だ。その翻訳本が『宝瓶宮福音書:栗原 基訳』である。
それは、解せなかった聖書の隙間を聖水の様に埋め合わせてくれた。これは本物だ! そう叫んだものであった。しかし、人は人である。どう判断するかは、その人の自由である。何度も読んだ。ほとんどすり切れている。
 連載に至った、単純な動機がそこにある。



わたしは、家が特定の宗教でなくて幸せだったと思います。もしそうなら、早くからその宗教の色に染まっているか、あるいは宗教そのものに反発していたでしょうし、どちらにしろ、純粋に感じ、考え、判断することができなかったのではないかと思うからです。他人の判断に自分を委ねることをせずに済んだ家庭環境に感謝です。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-26 11:19 | Comments(0)

アメリカが日本にしようとしていること。

きょうの「反戦の家づくり」
アメリカの基本方針は「日本アウト」の記事は、いつもながらの鋭い分析で、分析そのものには、胸がすくとは言えても、読後は胸が衝かれる、胸が潰れる、胸が塞ぐような思いがしました。

わたしは、この分析の通りだろうと思います。
震災後に突如持ちあがったTPPが、徐々に動きが鈍くなり、最近では、日本なんかもうどうでもいいという感じになっているのが不思議でした。

「反戦の家づくり」様は
一つには、もうフクイチは手の打ちようがないと判断したのではないか。
加えて、この先、健康被害による莫大な医療費や補償費が経済を圧迫する。
こういう状況を見て、アメリカは「日本に玉子を産ませることを諦めたのだ」
「玉子を産ませてから回収するのではなく、さっさと鳥のまま捌(さば)いてしまおうということだ」と書いておられます。
アングロサクソンの本性が露わになったということで、驚くに当たらないとはいえ、
沸々と怒りと反発心が湧き起こります。

手っ取り早く鳥を捌くとは、尖閣に火を付けることでしょうか。日本国民に、さも重大性と緊急性があるかのように思わせるために、石原都知事を呼びつけて尖閣買い上げを公表させ、さらに、野田総理にも国が買い上げると言わせたのです。
現実に、あの海域で何かが起きているわけでもないのです。近々、そこに、どんな時限爆弾を仕掛けようとしているのでしょうか。


神浦元彰さんが、
米軍が、オスプレイの配備を強行したのは、外務省がそのようにアメリカに働きかけた可能性があると言われたそうですが、このことは、鳩山元総理がインタビューのなかで何度も言及されていることと符合します。
普天間の問題で、アメリカが直接言ってくるのではなく、外務省と防衛省の官僚どもがアメリカの意を忖度して強硬に反対してきたと、鳩山さんは言っておられました。

国民は、そういう官僚がだれかを知ることができません。
ぜひ、顔写真と名前を公表してほしいものです。
もう、世間で生きていけないようにしてやりたい!!

「反戦の家づくる」様は、アメリカのシナリオを潰すために、四つの課題を提言しておられます。

1. 戦争にはしないという強い意志を持ち、それを表明する。
2. そういう政治家を育てて応援する。
3. 福島(とその周辺)の汚染地域の避難を支援する。
4. 日本を「世界の核の墓場」にさせない。

なぜ、全国知事会などで、避難民の受け入れが議題に上らないのでしょう。
「がれき」は利権を生むが、避難民はそうではなく、逆に財政を圧迫するからですか。
それだけではなく、他に、福島から出てほしくない理由があるのですね。

きのう、NHKに出ていた細野さんは人造人間みたいでした。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-24 11:51 | Comments(0)

わたしは、ますます、日本にのめり込んでいく。

わたしが読む数少ないブログの一つの「酔生夢人」様が
「見かけだけで言えば、長い間の刷り込みによって、西洋人が美しいと思う心性を捨てることができない。」と書いておられて、ちょっとがっかりしました。
わたしなんか、とっくに、そんな刷り込みから自力脱出してw以来、西洋何するものぞという気概で生きて来たというのに。(笑

何も反発心からではなく、わたしは、西洋人を美しいとは思わないのです。
東洋の美、日本の美に目覚めてからというものは。

よく、タモリさんが、痩せたいという女性に、「おんなはポッチャリがいいんだよ」とか「おなかはポッコリがいいんだよ」と言われるのですが、さすが、タモリさんだと思います。「短足がいいんだよ」とはまだ聞いたことはありませんが、多分、そう思っておられるはずです。

わたしが男なら、ベッドに横たわる裸の女性の長~い足や、板のようなおなかを見た途端、その気がなくなると思いますw
やはり、おなかは丸くて柔らかいのがいいと思うのですが。
これまで、日本人女性の欠点とされてきた体型が、このごろになって、わたしには
哀しいまでに「優しいからだ」に思えてきたのです。


いつだったかフランスの女性が、日本の着物の配色にはセンスが感じられないと言っているのをテレビで見て、呉服屋の娘としては聞き捨てならないと思いました。
日本の色の奥深さ、配色の妙が、あんたなんかに分かるもんかと。
まったく、西洋の色彩感覚なんか足元にも及ばないよ、と言ってやりたくなりました。
わたしの耳に残っている色の名前に
浅葱(あさぎ)色
鴇(とき)色
木賊(とくさ)色
納戸(なんど)色
鈍(にび)色 などがありますが、
この日本独特の微妙な色合い、風合いが西洋人に分かるもんかと憤然たる思いがしました。

わたしは、ますます、日本にのめり込んでいくようです。


話しはかわりますが、昨晩、夜中に目が覚めて
人間って大変だぞ
生きなければならず
死ななければならず
(涅槃とやらに到達するまでは)
それを永遠に繰り返さなければならず
と思ったとき、底なしの深淵を覗いたような気持ちになりぞーっとしました。
自己放棄はできないのです。終わりにすることはできないのです。
自殺は単なる途中下車に過ぎません。

わたしはそう思っています。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-23 15:09 | Comments(1)

「トモダチ作戦」に隠されている寓意。

「トモダチ作戦」と称して、日米がM8・2首都直下地震を想定して合同演習したということです。
朝霞駐屯地で合同訓練の打ち合わせをする自衛隊と在日米軍兵士というキャプションのついた写真には、自衛隊員の姿はなく、日本側としては北沢元防衛大臣だけが写っていました。(この人のアメリカべったりの態度には怒りを覚えます。おそらく、去年7月に、朝霞駐屯地に米海兵隊の連絡将校のポストを新設したのはこの人物でしょう。)

この首都直下地震を想定した日米の合同訓練と聞いて、日本人は何と思うのでしょうか。
わたしは、不思議でならないのです。なぜ、こんなことが当たり前のようにできるのでしょうか。国内の問題なのに、なぜ、当然のように最初から米軍が入っているのですか。
こんなことが、当たり前のように行われ、当たり前のように受け取られていることが、わたしには耐えられないのですが、ほとんどの人は平気なのでしょうか。

だれが立案し、だれが許可したのでしょうか。もう、完全に米軍のなすがままなのですか。
専守防衛が聞いて呆れます。日本は何を守ろうとしているのですか。ほんとの敵が誰かも分からずに、誰と戦うつもりですか。中国や半島ばかり向いている間に(向かされている間に)守るべき日本がなくなっているではありませんか。

わたしは見てなかったのですが、先週の「そこまで言って委員会」で、桂ざこばさんが
尖閣で中国と戦争すればいいと言ったとか。
日本にはアメリカが付いているから負けることはないと言ったとか。
これが、多くの日本人が思っていることかもしれませんね。

日本人はここまで見事に洗脳されてしまったのです。日本人の覚醒を極度に恐れる
アメリカは、その洗脳装置によって、長きに亘って日本人の精神性を眠らせ続けてきたのです。
だからなのです。覚醒しなければならないのです。今がその時なのです。

オスプレイにたいして、親米、従米のマスコミやジャーナリストまでが異議を唱えるようになったことに、流れの変化を感じます。これをきっかけに、「原発要らない」と合わせて「米軍要らない」のシュプレヒコールが湧き起こらないものでしょうか。

「トモダチ作戦」に隠されている寓意とは、声色を変えたり、足を白く塗ったりして子ヤギ(日本)を騙して食べようとしているオオカミ(アメリカ)のことなのです。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-22 08:01 | Comments(1)

選手会のみなさん、頑張ってください。

WBCの不参加決定ということ、最初どういうことか分かりませんでしたが
少し事情が分かって、「やったね!」と思いました。
選手会のみなさん、相手が折れて、納得できる回答が得られるまで、ゼッタイ妥協しないで頑張ってください。
コミッショナーやオーナー側がどういう手を使って説得に乗り出してくるか分かりませんが負けないで!

コミッショナーの媚米、従米派で、元駐米大使の加藤良三さんの狼狽ぶりには笑ってしまいました。アメリカ様に逆らうなんてトンデモナイことだとオロオロしちゃって。。。
お金の問題ではないと言っていましたが、この人は選手会がお金のことを言っているというくらいの認識しかないのです。かれらは、今後の日本野球を考えて、苦渋の決断をしたと言っているのです。

ほんとに、コミッショナーなんて安易に選出されるのですね。ボランティアなのですか。
報酬がでているのですか。
最近は、ねこの駅長さんもいるのですから、こんな見識も判断力もない人は、ねこさんに代わってもらったらどうですか。同じお飾りなら可愛いほうがいいではありませんか。

こんな人が駐米大使をしていたのです。
先日、野田総理が訪米したときのレセプションか何かの会場で見た藤崎駐米大使、
何と言えばいいのでしょうか、ほんの一瞬見ただけですが、完全にアメリカ側の人間
だという態度がありありと見て取れました。実に不愉快でした。

とにかく、選手会のみなさん、折れないで頑張ってください。
あなたたちは、総理大臣より偉いです。
野田総理はアメリカの要求はすべて丸呑み、もしかしたら、要求されていないことまで
向こうのこころを忖度して差し出しているかもしれません。

きのう、鳩山元総理のインタビューを聞いたのですが、そういうことを言っておられました。アメリカが直接要求してくるではなく、日本のお役人が相手のこころを忖度して
ああだこうだ言ってくると。あまりにも情けなくて涙もでません。
駐米大使もそうですが、まるでご用聞きです。ご機嫌をとるために、注文されていないものまで気を利かせて持ってあがるのです。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-21 11:36 | Comments(1)

真の女性の出番です。

ある年の一年間に、国や公共機関の所長や課長といわれる3人の女性から、人を人とも思わない、傍若無人というか暴力的な対応を受けたことがあります。とても言葉にできない信じられないような応対に、やはり、女性が社会進出して地位を得るということはよくないことなのかと思ったものでした。

しかし、最近、森ゆうこさんや「みどりの風」という会派を立ち上げた四人の女性を見て、そういう見方が間違いであることに気が付きました。
いま、ほんとうに、「生活」と「生命」を守る女性が出てきたのです。
この国難に当って、いままで眠っていた女性の真の底力が沸々と湧き起ってきたという感触です。

冒頭の女性たち、そして、国の仕事に関わる上級の国家公務員の女性たち、あるいは自民党などに籍をおく女性たちの多くは、男性社会の、つまり男性の論理のなかで生きてきて頭角を現した人たちだと言ってもいいのではないでしょうか。だから、彼女らは、
男性と同じ視点でしか世のなかを見ていないのです。

男性は本質的、本能的に生活や生命を守るようにはできていません。男性が守りたいことの優先順位の上位を占めるのは、地位、体面、世間体、名誉欲などではありませんか。

わたしは、女性について、フェミニズムについて、本を読んだり、考えたりしたことは皆無です。わたしの関心は、常に、愛憎相半ばするw男性に向けられていて、同性にこころを向けたことがほとんどありませんでした。
だから、何も知らないままに言うのですが、フェミニズムには、どこまで行っても対立があり、女性の自立を謳いながら、男性を強く意識し敵視することで、真の自立が阻害されてきた面があったのではないかと思えてなりませんでした。

ところが、いま、前記の女性たちとはまったく違う女性が出現したのです。男性を意識しない、つまり、男性に依存したり、男性を対立するものとして捉えたりしない、自然体としての女性です。
いうまでもなく、こういう女性が出現してきたのは、女性が本能的に感じる危機感によるものです。男性には任せておけないという危機感です。
それが、女性をして、生活と生命を守らなければならないという女性本来の役割に目覚めさせたのだと思います。

「福島の女は鬼になる」というスローガンを見て、わたしは衝撃を受けましたが、
福島の悲劇、福島の慟哭を他人事のように、再稼働が始まりました。
故郷を失うということを想像することもできない、人間のこころのない、権益と自己保全にひた走る亡者たちによって再稼働が始まりました。

政府や東電のおエライ人たちも人の子の親だから、と思うのは間違っています。かれらは、男性が守りたいものの上位にくる地位や体面の方が、家族への愛情よりも大切なのです。

男性社会で、男性の論理で生きてきた女性たちの退場がこれから始まるのではないでしょうか。というか、そう願っています。
先ほど本屋さんの前を通ったら、自民党再生の秘策?は小池百合子総理だという文字が目に飛び込んできました。カンベンしてほしい!真っ先に退場してほしい人ではありませんか。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-20 15:16 | Comments(0)

長島昭久さんの言われる「国家の意思」とは「アメリカの意思」のことです。

きのうのサンケイ「正論」の執筆者は、またあの憎きG・E・アワーでした。
これでもかという感じで尖閣を取り上げて、日本人のこころに火を付けたいようです。
冒頭から、長島昭久さんの、これは「三国干渉に匹敵する国難である。」「日本国の国家の意思が問われている。」という菅元総理に宛てた建白書が紹介され、これは、2010年9月27日の長島さんのブログに書かれていると言っています。
2年前のブログの内容を知っているほど、お二人は親密な関係なのかと微笑ましく?!
なります。

可笑しくてなりません。「国家の意思」なるものは尖閣にだけ適用されるものらしいからです。それ以外で聞いたためしがありませんもの。

野田政権はもう崩壊寸前だといわれ、そう思っている人も多いみたいですが、わたしは
ここで起死回生の、一発逆転のサプライズがあるのではないかと非常に心配しています。

郵政民営化のときは、どうしても法案を通したいアメリカは、小泉元総理に、拉致被害者の奪還と靖国参拝のサプライズを用意して日本人を熱狂させました。
また、拉致? それとも靖国?
松原大臣が、このたびの北の人事を見ると、拉致で従来と違う対応があるかもしれないと言っていますから、あるいはそういうこともあるかもしれません。
しかし、わたしがイチバン危惧し緊張しているのは、尖閣戦争突入というサプライズなのです。

都が尖閣上陸の許可を国に申請しています。許可が下り次第上陸するのでしょうが、そうなれば中国だって、戦争したくなくても国民が騒げば、黙ってもいられません。
どういうことになるのでしょうか。

オスプレイの配備について、野田総理は、日本にそれをどうこう言う権限はないと言いました。どういう意味なのでしょう。安保条約か地位協定でそう決められているのでしょうか。
危険なオスプレイが日本の上空を自由に飛行しても、日本は何も言えないそうです!
長島昭久さん ここには「国家の意思」は機能しないのですね。
なんのことはない、あなたの言う「国家の意思」とは「アメリカの意思」のことだったのですか。よくも、恥かしくもなく「国家の意思」などと言えたものです。

いままでの日本は、「バスに乗り遅れるな」ということだけで突っ走ってきました。
それが、今ガラリと変わったのです。
民主党からの離脱者が示唆しているのは「降り遅れるな」ということです。
それは旧体制からの離脱です。
旧体制の崩壊する音が聞こえるようではありませんか。


早く、小沢さんに出てきてほしいと思います。
尖閣問題を、小沢さんの中国人脈を通して事前に収めてほしいと思います。
アメリカの鼻を明かしてほしいと思います。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-19 10:31 | Comments(0)

「日本で迎えてやりたい」 とご両親は言われました。

イラクで、二人の日本人外交官が殺害されてはや9年になりますが、当時、わたしは事後の政府、外務省の遺族への対応を半ば呆れ、半ば怒りをもって見ていました。
ご遺体はクウェートに移送され、遺族はそこで対面し、付き添って帰国するということになりました。
わたしは、臨月で大きなお腹を抱えた書記官の妻が、3歳くらいの子どもの手を引き飛行機に乗り込むのを見て、何ということだろうと思いました。
外務省にも、遺族のなかにも、身重の若い妻のからだを気遣う人はいなかったのでしょうか。たとえ、本人の強い要望であっても、日本で待つことにしようと助言する親族はいなかったのでしょうか。

一刻も早く会いたいとか、事故現場をこの目で見たいという気持ちが分からないではありませんが、ご遺体はクウェートに移されたとはいえ、そこは「戦場」なのです。
なぜ、遺族は、わざわざそんなところに出向かなければならなかったのでしょうか。

わたしは、そこに、日本社会の硬直化した無責任な体質があるように思わずにいられません。
政府や外務省には、することをしておけば後でとやかくいわれることはないだろうという気持ちがあったのだと思います。(どうせ、自分の懐が痛むわけではないのだし。)
つまり、そうするのが慣例なのだから、それに従っておけば間違いないという安易で狡い体質です。
しかし、それは慣例ではありません。
というより、慣例にしてはいけないのです。

遺族の側にも、それが慣例なのだから拒否できない、拒否したら相手の面目を潰すことになったり、世間からどう思われるか分からないという恐れがあったのかもしれません。
あまりにも、日本人的反応ではあります。

海外での事故で日本人が死亡すると、必ず、どんなところまででも遺族は駆けつけます。
それが関係者にどれほどの迷惑をかけることになるかなど考えることもありません。遺族にしたら、そうするのが慣例なのだから、当たり前のことなのです。

旅行に危険はつきものです。無事に帰って来られる保証はどこにもありません。
しかし、そんなことを思う人はどれほどいるでしょうか。
あらゆる意味で、日本人も自己責任ということを真剣に考なければならない時期にきているように思います。

アフガンの再興を支援する「ペシャワール会」の伊藤和也さんがタリバンに殺害された事件はまだ記憶に新しいのですが、わたしは、そのときのご遺族のとられた言動にどれほど感銘をうけたかしれません。
お父様は「日本で迎えてやりたいという思いが家族の総意です。」と言われたのです。
それを聞いたとき、わたしのなかで、ワァーッという言葉にならない叫びが噴出したのです。
「日本人がここにいた!」という感動です。

家(日本)で待ちます。
家(日本)で迎えてやりたい。

この言葉をわたしはどれほど聞きたいと思ってきたことでしょう。
遺族の悲しみは同じでも、なぜか、「日本で迎えてやりたい」と言われたご両親の悲しみがひとしお胸に染みてきます。

それにしても、遠慮深さや、ひとさまに迷惑を掛けたくないという日本人の長所や美点は、なぜこういうときに発露しないのでしょうか。なぜ、機能しないのでしょうか。
慣例に従うのが当たり前という考えが、より強く日本人のこころを縛っているからでしょうか。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-18 06:22 | Comments(0)

パンダが死んで、動物園前で泣いていた子ども。

愛様が書いておられることですが、
上野動物園のパンダが死んで、園長が泣くことの異様さを日本人はさほど異様だと思わないようです。献花台も設置されたということですが、これが前例となって、これから人気の動物が死ぬたびに、そういう光景が見られるようになるのかもしれません。

日本人は、いまや、テレビで見たことを行動基準にするようになっているからです。
社会から、何が常識で、何が正常かという価値基準が失われていますから、テレビで見たことが、それに取って代わったということです。

幼い女の子が殺されるという痛ましい事件があったとき、父親は悲しみと怒りに堪えられず手記を公表したことがありました。
それから、子どもが同じ運命に見舞われるという事件が起きると、親が手記を公表するという流れができたように思います。
そこには、先の父親の行為を前例にして、マスコミが暗黙の要求をしているのではないかと思える節がありました。マスコミはそういうことをするものなのです。(犯人よりマスコミが憎いと言った遺族もおられました。)
そのたびに、わたしは、悲しみの表出は、一人ひとり違うのだから、無理に書かれなくてもいいのですよと言ってあげたい気持ちになりました。

愛様がこう書いておられます。

「本当にバカらしい話しである。動物園前で泣いている子供がそのままの意識で大人になり、国家動物園を運営し、国会を運営し、危険な原発を管理しているのか。」

本当に、そんな大人ばかりです。新しく東電の会長と社長になった人物は、まさに動物園前で泣いていた子供がそのまま大きくなったような顔です。

タマちゃん騒動で大人たちが演じた狂想曲を思い出します。
そのとき、わたしは、人間が簡単にバランスを崩して、一方になだれをうつことの怖さを知りました。これは、わたしたち名もない庶民だけのことではなく、地位の高いとされる人も変わりません。

いつか、テレビを付けたら、白衣の医師が7.8人ずらーっと並んで会見しているところだったのですが、天皇陛下でもこんなことはなかったのに、いったいその患者はどういう人なのかと思いました。
王貞治さんの胃癌手術を前にしての記者会見だったのです。
このときも。バランス感覚を喪失した人間の姿を見て、恐ろしさを感じました。
王さんは努力の人で、偉大な記録を打ち立てた人ではありますが、医師団はどういう判断のもとにあれほど仰々しい会見を開いたのでしょうか。たとえ、その医師がゴッドハンドを持つ人であっても、バランス感覚の欠如した医者を、わたしは名医とは思いません。

人間は簡単に集団ヒステリーや群衆心理に巻き込まれます。
今、ほんとうに戦争の足音が聞こえてきているのに、何も感じていない人が殆どです。
その、今何も感じていない人に、何かの切っ掛けで火がつくと、もう止めようがありません。なだれを打って戦争へと突き進むのです。

上野動物園の園長は、明るいさわやかな顔で「残念なことですが、パンダの赤ちゃんが死にました。」とだけ言えばよかったのです。「長」の付く人が、集団ヒステリーを呼び覚ますような言動をしてはいけないのです。

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# by michi-no-yuri | 2012-07-16 11:18 | Comments(0)