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谷間の百合

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<   2013年 06月 ( 25 )   > この月の画像一覧

驚かない人々。

 ミウラハイジさんのツイッターから。
 https://twitter.com/mimurahaihai

 * 「Haiji Mimura ?@mimurahaihai 6月26日

 
大震災後に見せた日本人の秩序正しさを、海外メディアは素晴らしい自己抑制力だと勘違いして報道したが、実際は従属に慣れた奴隷の習慣だった。

放射能汚染の後にも動かない日本人を見て、さすに海外メディアも勘違いに気づいた。

日本人を煽る報道を始めたが、それでも行動した日本人は少なかった。」




アメリカ(NWO)は、震災や原発事故の際の日本人の行動をつぶさに観察していたのです。
そして
日本人の秩序正しさや自己抑制力は「従属に慣れた奴隷の習慣だった」ということを知ったのです。
だから、
なんの気兼ねもなくオスプレイを配備するのです。
日本人絶滅計画ともいえるTPPを押し付けるのに躊躇することもありません。


日本の社会を覆う狂気、不法、不正、絶望にたいして、多くの日本人がなにも感じていないように見えるのが、わたしは不思議でなりません。
不気味です。


さらに、東京のマンションの売れ行きが好調だとテレビが言っているのを聞いて、わたしは絶望的な気分になりました。
政治の悪意もさることながら、悲しいまでの国民の無知 無関心に絶望します。


汚染を隠蔽するために、消費税が上がる前に購入を勧め、そのために現金もつけるそうです。真実を隠したうえに国民の心理を弄んでいるのです。


東京でオリンピックを開催しようとしたり、現金をつけてまでマンションを買わせようとしたり、この政治の「悪」は絶壁に向かってどこまでも突っ走るようです。



むかし通っていた喫茶店は、元国家公務員の男性が一人でやっている店でした。
男性は、お客にコーヒーを出すと、すぐに本を読みだすような読書家でしたが、あるときこんな話をしてくれました。


「国木田独歩という小説家がいてね、かれの唯一の望みは驚きたいということだったんですよ。驚けない自分が嫌で嫌でたまらなかったそうですよ」と話してくれました。


驚きたいとは感動したいということでしょうが、独歩は驚けない、はっきり目が覚めていないことが苦痛だったようです。


しかし、そういう自覚があるということは目が覚めていることだと思いますし、また、こういう話しをしてくれたオーナーの男性も覚醒した人間だと言ってもいいのではないでしょうか。

(官僚の不祥事が報じられるたびに、がっくりと肩を落とし、涙ぐむような人でした)


国木田独歩で検索すると、安岡正篤の次のような言葉が引用されていました。



「人間はだんだん驚かなくなる、即ち純真熱烈に感じなくなる。麻痺してくる。
善にも、又悪にも、なんともなくなってきている。
―中略―
人間が何千年もかかって漸く造りあげてきた文明が恐ろしい破滅に瀕しているのに、文明人はそれを驚かない、恐れない。
そもそも人間が驚こうにも、驚くその自我というものを恐ろしく喪失しているのである。」


(きのう、ここに丸山健二さんの記事を無断転載したのですが、あとで、著作権侵害に当たるかと思い削除しました。)
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by michi-no-yuri | 2013-06-29 10:57 | Comments(2)

われわれは、いかなる脅しも圧力も受けない。

スノーデン元CIA職員の亡命先とされるエクアドルにたいして、アメリカは関税優遇措置を撤回すると脅しをかけたそうですが、当大統領は自ら優遇特権を放棄するとの声明を出してこう言いました。


「われわれは、いかなる脅しも圧力も受けない」



痺れました。そして、涙が出ました。
わたしたちはこういう言葉をいつまで指を咥えて聞くことになるのでしょうか。


世界はアメリカの凋落を感じているのに、本人はまだ脅しが効くと思っているのです。
哀れです。
もうね、脅しが効くのは日本だけなんだけど。


日本も世界の潮流が分からないから、いまだアメリカに取り入ることしか頭になく、惨めでみっともない姿をさらしています。
もうだれからも相手にされないかも。
可哀想なにっぽん。。。



きのうの「正論」は、ロシア通といわれている木村汎さんの
「今や、たそがれ時のプーチン政権」でした。


ここにも、かわいそうな人がいました。
こんな真逆の分析をするのは
米ソ対立の時代から、頭の中はそのままで古色蒼然としているからです。
そんな人間が、ロシア通ということでまだお座敷がかかるのですから驚くではありませんか。


しかし、かく言うわたしもむかしはこういう人の言説を信じていたのです。
外になにもなかったからです。


エラソーなことを言わせてもらえば、わたしがこういう専門家よりもほんの少しましだと思うのは、記事や文章を読むに当たって、予断も偏見も悪意も持っていないということです。
正確に言えば、そういうものを捨てるのに十年近い年月を要しました。

海外移住者が激増していて、それは
「プーチン大統領の下でのロシアに希望を抱けないことが、脱出願望の主な理由だという」ことだそうです。



面白いですね。
いまや、プーチン大統領は、ロシアのみならず世界の希望なのに。。。
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by michi-no-yuri | 2013-06-28 15:18 | Comments(4)

津波が押し寄せたあと、沖に向かって引いて行った、あの日の海のように。

石原環境相が閣議後の記者会見で、「住民の方は戻りたいと言っている」と発言したそうですが、以前、総理や担当大臣が国会答弁で「戻りたい人もいれば、戻りたくない人もいる」と発言したとき、わたしはモーレツに腹が立ったのです。


だから、なんなんだ!
なにが言いたいのだ!
その続きを言え!
と思ったのです。


何もないのです。責任放棄していることの言い訳なのです。
それで国民を欺けると思っているのです。
自分は住民のすべての声に耳を傾けている誠実な政治家なのですという擬態です。
(そういえば、この人は選挙になれば「国民のみなさま」を連呼し、そのためにはいのちを賭けると言っていました)


政治家の最大の任務は「決断する」「決定する」ということです。
国民に、痛みに堪えてくれと言えることです。
かって、そう言ったペテン師宰相がいましたが、あれはなんだったのでしょう。わたしはいまだに、痛みに堪えたら日本がどうなったのかを問い質したい気持ちを捨てきれずにいます。


東電の株主総会は、結局原発推進を支持しました。

「東電と政府はぴったり体をあわせ、日本人になおも言い聞かせています。
私たちは原子力発電の恩恵をこうむってきた。原子力のおかげで戦後の繁栄を謳歌することができた。だから、不平を言ってはならない。」(西論文より)



ほとんどの株主、多くの国民がこのみえすいた嘘に簡単に騙されています。
というのも、それが自分の政治信条や利益と合致するからです。むしろ、すすんで騙されたいのです。


原発のある地元の住民の多くは原発推進派だということです。
フクシマの悲劇や絶望は所詮ヒトゴトなのでしょうか。
地元民がいちばんに挙げるのが雇用の確保です。
しかし、
多くの国民、それも若者が、まともな職に就けずに社会の底辺で呻吟している現実も所詮ヒトゴトなのでしょうか。
日本列島を担保にしてでも自分の雇用を守りたいのでしょうか。


しかし、こういう住民エゴを育ててきたのは、まぎれもなく政府と電力会社なのです。


いつか書いたことですが、
近くの小学校が、お昼休みになると、ゲーセンでかかっているような音楽を流すのです。
風向きによっては、びっくりするくらいの大音響になって耳を直撃します。(片耳しか聞こえないので余計そうなるのです)

このときばかりは、滅多に腹を立てない(ほんとです)わたしもモーレツに腹が立ちました。
生まれて初めて抗議の電凸をしました。
そのとき、女性の校長はなんと「子どものリクエストなので」と言ったのです。
バカも休み休み言え!と思いましたが、わたしは絶句したまま引きさがりました。


このことと、石原大臣の言ったことは同じなのです。
日本はどこにも責任の行き場のない、つまり骨のないクラゲのような国なのです。
(そして、こういう社会の間隙を縫って独裁者が表れるのです。)



「津波が押し寄せたあと、沖に向かって引いて行った、あの日の海のように。」


日本の美しいもの、信じていたものを、あの津波がきれいにさらっていってしまったのでしょうか。


しかし、
悲しむべきことなのか、喜ぶべきことなのか、それでも日本人は遵法精神を失わず、暴動や略奪が起きることはないのです。
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by michi-no-yuri | 2013-06-27 11:37 | Comments(0)

「つむじ風」ブログより 緊急転載。

「つむじ風」ブログより転載。

スタンフォード大学の西教授の過去記事から。

(魂に響く文章です。愛のない人にはぜったい書けない文章です。)


転載開始】日本人は怒りを覚えている。

なおも、ないがしろにされていると-放射能と

官僚制の囚人として



一年以上もの間、私は日本政府と東電が、耐えがたいものに耐え、昨年春の地震と津波が引き起こした、あの息をのむような破壊の修復にとりかかる勇気を振り絞ってほしい、と願い続けて来ました。

しかし、よりよい明日は、視界の先にはありません。

死の沈黙が、フクシマの寂寥とした山河を包み込み、セシウムまみれの道が続く、長い、北日本の海岸線を覆い尽くしているのです。

日本政府は無能と機能不全を、ますますさらけ出しています。

東電は保身のタコ壺に潜り込み、独占にしがみつくばかり。

私は、この一年、日本政府と東電が公然と続けて来た、この上なくギラついた偽りのひとつひとつを数え上げる時、日本人のひとりとして恥ずかしさを覚えます。



日本政府の調査委員会は、東電がなぜ事故のダメージの最小化に失敗したかを究明するはずのものだった。

しかし「公開」ヒアリングは突然、打ち切られることに。

塹壕にたてこもった官僚たちは、放射能に焼け太るように、新たな真実の発見を開示することなく、なおも肥大している。



この5年で6人目の野田佳彦首相は、その内閣、および最大野党と、消費税を5%から10%に引き上げることで合意した。

しかし、今回の災害のダメージをカバーするには、それでも足りないような顔をしている。

それどころか、一年かそこらで消費税を、さらに17%まで引き上げることまで話し合っているありさま。

私たちの日本が、世界に有名な「奇跡」をーー戦後経済のルネサンスを達成した時、そこに「消費税」は、なかった。



日本の54基の原発のうち、現時点〔2012年4月初め〕で動いているのは5基に過ぎない。

昨年の異常な暑夏、人びとは日本の電力に余裕はないと信じて(誤って信じ込まされ)、停電を回避するため、節電を強いられた。

この国を愛する国民は、日夜、不便と不快さに耐え、節電に協力した。

ところが、誰もが節電したせいで東電とその子会社の収入は減ってしまった。

そんな東電に味方する日本政府は、一般家庭で15%、大店舗や産業用では35%もの料金値上げを承認する始末。



マスコミは、国内メディアも外国メディアも、日本最大の核の秘密、「もんじゅ」について、ほとんど語ることはない。

知恵を司る仏さま、「文殊」にちなんで名付けられた、この日本最初の高速増殖炉は、なんと断層線の上に鎮座しているのだ。

謳い文句は、日本にある15000トンもの使用済み核燃料をリサイクルし、エネルギーを未来永劫に供給する――

だが、その建設に1500億ドルもの税金をのみこんでおきながら、利用可能な電力エネルギーをまったく産み出していない。

たった一日たりとも。

その「もんじゅ」が立地しているのは、日本で最も美しい古都、京都の北、日本海の沿岸。

そこにあるプルトニウムは、2万年以上の長きにわたって、致死的な脅威であり続ける。

原子力は火のように、使えるうちはいいが、使われるとひどいことになる。



日本政府は米政府同様、国家財政の負債の天井を天文学的なレベルにまで押し上げ続けている。

高い給料を食む国家公務員(いまや日本でただひとつの成長産業である)の人員削減には何の関心も――この「失われた20年」においてさえ、向けられて来なかった。

それは、衆参両院議員の定員削減(カリフォルニア州より小さなこの島国では、人口1億2千5百万人に対し、国会議員が衆参合わせて772人もいる。これに対して、総人口3億7百万人の米国の連邦議会の議員総数は535人に過ぎない)についても言えることである。

2011年の震災は、政府支出による復興策の拡大と雇用人員増を正当化する、新たな口実として使われて来た。



日本政府の、機能障害を起こしたような、腐敗した行動は、ついにマスメディアの調査報道によって、いくつか暴露されるに至っている。

・福島第一原発を建設した東芝が、事故の1ヵ月後に、当時の菅直人首相に対して、最悪シナリオを提出していたありさまが、リーク記事で明るみに出た。

これを菅は「最極秘」にとどめ置くことを決定し、最側近の四人にのみ閲覧させた。

これをもし、ふつうの人が知ったなら、東京はすぐにカラになる、と恐れたのだ。

政府と東電が人びとにパニックを起こすなと説教を垂れて来たのは、このためか?


・マスコミはまた、「水」の行方を追いかけても来た。

勇敢な消防士たちや自衛隊員らが燃える原子炉に注水した、あの膨大な量の「海水」の行方を。

プルトニウムに汚染されたあの水は、すっかりどこへ消えてしまったのか?

それはもちろん、太平洋か地中か、のどちらかである。

しかし、それによる汚染が実際のところ、どれほどのものに達するか、実態を把握するのは難しい。

その一方で、損壊したフクシマ原発内での、放射能汚染水の漏洩が、2012年2月までに報じられている。

・日本の有力紙である朝日新聞は今年1月、東電から「献金」を受けた著名な政治家の名前を公表した。

リストには、麻生太郎元首相や野田内閣の閣僚数人の名前が載っている。

政府と原子力業界の密接な関係がまたも暴き出された。



3・11の大地震と大津波は、小さな町や漁村を次々に破壊し去った。

生きのびた老人たちに、行き場はなかった。

政府はすべてを失った人たちのために「被災者仮設住宅」を建てた。

そこなら津波が来ないから安全というわけか、仮設住宅が建てられたのは、遠く離れた山間部だった。

そこに行くしかない被災者の多くが、絶望の中で死んで行った。

自殺した人たちもいた。

世界中のどこよりも長生きできるはずの、この緑豊かな列島の片隅の棄民された人たちだった。


偽りの確約


さて、それでは、日本の政府は、私たち国民に嘘をついているのでしょうか?

答えは「イエス」です。

そう断言することは、礼儀に反することかも知れません。

しかし、そうした礼儀正しさを最早、ふつうに日本人に期待すべきではありません。

なにしろ、2011年3月11以降、高レベルの放射性ダストと蒸気を呼吸で吸い込み続けて来たわけですから。

しかし、それでも私たちは、礼儀正しく振る舞い続けています。

危機の最中にあって、私たちの誰もが利己的であることを拒否しているのは、私たちの誇りの問題であるからだと、私には思われます。

「セシウム」は今や日常会話の中にも入り込み、私たち日本人の飲み物であるお茶の中にも出現し始めています。

日本最大のお茶の産地は、福島の南、200マイル(360km)離れた静岡です。

お茶から高レベルの放射能が発見されて間もなく、放射性物質の侵攻が始まりました。

乳製品、家禽、豚、牛、野菜、果物、そして母乳にも。

世界で最も豊穣な海のひとつに数えられる福島沖で捕れた水産物にも、放射能雲の影が射し込んでいます。

終わりなき脅威である放射能汚染の、早くも表面化し、なおも隠れ続けている、この巨大な規模の真実を、いったい誰が掴み切ることができるか?

専門家による安全保証の確約だけは、あふれ返りました。

フクシマの惨事が起きるや否や、そしてそれから数ヵ月にもわたって、有名大学や政府機関の科学者が夜のニュース番組に次から次へと現れ、空気や魚や米の放射性ダストや蒸気は「ただちに健康に対するリスク」にはならないと、偉そうな知的雰囲気を撒き散らしながら、唱え続けました。

放射能や医学の分野で教育を受けたことのない私たちでも、首をかしげざるを得ませんでした。

「今ただちには、ない」?

では、いつから? いつかは必ず癌になる?

専門家たちは私たちに、放射性物質すべてに対する私たちの強い不安や嫌悪は根拠のないものだと吹き込みました。

それどころか抜け抜けと、私たちが募らせていた恐怖を群集心理だとか、パニック衝動に似ているとさえ、ほのめかしていたのです。

世界最大の放射性物質の重大な放出を、実はたいしたことのないものだと言いくるめるよう、金で買われ、言わせられていたのでしょうか?

それとも、福島第一原発が瓦礫の中に横たわり、そこから出る致死的な放射能汚染水や水蒸気の行方を誰もつかめないこの時にあって、手持ちの安全対策でフクシマ原発事故を抑え込めるとでも思っているのでしょうか?

当時、さんざん吹きまくった学者連中も、いつしか全国放送のテレビに出なくなりました。

何故なのか、問う人もいません。

しかし、そうした専門家が姿を消した後に「東電」が現れました。

テレビで突如、認めたのです。

地震・津波に襲われた数時間後に、炉心溶融はすでに起きていたことを。

三つの号機が溶融したトリプル・メルトダウンを突然、認めたのは、事故後、2ヵ月経ってからのこと。

その間、東電は、そんなことはないと頑強に否定し続けていたのです。

東電の自白は遅きに失しました。

人びとは、それまで原発から少ししか離れていないところに留まり、知らぬ間に毎日毎日、放射性ダストと蒸気を浴び続けていたのです。

原発周辺には数万人の子どもたちがいました。

首相の首席補佐官の一人はテレビに出て来て言いました。

東電は事故から二ヵ月の間、内閣に対して情報を伝えずにいた、それを知ってショックだった、とてもショックだった、と。

それを聞いて、私たちもまたショックを受けました。その無能と傲慢さに。


眩惑神話の終焉


私たちは今や、日本政府や東電の経営陣が、私たち国民には原子力の専門用語を理解するだけの頭脳がないと思い込んでいることを知っています。

もちろん、原発事故に襲われた時、私たちは難解な用語に慣れてはいなかった。

しかし今や私たちは、ハッキリと理解しています。

「火の環」と呼ばれる環太平洋の地震帯の最中にあって、この美しい日本列島に生きる私たちは今、「核の冬」に直面している。

そして、そうした「核の冬」の本格的な訪れを目の当たりにできるほど、もしかしたら私たちは生きのびることはできないかも知れない……。

私たち日本人は、歴史的に、今日に至るまで、権威(政府)を敬い、法律や規制を、やり過ぎるほど忠実に守り続けて来ました。

暴動を起こさないし、略奪もしないし、殺しもしない。

私たちは学校と家庭で、選び抜かれたベスト・アンド・ブライテストからなる中央政府は、私たち国民を安全・繁栄・達成へ向けて導くべく、日々懸命に励んでいる、と教えられて来たのです。

そのベスト・アンド・ブライテストたちは、いま私たちを裏切っているのでしょうか?

日本の戦後デモクラシーは、集団的な叡智を最も必要とする今この時にあって、私たちの役に立たないものになっているのでしょうか?

私たちの政府は、私たち国民の忠誠に応えようとしているふうにも、災害復興に必要な勇気や柔軟さを育てようとしているふうにも見えません。

もっと恐ろしいことに、私たちの政府は、盲信による行動と、目のくらむような政府の無能さに目を閉じるよう求めているのです。

政党は権力を求めていがみ合い、戦後最大のこの災害を自分たちの利益にしようとしています。

最早、誰にも止められないところまで、堕落し続けています。

原子力産業の規制にあたる政府官僚は退職すると、かつて自分が監視していた原子力産業の高給ポストに、さっさと天下っている。

そんな中、被曝地では、ほとんど放射能まみれの数10万トンのガレキの山が、処理し切れないほど巨大な重荷となって、処理法を探しあぐねる事態が続いているのです。

日本はこれまで、瓦礫の底に埋もれず、波にさらわれずにも済んだ2万人の死者を葬ることはできたかも知れません。

しかし、数1000もの被災者は今なお、災害の破壊と核の悪夢の中で失われた自分たちの暮らしが戻る日を求めて、待ち続けているのです。

我が家に帰れる日が来ることを、暮らしを再建するために働ける日が来ることを、待ち望んでいるのです。

しかし、多くの人が知らないままでいます。

政府や東電に知らされずにいます。

致命的な放射能汚染が、避難者たちの寿命を超えて消えない場所には、もう決して戻ることができないことを。

東電と政府はぴったり体を合わせ、日本人になおも言い聞かせています。

私たちは原子力発電の恩恵をこうむって来た、原子力のおかげで戦後の繁栄を謳歌することができた、だから不平を言ってはならない、と。

しかし、私たち一般の国民に、日本が原子力を開発すべきかどうか選択する余地がひとつでもあったでしょうか?

ありませんでした。

選択が与えられたように見えたのは、巨大な税収や地元での雇用、橋や道路、プールにホール、体育館などインフラ整備の約束でもって言い寄られた、遠隔地の海岸にある小さなコミュニティーの人びとでした。

住民には実は選択の余地はなく、同意するしかなかったのです。

政府と東電は一体化して、原子力は安全で安く、しかもクリーンであるという、この上なく眩惑的な神話を捏ね上げました。

その体裁を維持するため、夥しい数の原発事故を隠し、健康への害を矮小化して来たのです。

ヒロシマとナガサキに原爆が投下されて以来、日本は核兵器を非難する信仰を培って来ました。

そんな道程の中で日本は、核に関することなら何にでも免疫力があると信じた奇妙な生きものに変身を遂げたのです。

フクシマでのメルトダウンに続く最初の数週間に、この国を離れた日本人はほとんどいませんでした。

しかし、私たち日本人は、この恐ろしい現実の最中にあっても、なおも冷静さを保つことができています。

そんな私たちの前から、安全で安い、永遠にクリーンなエネルギーのゴマカシだけは、押し流され、消えてしまいました。

津波が押し寄せたあと、沖に向かって引いて行った、あの日の海のように。

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by michi-no-yuri | 2013-06-25 20:45 | Comments(0)

国というシステムから、個人は逃れられない。

赤木智弘さんがブログを書いておられるなら、いつかはわたしの目にも触れるだろうと思っていたのですが、漸くその機会がありました。
「BLOGOS」というサイトに投稿されたものがありました。
やはり、期待に違わず読み応えのある記事でした。


以下に抜粋したものを転載します。


《国というシステムから、個人は逃れられない》


『最も重要なこととしては、国の社会責任から、私たちは自由になることはできないということだ。

つまり、個人の自己責任論をもって、個人が国の社会責任の傘に含まれているそのことから逃れることはできない。

僕は自己責任論は甘えだと思う。

自己責任論とはつまるところ、お金の力を持ってすれば、僕達個人が寄り合って生活するこの「社会」というしがらみから、逃避できると信じる人たちの、自分勝手な妄想だろう。

しかし現実は、私たちは国がなければ生きていくことはできない。

そして国の下で、私たちは金持ちであろうと貧乏人であろうと等しく「管理」される。

国とは私たちを包み込む主体的存在ではなく、私たちを管理するシステムに過ぎない。

だから国は個人を区別しない。

いくら自己責任論で粋がろうと、国は遭難者を救わないという選択肢を持たない。

またある種の人達がいくら自衛隊をいくら批判しようとも、国の一部である自衛隊は、批判する国民を助けないという選択肢を持たない。

そして我々は、その国の中で、同じ生活圏内の他者とのすり合わせを要求されながら、しがらみの中で生活していくしかないのである。

そのなかで、私たちはいつでも大なり小なり、他人に負担をかけたり、かけられたりしながら生活をしている。

そうした社会責任から、僕たちは金を払って逃れることはできないのだ。』




お金を払えば自己責任を果たしたことになるのかと赤木さんは言っているのですが、そもそも自己責任ってなんでしょうか。


辛坊さんが、イラクで拘束された日本人について自己責任論をぶち上げたのは、責任がどうのということではなく、左翼的人間への激しい嫌悪、憎悪から発したものです。
そして、今自分が叩かれているのも同じ心理です。
人を呪わば穴二つというか、因果応報の分かり易い事例です。


もし、お金で責任が買えるようになったら、法の下の平等が瓦解します。
社会が崩壊します。


赤木さんが言う主体的存在としての国とは、国家意思と同じ意味だろうと思いますが、そんなものは戦後いちどとして発現したことがなかったと言っても過言ではないと思います。
日本の国家意思は、外部のとてつもない「大きな意思」によって逼塞させられ、わずかに管理システムだけが機能しているという状態ではないでしょうか。


しかも、そのシステムからは、当初はあったであろう人のこころや意思が次第に失われていき、ただ、システムだけが不気味に作動しているのです。
そして、そこからだれも逃れられないということです。


ところが、福島ではそのシステムが機能していません。
逃れられないのではなく、放置されているのです。
逆説的な言い方をすれば、放置されていることから逃れられない状態です。


それは、単に突発的なことに対処できていないからなのか
あるいは、そこに「大きな意思」が働いているのか
おそらく、後者でしょう。


これから、恐怖としての「管理システム」がわたしたちの眼前に立ち現われることでしょう。
あらゆる自由が奪われていくのは序の口で、その内、生きるに生きられないような世のなかになるのかもしれません。
安部総理は、そういう日本を目指しているのです。


都議選で、自民党の候補者の名前にずら~っと赤いバラがついているのを見て、どこかの独裁国のようだと思いました。
ああ、日本もついにここまで来たかと。
全体主義国家の誕生です。
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by michi-no-yuri | 2013-06-25 11:28 | Comments(0)

近くの風景

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by michi-no-yuri | 2013-06-23 09:16 | Comments(4)

 「高島ファミリーの真実」

テレビで「高島ファミリーの真実」という番組を見て、高島さん、寿美さん夫婦の「苦しみ」との長い壮絶な戦いを垣間見て粛然としました。


人間として考えうる最大、最高の「不幸」とどのように向き合い、どのように乗り越えてこられたのかを想像すると、とても平静ではいられない感情にとらわれます。


「うつ」を発症される以前の高島さんからは、いつも明るくはしゃいでおられる姿が印象的です。
あらためて、そのころの映像を見て思ったことがあります。
高島さんは、悲しみを封印するとともに、自分のなかに「躁状態」とつくりだし、それに添って演技しておられたのではないだろうかと。
そうすることが生きていく唯一の方法だったのではないかと。
どんなに辛くても生きていかなければならないからです。


そう思って、映像を見ると、痛いほど高島さんの「悲しみ」との血を吐くような格闘が伝わってきます。


そういう格闘が三十数年続いたのでしょう。
しかし、年とともに「躁状態」を維持する気力、体力が減退するのを止めることはできなくなります。
そこに、無情にも、いままで封印していた「悲しみ」が反動として襲ってきたのではないでしょうか。


高島さんの「うつろな目」は、「悲しみ」との戦いがいかに過酷だったかを想像させて余りあります。結局、自分にウソをつき通すことはできないのです。嘘だったから高島さんは自分との闘いに負けてしまわれたのだということではないでしょうか。
しかし、高島さんに、外に、どのような生き方があったでしょうか。


寿美さんがこのような話をされました。

高島さんが寝室でひとり泣いておられるところをたまたま見てしまわれたそうですが、
そのとき「わたしはいくら泣いてもいいけど、忠夫さんを泣かせてはいけないと思った。可哀そうだった」と。
女性(妻)から見て、男性(夫)が泣いている姿ほど衝撃的で哀切なものはありません。
それほどに「かわいそう」に映るのです。
男は泣かないものという観念、通念がよけいその姿を哀切なものにするのでしょうか。


事件のあと、到底イタズラという範ちゅうでは考えられない、赤ちゃんの泣き声や「ママ、苦しいよ~」というような電話がたくさんかかってきたそうです。
そんな人間がこの社会にまぎれて普通に生きているのかと思うとほんとうに空恐ろしくなります。


おそらく、高島さん、寿美さんの結婚は、当時日本でイチバン美しく、輝かしいものに人々の目に映ったことでしょう。
そして、それを妬ましく思う人間もたくさんいたということでしょう。



わたしも、人を羨んだことはたくさんあったと思うのですが、ほとんど記憶には残っていません。
まして、羨望が妬みになったことなど一度もありません。


どんな才能のある人や美しい人を見ても、自分がその人になりたいと思ったことはありません。
なぜなら、それは自分ではないからです。


なんだ。。。 いままで自分を愛することが分からないと思ってきたけど、ちゃんと自分を愛してきたではないかと、いま気がつきました。
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by michi-no-yuri | 2013-06-22 20:40 | Comments(0)

竹中平蔵という「悪」

きょうのサンケイ「正論」の執筆者は竹中平蔵です。

メディアは早くも成長戦略への失望を書きたてているが、企業経営者の8割は評価しているんだと言っています。
この人の頭には経営者しかないようです。


先日の経済競争力会議では、三木谷、新浪、竹中とずらーつと悪人相の男が雁首を並べていて壮観でしたが、とくに、竹中平蔵はアメリカの代理人?として、総理の真ん前で、大審問官のような顔で睨みを効かせていました。
こういう顔を見ていると、どうしても日本人の顔も変わったなという印象を強くします。


農業では株式会社による農地取得の全面自由化、医療では混合診療の全面解禁、それにいつも必ず強調する法人税の引き下げが成長戦略の第一のカギだそうです。


こういうことを口にすること自体わたしには許し難いことなのですが、かれはだれになにを言われようとも平気のヘイゾーです。
なにせダボス会議でも「いい顔」のかれのことですから、なにも怖れるものはないのです。


先日は橋下市長も農協の解体を打ち出していましたが、
かれらは先ず、日本の農業と医療を徹底的に解体、破壊することを目指しているのです。


こう言っています。

『これらは、十数年議論を重ねてもできなかった「岩盤」のような規制や制度であり、
(中略)今回の成長戦略の最大のポイントは、今後こうした「岩盤」を崩していくための装置をいかに埋め込むかにあった。』



かれが「岩盤」と言っているのは、日本人のいのちがかかる最後のセーフティネットのことなのです。それを崩す装置をいかに埋め込むかと言っているのです。
日本人のいのちをいかに奪うかということを提言しているに等しいのです。


日本人のいのちである「岩盤」を崩す装置がTPPです。
アメリカというより多国籍企業の走狗になって、日本人の最後のセーフティネットである「岩盤」にTPPというダイナマイトを埋め込んで、こなごなに粉砕しようとしているのです。


また、かれは年金基金の運用にまで手を突っ込んできました。


わたしは経済のことはさっぱりなのですが、かれが何をしてきたか、何をしようとしているかはよく分かっているつもりです。


こんな獅子心中の虫は国外追放にしてほしいと思います。
そうでないと日本人はどんどん殺されていきます。
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by michi-no-yuri | 2013-06-21 11:42 | Comments(0)

いろいろ。

加藤コミッショナーはオーナー会議などでは、一言も発言しないそうです。
球団のオーナーもかれにとっては「ご主人さま」なのでしょうか。
小役人根性の面目躍如というところです。

駐米大使のとき、この人はいったい何をしていたのだろうかと思ってしまいます。


復興庁の役人が福島で質問を受けているときの動画を見たのですが、お役人ってみんな同じ表情をしているのですね。
言質をとられないようにと用心深く喋っているのですが、腹のなかでは、クソ左翼が、バカ女がと思っていることがありありと分かる顔です。


週刊誌の見出しで見ただけですが、王さんがコミッショナーを庇っておられるのだとか。
わたしは、長島さんもそうですが、王さんもけっこうな政治家だとかねてから思っています。



オリンピック誘致のプレゼンでの日本のスピーチが好評だったようです。
猪瀬都知事、太田雄貴さん、田中理恵さんのスピーチはひと通り見たのですが、わたしはあまりいい印象を持てませんでした。


後進国の人間が涙ぐましいほど必死に自国をアピールしているようで、そこには、人権人道大使の言う先進国としての誇りも余裕も感じられませんでした。
ここで肩をすぼめ、手を大きく広げなさい、そして、満面の笑顔を絶やさないようにと演技指導されたであろうことがミエミエで鼻白む思いがしました。


もっと自然な笑顔や語り口が良かったのにと思いましたが、IOC委員に好印象を与え、日本でも評判がよかったのなら、それでいいのです。なにもイチャモンつけるものではありません。

(ちなみに、わたしはオリンピック誘致には反対です。)



G8も終わりました。
やはり、ひとり異質な存在としてのプーチン大統領に注目しました。
かれは、どこかのリーダーのように笑顔を振りまいたりはせず、
どこまでも慎重で、思慮深い雰囲気を漂わせていました。


以前、きつねに会ったことを書いたことがあります。
高いところからじ~っとこちらを見ていたのですが、プーチン大統領を見ていて、そのときのきつねの目と完全に重なりました。
もう、どちらがプーチンでどちらがきつねか分からなくなりましたw


きつねは人間になつかないと言われています。
人間なんかになつく、つまり、媚をうることを潔しとしないのだと思います。
孤高なのです。

孤高とは、世俗と離れて超然としていることです。
きつねは人間から離れてひとり超然としていることが可能ですが、プーチン大統領はそうはいきません。世俗の中にあってひとり孤独で苦しい戦いをしなければならないのです。


きつねの怜悧で深い孤独とかなしみを湛えた目は、生きることのかなしみを自らに引き受けているかのようです。
人間との間に、目に見えない結界を巡らして、孤独、即ち、誇りを守っているかのようです。


きつねが人を騙すというのも、人間がきつねのあの怜悧な深い目に畏れを感じたからではないでしょうか。




このごろ、いままでなら朝のある時間になると回転しだしていた頭がいっこうにまわらなくなりました。
気圧の関係でしょうか。
書くことにきりはないのですが、気分が乗りません。
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by michi-no-yuri | 2013-06-20 11:21 | Comments(0)

鳥も動物も虫も勉強しないのに。。

わたしはいままで、いわゆるエリートと言われる人と、当然ですが接点はありませんでした。
しかし、エリートを目指す人、あるいはエリートに最高の価値観を置いている人はたくさん知っています。


そういう人と話をしてみると、とても同じ世界に生きている者同士とは思えないほど、感覚も考えも違っていてまったくこころが通じませんでした。


マドモアゼル愛様が、自分は「あまり勉強をしなかったから、かえって簡単な命が理解できるのだと思う」と書いておられますが、わたしも同じくこれだけは胸を張って言えるように思います。


勉強だけしてエリートになった人が、なんのことはない社会の害虫になっているのです。
恥知らずな問題発言の人権人道大使や復興庁のお役人がそういう人種の典型です。



『私は今でも実は勉強はしない。

鳥も動物も虫も勉強しないのに、確実な母音発声をして命を表現している。

今の地球上で命を維持継続しているものは、すべて勉強したことのない自然界と、動物と、赤ちゃんや子供だけ。

そして勉強した人たちだけが、この地球を壊している。』



(ここはまさに、イエスの「野の花をみよ、空の鳥をみよ」と同じことを言っておられるのではありませんか。)



わたしが毎日見るブログはごくわずかです。
というのも、「つむじ風ブログ」と「徽宗皇帝ブログ」(酔生夢人ブログ)を見れば、重要な記事はすべて網羅されていると安心しているからです。
自分は楽をして恩恵だけをいただいているというわけです。(根気がなく誠意に欠けているのです)


滅多に更新のないブログはいつのまにか消えている?のですが、そんななかで、意地になって残しているのが「ガマ仙人の徒然草」と「でたらめ山暮らし」のブログです。
前者はこの3か月更新がなく、後者はつい最近半年ぶりに更新がありました。


「ガマ仙人の徒然草」は読み易く、人生の知恵、生活の知恵が詰まっています。
仙人さまは哲人なのです。
貧乏から生まれた数々の料理のレシピはわたしの宝ものです。


感覚的にいちばんなのが「でたらめ山暮らし」です。

写真がいい。
木や草や野菜のみどり(みずみずしい)とほっこりした黒っぽい土のコントラストがこころを癒してくれます。
この辺りの土は粘土質なので、そんな土が限りなく羨ましい。
それに、虫や小動物、生活用具など。。

眺めているだけで幸福感に満たされていきます。


ところで、ブログ主がこういうことを書いておられます。


『 実は私、昔からネットで徘徊するほとんどが政治経済に国際問題系のサイトでして、世間に対する一番の関心事です。

 何でそこからドロップアウトした最底辺のロクデナシがそんなことに興味あるかですが、ロクデナシだからこそ重要なことだと考えてます。

 なぜなら一流の大企業や公務員に就職してる人たちは、たぶん国が潰れるような希有な事件でも起こらない限り知らずとも安定した生活が約束されてるでしょう。
 
しかし私のような定職に就かない最底辺の人間ほど、世間の情勢を気にして身の振り方を考えなければいけないと思うんですよねぇ~。』




この人はドロップアウトしたというより、自立するために意思的にそうされたのだと思いますが、わたしはここを読んで、多くの人がこういう意識で生きていたら、日本はもう少し緊張感のある活き活きとした社会になったのではないかと思いました。


3・11以降はとくにそうですが、もうこの国から安心、安全は消滅したのです。
一流企業だろうが公務員だろうが安泰ではありません。
頼るべき、縋るべき、あるいは、誇るべき国家はもうないのです。
ほんとうはみんなが、このドロップアウトしたという人と同じ立場なのだということに早く気付くことです。


ここに書いておられることは、一見、イエスの「思い煩うな」ということと矛盾するようですがまったく違います。
「思い煩うな」ということと無自覚に生きるということは違うからです。
本能と言えば誤解があるかと思いますが、本然に還れということだと思います。


人生に必要なものは、物心共に、そう多くはなさそうです。
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by michi-no-yuri | 2013-06-18 11:32 | Comments(0)