ウクライナ情報局がナワリヌイの死は血栓による自然死だと発表しました。
「プーチンが殺した」の大合唱の中でそれを否定するのは勇気のいることですが、いったい何があったのでしょう。
とくにバイデン どうするの?
発表する情報局長の隣にゼレンスキーがいたようでしたから、政権内部の権力闘争ではなさそうです。
いままで、あることないことみんなプーチンのせいにしてきたウクライナです。
ナワリヌイの死因を直接見ても聞いてもいないはずなのに、なぜ訂正したのかは大いなる謎です。
プーチンがやったと思い込んでいたからか、日本でそのことに言及する人も見かけません。
同時に、ゼレンスキーはウクライナの戦死者が7万人台でロシアは30万人台だと言いました。
こういう数字はいくらでも嘘がつけるのですが、ナワリヌイの死を訂正したのには何かのっぴきならないわけでもあったのでしょうか。
不可解です。
きのうの「産経抄」の冒頭に「今年一月下旬に行われた日教組の教研集会で、、」とあって、まだ日教組が健在であることを知りました。
ウイキペディアで見ると、日教組への加入者は緩やかな減少傾向にあり、2020年には組織率が21・3%にまで下がったということです。
21%と言ってもかなりの数でしょう。
わたしはそれだけの教職員がいながら待遇改善を求める動きが起きないのが不思議でなりません。
過労によると思われる精神疾患で休職している教員が6000を超え、しかも20代の増加が著しいと。
由々しきことだと思う。
そのことへの問題意識もないような人間が教育に携わっているのかと、、
現場で何が起きているのかを文科省は知っていて傍観し放置しているのだとしたら、職務怠慢どころか文科省の存在意義も問われかねません。
この問題を放置して、文科省はいったい他にどんな仕事をしているのかと思います。
上の方から、政治に関心が向かないように教職員の仕事を過密にするような指示が出ているのかと思うしかありません。
だれもが総理からして責任を取らなくていいようなシステムができていて、皮肉なことに、責任回避のために仕事が増えているのです。
どうしたら責任を回避できるかを考え出すと無限と言っていいくらい仕事が増えるのは当然です。
コンプライアンスだって責任回避のためと管理社会が目的です。
もう問題意識すら持てない人間にされ、奴隷化ではなくすでに奴隷社会になっていることに気付かざるを得ません。
それは21世紀に入って加速しだして顕著になりました。
走狗になったのが小泉、竹中です。
(小泉元総理に対して「いい人」のような印象操作するのは止めてほしい)
テストの採点に時間を取られるというのなら、わたしなんかはそれならテストなど止めればいいのにと思ってしまいます。
テストをしなければ子どもは勉強しないというのも強迫観念からくる思い込みではありませんか。
ほんとうはその逆かもしれないではありませんか。
でも到底無理な話なのです。
競争原理で動いている社会で、そこから抜けることは不可能です。
社会が変わり、意識が変わらない限り自分も競争から落ちこぼれないようにしがみついて生きるしかないのが現実です。
日本だけの問題ではないから何もできないのです。
きのう、中学受験が過熱していると知って、まだそんなことをやっているのかと意外でした。
コロナやワクチンや戦争があっても何も変わりません。
みんな他人が死んでいくだけだという感覚なのでしょう。
労働組合員は、ストライキという戦うための牙を抜かれて、そんな牙があったことさえ忘れてしまっています。
黙っているとますます悪くなるばかりです。
なんども言いますが、組合を潰した上に、過重労働を課すのは政治に関心を持たせないためです。
再び、団結して戦うような日教組にしないためです。
でも、政治に無関心でもいいのです。
最低限自分のいのちと健康を守ってほしいのです。
本を読んだり、映画を見に行ったっり、友人や家族と楽しく会話ができるような環境が欲しいとこころから思ってほしい。
休日にはコーヒーを飲みながら好きな音楽でも聴いてほしい。
この世に、それ以上の愉楽はないとさえ思うのですが。
自分が精神的にも肉体的にも死んでいくのただ黙って見ているだけですか。
そこまで日本人はダメになってしまったのですか。
教職員だけではありません。
企業でも自殺者が出てもほとんど何も変わりません。
気がついたら、すでに奴隷社会になっていました。
それに気が付く人も稀れです。
みんな何も言わないし、手立ても講じる人もいないので、社会の病巣は広がり深刻になる一方です。
この世は持ちつ持たれつというではありませんか。
何で庶民や労働者ばかりが割を食わされるのかと思いませんか。