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谷間の百合

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怒りは人間を浄める

怒は人間を浄(きよ)める。

怒は人類の向きを匡(ただ)す。



二階から
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ウィキによると
怒りは人間のもっともネガティブな感情であって、キリスト教では七つの大罪の一つとされ、仏教では地獄界の精神状態だとされているそうです。

宗教が怒りを否定していることは当然でしょうが、わたしはそれだけは一度も首肯したことはありませんでした。

イエスも怒りの人でしたし、すべての宗教家の動機にも怒りが介在していたのではないかと思うからです。

怒りと優しさ

怒りとかなしみ

は一体のものであって切り離すことはできないものだと思うからです。


哲学者の三木清は怒りが憎しみと混同されているとし、憎しみが極めて個人的な負の感情であるのに対し、怒りは突発的なもので、それだけに純粋なより深いものであると言っています。

当たり前と言えばあまりにも当たり前のことを言っているに過ぎません。

私利私欲からの怒り、妬みや恨みからの怒りなど、わたしは一度だって肯定したことはありません。

もちろん、わたしにもそういう怒りがあったでしょうが、まったく覚えていなくてあとかたもありません。


近くの風景
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しかし、日本がこんな国になったのは、日本人が「怒り」を失ったからではりませんか。

どんな屈辱よりも、いまさえ楽しければいいとしてきたからではありませんか。

怒りがなくてどうして世の中が変わるでしょう。


冒頭の言葉は高村光太郎の詩の一節です。

かれは「怒り」を持ち続けた人です。

なにに対しての怒りだったのでしょうか。


「怒は人類の向きを匡す」
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by michi-no-yuri | 2013-12-31 10:51 | Comments(2)

冬の日の 釣瓶落とし

小学校三年から英語が必修になりましたが、次は歴史教育の見直しに着手するということです。

いままでほとんど顧みられなかった日本の歴史に光を当てるそうです。

愛国教育の復活です。

なんのためかは言うまでもありませせん。


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政府は辺野古移設に伴う住民の反対闘争、妨害を排除するため、侵入を禁止する「刑事特別法」を適用する方針を固めたということをきょうの新聞が伝えています。

さらに、「反対派の活動に威力業務妨害罪」は適用しにくい」(防衛省幹部)との指摘にも、刑事特別法でカバーできるとしています。

海上には海保の巡視艇を常時配備し、陸上では、道路交通法を適用して積極的に摘発する方針とのことです。

石破幹事長のデモはテロが現実になります。


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by michi-no-yuri | 2013-12-29 11:20 | Comments(0)

総理が靖国神社で誓ったこと  談話全文

仲井真知事は総理の「本気度」を感じたと何度も言っておられましたが、総理を本気にさせているものが何かにまでは考えが及ばなかったようです。

知事のこの発言から忖度できるのは、もともと自分は承認するつもりでいたが、いままでの総理からは本気度が感じられず、自分が突出したかたちで承認することには躊躇いがあったということではないでしょうか。

いままでの総理はなぜ本気になれなかったのでしょうか。

つまり、迷いがあったということですが、一概に責任放棄とばかりはいえない何か重いものがあったのだと思います。

わたしが怖いと思った総理の「本気度」は、知事にはこの上なく頼もしく映ったということのようです。


アメリカは総理の靖国参拝を近隣諸国を刺激するものだと遺憾の意を表明しましたが、では、辺野古移設はどうなのでしょうか。



以下の転載文は総理の靖国参拝後の談話です。

安倍首相が靖国神社で、英霊や戦没者に誓ったこと。




靖国神社参拝・安倍晋三内閣総理大臣談話

    平成25年(2013年)12月26日


本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。

また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。

御英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさを噛みしめました。

今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。

愛する妻や子供たちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。

その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。

今日は、そのことを改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。

日本は、二度と戦争を起こしてはならない。

私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。

戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。

同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。

アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。

日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道を邁進してきました。

今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。

世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。

靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。

靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に、政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。

中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。

靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。

国民の皆さんの御理解を賜りますよう、お願い申し上げます。



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by michi-no-yuri | 2013-12-28 12:08 | Comments(3)

総理の靖国参拝から見えるもの

次々と国民に厳しい施策を打ち出してその有言実行ぶりを誇っている総理が、一つだけできないのが靖国参拝だと思っていたちょうどそのときに、総理参拝の一報に接しました。

アメリカは「失望した」と不快感を示しましたが、このアメリカの反応は誤算だったいう論評が正しいのなら、総理初めブレーンやスタッフにアメリカの真意を読める人物がいなかったということになります。

それとも、後で説明すればいいと簡単に考えていたのでしょうか。

それとも、反対を承知で押し切ったということでしょうか。

世界の反応を見ると、従来の靖国参拝に反対しているのは中、韓だけという主張は通用しなくなりました。

台湾でさえ懸念を表明しています。


総理の参拝があまりにも露骨な政治利用だということが世界に見透かされているということです。


日本はまた孤立の道をいくのでしょうか。

もしかしたら、日本は陥穽に嵌ったのでしょうか。


きょう、仲井真知事は辺野古埋め立て承認の会見を行います。

アメリカはほんとうに辺野古を必要としているのでしょうか?

政府はアメリカの真意を読み違えていないでしょうね。


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by michi-no-yuri | 2013-12-27 11:21 | Comments(5)

「陥落」

仲井真知事は明日、辺野古埋め立てを承認する発表を行うことになりました。

「陥落」という言葉が胸騒ぎと共に頭を過りました。

仲井真知事との会談の席で、総理は開口一番

「日米交渉(日米地位協定)を開始することで合意した」と言い

知事はそれを受けて「ほう」と感嘆とも取れる声を発したと。

あくまで交渉の開始であって、中味がどうなるかはアメリカ次第かもしれないのに。


しかし、知事は「驚くべき立派な内容を提示していただいた。心から感謝しお礼を申し上げる」と言い「いい正月がむかえられる」とほっとした表情だったと新聞は伝えています。

また、「五年以内の普天間停止は担保されたのか」との質問には

「首相が言ったことそのものが担保だ」と答えていますが、

一瞬、知事はいままで政治の何を見ていたのかと思ったところで、そうなんだ、知事自身が政治家だったんだなという感慨を覚えました。

首相周辺も「安倍政権は約束できないことは言わない」と、空手形は切らず実効性を担保できる回答を示す方針を貫いたということです。


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フィギュアの演技に見とれている間に、

田中将大さんのメジャー行がどうなるかとマスコミが大きく取り上げている間に

あれよあれよと思う間もなく、日本という国が坂を転がっていっています。

もう、止まることはありません。

巷では、何十万の腕時計が飛ぶように売れ、400万から500万の車がよく出ていくそうです。

どこの話かと思います。

もう、貧乏人はいないことにされるのかもしれません。

いま、ニュースが総理の靖国参拝を伝えました。

いよいよですね。


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by michi-no-yuri | 2013-12-26 12:03 | Comments(0)

天皇を利用してきた人間群像

いわれのない誹謗中傷を執拗に繰り返しても恬として恥じることがない人間が天皇陛下の大御心を言うことの理不尽。

人の家庭の事情にまで踏み込み家族まで侮辱しても恬として恥じない人間が人情や任侠を語ることの理不尽。


戦前は天皇の名を出して人を威圧し、自由を封殺してきた人間がたくさんいたそうです。

天皇を敬う気持ちもないのに、自分の立場を守り、それを人に分からせようと威張り散らしていた人間がたくさんいたそうです。

天皇を利用して自分の優位を図ってきた人間が、、、


わたしはもう、できるだけ天皇のことは言わないでおこうと思いました。

秘めごとにしようと思いました。


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飯山さん、サムライさんに対するわたしの記事にからめて

わたしたちは陪審員じゃあないのですよとの忠告のコメントがありました。

わたしの行為が陪審員のように見えたのでしょうか。

わたしからすれば、興味がないとか当事者同士の問題だと思う人の方がよほど陪審員的に見えます。

わたしは陪審という外野席から見ていたわけではないのです。

人間性への、これ以上はないと思われる侮辱に対して、ひとりの人間としてこころがボロボロに傷ついたということです。

客観性とか中立性とかいう以前の問題です。


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by michi-no-yuri | 2013-12-25 11:55 | Comments(0)

天皇陛下の「孤独」

きのうは用があって外出していました。

出かける前に、天皇陛下のご会見全文に目を通しました。

「戦争」と「孤独」というお言葉にこころが波立ちました。



さきの戦争のことを忘れずにいる人も少なくなりました。

陛下がそれをいわれるのは、戦前と同じ空気になっていることに国民の注意を向けさせようというお気持ちからではないでしょうか。


「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるもの、、」とのお言葉をわたしは慟哭の思いでききました。

もし、政治が国と国民のために行われているとしたら

もし、お傍近くに打ちとけて心情を吐露できる人間がいたとしたら

このお言葉はなかったのではないでしょうか。

国はそれとは真逆のことを行い、

お傍にいるのは不忠の臣や奸臣ばかりではないのですか。


たとえ貧しくても、日本が自立した国で国民のための政治が行われていたら、陛下の口から「孤独」という言葉はでなかったのではないかと思えてなりません。

それは当然、国民の問題でもあります。


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by michi-no-yuri | 2013-12-24 11:03 | Comments(0)

二十二日 その二 マドモアゼル愛様のブログより


「冬至から立春は人間に与えられた時間」

22日の午前8時ちょっと過ぎに冬至。冬至から立春の2月4日までは、万物が滞り眠りにつくものの、無の中で意識がうごめく重要な時期です。

この時期に計画を描くことが大事で、意識のうごめきが物事の多くを決めると言ってもいいわけで、意識的な計画があるのとないのとでは、先々が違ってきます。

一年の計は元旦に、、、ということわざは、元旦も含むこの時期のためにあるようなもの。

自分が決めたことが自分の運命を作っていくと考えればいいと思います。きょうは楽しむ、、、と決めた人は、やはりきょうという日を楽しみます。

これと同じで、ちょっとしたことですぐにイライラしだす時は、きょうはつまらない日と、決めているのと同じになります。

外部から訪れるものが人に本当の不幸をもたらすことはそう多くはありません。外部から訪れる不運は誰にでもわりと公平に来ることがある。

来た災害や災難に、どういう名前を付けるかで、私たちは自分の運命を決めているのです。同じ災難を味わっても、一人は運命を呪い、立ち直れなくなる。一人は来たものは仕方ないと受け入れそれに対応している。

対応しているうちに何だか災難なのだか楽しいのかわからない地点にまで行ってしまう人がいる。傍からみていると大変でも、意外に本人は楽しんでいる。

災難も不運も自分がそれを災難とか不運とか不幸と決めつけなければ、実はそうはならない。中には、本当に誰が見ても不運としか思えないこともある。しかしそれだって最後にはどうなるかはわからない。

訪れた幸運にしろ不運にしろ、こちらが勝手に幸運とか言って有頂天になったり、不運とか言って自分だけがさも不幸であるかのように振る舞う必要などない。

やってきたものが本当は何だったかなんて、誰にもわからないのだから。ただ、本人がそれに名をつけてしまうと運命は固定化し始める。

俺は不運だ、、と決めつければ、結果はそうなるしかなくなる。永遠の魂を持つ人間なのだ、、、勝手に運がいいとか悪いとか決める必要もないのだ。

訪れるものを過大視するとどうしても有頂天になり、また失意を増大させる。訪れるものは、何かに任せて、自身は計画を練り、意識を何に向けるかに専念したほうが得。

きょうから始まる立春までの時間はそれがぴったりとあっている。真冬にあたる動きが少なくなる仮死状態のような自然界。しかしそこで命が消えたわけではない。動きが消えた分、情報は拡大し、意識は研ぎ澄まされ、計画を思い、練るには最適な時となる。

すべてはそこからしかはじまらない。まわりに何もないから、自由に無の世界で意識を働かせることができる。

自然界が動きを止めた特典を人だけは大きく享受することができるわけだ。

こうした天が与えてくれた時期を人は無駄にしては損。自然界が動きを止めるのは、人間に遠慮してのものかもしれない。まさに人間に与えられた時間が冬至から立春の時間。

人のみが動ける、、、それは自由な意識の働きであり、自由な想念の働きであり、、、あなただけではない、自然界が人間にそれを託し、応援してくれる。

鎮まりかえる雪に埋もれたブナの森は、人に何かをゆだねているように感じられる。勢いのある初夏の森は人など関係なしに木々も葉も伸びていくが、鎮まりかえる冬の森は、とっても人にあたたかい。

こんな素敵な時に、人が金勘定で、戦争の算段で、英知を振り絞るほど落ちぶれてはしまったが、個々の自由な意識の可能性はまだまだ残されている。

何を得たか、、、も大事だが、それはすでに過去の結果であり、さらに重要なのは、今、何を思うか、、今何を考えるか、、今、何を計画するか、、、、

天がそれにエネルギーを注ぐ時期が冬至から始まる。

天と意識が沿う喜び


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by michi-no-yuri | 2013-12-22 11:04 | Comments(0)

無題

きょうの飯山さんの「てげてげ」に書かれていること

これが秘密保護法の実体なのかもしれません。

もう反原発も反戦も言えなくなるのでしょう。

そして、こういう情報が拡散することがショックドクトリン効果というのだと思います。


先日、ちらっと見ただけですが、亀井静香さんや村上正邦さんなどが総理に直談判に行かれたようでした。

わたしは、単なる意見具申ではなく、総理が翻意し言質を引き出すまで一歩も退かないくらいの覚悟で行ってほしかったと思いましたが、

総理の方に真剣に話を聞こうという姿勢がなければ、どうしようもないのですね。

虚しく退出してこられたということなのかなと想像しました。

気がついたら、真剣に話し合うという土俵も土壌も日本にはすでになくなっていました。


元警察官僚だった亀井静香さんは国家権力の恐ろしさを知悉しておられます。

死刑反対の動機もそこにあるように思います。

そういう人だから、最後の良心だと思って縋るのですが。。。


その女性は解放されたのでしょうか。


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by michi-no-yuri | 2013-12-22 10:46 | Comments(0)

絶対に当事者間の問題ではありません。

コメントをくださった人がどうのこうのとは思いませんが、当事者同士の問題だという考えがわたしには理解ができないのです。

当事者同士間でメールなりで交わされたことではなく、何万人もの人がブログで読んだことです。

返事にも書きましたが、飯山さんサムライさんのことは好ましい人間だと思わないというだけで、不思議なほどに個人的な感情は湧かないのです。

しかし、わたしは個人的な問題だとは絶対に思いません。

お二方とも、広く多くの人に知らしめたくてブログに書かれたことではありませんか。

耳を塞ぎたくなるような悪口雑言がこれでもかこれでもかと執拗に繰り返されたではありませんか。

わたしはこれほどの人権侵害は植草さんの冤罪事件に次ぐものだと思っています。

いじめ問題の本質がここにあります。

みんなが傍観者になることです。

単なる傍観者ではなく、面白がって観戦していた人もたくさんいます。

わたしはいままで、自分の目にふれる範囲で植草さんへの中傷に対しては反射的に反論してきました。

個人的な感情ではありません。

コメントにも書きましたが、女のわたしにそこまで言わせないでほしいと思ったのが「義憤」ということです。

義憤を感じた人はいなかったのですか。

わたしは、いまでもそのときの植草さんを思うと屈辱の涙がこみ上げてきますけど、、、いまだに口汚く罵る人がいます。

そういう人間が正義を口にするのです。

嫉妬心を正義だと言うのです。

問題にすることは外に山ほどあるのに、かれらの正義は予沢さんや商法という一点にしか向かわないようです。

しかも、自分で検証もせず、飯山さんの尻馬に乗ってここぞとばかりに正義の名を借りた嫉妬心を発散させているのです。


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わたしは何をいわれても平気です。

なぜなら、邪心も悪意もないからです。

邪心がないということは最強です。

たとえひとりであっても、これほど強い味方はありません。


わたしは、ますます男になる?

外では雪が狂ったように降ってますが、わたしは寒さを感じませんw

こころの寒い人はさぞこたえるでしょうね。


知人から
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by michi-no-yuri | 2013-12-20 10:58 | Comments(17)