ブログトップ

谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

<   2014年 06月 ( 31 )   > この月の画像一覧

在日朝鮮人への怒り。

写真を撮りながら福島、とくに村長さんが世界一美しい村だと言われた「飯館村」のことを思いかなしみに襲われることがあります。
自然はそのままの姿であっても、そこに生きる人あっての自然だからです。
NHKの番組やニュースなどで、日本津々浦々の風景が映し出されるたびに、日本にはまだこんなに美しい風景があるのかと感動します。
北海道も九州も四国も東北も行ったことがないわたしですが、映像を通してどこにでも行けるのが唯一のテレビからの恩恵でしょうか。
その日本はこれからどうなるのでしょうか。
わたしは、国土が汚染されることにも増して、日本の国柄が失われていくことへの哀しみと焦燥感に苛まれます。


c0243877_10482262.jpg


新井信介さんが「近代日本に対する憎悪と怨恨のバケモノを抑え込む」という記事で興味深い分析をしておられます。

よくでてくる「奥の院」というのがわたしにはさっぱり分からないのですが、それはともかく、なんでも、日本という国家を本気で壊そうとしていた三つの「意思」が同じベクトルになったことに「奥の院」が驚愕したということです。
三つとは、中國の軍部、韓国のヤクザ、人造国家「イスラエル」で、とくに韓国のヤクザが大問題だということです。
わたしの日ごろの思いを代弁するかのような記述があり以下に抜粋します。

「 メディア周辺には韓国朝鮮系の人間があつまり、そして、戦後、自民党が権力を確立するときに、同じく半島から来て「闇の仕事」をしていた人間がここで合体し、急成長。(日本の暴力団の構成員のことは周知のことなので触れません。)」

 「韓国の場合、日本の政治経済、さらに行政の内部を狙い、個々の人間の個人事情にまで入り込んでいったが、その入り口が、どうもパソナであり、さらに、そのすぐヨコで流されていた麻薬が武器となったこと。

 表向きには慰安婦問題を使って国際世論を味方につけ、徐々に、日本という統治体を乗っ取り、日本の「羊」たちから、永遠にマネーを引き出す仕組みを作ること。」 

「 ただ、アメリカと組んで日本社会を壊して、自国領に取り込むと言う思い上がった考え とか、テレビ周辺のヤクザとシャブで、日本の内側を腐らせてきたことには、徹底的に鉄槌をくだす。」


どうやら、こういうことを「奥の院」は「同胞が放射能で病み、イノチを失おうとも」優先すべきことだと考えたのではないかと。
言いかえれば、それを優先させなければフクシマの闇にも手を突っ込めないということでしょうか。
統一教会お抱えの総理大臣と言ってもいい安倍さんを支持している人たちは、だれよりも嫌韓でありながらまったく自分たちが在日の手のひらで踊らされていることに気が付かないという絵にかいたようなバカなのです。


c0243877_10424413.jpg


憎しみの応酬は果てがありません。
果てしのない自慰行為みたいです。
わたしは前から、ヘイトや偏見ではなく「怒りを!」と言ってきました。
「怒り」が世の中を匡すのですから。
一刀両断するくらいの「怒り」を持つことです。
しかし、今の日本には一刀両断できる人がいません。
「怒り」は「純」なものであり、またそうでなければなりません。
「純」だから尊いのです。


c0243877_10431787.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-29 10:53 | Comments(5)

罪なき者 石もて打て。 (二十八日 その二)

セクハラ問題で、その他のヤジが音声の分析によってはっきりしてきたこともあり、いまごろになってわたしも臨場感を伴ってその酷さが実感できました。
外国の特派員が自国でこういう発言をしたら即クビだと言っていましたが、ぜひ日本もそうしてほしいものだと思いました。
ところで、その後塩村都議の過去の行状が暴かれてきて、わたしにしたら、それがどうしたという感じなのですが、しかし、このことはセクハラ発言以上の人権問題ではないでしょうか。
イジメの構造そのもので、わたしはそこから発せられる底知れぬ悪意の攻撃が忌まわしく心底恐ろしくなります。
過去は関係ありません。
ましてヤジとは何の関係もありません。
好き嫌いで言うのではありません。
その人が何を考え、なにを言ったかがすべてなのです。


c0243877_15482312.jpg


彼女の過去をあげつらう人たちはそれほど非の打ちどころのない生き方をしてきたのでしょうか。
罪なき者石もて打てというイエスの言葉が脳裏をよぎりましたが、ほんとうに、人の生き方を非難できる人間などいないのです。
わたしなど、彼女のような華麗さはなくとも、過去を引きずり出してきて批判されたらもう生きていけなくなります。
それでなくても、夜中にふと目が覚めて、呻いたり唸ったりするのです。
(こういう経験を持つ人は多いのではないでしょうか。)
未熟ゆえに人を傷つけたり、言ってはいけないことを言ったり、恥ずかしいことの数々があればこそ、人は悔悟し反省し出直したいと思うのではありませんか。
罪深さを知る者は罪を冒した人間です。
飛躍するようですが、これが親鸞が悪人正機説で言いたかったことではないのでしょうか。
もし、過去がその人間の一生を既定するのなら、人類に進歩も救いもないではありませんか。
彼女もまだ若くて未塾なのです。
とはいえわたしは特別彼女に思い入れがあるわけではありません。
そういうことではありません。


c0243877_15512244.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-28 15:57 | Comments(7)

日本はタテ(盾)を捨てました。 (二十八日 その一)

サッカー選手が消沈した表情で帰国しました。

わたしは優勝は無理でも決勝トーナメントには残ってほしいと思っていたのですが、ほんとうのところ、あまり勝ってほしくないなという気持ちもどこかにありました。

総理が集団的自衛権に絡めて、「強い国 日本」キャンペーンに最大限利用することが分かっていたからです。

わたしはこの結果をみて、もしかしたら、ここには神の意志が働いていたのではないだろうかと思いました。

日本が危機に驀進しているこのときに、神は頭を冷やす最後の機会を与えてくれたのかもしれないと思ったのです。



c0243877_10362977.jpg



公明党が行使容認に舵を切りました。

長々と猿芝居を見せてくれました。

芝居を完結させるために、文言をちょこちょこと手直しさせ、これで二重三重の歯止めがかかったとか、拡大解釈の恐れがなくなったとか言っていますが笑止千万です。

基準や既定も不明なのに、どう拡大解釈するのですか。

実力行使に必要最小限もへったくれもありません。

「おそれ」が「明白な危険」に変わって、文言以外に何が変わりましたか。

それに「明白な危険」を判断するのがあの最高責任者の総理ですか。

それともマイケル・グリーンですか。



c0243877_10282852.jpg



自衛隊の中からも少しずつ声が洩れてきました。

やっぱり、行使容認を即行使と捉えるのは短絡的だとか、それが戦争への抑止力になるという意見がありました。

わたしは、ただちに行使されるだろうと思っています。

待ちかねている人間がいるのです。

アメリカはいままでも自衛隊の海外派遣をせっついてきていたのです。


小林節さんが言っておられましたが、アメリカの政治家や政治学者と会うと必ず言われるのが、日本はいつになったら9条を改正して自衛隊を外に出すようにするのかということだったそうです。

いままで、平和憲法をタテに拒み続けてきたことが、もうそれができなくなりました。

日本は盾を失いました。

これから自衛隊はホコ(矛=武器)を持たされて外へ出ていくことになります。


また、抑止力になるという考えは、覇権国家アメリカについていればだれも手出しはできないだろうということでしょうが

しかし、覇権はいつか終わり、次に移っていくものです。

その兆候がだれの目にも明らかになりつつあるのに、まだ宗主国にしがみ付いていこうというのですね、、



c0243877_10375870.jpg



総理は戦闘行為はしないと約束しますと言っていましたが、自分がなにを言っているのかわかっているのでしょうか。

戦闘行為を可能にするために解釈変更してまで強行したことではありませんか。

また、「わが国と密接に関係のある国」とはどの国々ですか。

密接といえば経済的にもっとも比重の大きい中国が筆頭にきますが、中國も入るのですか。

こんな子どもダマしのような修正案に簡単に納得できるなんて、最初から賛成する気満々だったのがみえみえです。
[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-28 10:43 | Comments(0)

ニヒリズムとは、、 「バカ国民帝国日本の滅亡」より転載。 (二十七日 その二)

記事の中で

絶望的な現実を、その通り見ている者は、凡夫には「ニヒリスト」に見えるのだ

と書いておられますが、現実をその通り見ている自信はありませんがわたしにもよく分かります。

先日来、わたしは何も信じない、だれも信じないと書いてきましたが、人には、世の中をなんとニヒルにシニカルにみている嫌な人間だろうと思われたことと思っています。

しかし、違います。

ほんとうの愛は信じる、信じないを超えたところにあると思っているからです。

わたしは人を理解したいとか、自分を理解してほしいと思ったことはまったくありません。

そんなことは人生の無駄です。

価値のあることとは思えません。


わたしはほんとうに知らない人からもたくさんの知恵や幸せを貰ってきたと思っています。

ほんの袖触れあう縁の人からも、その一瞬のほほえみによって幸せを頂きました。

しかも、その一瞬の幸せな気分は一瞬で終わるのではなく、長い生涯にわたって思い出すたびに甦ってくるのです。

信じるとか信じないとかどうでもいいことです。

その人と楽しいひとときを過ごせるだけで十分ではありませんか。

何かについて、何かを見て同じこころだと分かったらそれこそ過分の幸せだと思うことです。



c0243877_1365830.jpg



以下に転載。


よそさまの民族のことはよくわからないが、日本民族が愚劣であることは明確な事実であろう。

それは基本的なことを、何ひとつ理解しておらず、反対に理解しているサマからもわかる。

改憲や9条撤廃を叫んでいるチンパン連中も、まったく憲法や人権を理解せずに「変えろ」とか「憲法が日本を悪くした」とのたまっているのである。

「悪い」のは、彼らのオツムと精神である。考え方も性格も歪んでいる。

当ブログでは、これまでも人々が真逆に理解していることを指摘してきた。

個人主義は、「自分の勝手にすること」ではない。

自由主義は、自分が自由にすることではない。

人権とは、何かがもらえる権利でもなければ、騒ぐ権利でもない。

革命の前衛とは、先頭に立って率いることではない。

ポピュリズムとは、本来「衆愚政治」の意味ではない。

アナーキズムは、「無政府主義」とはいうが「無秩序」のことではない。

神様とは、人間の願いを叶えてくれるのではない。

愛とは、「愛される」ことではない…等々…

話を聞いていて「おかしい」と思わず、ずっと反対に理解してきたような連中は、「人間」と呼べるレベルにはない人たちである。

そういう人たちが、「民主社会」なんぞつくれるわけがない。

まさに、鬼畜と外道の世界が現れるしかないのである。

テレビを見るから、みんながバカになったのではない。

みんながバカだから、テレビもそれに合わせざるを得ないのだ…という話が合った。

マスコミの制作に携わっている人が、多分、ホンネで語ったことばであろう。

「啓蒙」によって、「無知」や「暗愚」は光が闇を照らすように、払うことができると思われてきたが、実は太古から言われているように「バカにつける薬はない」「バカは死んでも治らない」なのである。

啓蒙や教育によって、人民が賢明になることはない。

したがって、キリストが絶望のうちに十字架上の死を迎えたように、「救い」も「革命」も実現することはないのである。

このことは、単に”事実”以外の何ものでもない。

この”事実”と向き合うことを「現実主義」というのであるが、一般の人々はそうは思わない。

一般の人々は、状況が絶望的であり、自分が取り返しのつかない罪業にまみれていることに無知である。

ゆえに、サンタを信じる子供のように、”希望”をもち、「自分はいい子」だなどと信じているのだ。

仏教では、一般人のこうした状況を”火宅の人”というのである。

火事で燃えている家の中で、そうとも知らずに無邪気に遊んでいる子どもたち…

沈みゆくタイタニックのなかで、数時間後の運命も知らずに日常を生きている乗客たちもそうである。

そのときに「火事だ、逃げろ」と叫んでも、子供たちは本気にしない。

「救命具をつけて備えよう」と言っても、「この船が沈むわけがない」と乗客は相手にしない…

真実を知る者は、一般人からは「悲観論者」「頭のおかしな人」「人騒がせな人」のようにしか見られないのである。

そして、こうとも呼ばれる…ニヒリストだと…

絶望的な現実を、そのとおりに見ている者は、凡夫には「ニヒリスト」にみえるのだ。

「現実主義」が「ニヒリズム」に見えてしまうのだ。

だが、よくよく考えれば、自分の間違いには気づくはずなのである。

きちんと考えず、”思い込み”だけで判断するから、気づくことができない。

「虚無」であるのは、自分のしょうもない”希望”という幻想にしがみつき、根拠のない”しあわせ”を、パチンコや宝くじが当たるような気分で待っている、一般の人々である。

カネさえあれば、何でも手に入ると思っており、楽しく人生を送れればよいと思っている。

カネは、もちろん必要だし、快楽もないと困る。だが、それだけのことではないか。

一般の人々の「価値」というのは、そうしたものしかない。欲望や快楽以外には”何もない”のである。

おまけに「市場価値」でいろいろ判断し、「自分の価値」というものをもたない。

「出世」したり、注目を浴びたりすることを喜び、めでたいことだと思っている。

人と比べて「上」だ、「下」だ、「勝った」「負けた」というのは、「自分がない」証拠ではないか!


「虚無」というのは、こうした人たちをこそいうのではないのか?

一般の日本人たち…

カネカネいって…人と比べて「勝った」「負けた」と気にして…

飲み食いや芸能、遊興にふけっている人たち…

「人口減少」などと言ってるが、とっくに「日本人」は消えている。

肉体だけが、欲望と快楽と闘争本能、群集心理で動いているだけの”生きた屍”である。

欲望と快楽しかない…それこそが「虚無主義」である。

「上だ」「下だ」、「勝った」「負けた」しか判断の基準がない…それこそが「虚無主義」である。

私は、その「虚無」なる日本人たちを、ありのままに見ているに過ぎない。

さて、いまひとつ付け加えることがある。

「敗北主義」である…

絶望的な現実を直視しながら、本当に絶望してしまうことである。

同じ絶望から始まっても、人の選択はひとつではない。

敗戦投手が、絶望的なゲームのなか、無気力な投球をするのか、なおも淡々と最善を尽くすのか…

絶望的に散らかっている部屋で、「どうせ散らかるから」と、掃除を放棄するのか、それとも…

ちょこちょこと、できることから初めて、できる範囲で片づけるのか…

「現実主義」というのは、絶望しても、自分のやることは変わらないのである。

絶望的な、その状況に応じて淡々と進むのである。

「千里の道も一歩から」

聞けば、「なんだそんなことか」ということである…「あたりまえ」のことである。

しかし、「ニヒリズム」を取り違えていたという事実が、自分に突きつけられるのである。


本当の「ニヒリスト」は、みため、ちっとも「ニヒル」ではない。

「虚無」ゆえに、「ない」がゆえに、「ない」ことに気づかない。

極めて、厄介な、致命的な病なのである。



c0243877_13162996.jpg






[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-27 13:13 | Comments(1)

この急激な変化はなにを意味しているのでしょう。 (二十七日 その一)

この急な変化は何を意味しているのでしょう。

分かる人がいれば教えてほしい。


きのう、サンケイは「習政権対日強硬転換か」という見出しで五月から日中間の要人往来が活発化してきたと報じています。

その理由について、サンケイは相変わらずわたしでも分かる出鱈目な分析を臆面もなく書いていますが、自分たちの中での整合性を持たせるためには仕方がないのでしょう。

習政権は日米分断に失敗したから軌道修正しているのだそうです。

サンケイとしたらそう言うしかないのです。

わたしは、アメリカは日中が戦うことを極力避けたいのではないかと思えてなりません。

それよりも中東での戦争に日本を巻き込みたいのではないでしょうか。

K・キャンベルやM・グリーンが公明党本部を訪ねて集団的自衛権行使容認を迫ったのも、対中ではなく対中東が視野に入っているのではないでしょうか。



c0243877_11135134.jpg



きのう、NHKの「ニュース9」は、日本人男性と中国人女性の「愛と死」の物語を取り上げていました。

「ニュース ステーション」では冒頭から10分近く、脱法ハーブを吸引した男が起こした事故に巻き込まれて亡くなった中国人女性の追悼に費やしていました。

現場にはたくさんの花が手向けられていました。

その前で手を合わせていのは中国人だけではなく、多くの日本人もその不慮の死を悼み手を合わせていたのです。

中韓への憎しみが飛び交っているなかにあってこころが和みました。



c0243877_11152849.jpg



中国機や中国船が尖閣の領空や領海を侵犯したというニュースで始まることが日常化していた感さえあったのに、これはどういうことなのでしょう。

あくまで対中戦争しかない「安倍政権外し」の動きでしょうか。

どっちに転んでも日本にいいことがあるとは思いません。

ただ、要人だけでなく、日中往来が活発になることは喜ばしいことです。

何ごとも会うことからしか始まらないからです。

(記事の中で、総理の対話呼びかけを拒否し続けてきた中国と書いているのは嘘です。)




      養護学校の子どもがつくったお皿
c0243877_11251934.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-27 11:27 | Comments(3)

変わらずに生き残るためには変わらなければならない。

わたしはいまだに総理の支持率が50%以上あることが信じられません。

ほんとうですか。

総理が自ら政治的師と言う森元総理は、最終支持率は史上最低の一ケタ(9%?)ではなかったでしょうか。

なぜそれほどの驚異的な数字になったかと言えば、マスコミが森さんの一言隻句、一挙手一投足を取り上げて徹底的に叩いたからです。

この時の恨みが骨髄に徹しているだろうことは、今でも森さんのマスコミに向ける目の表情でよく分かります。

だから、真っ先に安倍総理にマスコミ工作を指南したのだろうと推測します。

マスコミさえ懐柔、籠絡すれば、もうこっちの思い通りだと。

ということで、マスコミは口を封じられたということですが、マスコミが正当に叩いていれば、もうとっくに命脈が尽きていた政権だと思うと、ほんとうにマスコミの罪は重い。


歴史を見てもそうですが、政治や世の中を動かしているのは「私怨」であることが余りにも多いのではないでしょうか。



c0243877_10293089.jpg



きょうの新聞に、月刊誌「will」の広告が出たのですが、わたしはある見出しに思わず目を剥きました。

「大宰相の道を歩み始めた安倍総理」という京大教授の中西輝政さんの論文についていた見出しですが、実際にわたしは目を剥きました。

もう何を言う気力もありません。

(百田尚樹も何か言っているようですが無視です。)


また、ヒゲの隊長が「集団的自衛権で自衛官の命を守れ」と意味不明なことを言っておられますが、イラクから帰還した隊員の多くが精神不安定に悩み、その内の28人が自殺したことを隠して何を言っているのかと怒りを覚えます。



c0243877_10304765.jpg



若いときに錚々たる論客だと思っていた人たちが総崩れです。

しかし、あなたたちはなにも変わってはいないのです。

変わったのはわたしです。

「変わらずに生き残るためには変わらなければならない」はわたしのもっとも好きな言葉です。

しかし、残念ながら理解する人は多くありません。

はっきり言っておきますが、わたしは変わったのであって変質したのではありません。


変わったのはものの見方であり、この無常な、有為転変な現世にあって変わらないほうが不自然です。

柔軟な精神でなければ、これから予想される苦難についていけないでしょう。

固定、固執、固陋では生きていけないと思います。

ちなみに、

「変わらずに生き残るためにはー」の主語はいうまでもなく「日本」であり、変わらなければならないのは日本人です。



c0243877_10335479.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-26 10:41 | Comments(0)

企業が政治に介入している現実。

日本のサッカーが終わり、待ちに待った静寂が訪れました。

サッカーに興味がないわけではなく、人並みに勝利を願ってきましたが、実はわたしは勝敗や順位がつくスポーツをライヴでみることができないのです。

結果がでてからでないと安心して見られないのです。

ハラハラ、ドキドキ感がスポーツ観戦の醍醐味なのにと子どもが呆れますが、どうしても見ることができません。



c0243877_11123167.jpg



きのう、総理は成長戦略の第三弾?として「稼ぐ力」という努力目標を出してきましたが、ちょっと意味がわかりません。

ごまかさないようにハッキリ言ってもらわないと分からないのです。


「競争力」というキーワードが価値観を持ち市民権を得るようになったのは竹中、橋下両人の努力の賜物?ですが、この頃思うのが、ほんとうに競争しなければ国は没落していくのだろうかという疑問です。

総理はグローバル経済に勝ち抜くためと言いますが、グローバル経済とは多国籍企業を中心にして動く経済のことではありませんか。

その多国籍企業に勝つということですが、総理の推し進めている政策はすべて多国籍企業を利するものばかりです。

ウソなのです。

実際は、多国籍企業のために、日本人を奴隷にして相競わせて極限まで働かせるのが「稼ぐ力」ということではありませんか。

ほんとうに、人はなんのために働くのかという根本のところが分からなくなりました。



c0243877_11144916.jpg



企業エゴの代弁者である経団連が、日本の政治を主導している感さえあります。

そこで働く人あっての企業です。

そこの製品や商品を買ってくれる人あっての企業です。

人びとに支えられているという原点を忘れ、危険な国家戦略に進んで協力し国民を苦しめている企業は早晩天罰がくだることになるのではないでしょうか。


競争力にそれほどの経済効果があるのなら、過酷な競争社会だといわれる韓国はもっと国力を付けて発展していなければならない道理です。

わたしは競争がむしろ国力を削いでいるのではないかと思っています。

働く喜びを奪い、競争だけを強いる社会が豊かになるとはとても思えません。



c0243877_11163275.jpg



今年の上級公務員試験の合格者は女性が男性を上回ったというニュースがありました。

わたしがあまり喜ばしいことだと思えないのは、いままで遭遇した複数の管理職の女性の対応がトラウマになっているからかもしれません。

その横暴さは犯罪的でさえありました。

後日、上司の男性が訪ねてきて「恥ずかしいことですが、自分も何も言えないのです。あの人もちゃんと試験に受かって今の地位にあるのですから、、」とよくわからない言い訳をしました。

つまり、優秀な女性だと言わんとしたのでしょう。

子どものときから、勉強で競争してきた人はやはり違いますね。

(もちろん、男性だって横柄で威張り散らす人間はゴマンといます。)



c0243877_12315896.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-25 11:32 | Comments(0)

セクハラ発言に見え隠れする軍国主義の亡霊。

セクハラ発言をしたのは自民党都議の鈴木章浩という人物でした。
顔を見ただけで、こういう人間とはお近づきになりたくないというか近づけません。
石原慎太郎の尖閣買い上げに賛同し、直後に有志を募って尖閣上陸を決行したそうですが、類は友を呼ぶというより、あの知事にしてこの都議ありということです。
閉経後の、子どもを産む能力を失った女性は生きる価値がないといった知事の薫陶を受けていたということです。
わたしが単なるセクハラ発言だと受け流すことができないのは、発言のウラに戦時翼賛体制の思想があると思うからです。
石破幹事長がこの発言に激怒したということですが、なにも分かっていません。
総理や自分の日ごろの言動があの発言につながっていることが。
戦前の「ウメヨフヤセヨ」の思想です。
戦争するには数が必要です。


c0243877_1137336.jpg


片方で少子化に手を拱いておきながら、一方でウメヨフヤセヨというのは矛盾も甚だしいのですが、おそらく、なにも考えていないのでしょう。
ご主人の指示に従うのがいっぱいいっぱいで、判断力など持ちようがありません。
もともと判断力がないから指示に従うしかないのでしょうが。
戦前は子どもの産めない女性は肩身が狭いなんてものではなかったでしょう。
男性もからだが弱かったり、病気だったり、身体能力が劣ったりしたものは戦中をどんな思いで過ごしたのだろうと思います。
都議の発言はそういう人たちを白眼視したであろう戦前の空気を彷彿させます。
寛容の精神を失うことがどんなに恐ろしい社会を現出させるかということです。


c0243877_11385188.jpg


靖国、靖国と、国のために犠牲になった人たちに尊崇の念を捧げるなどと言っている人間をわたしは信用しません。
かくれ軍国主義者だと思っています。
総理に尊崇の気持などあろうはずはなく、ただ靖国を利用していることはもうバレバレなのです。
そんな大層なことは言わなくていいから、英霊がどんな思いで戦い、どんな思いで死んでいったかをたまには静かな気持ちで想像してみてほしい。
靖国はそういう場所です。


c0243877_1140567.jpg


石原慎太郎の過去の暴言、失言に通底している思想は差別(選別)主義です。

ナチズムです。
かれによると、この世には生きる価値や資格のない人間がいるらしい。
では、あなた自身の「生きている価値」とはなんですか。
わたしは、どんなに嫌いでも、どんなに軽蔑していても、あなたを生きる価値がないなんてゼッタイに言いませんよ。
それを言ったらオシマイです。
自分を否定することになります。
[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-24 11:49 | Comments(0)

自衛隊をイラクへ行かせてはいけません。

イラクに派遣されていた元自衛隊員が現在の生活や心境を語っている動画をみました。

コンテナに寝ていたときに迫撃砲弾がコンテナを貫通していったということでしたが、その事故によるものかは聞き漏らしましたが顎が変形して以降、流動食しか受け付けなくなったということでした。

その人が言うには、精神的にヤバい状態で苦しんでいる元隊員が何人もいるということでした。

わたしは自衛隊に自殺者が28人もでたことにいまも引っかかっています。

アメリカのイラク、アフガンの帰還兵をもっとも苦しめているのは、身体的障害以上に「人を殺した」(とくに子どもや女性)というトラウマによるPTSDだということです。

自衛隊は迫撃砲の攻撃を受けたとはいえ、実戦で人を殺したわけではありません。

にもかかわらず、多数の自殺者とPTSDに苦しむ隊員を出したのです。

元隊員ははっきり集団的自衛権行使は大反対だと言いました。



c0243877_1252642.jpg



きょうの「正論」は、田久保忠衛さんの「イラクの混乱で目を覚ませ」という記事です。

わたしは、イスラム過激武装勢力「ISIL」のことはいくら読んでも実体がよく理解できません。

イラク第二の都市モスラから50万人の市民が脱出したというニュースを聞いて、えっ、どういうこと?と思ったばかりですが、なんだか急に大きな戦争に発展しそうな雲行きです。


アルカイダの最高指導者のザワヒリでさえ、その残忍性に顔を背けるほどの「ISIL」なのだそうですが、イラクの市民はそれをよく知っていて慌てて脱出したのでしょう。

モスラでは、「ISIL」1500人が3万人のイラク政府軍を破り、政府軍が敗走したあとには手足を切断された遺体が散乱していたということです。

こういうことを書いたあとで、田久保さんは、だから総理は集団的自衛権行使を急いだのだろうと言ってそれに賛成しておられるのです。

総理の足を引っ張っている政党と政治家はこの中東情勢の激変をどのように思っているのか、日本は狭い土俵で相撲をとっているときではない、と言っておられるのです。

つまり、田久保さんはイラクに自衛隊を派遣せよと言っておられるのです。

ほんとに、いま目の前に田久保さんがおられたら、わたしはその顔を引っぱたいています!

イラクへ行って、手足を切断された遺体を見てきてから言え!と。

人間のこころを持たないような武装勢力がいる戦場へ自衛隊を派遣するというのですか。

そんなことがよくも言えるものですね!



c0243877_12554211.jpg



オバマ大統領は300人の軍事顧問の派遣と、限定的な空爆の用意があるといっていますが、今の時点では戦闘部隊の投入は考えていないということです。

田久保さんは、これはイラク自身が戦えというオバマ大統領のメッセージだと言っておきながら、なぜそこに自衛隊をオーバーラップさせるのですか。

集団的自衛権反対を言っているのは国際情勢を知らないからだと言っておられますが、知らないのはどっちですか。

あなたたちの持っている国際情勢の知識はすべてアメリカからのアメリカに都合の良い情報ではありませんか。



養護学校の子どもがつくったお皿です。とても気に入っています。
c0243877_128155.jpg

[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-23 12:12 | Comments(8)

寛容さが失われるほど恐ろしいことはありません。

好きなうた(短歌)を一つあげるとすればと訊かれて即答できる人はそうたくさんいないのではないでしょうか。

膨大なうたの海から一首を掬い上げるのは至難のことですが、わたしには、いま決然として「これです」と言えるうたがあります。

次の昭和天皇の最後の御製といわれるものです。


あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ



朝方、雨が降る山や畑をぼんやり見ていたときにこのうたが浮かびました。

こころに浮かぶたびにいつも深い感動を覚えます。


さきほど検索して、辺見じゅんさんが

ひとりの人間の死に至るうたとしてこれ以上のものはないと絶賛しておられたことを知りました。



c0243877_10553949.jpg



四方の海みなはらからとおもう世になどなみかぜのたちさわぐらん

といううたを思うことが最近多くなりました。

人類の理想とする精神だと思うと同時に、わたしもまだほんの一歩ですがそういう方向に近づいていることを感じるようになりました。

寛容な精神が失われていくことほど怖いことはありません。



c0243877_10561946.jpg



わたしには、どうしてもなぜ中国と戦争しなければならないのかが分からないのです。

こないだまで、とってつけたような「日中友好」で盛り上がっていたのに、急に流れが変わっていきました。

つまり、流れを変えたい人がいたということです。

ポストさんがいつも言われるように、日、中、露の同盟は歴史的にも世界的にも最強です。

それを恐れる人間がいたということではありませんか。


中國の覇権主義を恐れるのなら、逆手でいけばいいのです。

攻撃は最大の防御だと言うではありませんか。

しかし、この場合の攻撃は武力ではありません。(いうまでもなく軍備は大事です)

外交や友好という名の攻勢です。



c0243877_10565484.jpg



勇ましい好戦的な発言をする人間ほど、いざ戦争になれば真っ先に逃げる人間だと佐藤優さんが言っておられます。


(佐藤)怖いですよ。今の戦争は本当に悲惨ですから。

実際に砲弾が飛んでいる現場にいたり、人肉が焼ける匂いを嗅いでいたりするからわかるが、そういう経験が無くても、想像力があったら、いま戦争が起きたらどうなるかわかると思うのですけれどもね。



ほんとうに想像力のない人間ばかり。

そういう人間だから勇ましいことが言えるのですね。


集団的自衛権行使に、反対とか賛成とか言う前に、なぜ今、憲法の解釈変更してまで容認を急ぐのかがイチバンの問題ではありませんか。

みんな悠長過ぎませんか。

行使容認と行使の間に懸隔はありません。

都合よく?イラクで戦争が始まりそうです、、
[PR]
by michi-no-yuri | 2014-06-22 11:07 | Comments(0)