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谷間の百合

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つづき。(補足)

同じブログに、ビスマルクの「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ。」という言葉が紹介されていました。
わたしが、前の記事の中で書いた「精神主義」の大部分を占めるのが、この「体験」のことです。
体験主義とは、成功体験に拘り、それに縛られることです。
しかし、経験は違います。
わたしの考えですが、分かり易く言えば、経験とは反省のことだと言ってもいいと思います。
体験が成功体験の時点で固定しているのに比し、経験は日々の自省、反省によって留まることがありません。不断に、古い血を新しい血に換えていくことです。

柔道が、もし、いまだ精神主義、体験主義を採っているのなら、これからも勝つことは望めないように思います。









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by michi-no-yuri | 2012-11-30 17:35 | Comments(0)

科学するこころ。

早や旧聞に属しますが、柔道日本代表監督に井上康生さんが就いたというニュースを聞いたとき、わたしは、ああ、次のオリンピックも駄目だなと思いました。
柔道のことにド素人のわたしが言うことでもないと思いますが、直感的に駄目だと思った最大の原因は康生さんの「暗さ」です。
そして、次の思ったのが、相変わらず精神主義でいくのかなという危惧でした。

「目から鼻へ抜けるような人」という言葉があります。頭の回転が早く、抜け目がなく、すばしこい人という意味ですが、抜け過ぎるのも問題ですが、康生さんの場合は、抜け道がないというか、どこかで詰まっている印象があります。あくまで、印象であって、実際は分かりませんが、もしそうなら柔道家あるいは指導者としては致命的です。これは柔軟な精神にとってという意味であって、身体的、技術的なものを指して言うのではありません。

ロンドンオリンピックは見るも無残な結果に終わりましたが、柔道連盟はその敗因の分析をして総括をしたのでしょうか。
先日、外国の柔道選手が、「日本人選手はきれいな柔道にこだわっている」とその敗因を語っていましたが、きれいな柔道に拘る限り日本は勝てないということでしょうか。

しかし、お家芸とはいえ世界にでて勝負をするということは、世界基準に合わせるということではありませんか。

昭和天皇が戦争の敗因として挙げられた言葉は有名ですが、あるブログに、側近のものが昭和天皇から聞いたことを書き留めてそれを箇条書きにしたものがありました。
以下の四ヶ条です。


 敗戦の原因は四つあると思う。
 第一、兵法の研究が不充分であつた事、即孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危なからずといふ根本原理を体得していなかつたこと。
 第二、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した事。
 第三、陸海軍の不一致。
 第四、常識ある主脳者の存在しなかった事。往年の山縣[有朋]、大山[巌]、山本権兵衛、というような大人物に欠け、政戦両略の不充分の点が多く、且軍の主脳者の多くは専門家であつて部下の統率の力量に欠け、いわゆる下克上の状態を招いた事。

注)科学の力とは、ここでは欧米の政治力学・国際慣習法・そして外交交渉力のことを主に指
す。



とくに、第二の、精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したことについて 注)で書かれていることはわたしには新鮮な驚きでした。
敵を知ること、そして科学、つまり、欧米の政治力学、国際慣習法、外交交渉力に通暁することの重要性を昭和天皇は力説されているのです。

柔道界もこういう点に着目しない限り、衰退の一途を辿ることになるのではないでしょ
うか。
言い換えれば、外国選手が強くなったのは、まさに、徹底的に科学をしたということです。日本の柔道を理論的に分析して研究し尽したということです。
その間、日本柔道は井の中の蛙よろしく安閑と過ごしていたのです。
求められているのは理論であって、精神主義ではありません。

それにしても、この四ヶ条は素晴らしいです。
政治家や官僚(特に外交官)は心得として頭に叩き込んでほしい。

(「軍の主脳者の多くは専門家であって、部下の統率の力量に欠け。。。」云々は、現今の日本に跋扈しているいわゆる専門バカを見るにつけ深く頷くところです。)

こういうことからも小沢さんの存在の大きさが分かるではありませんか。
極論ですが、小沢さん以外の政治家は、すべてお金と地位と役職で右往左往しています。
ポストをチラつかせられたら、ひとたまりもなく「転ぶ」ような政治家ばかりです。
天下国家を思っているのは、ひとり、小沢さんだけだと言っても過言ではないでしょう。









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by michi-no-yuri | 2012-11-30 17:33 | Comments(0)

日本をこのままにして死ねるもんですか。

河村たかしさんが、石原慎太郎と会見されたとき、どうなっているのだろうと思いました。日ごろ、話のはしばしに、維新の会の本質を暴くようなことを言っておられ、よく分かっておられるのだなと思っていたからです。

ところが、ネットゲリラの野次馬さんによれば、あれは、期待させ油断させておいて最後に潰すための高度な戦略、ということで、あの会見場での河村さんには何か腹に一物ありそうに感じていましたので、やはり、そういうことだったのでしょうか。
わたしは河村さんが好きなので、亀井さんと合流されてほんとによかったと思いました。

ヨロイカブトの似合う人ですよね。鎧兜を身につけ、床几に座って采を振っておられるイメージがほんとピッタリくるのです。

亀井さんの「出世魚構想」も面白い。
わたしは「未来の党」があまり好きではありませんので、次のネーミングに期待したいと思います。
(慎太郎に粗雑だと言われた「減税日本」はいいと思っていましたけど。)

小沢さんが、解党して無役になられることについて、いろいろ言う人がいます。
自分が生き残るためだろうって。
そうですよ!その通りです。
小沢さんはなんとしても生き残らなければいけないのです。
あんたたちのように自分のためではなく、この国を建て直すために、どんなことがあっても生き残らなければならないのです。
日本をこのままにして死ねるもんですか。
あんたたちの売国のせいで、こんなにメチャクチャになった日本を、このままにして死ねるもんですか。

なぜ、嘉田知事を表看板にしたか。
それこそ、まさに、自分が生き残るためです。
小沢さんに堂々と表にでてこられると、「ジャパンハンドラー」たちは、正気を失くしてほぼ発狂状態になるのです。
愛国者は生かしておけないとなるのです。
だから、かれらを刺激しないように、陰にまわることになるのです。

数年間、忍耐と厳しい試練の日々をおくってこられた小沢さんが、無罪になったからといって意気揚々と表にでてこられないことくらい分かるではありませんか。
何のための忍耐と試練だったのですか。


「日本維新の会」は再び国民の注目を引くために、自民党との合流を発表したらどうですか。吉とでるか凶とでるかは分かりませんが、話題を攫うことにはなります。
バカな国民の何人かは釣れるでしょうし。









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by michi-no-yuri | 2012-11-29 10:51 | Comments(2)

無題。

安倍晋三が、「拉致を人気取りに使うな」と言っています。
人気取りに使った張本人がそう言っているのですから、間違いありません。
野田政権の動きに、拉致の匂いを嗅ぎつけたのか、不安でならないようです。

拉致と言えば安倍、と思っているらしく、そのお株を奪われるのは自分の政治生命にとって致命傷になるとの自覚があるのでしょう。
しかし、実際に、何をしましたか。経済制裁を言っただけです。
当初、一の子分(二の子分?)の山本一太が、鳥取の境港へ行って、さもチェックをしているかのようにテレビで見せかけただけです。
そもそも、統一教会から絶大なる支援を受けている安倍晋三に、経済制裁など出来っこないのです。口先だけ、体裁だけです。

もし、サプライズが拉致なら、アメリカがゴーサインを出したということです。
反小沢連合を是が非でも勝たせるために、拉致のカードを切ったということです。

先日も、北朝鮮、弾道ミサイル発射か?というニュースがアメリカからもたらされました。軍事衛星から北の動きが分かるそうですが、では、軍事以外のことでも北に関する情報が、すべて日本と同じく国交のないアメリカからの経由なのはどうしてですか。
不思議でなりません。



ブログ画面の右下に、イイネ というボタンがあり、1とか2という数字がついているのに気がついたのは、そう前のことではなく、この2か月以内のことだったと思います。
もちろん、何も付いていないこともあり、1をつけてくださる一人、ないしは二人の人はいつも同じ人なのだろうと思っています。
数字が付いていないときは、「何が気にいらないんだ」wと思うと同時に、不思議と嬉しい気持ちになるのです。
すべてが同じ考え、同じ感覚ということはゼッタイあり得ないことで、その一人か二人の人は冷静にシビアに見てくださっているということだからです。

わたしが恐れるのは、賛同のコメントが大量に寄せられる右翼的なブログになることです。こんなブログの分際でそんな心配をするほうがおかしいのですが、気が弱くて、したがって八方美人のわたしは、そうなったらブログを閉じるしかありません。









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by michi-no-yuri | 2012-11-28 11:33 | Comments(0)

二十七日 その二 「去りゆく者には幸せを。」

NHKの朝ドラ「純と愛」は見ていないのですが、目に入るときだけなんとなく見ているという感じで、きょうも漫然と見ていたのですが、ホテルの社長が言った言葉にはっとして耳をそばだてました。よく聞き取れなかったのですが、 社長はロビーの大理石の台座に刻まれているラテン語の詞をこう説明したと思います。

「寄り来る者には太陽を、去りゆく者には幸せを。」
言葉は違っていたと思いますが、意味は合っていると思います。
いい言葉だなと思いました。

わたしは、むかしから、「来る者は拒まず、去る者は追わず」という言葉が嫌いでした。
去る者は追わずというのは、いかにも情がないようで、とくに、それを昂然と、あるいは吐き捨てるように言う(たいてい男性ですが)人が嫌いでした。

ホテルとしてはホテルマンの心得のつもりでこの詞を刻んだのでしょうが、人に去られたことよりも、人から去ってばかりの人生を送ってきたわたしの胸には、格別熱く悲しい思いが込み上げてきます。

去っていく者には、悄然と肩を落とした後ろ姿のイメージが付きまといます。その後ろ姿に向かって、そっと「幸せに」と声をかけられるような人はなんとすばらしい人かと思いますが、わたしにも、そう声をかけてくれた人がいたように思ったのは、きっと過去を美化したいための錯覚か幻覚に違いありません。

これからは、「去りゆく者には幸せを。」でいきたいですね。









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by michi-no-yuri | 2012-11-27 17:28 | Comments(1)

希望と不安。

阿修羅によると
「日本維新の会の石原慎太郎代表は衆院選後の枠組みに関連し、『肝心なことを決めることに過半数がいるなら協力する』と述べ、民主、自民両党などと連携する可能性に言及した。」そして、「強力な第三極をつくる。」と発言したということです。

わたしが最初に、慎太郎の言う大同団結とは、反小沢で結集することではないかと感じたことが裏付けられたようです。

「大阪維新の会」と「立ち上がれ日本の党」との連携のゴタゴタが随分国民の関心を引き付けましたが、いま現在は、橋下徹の迷走と、嘘を隠蔽するために嘘をつき続けるというパフォーマンスばかりが目について、話題性も人気もひたすら下降線を辿っているようです。

そういうときに、小沢さんが嘉田知事を擁立して新党を立ち上げ、それに「みどりの党」や亀井さんの党が連携するというニュースは、低く垂れ込めた曇り空の一点から光が射してきたようで感動さえ覚えました。
政治に諦めていたわたしたちに、政治を信じようという希望を与えてくれました。そして、イチバン優先させなければならないのは何かを再確認させてくれました。

嘉田知事が脱原発に絞って発信してこられたことは、実に、実に正解でした。
何より脱原発なのです。
国の存立は、国土と国民のどちらが欠けても成り立ちません。
その国土と国民のいのちが失われつつあることは喫緊の問題で、いまこうしている間にも、国土は汚染され、国民のいのちが危険に曝されていることを思うと、居ても立ってもいられないくらいです。
脱原発でも遅いのです。
早く、政治の力で子どもを救済し守ってほしい。それは政治にしかできないことなのです。(民間にできることは微々たるものです。)

それにしても、国民に対して、これほどの悪意を向けた政権がかってあったでしょうか。
悪意ならまだしも、これほど国民を無視した政権がかってあったでしょうか。


小沢さんは、公示前に新党を発表しようと手ぐすねひいて待っておられた感があります。第三極の話題が払底したころを見計らって国民の関心を攫おうという計算だったのかと思ったりしました。

しかし、野田総理の自信に満ちた顔を見ると、やはり、サプライズが仕組まれているのは事実なのではないかと思え、サプライズによってはトンデモナイことになりそうな予感がしないでもありません。









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by michi-no-yuri | 2012-11-27 11:22 | Comments(0)

ある感想。

きのうの「暗黒夜考ブログ」に、
松本英志という人の「特ア三国の『反日イデオロギー』にいかに向き合うべきか?」という長文のコメントが転載されています。
その読後感を少しだけ書いてみたいと思います。

≪この三国が掲げている「反日イデオロギー」の背後には、一見したところ無関係に見えるアメリカが深く関わっていることに気付かねばならない。
特に、中国とアメリカ、そして韓国とアメリカとの関係をよくよく見据えてみるならば、国民ではなく「国家権力」同士のレベルではこの三国が「対日関係」では密かに連携し、共に「日本封じ込め」という共通の利害関係で結ばれており、それが中共、韓国という日本周辺諸国においては「反日イデオロギー」という国家戦略として運用されている、という「国際政治の実態構図」が浮かび上がってくるのである。≫


ここで述べられていることは、すでに散々言われてきたことで、わたしたちには、基本中の基本の認識ではないでしょうか。

≪「反日イデオロギー」とは、決して中国(中共)、韓国、そして北朝鮮の「国民感情」なのではなく、実はこの三国に不可欠な「国家戦略」なのである、という重要な点に気付かねばならない。この三国にとって、「反日イデオロギー」とは国民の国家への不満、怒りの矛先をそらすために必要不可欠な仕掛けなのであり、日本とはまさになくてはならない「悪役」であり、国民の不満と怒りを向けさせておくための「スケープゴート」なのである。≫


これも散々言われてきたことで、その通りだと思うものの、韓国の場合は少し事情が違うのではないかと思います。
確かに、反日教育によって反日感情が植えつけられたという面が大きいことは事実でしょうが、先般の大統領の竹島上陸が自分の支持率挽回を目論んだものだと言われているように、韓国では逆に、政府が国民感情に迎合せざるを得ないという国内事情があるのではありませんか。
親日発言をすると袋叩きに合うような社会にあっては、政府といえども「反日イデオロギー」を標榜せざるを得ないということです。

わたしが違和感というより、悲しみのようなものを覚えたのが次の部分です。

≪「中国の多くの国民は中共政府から過酷な弾圧を受け、その圧政と抑圧に喘いでいる。彼らには言論の自由もなければ、思想の自由もない。中国国民の大多数を占める農民には移動の自由すらない。そもそも、彼らには基本的人権すらないのだ。我々は、そんな中国国民に心から同情すると共に、中国国民を圧政、暴政で苦しめている中共政府を断固として糾弾する。我々日本人の敵は中共政府なのであり、中共政府の圧政、暴政に苦しむ中国国民ではない。」というメッセージを、ことあるごとに「中国国民」に対して発信し続ける。≫

わたしは深く嘆息しながらこう思いました。
かれらに「言論の自由」がないように、わたしたちにも「言論の自由」はないのにという感慨です。
いまのところ、ネットでは自由に発言できているように見えているだけです。
本来ならば、そのためにこそ戦わなければならないマスコミが、自ら「言論の自由」を放棄しました。自由を放棄したばかりではなく、真実は隠せという至上命令に無抵抗に従いました。そういう日本のマスコミをスルーして、どうして他国の「言論の自由」を批判できるでしょう。

「かれらには基本的人権さえない。」
では、わたしたちにはそれがあるでしょうか。
福島県民を避難させず、ガレキを全国にばら撒いて、国民が被曝しようがどうでもいいと考えているような政府を持つ日本人に、基本的人権があるといえるでしょうか。

国民レベルの連帯は、わたしには幻想としか思えません。
日本が在日朝鮮人に乗っ取られている現状を放置して、どうして国民同士が連帯できるでしょうか。
韓国から、どんなに無礼な仕打ちをうけても、ほとぼりが醒めたころだと判断したのか、こちらから出向いていって経済協力を申しでるような日本の政権です。









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by michi-no-yuri | 2012-11-26 11:18 | Comments(1)

二十五日 その二 韓流の席巻。

大統領の竹島上陸や、天皇への謝罪発言などを受けて、テレビ局も韓流スターの露出を自粛しているようですが、その分を埋め合わせるかのような在日によるテレビジャックは目に余るものがあります。
もう完全に在日のテレビ局になっているのです。

最近、わたしが、イヤ~な気持ちになったのは、東北新幹線の車体のラインの配色です。日本人の色感ではないと思いました。
こんなところにまで韓流が浸食しているのかと思いましたが、わたしの感覚の方がおかしいのでしょうか?

娘は、わたしのようにはしたなく嫌韓感情を表にだすようなことは一切ありませんが、
内心は、わたし以上に忌避感が強いことを、ときどき思い知らされることがあります。

綿入れの半纏をネットで注文し、届いた現物を一目見るや、娘はひと言、日本の配色ではないと言って返品してしまいました。
また、わたしがスーパーで買ってきたフリーズの室内用の靴下も、同じ理由で忌避しました。
これは嫌韓というよりも、自分のなかの色彩感覚が受け付けないということの方が強いのかもしれませんが。

その国の色彩感覚は、長い歴史のなかで養われてきたものです。
その色感に対して、敏感でないと、大本の文化も分からなくなってしまうのではないかと焦燥感にかられます。
日本の食文化も危機にさらされています。









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by michi-no-yuri | 2012-11-25 10:36 | Comments(0)

二十五日、その一 わたしがした、たった一つのこと。

橋下徹が言う、恐怖心でしか子どもをコントロールできないということは、自分の言うことに従わないものは暴力でいうことをきかせるということでしょうか。
わたしは、かれの本心には、恐怖心で国民をコントロールしたいというどす黒いマグマのような欲望があるのだと思います。
だから、独裁者になりたいと言ったのです。
まさに、独裁者とは、恐怖で国民をコントロールするものだからです。
普通、仮に、こころで独裁者になりたい野望を持っていても、口にだすことはないでしょう。それを愚かな国民は、ハッキリものを言う、潔い、強いリーダーの出現だと勘違いして歓迎するのです。

かれの異常性を見るにつけ、やはり、出自は探られるべきだと思います。
独裁者になりたいということは、日本への復讐宣言に他ならないと思うからです。


わたしが母親として失格だということは、自他共に認めていることですが、一つだけ、ほんとに一つだけいいことをしたと思っていることがあります。
それは、子どもを怯懦な人間にしないために、親が範を示さないといけないということです。
もう忘れましたが、「葉隠」ではなく、何かの本にそう書かれていたのを読んで、即、実行に移したのだと思います。
まったく、子どもを恐怖心でコントロールするとはトンデモナイことなのです。

わたしは、ヘビと同じくらいカミナリが怖いのですが、子どもの前では、死ぬ思いで平気を装いました。そのせいかどうかは分かりませんが、子どもはカミナリを怖がりません。
しかし、こことは違い、当時はヘビがウロチョロ出てくるような環境でなかったことは幸いでした。これだけは、どんなに頑張っても平然ではいられなかったからです。

ほとんどの子どもが嫌がる注射も、わたしは、いつもと同じ態度というか、知らん顔をして突き放すようにしていましたので、子どもが注射を嫌がったこともありません。
また、歯医者さんが近所ということもあって、子どもが幼稚園のときからひとりで行かせていました。

親の過剰反応が、子どもを不安にさせ、恐怖心を起こさせるのではないでしょうか。
子どものときに身についた臆病なこころは終生変わることはないようです。

ちょっと自慢とお説教めいた話になって、後味が悪くなりました。。。










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by michi-no-yuri | 2012-11-25 10:31 | Comments(1)

「葉隠」のことば。

きょうのサンケイの本の広告欄を見て気分が悪くなりました。
小川榮太郎という三文売文家の書いた安倍晋三詩論「約束の日」という本の広告が目に飛び込んできたからです。

非常にタチが悪いのは、三島由紀夫の檄文から「武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ!」という箇所を、自分が掲げる「憲法改正」の傍証に利用していることです。

安倍晋三は松陰や三島由紀夫と同列に並ぶ憂国の志士だそうです。
わたしは、あまり松陰や三島由紀夫を神様扱いにして崇めるのは嫌なのですが、それにしても安倍晋三はないでしょう。
「愛国主義はゴロツキどもの最後の隠れ家」ということです。
(そういえば、あの冷血でレイプ魔の元総理大臣も講演ではよく松陰の名前をだすそうですね。)

わたしは、言葉は重いものだと思っています。
だから、わたしは言葉を信じています。
言葉を信じてきたから、嘘の言葉も分かるようになったと、自分では思っています。

安倍晋三の言うことのどこに真実がありますか。
「日本を取り戻す」?
だったら、鳩山さんのように「アメリカからの独立」を言ってみろ、と言いたくなります。逆に「日米同盟の強化」を叫んでいるではありませんか。たとえ、それが方便だとしても知恵が無さすぎです。
何度も言いますが、「戦後レジーム」からの脱却は、自分が政界から去ることです。蟄居することです。

「嘘の言葉」ということから思い出したのですが
昔、三浦朱門さんが、殉教を迫られるような事態になったときは「転ぶ」と言われたことがあり、いまだに違和感として残っています。
クリスチャンにとって「殉教」は避けて通れない重い命題です。
クリスチャンでないわたしにとっても同じことです。なぜなら、思想や国に殉じるということは、だれにでもあり得る究極の選択だからです。

三浦さんはそれを本気とも冗談ともつかず言われました。
狡い、と思いました。明らかに担保として言っておられると感じました。
人は、殉教や殉死がとても恐ろしいことだと思うから、悩み、苦しみ、そして口を慎むのではないでしょうか。
それをどうして軽々しく「転ぶ」などと言えるのでしょう。

きのう、調べものをしていて偶然、「葉隠」のある言葉に出会いました。

≪「我は臆病なり。その時は逃げ申すべし、おそろしき、痛いなどなどいふことあり。
ざれにも、たはぶれにも、寝言にも、たは言にもいふまじき詞なり。」≫


これが、わたしが、三浦さんに感じた違和感でした。
そういうことは冗談にも、寝言にも言ってはならないと常朝は言っているのです。

「葉隠」からもう一つ。

≪子どもの教育は「かりそめにも、おどし,だます事などあるまじく候。幼少にて強く叱り候へば入気になるなり。」≫


橋下徹は「子どもは、所詮、恐怖心でしかコントロールできない。」と言って、はからずもお里(朝鮮かやくざ)を晒しましたね。
厳しく躾けることと、恐怖心でコントロールすることとは、まったく違います。
(日本では恐怖心を克服するために厳しくしつけるということはありましたが。)










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by michi-no-yuri | 2012-11-24 11:51 | Comments(0)