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谷間の百合

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十月三十一日 その二 

きのう、わたしは、花街や任侠はあった方がいいと言いましたが、その理由として書きたいと思っていたことが、きょうの「徽宗皇帝のブログ」に書かれていました。
後半部分の転載です。


≪今の世の中は、専門家という存在や権威的な存在がたいしたことが無いことを誰でも知っており、それがヤクザや暴力団という、一見「実力の世界」にまで及んできた、という感じである。
尼崎事件における角田の「私設暴力団」に対して、警察が何一つ対処をしていなかったことからも、こうしたアマチュア暴力団が有効なことは分かる。
問題は、こうした新興勢力に対して、昔なら暴力の専門家であり、権威である本物の暴力団がお灸をすえていたはずなのだが、関東連合の事件などを見ても、在来暴力団がこうした跳ねっ返り連中に対して、何らアクションを起こした形跡が見えないことだ。
やはり、ここでも「権威の低下」があるようだ。≫



遊郭ややくざは、世の中の秩序を守るものとして機能していた面が大きいのです。
だから、そういうものを規制すればするほど、より悪いものが蔓延ります。現にそうなっています。
規制と排除は、無法と暴力が支配する世界をつくるだけです。

わたしも、なぜ関東連合のようなチンピラ集団が好き勝手やっているのだろうと不思議でした。昔なら、プロ?のやくざが許さなかったでしょうに。

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by michi-no-yuri | 2012-10-31 16:49 | Comments(0)

十月三十一日 その一 一つだけある歴史の真実。

きょうの「産経抄」に、
天皇賞を制したイタリア人の騎手が、馬を下り、貴賓室の天皇皇后両陛下の前で、片膝をついて深々と挨拶したということと、
あるパーティの席で、幹事を務めたイギリス人ジャーナリストが音頭をとって
「天皇陛下バンザイ」と言ったということが書かれています。

パフォーマンスであっても悪い気はしないどころか感動的です。
しかし、かれらがわが国に台頭してきたナショナリズムの空気を敏感に察したとまでは思わなくても、こういうニュースを利用する人間は必ずでてくるのです。現に産経がそうです。
こうして、日の丸に続き、天皇陛下を政治的利用する輩が増えてくるのではないかと思うとほんとやり切れません。

わたしは、天皇に怒りや恨みを抱いている人は、天皇に無関心な人よりもいいと思っています。尊皇のこころもないのに、天皇、天皇と言っている人よりよほどいいと思っています。
本人は否定するでしょうが、そこには、天皇への渾然一体となった愛憎の念があるのだろうと想像するからです。

いつも勉強させていただいているブログなのですが、先日、記事の中で
「天皇はオヤジの非を謝罪した上で、財団法人皇室博物館の館長になるべき」と書かれた一行に、一瞬こころがざらつきました。
しかし、たとえば、「今上天皇は先帝の非を謝罪して」という風に書かれていたとしたらどうでしょうか。こころはざらつかなかったと思うのです。つまり、わたしにとってそれはあくまでも言葉遣いというかマナーの問題なのです。

最近、わたしがこのごろ読んでいるブログを書いている人の多くは左翼系(便宜上使うのですが)の人なのではないかと思うようになりました。
というのも、いつもハタと困惑するのが、天皇についての思想的な違いというよりも記述への違和感なのです。

普通、歴史観と歴史認識は同じ意味で使われているのかもしれませんが、わたしには、画然とした違いがあるのです。歴史観とは、どういう気持ちで歴史(主に日本の歴史)に向き合うかということで、これは変わることも揺らぐこともありません。しかし、歴史認識とは、個々の歴史的事実と言われているものの評価であって、これはいつでも変わり得るものです。変わり得るというよりも、わたしは、歴史の真実は「個々人の想像力のなかにしかないもの」だと思っています。
しかし、一つだけ歴史に真実があるとすれば、それは万世一系の天皇のご存在です。
(まあ、いろいろ言う人はいるでしょうが)


過日、野菜のタネを買って帰ってきたところに知り合いの人に会い、わたしがタネの袋を見せながら「アメリカのものは嫌なんだけど」と言ったら、変な顔をされました。
もしかしたら、わたしはその人に反米の左翼か共産党と思われたのかもしれないなと後で気がつきました。
いつも日本原産のタネを探すのですが、なかなか稀少で、仕方なく外国産を買います。何もアメリカだけが嫌なわけではなく、日本のがいいという意味だったのですが、どうも誤解されたようです。

あまり、アメリカがどうのこうのと言ってたらヤバイかも。。。w

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by michi-no-yuri | 2012-10-31 16:15 | Comments(0)

失われしもの。

わたしは知らなかったのですが、岩下尚史という人はその筋?では有名な人らしいです。
日曜日の本の紹介欄(滅多に見ない)に「名妓の夜咄」という著書が取り上げられていて興味を惹かれました。

芸者さんと言えば、お酌をしたり踊りを舞ったりというイメージしかないのですが、
「もっとも大事なのは会話なんです。」ということで、わたしも花柳界に限らず、バーやスナックのベテランママさんの話術の巧みさはテレビなどで見ていつも感心しています。

「往時へのレクイエムとも読める書き下ろしの部分からは、清濁併せのむ花柳界の懐の深さが見えてくる。『政治家だって、今は黒か白かという単純な思考ばかり。どんなお客と接するか分からない芸者の世界にはそれがない。日本人の考え方がどこか幼稚になったのと花柳界の衰退はシンクロしていると思いますよ』」

会話の粋は、もう花柳界に細々と残っているだけなのでしょう。
話術はともかくとして、ほんとに、世の中から会話がなくなりました。
メールも会話の内なのかは分かりませんが、そこには、愛様が言われる「声」や「いのちの音」も「生活の音」もありません。

人間と動物の違いは、言葉があることだと言われています。会話がなくなるということは、人間が動物に近づくことです。会話のない世界は不気味です。

ああ、そういうことなのか。
これが「かれら」の目論見なのか。
人から言葉を奪うことが「かれら」の最終目的なのか。
と、ふと思いました。
奴隷に言葉は不要です。なまじ、言葉(思想)があると、ロクなことにならないということを「かれら」はよく知っているのです。

昔、日本中のちょっとした町には遊郭といわれる場所がありました。
今でも、地元の地図などには、元遊郭跡と書かれているものがあります。
「昼間から三味線の音が聞こえてきて、それはそれは賑やかでした。」とある町で聞いたことがあります。
いい時代だったと思うと言えば、顰蹙をかいそうですが、
わたしは、花街もあったほうがいい、任侠もあったほうがいい、と思っています。
牽強付会だと思われるかもしれませんが、文化が衰退し人情も義理も廃れたのは、そういう世界がなくなったからだと、わたしは頑なに思っているのです。
いわば、日本文化の根幹がなくなったに等しいと思っているのです。
そのせいで、世の中が色も匂いも艶もない無味乾燥な殺伐とした世界になったと思っています。
そのせいで芸術や文学や音楽が今や虫の息です。当然の帰結です。

会話の愉しかった時代が懐かしい。



「酔生夢人のブログ」様。

間違いを指摘していただき感謝です。
人のブログにあったことをそのまま書き写していました。
正しくは

「恋ひ恋ひて  逢える時だに  愛しき(いとほしき)  言尽くしてよ  長くと思はば」

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by michi-no-yuri | 2012-10-30 14:39 | Comments(0)

十月二十九日 その二  ポスター

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きのうは用があって奈良へ行っていました。

雨のなか、傘を差して歩いていると、上の観光ポスターが目に止まりました。
あまりの可愛さに、しばし、立ち止まって見ていました。
そのうち、どうしても、このポスターが欲しくなりました。
ちょっと距離がありましたが、駅の観光案内所に行きました。

「あのポスターが欲しいのですが」と言うと、あれは非売品だとにべもない返事。
諦めきれず、独り言のように「欲しいのになあ」とかわいく呟いてみたのですが、駄目なものは駄目でした。
それで、貼ってあったポスターを撮ってきたというわけです。

帰って調べてみると、外にも何人かブログに貼っておられました。
子鹿の可愛さに夢中だったので、「ヤバイほど好きよ。」というキャッチコピーを認識したのは帰宅してからでした。
センスがいいと評判だったということですが、わたしには分かりませんでした。
あまりいいようには思えませんでした。

このコピーの横に小さい字で(。。。と大伴坂上朗女が詠まれました)とあります。
その大伴坂上朗女のうたはこれです。

「恋ひ恋ひて、逢えるときだに愛おしく言尽くしてよ長くと思わば」

この「うた」を現代のコピーライターは「ヤバイほど好きよ。」と表現したのです。

わたしもコピーを考えてみようかなと闘志が湧いてきました。
可愛い子鹿にも似合うようなコピーを。


このポスターを紹介したいだけの記事でした。

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by michi-no-yuri | 2012-10-29 15:34 | Comments(0)

十月二十九日 その一 「秋の空のように」

訪中したアーミテージ一行について、中国外交部の洪磊報道官が
「かれらに日中の領土問題を語る権限はない。」つまり「かれらに、いわゆる『調停』や『斡旋』をおこなう職務はない。」として調停を拒絶したと発言しました。

この報道をもとに、副島隆彦さんが中国の本心を忖度して脚色し、次のように書いておられます。

「あなたたちアメリカ人が、日中の領土紛争を仲介しに来たなどと盗人たけだけしいことはやめなさい。あなたたち下っ端では役不足で、とてもではないが相手にならない。お帰りください。」

かれらは、クリントン長官と合意し、オバマ大統領の承認も得ているということですが、クリントンとの合意はともかく、オバマ大統領の承認というのはどうなんでしょう。
全権大使でもない、いかがわしいやくざまがいの民間人を、もし承認が事実なら、それは、勝手にすれば?という程度の軽い承認だったのではないでしょうか。

アメリカは日本に対しては、このようなゴロツキ連中で十分だと思ったのでしょうが、中国ではそうは問屋が卸さなかったということでしょう。
アーミテージもハドレーも肩書は「元」でしかなく、ナイは大学教授らしい。
そんな、責任を負わない立場の連中をまともに相手にするのは、お人よしの日本人くらいだと笑われていることでしょう。
現に、日本人が、民度が低いと上から目線でみている中国では、一般庶民までが、アメリカの言いなりになっている日本は可哀そうだと哀れみの目でみているそうではありませんか。
これほど情けないことがあるでしょうか。

秋の空は、どこまでも青く、高く澄んでいるのに、日本の空はいっときも晴れ渡ったことがありません。
それどころか、ムリヤリ買わされたオスプレイが、日本の空を我がもの顔で飛び回っています。まるで嘲笑され、汚辱され、レイプされているようです。

「アメリカに領土問題を語る権限はない。」とはっきり言った中国。
わたしは「冷静に 冷静に」と言って、紛争を煽っているアメリカが憎い。

そのアメリカと連動するようにイギリス人までが来日して口を差し挟んできました。
英王立防衛研究所の所長が、「日本は大人として振る舞うべき」と言う一方で「潜在的に非常に危険な状況だ。」と不安を煽っています。
自分らのしたことは棚に上げ、中国とインドの国境紛争や中越戦争に踏み切った歴史的事実を例にして警鐘を鳴らしています。
ご親切なことです!!
イギリスは、ついこないだリビアに対して何をしましたか。
残虐で酷薄な本性を剥き出しにして何をしましたか。

アーミテージ一行との会談に当ったのは、李克強という人だと知って、なんだかほっとする思いがしたのは、かれが小沢さんとパイプがあり、、若いころに小沢邸に居候していたことがあるからです。個人と個人のパイプほど大切なものはありません。戦争を止められるのも、その個人だからです。

日本女性の雇用問題に干渉してきたラガルドIMF専務理事にも
「あなたには、それを言う権限はない。」と言ってほしかった!
アメリカにも
「あなたたちに、領土問題に介入する権限はない。」と言ってほしかった!

そうしたら、わたしのこころは、この秋の空のように澄みわたり、涙滂沱として「バンザイ」を声を限りに叫んだことでしょう。。。

日本人はみんな、このまま、こころが晴れないままに死んでいくのでしょうか。

(戦争でこころを晴らそうとはゼッタイに思わないでほしい。)
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by michi-no-yuri | 2012-10-29 12:55 | Comments(1)

とり急ぎ。

きょうはこれから出かけますのでとり急ぎ。

「What a wonderful world !」の歌詞のなかの
「赤ん坊が泣いているのが聴こえる」のフレーズについて、わたしは
ここでは赤ん坊の泣き声が「長閑さ(のどかさ)」の象徴になっていると書きました。
その後思ったのは、この世界からイチバン失われたのが「長閑さ」ではないだろうかということでした。
人のこころに「長閑さ」がないのですから、長閑な風景を見ても唯見ているだけです。
声にだして、ああ、のどかだなと言って、それで長閑になったつもりでいるのです。
思えば、すべてがそういうことではないでしょうか。

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by michi-no-yuri | 2012-10-28 08:39 | Comments(0)

「内政干渉」という概念は日本にはありません。

ムカつくニュースです。煮えくり返るニュースです。

小沢さんの脱原発取組の第一歩であるドイツ視察に、居ても立ってもいられないほどの焦りを感じたアーミテージ(あの頭から湯気が立ち昇っていたのでは?)とジョセフ・ナイが来日、都内で、2030年代に原発ゼロを目指す方針を『受け入れ難い』と強調したそうです。

その理由は、代替エネルギーが目論み通りのいっていないのに、原子力を放棄して自らの手足を縛る必要があるのかということと
原発増強に動いている中国が、日本の原子力技術を必要としているとし、対中カードを維持する観点からも反対だというものです。

いろいろ、日本のことを心配してくれているんだw
だけど、日本は日本でよく考えてやっていきますから心配には及びません。
小沢さんがいわれるように、全原発が停止し、記録的な猛暑だったのに何一つ問題はありませんでした。
企業は多く海外に移転し、国内の中小企業やその他、いのちに関わる病院、それに交通にも影響も支障もありませんでした。もし、仮に、ライフラインに支障が起こるようなことになれば、国民は節電のために、喜んで奉仕と犠牲の精神を発揮するのではないでしょうか。
福島をそのままにして、よくも原発推進が言えるものだと思います。

「受け入れ難い」だって。。余所の国でなにを言ってるの?この人は!
勝手に言わせておけばいいのに、ご説ごもっともと神妙に聴いている日本人がたくさんいるのですね。情けないことに。

また、来日の前に訪中していたということで、中国指導部から「尖閣に対して中立的な姿勢を求められた」ことに対し「尖閣に侵略したり威嚇したりすれば、米国は中立ではない。」と返答したということです。
実際のやりとりは想像するしかありませんが、侵略すれば?というニュアンスがそこに込められていたのではないかと、ついそんなことを思ってしまいます。
イラクのときもそうでしたし、いつも同じ手を使うからです。
もし、侵略すれば、アメリカは中立ではない、日本の味方をすると、日本政府を安心させる言葉を付け加えることも忘れません。また、その言質がなければ日本政府は不安でなにもできないのです。


維新の会の国会議員団が、選挙の公約案に、終戦から100年に当たる2045年を目標に「外国軍の国内駐留を全廃し、国土と国民を自力で守る。」ことを盛り込んだことに、橋下代表は「どういう根拠なのか知らない、日米同盟があるわけだから。」と反対したと、きょうのサンケイの記事にありました。
かれにとって、同盟も米軍も未来永劫不変のものであるらしい。
そんな、日本人から夢も希望も奪い去るようなことを、かれは考えているということです。


「国民の生活が第一党」の結党記念パーティを見て、人々の小沢さんに寄せる切実な熱い思いがじかに伝わってきました。
あれで解散とせずに、小沢さんを先頭に永田町の方へ行進していったらどうだったのだろうと思いました。道行く人もどんどんそこへ入っていって大きな大きな集団になれば平成の「ええじゃないか」になったかもと、ひとり、涙ぐみながらそんなことを空想して感激に浸っていました。

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by michi-no-yuri | 2012-10-27 12:50 | Comments(0)

かれは田舎の顔役程度の人間です。

汚いもの見たさ?で、きのうの会見少し見てしまいました。汚い顔です。
こういう顔は、地方の田舎で巾を利かせている実力者、つまり顔役によくある風体です。
たまに喫茶店でこういう顔を見かけることがありますが、ウエイトレスを呼ぶのも「オイ!」ですからね。そういうときは睨みつけてやるのですが、「ありがとう」の一言も言えずに死んでいくような人間なのだと思うとつい憐憫の情もかけてしまうわたしです。

かれの言っていることも馬耳東風と聞き流して達観しなければ、この先生きていけそうもありません。
余りにも分かり易い展開で、今更、何も言うことはないのです。
やっと、橋下市長との連携、連帯を言ってくれて安心しました。類は友を呼ぶのです。これに、安倍晋三さんを加えて、三人いっしょに地獄へ落ちろ、と言いたくなりますが、こう言っても「人を呪わば穴二つ」には該当しませんよね。

きのうは、小沢さんの結党記念パーティがあったのですが、小心者の石原慎太郎は
小沢さんを怖れて、会見を同じ日にぶつけて小沢潰しを計ったのでしょう。
お蔭で、ニュース、報道番組は石原一色で、苦痛以外のなにものでもありませんでした。

占領憲法改正などと、いかにも自分はアメリカにもの申すことができる人間なのだということをアピールしていますが、これも演出です。改憲はアメリカが強く望み指示していることです。日本を戦争ができる国にするために。
安倍さんの言う改憲ももちろん同じです。同じ穴のムジナです。

哀れを極めているのが平沼さんです。自分が売国や戦争に加担しているとは夢にも思っていないでしょう。つんぼ桟敷に置かれているというのではなく、世界の仕組みが理解できていないのでしょう。こんな「人がいい」だけの人間は政治家になってはいけません。無害ならまだしも、非常に有害なのです。

マスコミは、「週刊朝日」の一件で萎縮するのではなく、もっともっと橋下市長を挑発してほしい。挑発してやくざの本性を引出し、それを国民の目に焼き付けてほしい。

変な言い方ですが、わたしは胡錦濤さんを信頼します。というか、決して、日本のゴロツキ右翼の挑発や扇動に乗るような人間ではないと信じたいということです。
中国は、バブルの崩壊がトリガーとなって戦争へなだれていくようなことも予想されますが、
どうか、どうか、アメリカを喜ばすような、漁夫の利を与えるようなことだけはしないようにしましょうよ。お互いに。


息子が、友だちのお母さんが癌で亡くなられたと電話してきて、なんども「おかあさん、頼むよ」と言いました。死ぬまでは元気でいてくれということなのでしょう。
飯山さんが力説されているように、わたしも少食とよく噛むことを励行して死ぬまで元気でいようと強く思いました。わたしは親孝行しなかった罪滅ぼしに子ども孝行をしようと思い、それをいつも心がけているのです。

きょうは珍しく永ちゃんの曲がかかっていました。それも夏を歌った曲が、、、
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by michi-no-yuri | 2012-10-26 11:17 | Comments(1)

いろいろ。

毎日八時半に、この二階の喫茶店に入ってこれを書くのが日課になっています。
窓からの眺めは広々として、点在している民家の向こうには、堤防もない昔の川が流れています。その対岸には山が迫っています。
わが家からの眺めも、地形の高低が違うだけでほぼ同じ条件なのですが、なぜか家では書く気がしません。
このごろ、いやに空がきれいです。
この世の見納めに見せてあげようという神の意思さえ感じるほどに、濃い青の美しいブルースカイです。
好きだからいいようなものの、いつもいつも徳永英明のカバー曲がかかっています。

なんと贅沢な時間だろうと、自分で感嘆せずにいられません。


橋下市長のことで、血脈や家族のことを持ち出すのはどうかと言う人がいますが、そんなことは関係ないのです。橋下徹というひとりの人間を問題にしているのです。
人権侵害だと言う人には、では、あなたは橋下徹という無法者を許せるのかと逆に問いたい。
良識もないのに良識ぶったことを言っているとお里がしれます。
あなたたちは鈍感なだけなのですから。
あなたたちの脳は、ぬるま湯につかっている状態なのですが、いつか、そのぬるい脳に熱湯か冷水をぶっかけられることになっても知りませんよ。


尼崎事件で、沖縄や東京、和歌山に逃げた被害者が連れ戻されたということをニュースがさらっと報じていますが、個人や一族だけでそういうことができるわけはなく、
やはり自然に、組織やネットワークの存在が浮かび上がってきます。
そういう全国的な組織を持っているのは、警察、暴力団、そして、巨大な宗教団体くらいしか思いつきませんが、まだ他にもあるかもしれません。
被害者やその家族、知人のなかで、警察へ助けを求めた人はいなかったのでしょうか。
それとも、なんらかの事情で警察が動かなかったというようなことでもあったのでしょうか。
尼崎警察 大丈夫ですか。
この事件は、地方の一警察署だけで、取り扱えるような事件ではないと思いますが。


掃除機をかけながら見ていたのですが、関西テレビの「アンカー」という番組で
青山繁晴さんが、原発や消費税も大事だが、自分としてはこれを争点にしたいと言って「改憲、護憲」と書かれたフリップを掲げました。
そして、自分は改憲に賛成だということを、話しのついでという感じでこそっと付け加えたのです。
この人、安倍晋三さんと近しいのですよね。
正義や公正を装って世論操作をするこの人はタチが悪いです。

争点はもう決まっているのです。原発、消費税、TPPです。
改憲は喫緊の案件ではありません。
何をそんなに急いでいるのですか。


赤ちゃんが泣き止まないことに腹をたてて殺してしまった母親がいました。
五木の子守唄にも「起きて泣く子の面憎さ」とうたわれ、わたしにも経験があることですから腹がたつのは分かります。

先にUPした「What a wonderful world !」の中に、
「赤ん坊が泣いているのが聴こえる」というフレーズがありましたが、これも、「何とすばらしい世界ではないか!」というその世界に含まれる一風景なのです。
ここでは、赤ん坊が泣いていることが、のどかさや幸せの象徴にさえなっているのです。
そういう世界があったのです。
これが、愛様が言われる「いのちの音、生活の音」なのだと思うのですが、今では、ただうるさいとしか聞こえない音になりました。うるさいとしか聞かない社会が母親のこころに反映したということでしょうか。
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by michi-no-yuri | 2012-10-25 11:39 | Comments(1)

「日の丸」に騙されないで。

「阿修羅」より
亀井静香さんの発言。「愛国心で理性を停止させるな」

≪「愛国心だ、愛国心だ」と、ことさらに強調されるときには、何かよこしまな意図がある場合が多い。かつて、日本は愛国心を煽り、理性的な思考を停止してしまった。戦前の政府は、愛国という、誰も抵抗できない言葉でその政策を正当化、美化し、人びとを戦争に駆り立てた。政府に従わない人間に「あいつは愛国心がない」と批判した。≫

≪「オスプレイは、尖閣諸島の防衛に寄与するなどと主張されているが、それは全くナンセンスだ。オスプレイ配備を正当化しようとしているに過ぎない。日本の「防衛オタク」たちは、アメリカの機嫌をとることしか考えていない。」≫


日本人は、いまこそ戦前の過ちを繰り返さないことを英霊や戦死者に誓わなければならないのに、(本人は言ってないと否定しているようですが)「戦争も辞さない」などとトンデモナイことを言ういかがわしい国粋主義者が出現するに至りました。

亀井さんは、前段で、領土を巡る対立があっても、知恵を出し合って共存していくことを考えなければならないと言っておられますが、当然のことで、首相が第一に考えなければならないのが、いかに戦争を回避するかということです。

嫌韓、嫌中を煽っているのは「よこしまな意図」があるからです。
よく、ユーチューブで、同じ日の丸の棹をびっしり林立させてデモをしている集団を見ることがありますが、あれは、きっと「利用された日の丸」「悪い日の丸」に違いありません。一口に日の丸といっても、そこに込められている思いは千差万別です。よく見分けないといけないとうことですね。

わたしは、韓国も在日も嫌いですが、それは、かれらがしてきたこと、していることのやり口に対する怒り、嫌悪感であって、憎しみでも恨みでもありません。
怒りと憎しみは違うものです。日本人は、憎しみではなく、正当な怒りをぶつけるべきなのです。
しかし、考えてみれば、国民の怒りや憎しみを助長してきたのは日本政府なのです。
相手の理不尽な主張や要求に対して、その都度政府がはっきり声をあげて反論してきていたならば、国民がこれほど怒りを内向させて、たえず爆発寸前の精神状態になることはなかったのです。逆に政府は、あろうことか、かの国と物心両面で深く癒着してきたのです。


先日、CSで、ジーン・ハックマン主演の「ミシシッピーバーニング」という映画を見て、黒人差別、レイシズムのおぞましさに凍りつく思いがしました。
人はなぜ、あれほど人を憎むのでしょうか。

その一つの答えになるのではないかと思われることをネット上で見かけました。
田舎の人は、よそ者に対して排他的で不寛容だといわれてきましたが、それは、よそ者が何しにきたのかという不審感と警戒感であり、さらに、自分たちの生存や生活が脅かされるのではないかという恐怖心なのだということでした。
白人が圧倒的に強い立場であっても、黒人に対してそういう警戒感や恐怖心があったのかもしれません。防衛本能なのでしょうか。

憎しみの表情ほど醜いものはありません。
国と国がいがみ合い、人と人が憎しみをぶつけ合うような局面にだけは遭遇したくありません。

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by michi-no-yuri | 2012-10-24 20:51 | Comments(0)