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谷間の百合

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訂正。


「などてすめろぎは神となりたまいし」
ではなく
「などてすめろぎは人となりたまいし」
でした。
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by michi-no-yuri | 2013-02-26 19:12 | Comments(0)

ひとくぎり。

きょうは2月26日、2・26事件から77年目に当たります。

2・26事件に関わった人間の遺書や手記、裁判に関する資料などを収めた「2・26事件」という550ページに及ぶ大部の本があります。

久しぶりにその本を手にして、装丁のくたびれた感じから、いかに執着して読みふけってきたかが偲ばれます。

一時は諳んじるくらいでした。(ウソですw)

いちばん印象にあるのが、不謹慎かもしれませんが、磯部浅一が獄中で書いた「行動記」(仮題)の次のような箇所です。


「ー午前4時20分出発して、
栗原部隊の後尾より、溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時、俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の連隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとえんものなしだ。
(同士諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角、言うに言えぬ程面白い。
一度やってみるといい。
余はもう一度やりたい。
あの快感は恐らく人生至上のものだろう。)



人生至上の快感を経験した人間は
やはり、叛徒でなければならず、
銃殺されなければならないのでした。


そのおよそ30年後に、
三島由紀夫が2.26事件という歴史の必然を
完結させるべく書いたのが「英霊の声」です。

「などてすめろぎは神となりたまいし」


それに応えられたのかどうかは知る由もありませんが
それから、およそ10年を経て、
昭和天皇は初の記者会見でそのことに言及されました。

「立憲君主としての立場(一線)を超えた行為だった」



ブログを初めてきょうで一年を迎えました。
何の理由もないのですが、区切りということでしばらくパソコンを閉じます。
(あした開けるかもw)

何を言おうが、何を思おうが、日本のこれからの行方は決まっているのでしょうね。
しかし、これはニヒリズムではありません。他力本願的見地からの感概です。
そう思うと腹がすわり、爽やかな風に吹かれているような気持ちになります。
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by michi-no-yuri | 2013-02-26 12:06 | Comments(12)

その二 TPPの目的は「脱国家」「脱民主主義」「脱社会」

「晴耕雨読」ブログから「徽宗皇帝」ブログを経由しての孫引きの部分転載です。


「TPPの狙いは何か?究極的には、「脱国家」「脱民主主義」「脱社会」だと思います。即ち、

①「日本」という制度を世界市場の中に溶かしてしまう事、

②民衆の声を代表する議会の外で重大事を決する事、

③日本人を社会性(=連帯)なきバラバラの個人に、市民たり得ない消費者に還元してしまう事です。

だから、ごく簡単に真実をいうと、TPP推進論とは、もう日本をやめよう!という論なんだな日本を改良していこう!という考え方とは対極的な態度」



これを、ブログ主様がB層ならどう受け取るかという考察のもとに書いておられるのが次のような感想です。


①「日本」という制度を世界市場の中に溶かしこんでしまうこと。→結構なことだ。日本は世界市場の中に積極的に出て行く必要がある。古い「日本」など溶けたほうがいい。

② 民衆の声を代表する議会の外で重大事を決すること。→議会は民衆の声を代表していないことは誰でも知っている。選挙など形骸化した芝居であり、仮に選挙が正当でも、選ばれた後の議員は決して公約を実行しない。

③ 日本人を社会性(=連帯)なきバラバラの個人に、市民たりえない消費者に還元してしまうこと。→「連帯」なんて左翼的で気味が悪い。つまり、TPP反対派はアカっぽい奴が多いんだな。「市民」という言葉もそうだ。そもそも、社会的連帯なんてうんざりだ。独立した個人であることの「自由」の方が俺は好きだ。それに、現代人はすべて消費者なんだから、消費者は市民たり得ない、と言われてもどうしようもないだろう。つまり、こいつはただのアジ演説家だ。



いまになってよく分かってきましたね。
どこからともなくもたらされる価値観が、何を目的にしているのかということが。
グローバリズム、国際化、男女共同参画、などなど。

「議会の外」というのは二重構造になっていて、談合による政治と、「あの人たち」による間接(直接?)支配。
議員なんか単なる数合わせの駒でしかないとはいえ、民主主義ではその数が最高の価値です。
その最高の価値が不正によって操作されたり売買されているのが今の日本です。
わたしは、こんな重要なことがいったいどこで決められているのかと不思議に思うことがよくありました。ほんとうに不思議でした。


選挙のたびに、マスコミは「だれがなっても同じだ」という街の声を拾ってきますが、わたしはこのセリフが大嫌いです。
独裁者に一も二もなく騙されて熱狂するのがこういう人間だからです。
橋下徹を支持するのもこういう人間で、ただ弁舌が巧いとか断定的な言い方とかの印象だけで、かれなら何かをやってくれると期待するのです。その期待がどれほど恐ろしい結果を招くことになるかなどかれらの知ったことではありません。

日本人を社会性のないバラバラの個人にするということは、わたしが前々からもっとも憂慮し焦慮してきたことでした。

おとつい書いた観光立国もそうですし、留学生や移民の受け入れがそうです。
外国人を入れることで日本人の民族性を希釈し溶解させたいのです。そして、社会に混乱や争いの種を撒いて、いつでも火がつくような状態をつくりたいのです。
すべてはその布石です。

国民が愛国心を持ってはいけないのです。
国民に国を守ろうなどという気を起こさせてはいけないのです。

とにかく、政府やマスコミの言うことに真実なんかカケラもありません。
逆もまた真なりではなく、この場合は、逆こそ真なのです。
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by michi-no-yuri | 2013-02-25 16:23 | Comments(0)

二十五日 その一 哀れでこころが痛みます。

安倍総理がアメリカで冷遇されたことは隠しようのない事実として、全世界の人が知ってしまいました。
いくら、舌を噛み切って死にたくなるような総理大臣でも日本の総理です。
その総理がオバマ大統領からひややかで素っ気ない態度で接しられているのを見るとやはりこころが痛みます。

準備段階でどういう待遇にするかは日米両国の間でよく詰められていたはずです。それでもなお訪米を強行したということは、よほどお土産に自信があったのかもしれません。実に盛りだくさんのお土産を持参したようですから。

アメリカに冷遇され、これで安倍総理がどう出るか、わたしは固唾を呑んで見ています。
理性を失い、ご機嫌をとり結ぶためにますますシッポを振るのではないかと。

尖閣でも、明確な言葉を貰えなかったようです。
毎日のように中国の船は領海を侵犯し、それをテレビが報じます。
わたしは、あるいは、中国はアメリカとの暗黙の了解のもとに、そういう行動をとっているのかもしれないと思うようになりました。


ところで、森元総理が訪ロしてプーチン大統領と会談を持ちましたが、なぜ、このタイミングだったのでしょうか。これは何を意味するのでしょう。

もしかして、安倍総理はそれでアメリカに揺さぶりをかけたのかも?
アメリカは、それに不快感をもってああいう待遇になったのではと思うのは考え過ぎでしょうか。

ロシアといえば森さんということになるのですが、わたしは、できれば違う人に交渉に当たってほしいと思っています。
鳩山さんやムネオさんに出てきてもらい、政府を動かすくらいの積極的な民間外交を展開してほしいと願っています。
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by michi-no-yuri | 2013-02-25 11:17 | Comments(0)

二十三日 その二 観光立国なんて誇りある国が考えることではありません。

NHKの朝の番組で「観光立国で景気回復」ということを前提に出席者が喋っていたのですが、わたしはすぐ不愉快になってチャンネルを換えました。

観光立国なんて、誇りある国の考えることではありません。

以前、小泉元総理が、自らポスターのモデルになって、観光立国日本のキャンペーンを行っていましたが、一国の総理が風俗の呼び込みをしているようで、なんと浅ましい姿を見ることかと嘆いたものでした。
そもそも、かれの言ったりしたりしたことで良かったことなど一つもありません。
おそらく、これもご主人さまの指示だったのでしょう。

外需を呼び込んで、内需を活性化するのだということですが、なんと情けないことを聞くものでしょうか。
日本はもう自らを活性化できないほど落ちぶれてしまったのでしょうか。

いままで、ずーっと日本は貿易立国で、貿易によらずば日本は成り立たないのだと聞かされてきました。しかし、それは事実ではありませんでした。
日本は内需が八割を占める国だということを知ったのはつい最近です。
ほんとうに、わたしたちが騙されていることは、外にもたくさんありそうです。

出席者は、観光客を引きつけるには何をどうすればいいかを話し合っていましたが、
おかしいでしょ? 日本人のために何をするかを考えるのが先でしょ?

観光客が来なければ困るのは、観光でごはんを食べている人たちですが、年間何万人も海外へ遊びに出かけていく人の目を国内にむける工夫をすることが先決ではありませんか。

わざわざ外国へ出かけて行って事故に会うリスクを思えば、身近なところで遊んで、地元のためにお金を使うのがいちばんいいのです。

いま、日本は鎖国をした方がいいかという設問でアンケートを行えば、賛成がかなり高い数字になるのではないでしょうか。

わたしは外国人を締め出そうと言っているわけではありません。
旅行者はどうぞ来てください。しかし、団体で来るのは止めてくださいということです。
日本人も、一人の旅行者として行動できない人は海外に出ていくべきではありません。

日本はいちど鎖国をして、自分たちがいったいいままで何に振り回されて生きてきたかを落ち着いて考えるときではないでしょうか。

日本が誇りある国であるならば、観光客で食べていこうなどという卑しい考えを持ってはいけません。
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by michi-no-yuri | 2013-02-23 15:15 | Comments(0)

どうしてそんなに従米したいのですか。

早くも、テレビなどで、アメリカの安倍総理に対する冷遇が伝えられています。
安倍総理が降り立ったあの飛行場は、記憶にあるもので、雨こそ降っていませんでしたが、盧武鉉元大統領が傘を差してタラップを降りたところでした。
晩餐会はもちろんのこと共同記者会見も開かれませんでした。
反米の盧武鉉元大統領と同じ待遇だったということです。


「TPP」に関する「日米の共同声明」なるものに何度か目を通してみましたが、よく分かりませんでした。
わたしがこういう文が苦手だということもありますが、分かり易く書けないということ
もあるのではないでしょうか。

国会でのTPPに関するやりとりでも、農業、漁業、自動車のことばかりに焦点があてられて、わが国の存亡にかかわるISD条項のことはいっこうに聞こえてきませんでした。

先日は、TPP反対の議員が一堂に会して気炎をあげて?いましたが、わたしはかれらの反対はおそらくポーズだろうと思って見ていました。
自分が反対しているところがテレビに映ることを計算し、支援者に向けたアリバイをつくっているのだろうと思いました。
(阿修羅に同じようなことを書いている人がいました。)

とても、かれらが事の重大さを理解しているとは思えません。
かれらが(農業団体などの)支援者だけを意識しているように、政府もそれに合わせるように、コメなどの関税例外を落としどころにしてTPP参加に踏み切るのかもしれません。


しかし、日米同盟の強化を言い続けていた安倍総理が、なぜアメリカから冷遇されるのでしょう。もしかしたら、アメリカは中国大事で、もう気分は中国なのに、同盟の強化を言ってくる日本政府がうざいのかも?

考えてみますと、属国である日本の総理を手厚くもてなす必要はないわけです。
自国にたいして、責任も誇りも背負っていないような、国益のために堂々と言うべきことも言えないような人間とどうして対等に人間同士の話し合いができるでしょうか。

小沢さんは言われました。
喧嘩になっても言うべきことを言う人間が尊敬されるのだと。
軽蔑されているのです。


安倍総理はアメリカの「戦略国際問題研究所」で、「ジャパン イズ バック」と
題して、嬉々として講演していましたが、なんとも恥ずかしい光景でした。
民主党政権が日米同盟を毀損したと思い込んでいるようですが、その認識はおかしいです。
野田総理はつべこべ言わずに、なんでもアメリカの要求を受け入れていたのではありませんか。
毀損といえば、鳩山さんかもしれませんが、メディアが「ルーピー」と言ったのは、鳩山さんがルーピーでないからです。アメリカの気にいらない人間がルーピーなのです。
真の愛国者である小沢一郎さんもアメリカから憎まれましたが、安倍総理の認識では愛国者が日米同盟を毀損しているということになります。

なぜ、そんなに従米したいのですか?
いちど立ち止まってよく考えてみてください。
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by michi-no-yuri | 2013-02-23 14:21 | Comments(0)

尖閣を煽っているのは在日朝鮮人。

NHKがとくにそのような気がするのですが、たいていニュースのトップに尖閣における中国船の領海侵犯がくるのです。
だから、このごろ最初の5分くらいはニュースを見なくなりました。

丹羽前駐中大使が
「帰国してびっくりしたのは、皆さん勇気ある発言をされない。思っていることを仰らない空気を感じた」と言っておられますが、
いま、中立的立場で何か言うと売国奴にされ、ほんとの売国奴の言うことが大手を振って世の中を席捲しているのです。


日本がチベットになっていいのか。
日本の土地を買い漁られていいのか。
尖閣の次は沖縄を狙ってくるぞ。

などと人々の不安を煽るような言説がメディアの主流になっています。
わたしも、それをあり得ない、荒唐無稽な話しだとは思いません。
だから、そうならないように、国の守りをしっかりしなければいけないのです。

ところが、その肝心の国はどうなっていますか。
仮想の、中国が攻めてくるという前に、日本は在日朝鮮人に乗っ取られているではありませんか。
土地は買い漁られるというより、強奪されてきたのではありませんか。

(在日の不動産業の女性がガレージに60億近いお金を隠していたというニュースが世間を驚かしたことがありました。同じ不動産業だった父親の遺産だということでしたが、その父親がどうしてそれだけの財を築いたかは想像に難くありません。)

尖閣を煽り、嫌中感情を煽っているのは、間違いなく在日朝鮮人なのです。
情けなくありませんか。
国を乗っ取られた上に、感情まで操られて。


こないだから考えていることなのですが
わたしたちは、なぜ、中国に対して、脅威や偏見や敵意を持っているのだろうと。
いったい、日本は中国から何か悪いことをされたのだろうかと。

しかし、李肇星前外務大臣が
「中国政府は、いままで一切、日本人民にたいして申しわけないことをしたことはない。」
と言ったことは事実であり、それにたいして日本が反論できるとは思えません。

南京大虐殺など、あきらかにおかしいことがたくさんあっても、日本が加害者であったことは変わらないのです。


思えば思うほど、振り返れば振り返るほど、世界が、アジアが、日本が「あの人たち」の将棋の駒だということを思い知らされます。

日本が中国や朝鮮との間に抱える歴史問題のほとんどは、「あの人たち」の世界統一政府のために故意に作り出された離間政策ではありませんか。
従軍慰安婦問題で、アメリカが介入してくるのもそういうことでしょう。

南京大虐殺の犠牲者の数が30万人になっているのは、原爆での犠牲者を相殺する目的があったと聞いたことがありますが、この方によほど真実味があると感じるのはわたしだけではないと思います。
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by michi-no-yuri | 2013-02-22 11:52 | Comments(0)

「敷島の道」

サンケイの「日本人の源流 神話を訪ねて」という記事の見出しに
「敷島の道 敬愛の道」とあるのを見て、わたしは、ああ、そうなんだと思いました。

フェリス女学院大教授の谷知子という人が、日本の詩歌には

「中国の詩歌に見られるような、人を批判したりする和歌はありません。
特に、天皇は代々、褒めたたえ、前向きな歌を詠むことに終始しています。
歌が言霊信仰と結びついた一種の信仰であると考えることができる。」


と言っておられます。
わたしはこのことから
天皇が自然や人々の営為を思いやり、褒めたたえる歌を詠んでこられたことに日本人は感応し感動したのだと思いました。そしてそれへの感謝の気持ちが自然に天皇を敬愛するこころを育んでいったのだと。

庶民が直接天皇の歌を知る機会があったとは思えませんが、それでも天皇のこころ(大御心)は水が上から下へ流れるように下へ下へと裾野を広げて浸透していったのだと思いました。


わたしは自分を愛するということが分かりませんでした。せいぜい自分を大切にしなさいというくらいのことだろうと思っていました。しかし、なぜ、自分が大切なのだろう。
純粋に自分が自分のものなら自分を粗末にしたっていいわけです。

そういうとき、わたしは、自分の生を証ししてくれる存在として天皇を思いました。

なぜなら、人間は自分を敬愛することや、自分に忠誠を尽くすことや、自分のために自分を犠牲にすることはできません。
すべて、何かのため、だれかのためなのです。
究極的に、何かのため、だれかのため、あるいは何かとの関係性の中でしか自分のアイデンティティを確かめることができないのです。

「天皇陛下万歳」としたためて死んでいった英霊は「天皇陛下万歳」と書いたときに、アイデンティティを確定させたということではないでしょうか。
天皇陛下とは、日本人と日本文化の源流であり、日本の歴史の体現者そのものだからです。
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by michi-no-yuri | 2013-02-21 14:53 | Comments(0)

暴力は悪ではなく、強さの象徴だとする人たち。

体罰が肯定されるようになったのは、マンガやアニメの影響が大きいと思いますが、だれかが言っていたことですが、わたしも、スポーツ界が在日に浸食されている事実はそれ以上に大きな要因になっていると思っています。
決して、牽強付会ではありません。


「根っからの悪人はいない?」でとり上げた、殺人犯の著者の在日一世の父親は、子どもの前で、人の耳を引きちぎるような凶暴な人間なのですが、それでもというか、それだからこそその父親は子どものヒーローになっているのです。
子どもの自分にも散々暴力をふるった父親でも、かれにとっては、終生変わらぬ絶対的帰依の対象なのです。
つまり、
男は強くなくてはならず、強さの象徴が暴力ということです。
暴力によって、人を怯えさせ、従わせる父親はまさにヒーローだったのです。

かれ自身こう書いています。
「暴力や流血は、可能なら回避したいが、嫌忌の念は起きない」と。

日本の女性が、男性からパワハラの被害を受けたときなどに、親からも暴力をふるわれたことはないのにと言うのを、かの国の女性は奇異に思うそうです。
それほど、親の暴力は日常茶飯事のことらしいのです。

かれらの暴力に手加減はありません。
情け容赦もありません。
「水に落ちた犬は(徹底的に)叩け」ということです。

いつごろからか、日本の社会もそうなってしまいました。
マスコミがそうです。
政治の世界がそうです。
武士道の精神なんか、どこにありますか。

わたしが瞠目しかつ理解できないのがあの国の父と息子の繫がりの強さです。
息子の父親への無批判、無条件の自己同一化です。


以前、喫茶店で偶然、知人に会い、その知人の知人も交えて談笑していたときのことです。
その知人の知人の男性が、自分の父親を賛美するようなことを言うので、わたしは、三十にもなろうという男が何を言っているのかと思い、ついからかうようなことを言ったところ、かれは急に真顔になってくってかかってきたということがありました。

後になって、もしかしたらかれは在日だったのかもと思いましたが、この本を読んで間違いないと確信しました。


橋下市長の親友の高校の校長が大阪府の教育委員長に就任するようです。
あの、君が代斉唱で口元チェックをした人物です。

このごろ、橋下市長が静かなのがとても気になっています。
深く、静かに潜行して、権力の中枢に不動の位置を占めつつあるのではないかと想像するからです。
もっともっと、ケンカをふっかけてかれの本性を引き出さないと駄目ですよ。

また、最近知ったのですが、かれはコスプレ不倫がばれたとき、会見で「もうこれで娘に制服を着ろと言えなくなった」と言ったそうですね!
日本人でこんなことを言う人がいるでしょうか!

喧嘩を身上とするかれが、口先で体罰はけしからんと言っています。
天下をとるまでは嘘をつき通すのでしょう。
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by michi-no-yuri | 2013-02-20 11:36 | Comments(0)

日本の子どもは朝から晩まで幸福だった。。。

先日、日本の体罰問題は恥ずかしいことだと書いたあと
あれ~?日本はそんな国だったかなあと思いました。
また、体罰というとすぐ軍隊の鉄拳制裁が浮かびますが、
あれ~? 日露戦争時にそんなことがあったかなあと思いました。

この疑問に答えてくれたのが、「つむじ風ブログ」の「体罰は日本の伝統ではない」でした。
危うく、わたしは体罰を日本の体質だと思うところでした。
目が覚めたような気がしたのは、忘れていたからです。

そうだったのです。
欧米では、子どもが小さい内に、からだに叩き込むようなしつけをするようですが、
日本のしつけは甘やかすばかりで駄目だと批判されていたのです。

わたしは、次のモースというアメリカ人が言った言葉に、失ったものへの哀惜の念で胸がいっぱいになりました。


「世界中で、日本ほど子どもが親切にとり扱われ、深い注意が払われている国はない。
ニコニコしているところから判断すると、子どもは朝から晩まで幸福であるらしい。」


いま、日本の子ども、福島の子どもたちは、親切に扱われていませんし、何の注意も払われていません。ニコニコどころか、いつか、子供たちの悲しそうな顔を見ることになるのではないかと思うだけで恐怖を感じます。

体罰や暴力をもっとも忌み嫌ったのが武士道だと言ってもいいのではないでしょうか。
武士の教育では怯懦なこころの克服とか我慢ということに主眼がおかれていたでしょうから、体罰などが入り込む隙はなかったのかもしれません。
怯懦なこころを暴力によって克服させることはできないからです。
(肝試しなどがさかんに行われていたのも、いかに怯懦なこころが武士にとって致命的なことかがよく分かります。)

体罰がとくにスポーツの世界で突出しているのは、スポコンもののマンガやアニメの影響だろうと思います。それによって、一挙に体罰を肯定する空気ができあがったように思います。

この記事の中で、わたしがとくに注目したのが次の部分です。


「ある人の説なのですけれども、体罰というとまず思い出すのが軍隊における私的制裁ですが、それがいつごろ帝国軍隊ではじまったかというと、第一次大戦後ぐらいからだという。明治時代にはやらなかったというのです。
それまでは士族が多かったので、その感覚が残っていた。侍の上位者がその下の侍の顔をなぐるというのはちょっと考えられないというわけです。侍は名誉心が非常に強いですから、人格的な屈辱を与えちゃまずいのですね。そうすると死に物狂いで反抗してくる可能性がある。たとえ主君であっても家来の侍を人格的に侮辱すると、死に物狂いに反抗しうる。」



わたしはここを読んで、乃木大将とステッセルの水師営の会見を思い出していました。
(ぜひ、読んでみてください)

そこには、ドストエフスキーが賛美した戦争の一面の真実と姿がありました。
自己犠牲、名誉、友愛、尊厳、団結心など、人間の精神の崇高さがありました。


人格的な屈辱を与えられると、死にもの狂いで反抗してくる可能性がある。
たとえ、主君であっても。。。


隔世の感があります。
と共に、わたしは瞠目しました。
なぜなら、武士はどんなことがあっても、主君や上のものには逆らえないと思ってきたからです。しかし、歴史を振り返ってみると反抗や謀反の例はたくさんありそうですね。

現代のサムライは、どんな恥辱、屈辱にも耐えるのです。
会社のため、家族のため、お金や地位のため、ひたすら耐えるのです。
耐えて耐えて、魂が腐っていくのです。

国がどんなに他国から舐められようと、もはや屈辱に思うこころはありません。

飄平様が言われるような
欲望のハケ口、恐怖のハケ口としての暴力は、これからもますます増えていくのでしょうか。
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by michi-no-yuri | 2013-02-19 14:32 | Comments(0)