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谷間の百合

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煽動するもの。

「立ち上がろう人類!感動のビデオ」という動画をわたしはきのうになって視聴したのですが、大変驚きました。

ナレーションの声が聞くに堪えないほど粗野で下品で、あきらかにアジテーションなのです。

違和感、不快感(恐怖心も)のまま就寝したのですが、4時に目が覚めて先ず頭に浮かんだのがフランス革命やロシア革命のことでした。

われわれが貧しいのは王さまのせいだと扇動するもの(フリーメーソン?)がいたのです。

それでルイ王朝とロマノフ王朝はあのようなむごたらしい最後を遂げました。


この動画は日本向けに作られたものではありませんか。

日本人が自分たちが貧しいのは皇室のせいだと思うとでも?

そう思う人間も何人かはいるでしょうが、ほとんどの日本人は歯牙にもかけないでしょう。


なんと「あなたの富を吸い上げる王侯貴族と呼ばれる犯罪者達」として両陛下の写真がトップでした!!

フランスの民衆は扇動者に先導されてヴェルサイユ宮殿に押しかけましたが、日本人がそれと同じことをする、できるとでも思いますか。



わたしは急遽母に代わって皇居への奉仕に参加したことがあります。

そこで感じたのは「何もない」という驚きでした。

テレビを通して分かることですが、華美なもの、贅沢なものはもちろん調度品さえありません。

いつも記者会見などで目にするのは盆栽と壁の日本画だけです。

わたしが赤坂御所の玄関先から感じたのも、畏れながら、貧しい家で感じたことのある匂いと同じでした。

わたしたちの富を吸い取っているというのなら、その富はどこに使われているのですか。


母は「皇室はわれわれ以上に質素な生活をしておられる」というのが口癖でした。

たしかにそうだとわたしは実感しました。


煽動するのは止めなさい。

あなた(だれ?)の邪な意図に煽動されるような日本人はいませんから。


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by michi-no-yuri | 2013-10-31 07:31 | Comments(2)

平然と嘘のつける人

わたしは、兄とのこともあって極端に人から影響を受けることが嫌いです。(負けず嫌いという面が大きいのですが)

しかし、いまわたしが何かを書いているのは、すべて誰かからの影響で、知らず知らずのうちに身についた影響は良しとしなければ何一つものが言えなくなります。


酔生夢人様が「読書というものは本来、人間にとって危険なものである」と書いておられてなるほどと思いました。

「本に読まれている人」が結構たくさんいるようです。

そういえばそんな人が実に多いことに気がつきます。


本を読まないことの言い訳ではありませんが、わたしはそれよりも大事なのが「観察」とくに「人間観察」ではないかと思っています。

小説家は人の心理を書くことが仕事ですが、いったん小説を離れて政治を語ったりするととたんに頭が「お花畑」になる人がいます。

政治は特別なものになってしまうのでしょうか。

政治を動かしているのが人間だという視点が欠落してしまうようです。

人間観察といえば、あら探しをすることではありません。

ちょっと口はばったいのですが、基本は「愛」です。


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人は間違いをおかすものです。例外なく。

同様に、人はウソをつくものです。

しかし、両者には決定的な違いがあります。

間違いをおかそうとして間違いをおかす人はいませんが、嘘はそうではありません。

嘘をつくのは(病気でなければ)あきらかに人為です。

よく嘘も百辺つけば真実になるといわれますが、それは洗脳する側の論理であって、嘘はどこまでいっても嘘です。


わたしもいっぱい嘘をついてきましたが、ほとんどがつまらない自己保身から出た嘘です。

だから、社会的弱者が弱者ゆえに嘘をつかざるを得ない背景は良く分かります。

最近は社会的強者の嘘があまりにも酷いとはいえ、どちらも自己保身からでていることは同じです。


もっとも罪深いのは人を貶めたり、陥れるための嘘ではないでしょうか。

福沢諭吉は嘘をつくのは卑劣なこととは言わずに悲しいことだと言いました。

わたしもそう思います。
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by michi-no-yuri | 2013-10-30 15:37 | Comments(0)

天皇は日本という揺れる国の動かぬ重心である (酔生夢人のブログ)

天皇の戦争責任を主張する人は、では天皇がどうされれば責任をとったことになると思うのでしょうか。

わたしには、その主張のウラに「天皇制廃止」の下心が見え隠れしてならないのですが、どうなのでしょうか。

天皇を口汚く罵ったり、貶めるような言論ともいえない言葉がネット上を飛び交っていますが、わたしももう慣れっこになりました。

なんとでも言えばいいよ!

ときの政権が天皇をないがしろにし、そのときの国民の大半が天皇制の廃止を求め、仮にそれで天皇制が消滅しても天皇の存在が無くなることはゼッタイありません。

天皇が歴史に負っている使命はそんなものでどうかなるようなものではありません。

多くの天皇がそうであったように、どこかで、細々とでも天皇はその地位を保持し存続していくのです。

政権や国民の意思、あるいはそのときの天皇個人の意思でどうにかなるものではないのです。

つまり、酔生夢人様が言われる「動かぬ重心」としての使命は、わたしたちの想像を許さないほど重いものだということです。

どんなに、悪態をつこうが憎もうが、それらの感情は歴史的存在である天皇を通じて日本の神々に受容されていくのです。


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両陛下がご老体に鞭打つように方々にお出かけになるのは、自身は一部の人間が思うようなヒエラルキーの頂点に存するものではなく、常にこころは国民の側にあるということを体現しておられるのだとわたしは思っています。

叙勲やいろいろな賞を授与される人間が、決して国民のなかから選ばれた真に国民を代表する人間ではないことをよく知っておられるということだと思います。

だから、いつも「民のかまど」を思いやって方々へ足を運ばれるのではないでしょうか。


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以下に、「酔生夢人のブログ」を転載しますが、長いので終わりの方は割愛します。続きは本ブログで読んでください。


「日本の独立をめざして」から転載。(元のブログタイトルは長いので略した)

書かれた内容のすべてに賛同してはいないが、日本の天皇制は、世界でも稀な、「奇跡のようなシステム」である、ということには賛成だ。

要するに、これも下記記事に書かれているように、(私も同じことをずっと言っているが)「権力」を「権威」が制御するというシステムである。

これはローマ法王庁ですらやっていないどころか、バチカンは常に現世的権力の支配構造の一部でしかなかった。

もちろん、天皇制の歴史を見れば、天皇が実権力の中心であった時代も幾つかあり、それはすべて失敗に終わったと言っていい。

そして、天皇が実権力を他者に譲り、ただ権威的存在になった時に、日本は平安が保たれたのである。

つまり、現在の日本国憲法における「象徴天皇制」こそが、まさに日本の政治史的伝統と最高に一致したシステムなのである。

(占領軍における日本支配の打算の結果が偶然に日本の歴史的事実に合致したという可能性もあるが)

もちろん、このシステムでは「権威」は現実政治には基本的には口出しはしない。

天皇が政治に「ああしろこうしろ」と言ったことはほとんど無いのである。

ただ、棋士上がりの右翼的な男が園遊会で「日本中に日の丸を上げ、君が代を歌わすのが私の夢です」とか何とか言った時に「強制でないのが望ましいですね」と穏やかにたしなめたくらいだろう。

この一言の日本社会への「抑止力」は強大なものがあったと私は思っている。

つまり、天皇とは日本社会の中心にある、静かなる権威、動かぬ重心なのである。

日本があまりに右傾化、左傾化した時や、日本が危機に陥った時に、その権威が発動されれば日本人はおそらくそれに従うだろう。

日本の敗戦時に天皇の言葉一つで日本国民は手に持った武器を捨てて、敗戦を静かに受け入れた。

(天皇の戦争責任の話はまた別問題であり、ここでは天皇という存在の力と権威を問題にしている)それには、占領軍そのものが驚いたという。

敗戦後もゲリラ的な戦闘が長く続くことを彼らは覚悟していたのである。

ところが、天皇の一言で、戦闘行為がぴたりと収束した。このような国民を西洋は初めて見たはずだ。blockquote>

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by michi-no-yuri | 2013-10-29 11:03 | Comments(10)

アメリカの世界覇権が終わりました。

ポーランド出自で、アメリカ政界の影の実力者であり、その著書のなかで日本をアメリカの保護国と言った大統領補佐官のブレジンスキーが「アメリカの覇権は終わった」と、敗北宣言ともとれる発言をしました。

これで、アメリカの没落は決定でしょう。

スノーデン発の暴露も、覇権の終わりへと向かっていた潮流がなければそれほどの起爆力を発揮しなかったのではないでしょうか。

さらに、その暴露に「力と信」を付与したのがプーチンの存在です。


エシュロンのことは随分前から一部では周知されていましたし、国家の盗聴も当たり前のように思っていた人にとっては今更感があるのでしょうが、どんな秘密もうわさの域に留まっている限りいわゆる公然の秘密であり続けます。

盗聴がアメリカにとって致命的になったのは、ひとえに「驕る平家は久しからず」という盛者必衰の理が現前したからです。以前のアメリカだったらいくらでも力で押さえつけられたことでしょう。


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翻ってわが日本を見ると、安倍総理だって、この流れが見えていないはずはないのでしょうが、何を思い、何をしようとしているのかがさっぱりわかりません。

あの顔から何かを読み取ろうとするのは限りなく虚しい営為です。

動物の顔から何かを読もうとする以上の難事です。


ところで、わたしが熱く熱く期待するのは、半島勢力(在日)と、主に自民党との癒着の全容が白日の下に曝されることです。

この闇が払拭されないかぎり日本に明るい未来はありません。

おそらく、そうなっていくでしょう。

それに、小泉元総理の恥ずべき過去も芋ずる式に明るみに引き出されるのではないでしょうか。

生意気進次郎なんか吹っ飛んでしまえ!


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by michi-no-yuri | 2013-10-28 11:59 | Comments(1)

ふつうの感覚を大切にしたい

あまたあるブログのブロガーで、わたしほど本を読まない人間もいないだろうと思います。

知識もなく学もなく勉強意欲もないわたしがよくブログを書けるものだと思いますが、でも書いているのです。

気持ちだけなのです。

逆に言えば気持ちさえあればだれだって書けるということです。

わたしの書きたいことというか書く目的はただ一つ、日本が「正気」を失わないでほしいということだけです。

そのために、自分が「正気」かどうかを日々疑うことがわたしの唯一の知的営為かもしれません。


「独りファシズム」のYUKINOさんが、コメントに「YUKINOさんほどの人でも、、」と書いていた人に対して「自分はふつうのオッサンです」とか書いておられたのをみて笑ってしまったのですが、つまり、これがわたしの言いたいことなのです。

もちろん、YUKINOさんがふつうのオッサンなわけはありません。

ふつうのオッサンにあのような文章はゼッタイ書けません。

しかし、ふつうのオッサンなのです。

こういう視点をぜひ持ってほしいのです。


人を簡単に聖人君子にしたり神さまにしたり、権威に祭り上げないでほしいということです。

それはつまりその人を「ハダカの王様」にすることでもあるのです。


わたしは「ふつう」の感覚を大切にしたいだけなのです。

狂信したり利用したりするのではなく、素朴でまじり気のないこころで皇室を敬う人間でありたい。

いままで多くの日本人がそうであったように。

わたしもそういう日本人のひとりでありたいと思います。



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by michi-no-yuri | 2013-10-27 10:50 | Comments(0)

秘密保護法は自衛隊を米軍に供するための措置

自分の携帯までアメリカは盗聴していたとメルケル首相は怒りを露わにし、オランド大統領も怒っています。

アメリカが落ち目になったから公に怒りを表明したのかどうかは分かりませんが、

なんと、日本の安倍総理は例外的に盗聴されていなかったそうです!?

菅官房長官がそう言いました。

つまり、盗聴する必要がなかったということでしょうか。

何一つアメリカの意向に逆らえない日本なんか盗聴の対象にもしてもらえないということでしょうか。


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日本はアメリカから情報をもらってそれでよしとしているのです。

独自に情報を収集することが許されないというよりも、日本自身がアメリカからもらう情報で満足しているのでしょう。

独自の情報収集をしようと思えばできないことはないのに、あえてそうしようと思う根性のある人間は政府にも外務省にもいないのです。

情報を制するものは世界を制するといわれていますが、制するも何もどうやら日本には「諜報」というものが存在していないようなのです。

アメリカにとって都合のいい情報ばかりをもらって喜んでいるような情けない国なのです。日本は。


湾岸戦争前、アメリカはイラクに侵攻するだろうと言われたのは小沢さんだけだったとは小沢さんご本人が言っておられたことです。

そして、それに同調や首肯するものはひとりもいなかったと。

この話を聞いて、わたしは日本には諜報のプロがいないんだと心底不安になりましたが

そのときの不安はすでに現実になっていて、大方日本は日本ではなくなってしまいました。


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孫崎さんが
「秘密保護法が必要と叫んでいる首相、喜劇の極みだ。

米国にどれくらいスパイされ工作されてきたか、スパイ防止法を真に考えるならまず対米でしょう」


とツイートしておられますが、最大の仮想敵国であるアメリカのための法律をつくろうというのですからまさに喜劇というしかありません。


戦後レジームからの脱却がアメリカに日本を差し出すことことだったとは!

孫崎さんによれば、保護法は自衛隊を米軍に供するための措置なのだそうです。

あゝ、自衛隊のことはもう聞きたくない。。



           
           情けないですぅ~
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           「唖蝉坊の日記」から。

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by michi-no-yuri | 2013-10-26 23:35 | Comments(2)

人と人を競争させようとする者

大阪の阪急、阪神ホテルズの食材偽装が大問題になっていますが、
偽装国家の偽装国民が偽装食材の料理を食べてどこがそれほど問題になるのか分かりません。

お客はおいしく戴いてだれも偽装に気がつかなかったのだし、体に悪いものを供したわけでもありません。

しかるにホテル側は利用客に返金を初めているそうで返金総額は一億を超えるらしい。


国民の目を何かから逸らす意図があったのかどうかは分かりませんが、そんな姑息なことをしなくても、国が国民の命などなんとも思っていないことははやほとんどの国民が分かっています。

国はホテル側の対応を見て、あれは商売だから当たり前だとでも思ったのでしょう。

自分たちが国民の健康、命を預かっているという感覚はゼロなのです。

マスコミが久しぶりに国からおおっぴらに仕事をもらって、ここぞとばかりに張り切って追及していましたが哀れの一語に尽きます。


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産業競争力会議が開かれて、減反政策の見直しの議論が始まったということです。

TPPをにらみ、農業の競争力強化につなげるのが狙いだそうです。

わたしにはどうしても分からないことがあります。

なぜ、日本の米農家が外国の米と競争しなければいけないのですか。

競争させなければ、米農家がいいお米を作らないとでもいうのですか。

もちろん、ご主人さまからの指示なのですが、わたしは人と人を競争させようとする人間のこころが疎ましい。

それは人と人を対立させ相争わせることだからです。

さらに、それがマインドコントロールとも思わずに鼻先の人参を追っかけるようにひたすら走ってきた人間を哀れに思います。

企業戦士といわれた集団が日本の経済を牽引してきたのは事実ですが、もう、これからはそういう時代ではありません。

しかし、かれら競争、競争で生きてきた人間は別の生き方を知らないのです。

今更別の生き方はできないのです。


食糧だけは自国で賄えるようになってほしいというのは国民すべての願いでしょう。

食糧を外国に頼って何が軍事力か、何が防衛かと思います。

だから、もともと国を防衛しようという考えがないということです。


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「明るく憂える者」さんのブログ美しいですね。

あまりにも美しいので、中味を読むことも忘れてみとれてしまいます。

字体も字の大きさも間隔も申し分ありません。

なによりも読みやすいことがスバラシイ。

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by michi-no-yuri | 2013-10-25 14:48 | Comments(4)

地位を得た者たちはほとんど人間でなくなる

竹原信一さんのツイッターから。

「地位を得た者たちはほとんど人間ではなくなる。

いったいこれはどうした事だろう。

人間の脳に何かが仕組まれているとしか考えられない。

私達は自分の頭と感情を疑わなければいけない。

地位に共振してしまう家畜スイッチがあるのだ。」


「目の前の事実よりも、自分がどう見られているのかが気になって仕方が無い。

それが人間の習性。

だから大衆は権威に従うだけの家畜集団だ。」



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長兄は蔵書の収納のために一軒家を借り、さらに庭にプレハブを建ててもおっつかないくらいの勢いで本を増やしています。

だから、もの知りなのでしょう。

小さい、小さい、小さい世界で先生と呼ばれ、どうやら尊敬もされているようですが、自分がいかにちっぽけな世界にいるのかを分かっていません。

こういう人間が日本中にゴマンといて、体制の下支えをしているのです。

ゴミのような微小なこういう権威者が大きな権威である国家権力を支えているのです。


わたしが10代のころ、兄は高名な評論家や文学者の名を挙げては、あいつはバカだとかこいつはダメだとかよく言っていて、わたしもそれをそのまま信じていました。

しかし、20代のある時期のある日に気がついたのです。

兄の言っていたことはみんなだれかの受け売りだったのではないかということに。

そこで、わたしは兄からの影響を完全にリセットしようと思いました。

それはひとり兄に対してだけではなく、世間で名を知られた人にも懐疑的になりました。

「権威」の裏側ばかりに目がいくようになりました。


たくさんの本を読んで、たくさんのことを知っている兄よりも、ほとんど本を読まないわたしの方がものごとの本質を知っていると自負しています。

わたしは、世間で人格者だと思われている人が、竹原さんが言われるように、自分が他人からどう見られているかをいかに気にしているかを知っています。

豪放磊落だと思われている人が、実際は陰険で嫉妬深いという例もたくさん見てきたように思います。


人を簡単に権威者にしてはいけないのです。

「地位(権威)を得た者たちはほとんど人間でなくなる」と竹原さんが言われる通りなのです。

人々は権威者に群がり、ご宣託やご利益をたまわろうとします。

これが諸悪の因です。


こんど兄に会ったら、何のために本をよんでいるのか問うてみたいと思っています。



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by michi-no-yuri | 2013-10-24 15:59 | Comments(0)

日本人の美意識

きょうも「酔生夢人のブログ」から。

元ネタは井口和基さんのブログからのもので
「論理的言語(民族)と情緒的言語(民族)」ということで、岡潔の宇宙の本質は情緒であるというところから民族性の違いを検証しているものです。


わたしは岡潔の本ばかり読んでいた時期があり、その要旨というかエッセンスは自身の血肉になっていると思っています。

以前にも書いたことですが、岡潔が生まれた町でわたしは育っています。

その町はとても狭いエリアで、もしかしたら、わが家は岡潔が生まれた場所の上に建っていたのではないかと思うくらいです。

また、小説の読めないわたしが唯一読んだのが稲垣足穂ですが、足穂もわたしの生まれたところからごくごく近いところで生まれています。

それ以外には、「雪国」だけ読んだ川端康成の出生地も一丁と離れていません。。


わたしはホロスコープで見てもらったことがあるのですが、ホロスコープは生まれた場所と時間で観ます。

生まれた場所と時間が重要な意味を持っているということです。

わたしが岡潔を読んだのも、小説が読めないのに足穂に夢中になったのもそういうところから謎が解けそうに思ったりします。

(岡潔の出生地を知ったのは最近のことです)


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外国人に日本人の情緒はなかなか理解できないということですが、

善悪の問題ではなく、日本人ならそういうことはしないだろう、ゼッタイできないだろうということは厳然としてあります。

それだけ日本人が特殊だということでもありますが、だから、日本人でない人の言動は一目瞭然なのです。


また、日本人の美意識は、たとえば満開のさくらよりもつぼみや散ったあとの状態にこころを惹かれるということのようですが、

それはあくまで日本文化の神髄を言ったもので、実際はそうでもないことが多く目につきます。

下の写真は自分でもよく分からないのですが、なんか気になって撮りました。

まさに、柿の葉はあらかた散って、実が五個ほど枝に残っているだけです。

わたし的には前景の倉庫もなくてはならないものですが、なぜなのかは分かりません。

(ちょっとUPをためらった写真ですが自分では気に入っています)


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by michi-no-yuri | 2013-10-23 11:24 | Comments(2)

二十二日 その二  明治の意気

皇后陛下がこの二十日に七十九歳の誕生日を迎えられたのですが、例年なら、皇后さまのお言葉を待ちかねるようにして拝読していたのに今年はうっかり忘れていました。

それを「徽宗皇帝のブログ」で知りました。

憲法について述べられた箇所の抜粋です。


≪ 5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。

主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。

明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。

当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数カ所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明(れいめい)期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。

長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。≫



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わたしはここを読んで胸の奥から沸々と湧き出るものを感じました。

それをどう形容すればいいのか。。

たとえば、先日近所にある湧水を訪ねたのですが、太古から絶えることなくこんこんと湧き出る泉のように、歴史の奥から聞こえてくるようなお言葉だと言えば大げさに過ぎるでしょうか。

しかし、わたしは皇后さまのお言葉にいつも爽やかな風を感じます。

湧き出る泉のような清らかな調べを感じます。

それにしても、明治憲法公布に先立ち、日本各地の40箇所で民間の憲法草案がつくられていたというのを初めて知って感動しました。

当時の日本人の独立や自治に寄せる熱気のようなもの、皇后さまが言われる「自国の未来にかけた熱い願い」に圧倒されます。

皇后さまのこのお言葉を今の憲法論議への批判だととることもできますが、わたしはそれ以上のものを感じました。

皇后さまは、市井の中から憲法論議が生まれることを、国民の中から草案がでてくることを「促して」おられるのではないでしょうか。

わたしも今気がついたのですが、なんで憲法を一部の政治家や学者に任せているのでしょう。

国民のほうから草案、代案をだすくらいの情熱があってもいいのではありませんか。

皇后さまは、このことをもって、世界でも珍しい文化遺産ではないかと言っておられるのです。

つまらない世界遺産などにうつつを抜かしている日本人へのお叱りのようには思えないでしょうか。

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by michi-no-yuri | 2013-10-22 17:32 | Comments(0)