ブログトップ

谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

<   2016年 02月 ( 36 )   > この月の画像一覧

修行で人(清原さん)を救えますか?

東京マラソンは年々盛大になります。
たいした理由はないのですが、わたしは市民マラソンが嫌いです。
今回はほとんど見かけませんでしたが、変なものを被ったり着ぐるみで走ったりしているふざけたランナーが嫌いなのです。
それにしても、ただ走りたい人間のためにどれだけの都民の税金が使われたのでしょう。
走るのもいいけれど、たまには頭も使ってねと思うのです。

マドモアゼル愛さまが、これからスポーツが文化に比べてウエイトが高すぎたことの修正が起き、体重視の文化とは違う文化や芸術の時代になっていくだろうと書いておられました。
スポーツにウエイトが偏っていたのは、3S政策とオリンピックのせいだと思いますが、それが修正される気運が生まれて日本の伝統文化に人々の関心が移ることはほんとうに喜ばしいことです。
これが「日本をとり戻す」ということです。
「戦後レジームからの脱却」は、こういうところから始まるのでしょう。


c0243877_11233651.jpg


ところで、池口恵観という高僧!が清原和博さんの身元引受人はできないが修行は受け入れると言っているそうです。
清原さんは現役のころから池口さんのところで護摩行の修行をしていたそうですが、このようなことになったのは修行不足だったんだそうです。
患者を助けられなかったときに、医者には手遅れでしたという言い訳があるように、宗教家は結果がでなければ修行が足りなかった、信心が足りなかったと言えばいいのですから楽なものですね。
言っては失礼かもしれませんが、わたしはあのようなものを修行だとは思いません。
いくら火の粉を浴びようと、火の中をくぐろうと、それで何が変わるのですか。
何が得られるのですか。
荒行なんか何の役にもたたないと、お釈迦さまが言っておられるではありませんか。

見る(観る)こと、観察すること、疑うこと、感じること、考えることなどが基本です。
こういう基本をすっ飛ばして、何かを体得することはゼッタイにありません。

それにしても、このお坊さんのいかがわしさといったら、、
怪僧と言われているそうですが、そんな立派なものではありません。
時代劇によく登場する権力者の幇間のようなお坊さんです。
権力と癒着することで、高僧の権威を保持しているのでしょう。
買い被ってはいけないのです。
衆生の煩悩を取り除く手助けどころか、ご本人が煩悩まみれなのですから、、
清原さんはそういうところに行ってはダメですよ。


c0243877_1130195.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-29 11:27 | Comments(0)

足元が崩れていくような、、、

辺野古ゲート前に座り込んでいる反対派の住民を排除する警視庁機動隊のやり方は、相手を人間ではなく「もの」としてしか見ていないことがよく分かります。
沖縄県警の警官では、同じ県民を「もの扱い」にはできないだろうからと、政府は警視庁からとくに悪い人間を選りすぐって派遣させたのかもしれません。

このごろ、自衛隊や警察、消防の中の「いじめ」がニュースになることが増えました。
ニュースになるのは氷山の一角で、水面下ではその何倍もの暴力、いじめが常態化していると思うのが自然だろうと思います。
わたしは、国民を守るべき国家機関が、タガが外れたようになって崩れていくのを見ているようで、底の知れない茫漠とした不安を感じます。
足元が、国の柱が崩れていくのです。
自衛隊も警察も、国家権力の手駒、犬となって国民に恐怖を与える存在になるということがどういうことか分かりますか。
もう、自分を守るものが自分以外にないというとです。
シリアの国民を見れば分かることです。


c0243877_11363443.jpg


トップがあれで、国会があれですから、こうなるのは当然です。
スポーツの世界なら、とっくに引責辞任していなければならない凡愚の上に著しく品位に欠ける指導者がいまだのうのうと居座っています。
それによって、どこまで?と思うくらい国の道義が堕ちていきます。
そして、国家の品格や美しい国を言う人間ほどそういう指導者を支持しています。

わたしは、品性のなさではだれも太刀打ちできない「おおさか維新の会」の質問が始まるとチャンネルを代えます。
ついに、国会はヤクザと在日に支配されてしまったようです。
そういう政権を嫌韓の人間ほど支持しています。
おそらく、メンタリティに通じるものがあるのでしょう。

しかし、なにかが変わるというか終わりそうな風を感じます。
国際政治が思わぬ展開をしそうな感じがします。


c0243877_1137287.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-28 11:44 | Comments(0)

怒りが国をただす。(高村光太郎)

きのうは2・26から80年だったそうです。
それでもまだ事件に参加した部隊にいた人が99歳で生存していて当時のことを語っていました。
わたしは関連の本を読もうかなと思いましたが、結局手にとることはしませんでした。
わたしは、自分が持っている本の内容はほとんど諳んじていると言ってもいいくらいなので、いまさら読むこともなかったのです。
(わたしの読書がいかに偏っているかということです。)

青年将校をテロリストだと言って切って捨てる人がいます。
だったら何だったのですかと訊き返したくなります。
テロリストということで今の人がイメージするのは、アルカイダやISなどの雇われテロリストでしょう。
とてもそれと同列に語ってほしくはありません。

わたしは、かれらの志が純粋だったなどと、それが事実であっても言うつもりはありません。
しかし、考えてみると、歴史はテロによってつくられてきたとは言えないでしょうか。
失敗しても成功しても、それによって時代が動いたのは確かです。

戦国時代、天下を取るために繰り返されてきた合戦もテロリズムと言えなくはありません。
相手方の大将の首をとるのは手柄だったではありませんか。
ああいう歴史を面白がる人に、テロを非難できるでしょうか。
かれらはそういう歴史をまるで絵巻物を鑑賞するような気持ちで見ているのかもしれませんが、わたしにとって歴史はいつも生々しい。


c0243877_113208.jpg


青年将校の行為は日本が近代国家であるために否定されただけではありませんか。
しかし、人間の本能や衝動は変わることはなく、歴史は繰りかえすのです。

人間が決死の行動をとるには、平野國臣ではありませんが、桜島の噴煙がうすいと思えるくらいの内的マグマがなければなりません。
高村光太郎は「怒りが国を匡す(ただす)」と言いました。
それほどのことでなくても、国民の怒りが形をとるところまでいかないともう日本を救うことはできないと思います。

主権在民が民主主義の基本です。
その主権を行使できる唯一の機会が選挙です。
一票で何も変わらないのではなく、その一票がなければ何も変わらないということです。
国民の怒りを示す唯一の機会をむざむざ放棄してはいけません。
選挙にも行かないしテロ(クーデター)も否定では、もう独裁国家になるしかないではありませんか。


c0243877_14295287.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-27 11:36 | Comments(0)

堕ちる、堕ちる、どこまでも。

ひたくれないさま
コメントありがとうございました。
同じ日本人とは思えない人が増えていくなか、海外に住んでおられる人に連帯感のようなものを感じることが嬉しい反面、ほんとうに申し訳ないような情けない気持ちです。
「故国のあまりの惨状」とおっしゃる通りです。

わたしは、アメリカの州の一つになってもという発言に対してほとんど反響が起きなかったことにキツネにつままれたような気分でいます。
喧々諤々の論議をよぶものだと思っていましたが、野党もスルーしました。
これほどがっくりきたこともありません。
保守、右翼の沈黙に驚かないのは、かれらの本質が嫌というほど分かっていたからです。
かれらはアメリカなしでは生きていけないのです。
アメリカがタカ派的な発言をすれば欣喜し、世界の警察を降りると言えば、居てもたってもいられなくなるのです。

何も分かっていません。
アメリカは日本を守りませんし、米中が戦うこともありません。
ただ、アメリカは、日中を対峙させ相戦わせるために、双方に下手な芝居をしては逃げています。


c0243877_111227100.jpg


ゲットーのユダヤ人には敵がはっきり見えていました。
日本人にはそれが分かりません。
(敵ということばは相応しくありませんので)、「日本に害をなすもの」を見誤っているというか、知りたくないのです。

歴史の証人になろうと、かれらは老いも若きも、書ける人も書けない人もペンを採りましたが、そのすべては灰塵に帰しました。
しかし、少壮の歴史学者の記録が奇跡的に陽の目を見たのは、歴史の証人になろうとした膨大な人々の思いがあったからではないでしょうか。
わたしはそれが言いたかったのです。

きのう、「報ステ」で、五十九年前、政治家や有識者が一堂に会して改憲について論議している録音のほんの一部が紹介されました。
戦後、十年もしない内に、はや改憲が論議されていたことは予想の範囲でしたが、戦争の反省がまったくないことには驚愕します。
(恥をさらして)生き残ったものに、死んでいった人たちへ一片の申し訳なさも感じられないことも驚きです。
そういう人間が靖国参拝を言うのです。
(霊魂をおそれよ、侮るなかれ)
そういう人間が戦争したくて9条を変えようとしているのです。
中國と戦争する理由がどこにありましょう。
尖閣という小さな餌を投げ与えられて、戦争したいばかりにそれに食いついている人間の浅ましいこと、滑稽なこと。


c0243877_1112533.jpg


新聞の「正論」の広告で、日本を蘇らせる「超・観光立国論」という見出しを見て、日本人はどこまで堕ちていくのかと暗然としました。
「日本の未来はこれだけ明るい」そうです。
観光客の落とすお金で生きていくのですね。
日本人の「ものずくり」の精神や伝統は観光客のためなのですか。
観光客に日本の自然や文化を自慢することが、日本人の誇りなのですか。
ハッキリ言って、日本のギリシャ化です。

「まつろわぬ民」ということば初めて知りました。
いつも思うのです。
わたしの知っていることなんか、宇宙の広大さに比べれば小指大の小石くらいだって。
しかし、博覧強記の人だって宇宙からみれば五十歩百歩だろうと思っています。


c0243877_11131442.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-26 11:14 | Comments(0)

わたしがブログを書く意味。

書きたいから、書かずにいられないから人はブログを書くのでしょう。
わたしももちろんそうなのですが、いつごろからか、それだけでは納得できずに、書くことの意味を考え続けていました。
そして、漸く、その答えに出会いました。
答えは、「ワルシャワ・ゲットー」というユダヤ人のゲットーの生活を記録した本にありました。
裏表紙に、こういう部分が引用されています。

「だれもかもが書いていた、、、、ジャーナリストや著作家はもちろんのこと、教師も一般の人も若者もー子供たちでさえ、彼らのほとんどは日記をつけていて、そこには当時の悲劇的な出来事が個人的体験のプリズムを通して映し出されていた。
しかし、こうした膨大な書きものの大部分は、ワルシャワ・ユダヤ人の絶滅とともに消滅してしまった。」


消滅したのは大部分ではなく全滅だったと思います。
奇跡的というより、記録者と同志の命がけの意思によって守られ陽の目を見たのが、「ワルシャワ・ゲットー」の記録でした。
ミルク缶とブリキの箱に密封されて地中に埋められていたのです。


c0243877_1162038.jpg


しかし、この記録も「だれもかも」の歴史の証言者になろうとした意思がなければ、まったく性質の違ったものになっていたかもしれません。
この記録は、消滅した膨大な書き手の思いによって結実したものとは言えないでしょうか。
わたしは、そこに、歴史の証言者に連なろうとした「だれもかも」の執念を見ずにはいられないのです。

わたしが何を言いたいか、もう分かってもらえたと思います。
何十年後かに、いまの政治や世相を語る時に、あるブログに脚光が
当てられるかもしれません。
そのブログが歴史を代弁するものであるために、たくさんの人の思いがなければなりませんし、たくさんの人が書かないといけないのです。
わたしの書いたものなどすぐにも消滅する運命ですが、消滅することで、歴史の証言にいささかでも寄与できれば本望ではありませんか。
生半可な知識をもとに、気持ちだけで書いてきたブログにも意味はあったのです。
だから、どうか書くのを止めないでください。
止めてしまったらそれで終わりです。
いつまでこんなことを言っていられるか分かりませんが、やはり、歴史の傍観者になってはいけないと今は思っています。


c0243877_1164357.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-25 11:11 | Comments(2)

仁義なき社会。

政治家の劣化が言われるようになって久しいのですが、むかしなら、たとえ敵対する人間にでも最低の仁義は守っていたのではないでしょうか。
それが崩れたのが小泉政権時からです。
同じ党の議員を抵抗勢力だと言って排除したり、選挙に刺客を立てたりする行為に仁義はありません。
小泉政権ほど苛烈ではないものの、安倍政権は反知性と品性のなさでそれを上回りました。
とくに、橋下、松井両人が政治に参画するようになってから、それが極に達した感があります。

いまの子どもたちが仁義、礼儀も知らずに育っていくのかと思うと寂しいものがあります。
「仁義」とはやくざ専用の言葉ではありません。
仁とは、他者(人間だけではなく)を思いやり、慈しむ気持ちをもつこと。
義とは、倫理に叶っていることです。
いま、どこを探せばいまそういうものに出会えるでしょう。


c0243877_14124527.jpg


それまでいつも目を通していた竹原信一さんのブログからわたしのこころが自然に離れていったのは、ほかでもありません、竹原さんが仙波さんのことを激越な言葉で告発されて以来のことです。
どちらの味方をしていたわけでも、竹原さんを非難がましく思ったわけでもないのに、自然にこころが離れていきました。
さみしいような感情だったと思います。
やはり、根拠も理由も示さずに嘘つき呼ばわりされたのは、仁義にもとるように思いました。

仙波さんはそれに対して沈黙しておられるのでしょうか。
いくら探しても仙波さんの近況を知ることができません。

わたしは、仙波さんを凄い人だと思っていますが、それは尊敬を意味しません。
常人にできないことをされた人に、尊敬という日常的感情はそぐわないのです。
まして、常識的で円満な人格など期待しません。
しかし、組織に属している人には、巨大な組織のなかで一人戦うことがどれほどのものか想像はできるでしょう。
小野田さんにも同じことが言えますが、それ以上に奇跡的です。
常識で計れるものではないのです。


c0243877_13145334.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-24 13:18 | Comments(0)

二十三日 その二  国家の意思がハッキリ見えてきました。

きのうのNHK「クロ現」が「広がる労働崩壊、コスト削減の陰で」の実体を取り上げていました。
その保育園は国立病院内に付属する保育園だったのですが、病院が独立行政法人になったことで保育園も民間に委託され、いままで働いていた保育士さんが全員「雇止め」を宣告されたということでした。
民営化されたことで、コスト削減が加速し、それに比例して安全安心や人材を養成することもコスト削減の対象にされ、その弊害が多方面に及んでいるということでした。

ある人が、その原因のすべてが2001年の構造改革にあると言っていましたが、小泉の名前は出ませんでした。
小泉改革がどれほど凄まじいものであったかを思い知らされます。
先日のバス事故のときも規制緩和による過当競争に原因があるのではと言われていましたが、非正規雇用が堰を切ったように日本中を席捲していったのも小泉構造改革に発しています。
民営化、規制緩和は従来の社会のシステムを破壊し、非正規と言う奴隷を増やすことが目的だったのです。
民営化によって外資を呼び込み、TPPを待たずとも日本を多国籍企業の草刈り場にすることが目的だったのです。

小泉元総理といい安倍総理といいこれほど息をするように嘘がつける人間もめずらしい。
「今の痛みに耐えてより良い明日をつくろう」と言った冷酷なサディストの顔を持つ男が日本解体の道筋をつけました。
脱原発が言いたいのなら言わせておけばいい。
かれの真意は脱原発の先の利権にあるのかもしれません。
そういう意図でフィンランドのオンカロを見学に行ったのかもしれない。
この日本を、福島を、世界のオンカロにするために?

国の意思が明確になってきました。
日本も日本人もどうでもいいという意思がはっきり見えてきました。
「日本死ね」と言うまでもなく、かれらの意思は「日本殺す」です。


c0243877_1328686.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-23 13:33 | Comments(0)

二十三日 その一  甘利さんと野々村さん。

政務活動費を全額返却したのに野々村竜太郎さんはなぜか裁かれています。
返却したから済む問題ではないというのなら、それで済んできた議員や大臣はどうなるのですか。
なんでかれだけが裁判に引きずり出され世間の嫌らしい好奇の目にさらされているのでしょう。
ガス抜きのための余興の出し物でしょうか。
記憶にないのなら力ずくでも記憶を蘇られてやろう、、と?
政務活動費の不正なんてやっていない人間のほうが少ないでしょうに、なぜかかれだけは許されないらしい。
かれだけが道義心を問われ裁かれることによって、その他の不正が隠蔽され「すべてこの世はこともなし」になるらしい。
かれはまた、次の公判まで警察に留め置かれるのでしょうか。
母一人子一人の家庭だと聞きました。
嫌がるのを無理やり引きずり出してきてリンチにかけているようで、わたしは正視に耐えません。
裁判所が率先していじめを後押ししているのです。


c0243877_11324934.jpg


甘利さんは睡眠障害で一か月の休養をとりました。
行方をくらましている秘書はまだ見つからないのでしょうか。
なぜ検察は秘書に出頭命令をださないのでしょうか。
西松事件では、小沢さんの秘書が3人逮捕されました。
取り調べの刑事が、小沢さんが入る部屋は用意されていると言ったそうです。
単なる記載ミスで逮捕まで考えていた検察は、これだけ動かぬ証拠が揃っているのに甘利さんの事情聴取をする気配がありません。
症状が回復するのを待っているのでしょうか。

甘利さんは「潔い」とか「武士」だとか誉めそやされ花束と拍手で見送られたのに、野々村さんは司法や世間のなぶりものになりました。
これでもまだ法治国家と言えますか。

中國や韓国にたいして、報道や言論の自由がないとか法治国家ではないと言っている似非保守のみなさん。
これだけ、国のトップや裁判所が恣意的、専横的に政治や裁判をやっているのは北朝鮮くらいで、とっくに中國を抜いて立派な独裁国家になっていますよ。
この二十一世紀に、七十年間平和だった国が、突然独裁国家になることを予想した人はいなかったはずです。
わたしの、驚愕して見開いたままの瞳孔はいつ閉じるのでしょう。
日本が無くなった後でしょうか。


c0243877_1133164.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-23 11:44 | Comments(8)

老人を転落死させた青年の「罪と罰」

きのうの「酔生夢人のブログ」が、「老人介護と偽善」と題して、川崎の老人転落死事件について書いておられました。
介護の苦労によるストレスから来たこういう犯罪については被害者よりもむしろ加害者に同情する。家族なら、厄介な存在が消えてほっとしたはずだと書いておられることは、名前のある人には絶対書けないことです。
書けないことが偽善なのです。

いつか、病院が親をベッドに縛り付けていると告発した家族がいました。
わたしは、てっきりロープ状のもので縛られているようなイメージをもったのですが、実際、映像をみたら、専用の太いベルトのようなもので、一方の手首から胸の上を通ってもう一方の手首に渡してベッドの柵に固定したものでした。
わたしは、これを問題だというのなら家族が引き取ればいいのではないかと思いました。
職員が徘徊する老人を一晩中見張り連れ戻す労力とストレスは大変なものでしょう。
赤ん坊の泣き声で寝られないと、若い父親が自分の子どもを殴って死なせた事件があったばかりです。
眠れない、眠らせてくれないというストレスがどれほどのものか、ちょっと想像すれば分かることなのに、介護の職員にたいしては、それが仕事だから当たり前だと言うのでしょうか。

わたしは、認知症を収容している病院を知っていますが、病院の人が、面会に来る家族は極々少数だと言っていました。
「酔生夢人」さんが言われるように「姥捨て」なのです。

但し、わたしは夢人さんのように、自力で生きられなくなったらさっさと死にたいとは思いません。
自分のことならともかく、家族にはそう思ってほしくありません。
介護の人を苦しめるのは、意思の疎通、感情の交流がないことでしょう。
自力で生きられなくても、その人に人生を全うしようという意思と、介護をしてくれる人への感謝の気持ちがあれば、家族や介護する人は報われるのです。
決してストレスにはならないはずです。


c0243877_11525980.jpg


よく、テレビが、認知症の妻を夫が献身的に介護している例を取り上げていますが、カメラの前ではいかにも優しく健気に介護しているように見えますが、実際は声を荒げたり、手を上げたりの毎日ではないでしょうか。
家族がいるのなら家族が介護するのがいいと思うものの、その苦労が並大抵なものではないことを思うと簡単には言えません。

総理は介護離職ゼロを打ち出しましたが、わたしは離職しても生活が保障され、また復職できるような制度があってもいいように思います。
これはほとんどの人がいずれ直面する問題です。
いまさら言うのも虚しいのですが、お金をよそに貢いだりばら撒いたりしなければ、日本は豊かな国なのではありませんか。
どうか国民のために知恵とお金を使ってください。

そういう統計があるのかどうか、以前、教師や警官だった人に認知症が多いと聞いたことがあります。
そのこととは別に、わたしが感じてきたのも、そういう人たちのジコチュウな言動でした。
相手の気持ちを忖度するということが無いのです。
教師はいつも教える立場で、警察官は犯人を捕まえ取り調べるのが仕事ですから、相手から学ぶということがありません。
もし、かれらに想像力があれば、犯罪を冒す人間からでも学ぶことはたくさんあります。
犯罪を通して社会や世間や人情を知ることができるのです。
自分もまた犯罪を冒す立場の人間になりうることを知ることができるのです。
さらに、学歴や肩書で生きてきた人の晩年は、経済的に困らなくても、認知症にならなくても寂しいものがあるのではありませんか。


c0243877_11541296.jpg


犯人の青年は、正義感が強く優しい人間だったと同僚がいっていました。
母親に打ち明け相談していたということです。
二十三歳という年齢、老人殺し、母親との関係などの類似性からわたしは「罪と罰」のラスコーリニコフを連想しましたが、青年の苦悩が、ラスコーリニコフの葛藤、苦悩と性質を異にするものとはいえ、まったく別次元の問題とも思えません。
青年はこう思ったのではないでしょうか。

自分は何をしているのだろう。
こんなことをするために生まれてきたのだろうか。
こんなことのために勉強してきたのだろうか、、

二十三歳の青年には残酷な職業だったかもしれません。
(病人の介護ならともかく)

皇后陛下は、「長く生きた人を寿ぐ(ことほぐ)気持ちを持ちたい」と言われました。
わたしはこの言葉が忘れられません。

と共に、「酔生夢人」さんが言われる偽善にも厳しい目を向けざるを得ません。
この二つの世界観の間を、わたしはいつも、いつまでも揺れ動いているのだろうと思います。


c0243877_11544174.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-22 11:57 | Comments(0)

泥船に乗っている人、泥船から降りた人。

総理が何かの会合で、稲田朋美さん、森雅子さんを有力な総理候補だと言ったことにわたしが違和感、嫌悪感をもったのは、お二人とは直接関係ありません。
金正雲とどこが違うのか!と思ったからです。
邪魔者を処刑しないだけで、総理のしていることは政治の私物化に留まらず日本という国を私物化しているという点で金正雲と何ら変わることがありません。
権力に酔い痴れている姿は、日本の歴史にはじめて登場したこれ以上はない醜い「ハダカの王さま」です。

それはともかく、わたしは稲田朋美さんがいっそ早く総理大臣になってくれないかと思っているのです。
必ず、自民党だけでなく、戦後の自民党的政治を瓦解させてくれるだろうとの期待があるからです。
もう、中からの瓦解にしか期待できないところにきていませんか。
戦争で破壊される前に、政治を変えるにはもうそれしかないように思います。
野党に期待したって問題大臣の首一つ取れないのですから。


c0243877_1128758.jpg


安部応援団だった林真理子さんが、総理の改憲発言に危機を表明されたことには大きな意味がありました。
「えっ ウソ! いつの間に世の中そんな風に進んだの」と言っておられますが、こういう感覚がほんとうに貴重だからです。
遅きに失したとはいえ、林さんは間一髪のところで総理の個人所有の泥船から脱出できたということです。
林さんは安倍応援団の前は小泉元総理のトリマキでした。
そういう権力者の側にいた人、しかも有名な作家である林さんが今回安倍政権に危機感をもたれたことには大きな意義がありました。

曽野綾子さん、桜井よし子さん、長谷川三千子さんなどには、総理の泥船が豪華客船か最新のクルーザーに見えるようです。
実にいい気分なのでしょうね。
しかし、魂の世界では、それは泥船なのです。
もっとも魂を重視するクリスチャンの曽野さんは、自分が泥船に乗っていることも分からないほど権力に魅せられてしまわれたのですか。
歴史にはそういう宗教者、信仰者が権力と結びつく例がたくさんありますね。
魂の世界ではとっくに破門されている人たちです。


c0243877_11283839.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2016-02-21 11:30 | Comments(0)