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谷間の百合

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無題。

きょうのマドモアゼル愛様の文は、我が意を得たりというか、これこそわたしが書きたいことだったのです。モチロン、愛様のように書けるはずはありませんが。

一部分を転載させていただきます。

《揺れるとは、その場に限定されず、重力から自由となり、時空をも超えることを意味する。

よって、あらゆる争いは不要であり、存在をあえて誇示する必要も一切の思惑もない。ただただ存在することの歓喜に近いのだろう。よくはわからないが、きっとそうだと思う。

このゆらぎこそ、日本のお家芸ではないだろうか。

そしてこのゆらぎの中に、これからの新たなあらゆる可能性が眠っている気がする。

ひとつの答を求める貧しさ、、、ひとつの目的を追求する貧しさ、、ゆらぎの中にすべてを取り込んでいって、その変化を見る、、、楽しむ、、、そこに開示されてくる世界がきっとある。》


以前にも書きましたが、わたしは、自分の考えが正しいと自信を持ったことがありません。いろいろな人が言っていることの間を「ゆらゆら」していると言えば、信念も節操もない人間だと蔑まれるかもしれませんが、でも、実際そうだったのです。
自分でもクラゲみたいだと自己否定に陥ることもありましたが、
しかし、ものは考えようで、その反面の真理は、何ものにも囚われない自由な精神ということではないでしょうか。

いつごろからか、日本が好き、日本を守りたいというこころさえあれば、他はどうでもいい、「ゆらゆら」でいいと思うようになりました。
思想信念や主義主張なんかどうでもいい、
情と想像力だけでいい、と思うようになりました。


わたしが、森繁久弥さんに惹かれるのも、森繁さんの精神や感性に「ゆらぎ」を感じていたからではないでしょうか。
たとえば、女性(妻)が、価値観だとか自立だとか言ったら、森繁さんは「好きだというだけでいいじゃないの」と言われそうで、この森繁さんの真骨頂の源泉に「ゆらゆら」があるのだろうと思います。そして、これこそが真の「男力」というものではないかと思うのです。
(この世の地獄を見た人間は「ゆらゆら」することで精神のバランスをとるしかないのかもしれません。)
鳥羽一郎さんなども、きっとこう言われるのではないでしょうか。
「夫婦なんだから、それでいいじゃないか」と。(実際は恐妻家かもしれませんがw)
しかし、これが言える男性がなかなかいないのです。

わたし自身は「ゆらゆら」でよくても、それが家族をして「ほっとけない」となり、心配のタネになるようです。だから、ブログを書いていることは内緒です。
(男性の気をひくにはこれに限りますね。テコでも動かないように見える女性は嫌でしょう。わたしも、別に計算してゆらゆらしているわけではありませんがw)

しかし、なぜ人がゆらゆらすることに抵抗を感じるかといえば、それが、「ぶれる」ということと同義に捉えられているからかもしれません。ぶれてもいいではありませんか。
一度、清水の舞台から飛び降りるつもりになってゆらいでみてはどうですか。
「こだわり」とか、「鉄のような意思」とか「初志貫徹」などが尊重されてきた中で、なかなか難しいことかもしれませんが。

わたしは、祖父の師匠である、高浜虚子の
「去年今年貫く棒のごときもの」という句が好きではありません。何が言いたいのか分かりません。変わらないもの、変わってはいけないものを棒のごときものと表現したのなら、その感性を疑いたくなります。
なぜか、「ゆらゆら」から、この句を思い出しました。

わたしのイチバンお気にいりのイヤリングは、透き通ったミドリ色のガラスで、葉っぱのかたちをしています。付けると、ゆらゆら揺れます。
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by michi-no-yuri | 2012-07-31 11:31 | Comments(2)

同じ心ならん人と。

きのうの「つむじ風」ブログに

《 時代の思潮は、相似形である。人間の諸相は相似形である。時代は大きく進展したかに見えるが、人間のやっていることは昔も今もほとんど変わりがない。手にするおもちゃは違ってくるかも知れないが、人間の心根は今も昔も変わりがないのである。》


とありました。シンクロというほどのことではありませんが、この日、わたしは、徒然草 十二段「同じ心ならん人と」を繰り返し読んで、尽きせぬ興趣をおぼえていました。
書かれていることが、いつもすぐ目の前に感じられて、徒然草って不思議な書物ですね。
ほんとうに、人間の心根は今も昔も変わらない。

心を同じくする人と、しんみりと世の儚さなどを語り合えたらどんなに嬉しいことだろう。しかし、現実には、そんな人はいなくて、相手に気を遣ってうまく話を合わせていると。
また、少し意見を異にする人が好ましく、そういう人と言いたいことが言い合えれば
どんなに心が晴れるだろうと言いながら、しかし、そういう人と同じ嘆きを嘆いていても、その「言い方」が自分と違うとわびしくなると。

この「言い方」とは、わたしがいつも言う「語り口」のことでしょうね。問題は「言いよう」なのでしょう。「ものは言いよう」というそれです。
わたしは、声についても、その声がどこから出てくる声かが気になります。
腹の底からか、心臓の辺りか、喉からか、はたまた舌の先からか。
舌の先から言葉を発する人が、当時も今と変わらず多かったことでしょう。

先日、日本人の悪い性向として、その場の空気を読んで、人と違うことを発言するのを怖れるようになったと書きましたが、これは兼好の言っていることとは似て非なるものですね。兼好のそれは無常感であって、打算的に他人に合わせているのとは根本的に違うでしょう。

ところで、わたしは一〇五段の「北の屋かげに消え残りたる雪」が、
ビジュアル的にも、雰囲気的にも、これほど美しい場面はないと思っています。うだるような暑いさなかに、このシーンを想像するだけで、体感温度が一気に一〇度は下がるような気がします。

わたしは、語り合っている若い高貴なカップルの女性に、十代の自分を重ねてうっとりを通り越して、ほぼエクスタシー状態になるwのですが、問題は相手の男性で、すぐには思い浮かびませんが、夫では夢が醒めますw

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by michi-no-yuri | 2012-07-30 17:01 | Comments(1)

魂の重い人には、音楽さえ不要なのかもしれません。

わたしは、オリンピックが余り好きではありません。
マスコミがオリンピック一色になるからということもありますが、ハラハラ,ドキドキする試合
(勝負事)が見られないからです。そういうことなので、どんなスポーツも後で家族に結果だけを教えてもらうというのが、わたしのスポーツ観戦なのです。

そんなわたしですが、今回はロンドンということで、開会式には、ひそかに期待するものがありました。これまでの、人目を引く奇抜で絢爛なものからの逆転の発想をいくのではないかと思うところがあったのです。都会的センスの、シンプルでウイットに富んだオシャレなアイデアで人のこころを魅了するような演出がなされるのではないかと。

そんな期待は見事に裏切られました、少し見ただけで退屈でした。冗長な印象しかありませんでした。
しかし、考えてみれば、フリーメーソンの本家本元で、人びとのこころに平和やほんとうの人類愛を感じさせるような演出がされるわけはなかったのです。そんなことも、うっかり忘れていた自分が悔しくなります。

マドモアゼル愛様がこう言っておられます。

「みせかけのイルミネーションとノイズと言っていい大音響。そこに繰り広げられる
まったく浅い人生感や見せかけの愛情や人類愛。」「魂の重さがもっとあった昔の人が見たら、きっと本当に窒息して死んでしまうのでは。」


魂の重い人には音楽さえ不要なのかもしれません。

以下、失礼とは思いますが、後半部分だけ転載させていただきます。


これからの人類は見せかけの光、、、映像、、、そして見せかけの音、、ノイズ、、周波数によって、こうした未来を運命づけられていく、、、、ということであろう。

逆に言うと、命の光、、、内面の光、、、命の音、、、自然の音、、生活の音、、、こうしたものが、最期の抵抗となってくる。

みんなはスピーカーから出る音でも、実際の音でも、大した差はないと思っておいでかもしれないが、そんなことはない。

音は振動で体の内部に入り込み、私たちの体内の水を振動させ、細胞レベルで影響を与える。

死に属する音はあなたの細胞を弱らせ、大きく精神に影響を与える。

命の音は、あなたの全身にしみわたり、命の元とつないでくれる。

音と光があなたを責める武器にも、あなたを守るものともなる。

インチキな光、インチキな音で、世界をはかろうとする力が随所に出てくる。これまで以上に出てくる。

若者はこれから店などを開く際に、店内でCDなどかける必要はない。528Hzをはじめとする、古くて人間によく働く周波数を実際に流す、、、、トイレのドアを開けるたびに、古代ソルフェジオ音階のパイプ風鈴が鳴る、、、コーヒーが入れあがったら、高周波の倍音が鳴る、、

そんな自然音がキラキラ輝く店内にしたら、客は魂からくつろぎ、再店してくれるようになる。

人は本当の愛情と魂レベルでの快適さを拒否することはできないためだ。

どんなにいい音楽でも、CDガンガン、、、、それがいいのか、それとも、リアルな高周波の倍音がキラキラ鳴る空間がよいのか、、、、快適とは何か、音と光の面からもう一度、若者は考え直してみるとよいと思う。

素晴らしい、魂しいのビジネスがきっと見つかり、十分に収益を上げることもできると思う。


世の中には、音に神経質な人がいますが、わたしは、自然の音、生活の音、それに人の声をうるさいと思ったことがありません。以前、マンションに住んでいたとき、隣から長時間ピアノの音がしたのですが、わたしは認識すらしていませんでした。
さらに、何と、隣家でボヤが出て、消防車が3台もきていたそうですが、わたしは、翌朝、挨拶にこられるまで知らずにいたのです。そういえば、消防車のサイレンの音がしていたかなとぼんやり思い出したのは、耳では認識していたということです。
そのとき、わたしはテレビを見ていたのですが、もし、テレビに集中していれば、外の音をうるさく感じたのでしょうが、いつものように、テレビを見ながら、頭はほかのことを考えていたということなのでしょう。

また、こういうこともありました。
近くの小学校で、お昼休みに音楽をかけるのですが、あるときから、ゲーセンでかかっているような音楽が流れるようになったのです。これには、さすがに音に鈍感で寛大wなわたしでも我慢できませんでした。
クレーマー的な行為は嫌だと思いながらも堪りかねてわたしは学校に電話しました。
電話にでてきた校長先生は「音楽もいろいろですから」と、この新しい音楽が分からないのかとバカにしたような口ぶりで、さらにこう言ったのです。「これは子どもたちのリクエストですから」と。
わたしは、ぐっと堪えましたが、「何のための先生ですか!」と言いそうになりました。
子どもの要求通りのことをしていればいいのなら、わたしだって勤まります!

どうか、子どもにはいい音楽を聞かせてやってください。そうでないと、わたしのように演歌しか聴かないような大人になりますw

わたしは、愛様が音にこだわりをもたれるのがよく分かります。
声と発声によってその人がどんな人かが分かるとわたしは思っています。
だから、取り調べの可視化は必要ない、録音だけで十分だと。
むしろ、可視化は、その人間の内奥の声を聞きとる邪魔になるような気さえします。

愛様が書いておられるように、ほんとうの音と嘘の音を聞き分ける耳を持たないと、人はいつまでもマインドコントロールから脱することはできません。
真実の声を聴くために、いつも耳を研ぎ澄ませていたいと思います。
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by michi-no-yuri | 2012-07-29 11:30 | Comments(1)

国民は独裁者を受け入れたのですか。

橋下市長のことはもう触れたくないと思っていました。ことに、文楽協会とのやりとりを見てからは、ほんとうに、もう嫌だと思っていました。

しかし、嘔吐感を抑えながらも書かずにいられなくなるのは、このような人間を選んだのは、わたしたち国民なんだという苦い思いが、払っても払っても付いて回るからです。
民主主義の手順を踏んで出てきたことへの取り返しのつかない思いというのでしょうか。
国と国民に正常な感覚や規範、そして、常識が健在ならば、このような人間は出てこなかったと思います。
まったく、恥も外聞もあったものではありません。
文化にたいしても、生殺与奪の権力を行使しようという野蛮極まりない行為に、だれも異議を唱えない、「恥を知れ」と一喝する人間もいないのです。それほど、世の中が劣化しおかしくなっているということです。

なぜ、あんなことを言わせておくのですか。補助金を出す、出さないは市長の独断で決められるのですか。三百年以上の歴史ある文楽が市長の一言でどうにでもなるなんて!!
あんなことを言わせてはいけないのではありませんか。即、だれかが止めるか、発言を撤回させなければいけないのではありませんか。
だれも言える人がいないのですね。。。

森田実さんが、大阪で、市長の批判はできない。すぐ、圧力がかかるからと言っておられます。市長自身、恫喝が目的なのか、すべてメディアはチェックしていると言って憚りません。普通の神経ではありません。異常です。

文楽協会との話し合いを公開にすることになぜあれほど固執するのか。それは、最初から相手の言い分を聞くつもりはなく、自分の一方的な弁舌をメディアを通じて広く国民に知らせることで、独裁者としての自分に陶酔したいからです。
相手を言い負かしたい。相手にダメージを与えたいというこころがあるだけです。

わたしが、在日との攻防(笑)でイチバン強く感じたのはそれです。とにかく、自分が優位に立ちたい。相手がお客さんであろうが、年上であろうが関係ありません。
人のこころを傷つけるのが快感なのです。
市長が在日だと言っているのではなく、メンタリィティが同じだということです。

異常なことを異常と感じない、思わない社会がわたしは恐ろしい。
小泉郵政民営化のときと同じです。
西尾幹二さんは、そのときの空気を、みんなは、小泉さんの後ろに控えるアメリカの影に怯えたのだというようなことを書いておられましたが、まったく、いまもそうなのです。
「かれら」は膨大な宣伝費と権力で日本の政治家や官僚やマスコミを籠絡したのです。
橋下市長のバックは、そのとき以上に複雑で広範に亘っているのかもしれません。

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by michi-no-yuri | 2012-07-28 11:04 | Comments(1)

尖閣戦争の足音が聞こえる?

野田総理は同党の議員の尖閣対応への質問に対して
「尖閣の領土、領海で、周辺国による不法行為が発生した場合、必要に応じて自衛隊を用いることも含め、政府全体で毅然として対応する。」と答えました。
政府はアメリカがしっかり後ろに付いていてくれるときだけ、「毅然」とできるそうです。

尖閣の周辺の海域は、海上保安庁の監視船が常時巡回しているとしても、総理が自衛隊の出動を明言したのはこれが初めてではないかと思い、わたしは大変驚きました。
野田総理と石原都知事が、オリンピック開会式をスルーしたのは、もしかしたら、
尖閣戦争突入が最終段階にきたことを示唆しているのではないかと思い愕然とします。

きのう、森田実さんの自由報道協会での記者会見を視聴して、わたしが、いままで直感だけで書いてきたことがそう間違っていなかったことにほっとすると共に、やりきれなさが噴出しました。

大阪にある石原事務所の人間が森田さんを訪ねてきて、
とにかく、石原は戦争がしたいのだと。
中国は許せないのだと。
それで、人が死んでも構わないと思っていると、言ったそうです。

わたし自身は確信しているのですが、ぜひ、かれの出自を調べてほしいものです。
なぜ、尖閣だけを特化してそこまで執念を燃やすのかを説明してほしいものです。
まるで、石原さん個人の憎悪や怨念だけで日本を戦争に引きずり込もうとしているみたいです。
これほどの国賊がかっていたでしょうか。
妖怪的売国奴と言われている中曽根さんだって二の足を踏みそうなことを、かれはどこまでも憎悪の炎を燃やし続けて戦争へ突入しようとしているのです。
気が狂ったのか。 モーロクしたのか、人生最後の夢を見たいのか。

女性で戦争好きなおばさんの桜井よしこさんが、ベトナム戦争を見習えと言っているようですが、見当違いも甚だしい。アメリカとソ連の代理戦争のように言われていますが、
本質は、ベトナムが民族自決、民族自立にいのちを賭けて戦った戦争だったのではありませんか。
アメリカに指嗾されてするような戦争とはわけが違います!!

中国も、日本人が尖閣に上陸すれば、手を拱いているわけにはいかないでしょう。
内憂が高まれば、一気に国民を戦争に向かわせるかもしれません。

「反戦の家づくり」様が予測しておられるように、大きな戦争には発展しないかもしれませんが、小さな小競り合いでも、もし、自衛隊員に死者がでれば、とても名誉の戦死とは言えず可哀そうです。
石原都知事は他人事のように、死者がでてもかまわないと言ったそうですが
そんな人間のために、自衛隊のみなさん、ゼッタイいのちを賭けないでください。
死なないでください。

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by michi-no-yuri | 2012-07-27 11:22 | Comments(0)

失われた聖なる世界への回帰のための反芻行為。(つむじ風ブログより)

フクイチで陣頭指揮に当たり、いまは食道癌治療で入院中の吉田元所長が、あるシンポジューム宛てのビデオレターのなかで
「原子炉の冷却作業をする人間は、撤退すべきではないと死を覚悟していた。部下は
『地獄の中の菩薩』」と言っておられます。

かれら作業員は、国民に知られないままに、このまま癌に蝕まれて朽ちていくのでしょうか。そういう人たちの犠牲の上に、国民は辛うじて生活が営めているというのに、
一方では、オリンピックが始まり、みなが熱狂する姿がこれから繰り広げられるのかと思うと、居心地の悪さを通り越して苦痛さえ感じます。

政府や東電は、かれらのことを、国民に知らせなければなりません。かれらの自己犠牲の精神を讃え、感謝しなければならないのです。
学校でも、かれらのことが感動と感謝をもって語られなければならないのです。


むかし、司法試験を受けるために、新聞配達をしていた青年と、玄関先でよく立ち話をしたことがあります。その青年があるときこう言ったのです。「そんな考えは、世間では気狂い扱いされる」と。
わたしは何も奇嬌なことを言った覚えはありません。ただ、世間の人が偉いと言う人をわたしはエライと思えなかっただけなのです。それを、かれは反社会性だと感じたのかもしれません。
分かり易く言うと、死を覚悟して作業している人と、沢山の肩書を持ち、かの副島隆彦さんが人格者だとして信頼する山下俊一さんとどちらが偉いかということです。
こんな簡単なことを言っただけなのに、なぜ、わたしは気狂い扱いを受けなければならないのでしょうか。

その青年は検事志望でしたから、今頃は悪の組織の歯車となって、わたしのような真っ当な人間wを気狂い扱いして冤罪をつくっているのかもしれません。

ほんとうに、こういう人たちが顕彰されないような国は悪い国です。
悪い人間が幅を利かせ、いい人が社会の片隅に追いやられて息絶えようとしているような国がいい国であろうはずがありません。こんなことがいつまでも許されていいはずがありません。


きょうの「つむじ風」ブログの記事です。

この連載は、伊達や酔狂で連載しているのではない。心の対話であり、失われた聖なる世界への回帰のための反芻行動だ。
分かる人は読んでほしいし、つまらない話と言うことならば、スルーしてほしい。
 聖書を読み、親しんできたひとりではあるが、今ひとつ、解せないところが多かった。そして、その解説を求めることも好きではなかった。解説はその人の解釈だし、得てして、教団宗派の解釈となるからだ。
 得心が大事である。納得する、それがなければ、うち捨てる他はない。それが探求というものである。そう言う意味から、そこに向かって、ひたすら、孤独に歩む他はない。人には頼れない性分であるし、そこを頼っては、ひとつの妥協にしか過ぎない。
 その中にあって、偶然見つけた一冊の書籍が、『The Aquarian Gospel of Jesus』であった。今は絶版だ。その翻訳本が『宝瓶宮福音書:栗原 基訳』である。
それは、解せなかった聖書の隙間を聖水の様に埋め合わせてくれた。これは本物だ! そう叫んだものであった。しかし、人は人である。どう判断するかは、その人の自由である。何度も読んだ。ほとんどすり切れている。
 連載に至った、単純な動機がそこにある。



わたしは、家が特定の宗教でなくて幸せだったと思います。もしそうなら、早くからその宗教の色に染まっているか、あるいは宗教そのものに反発していたでしょうし、どちらにしろ、純粋に感じ、考え、判断することができなかったのではないかと思うからです。他人の判断に自分を委ねることをせずに済んだ家庭環境に感謝です。

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by michi-no-yuri | 2012-07-26 11:19 | Comments(0)

アメリカが日本にしようとしていること。

きょうの「反戦の家づくり」
アメリカの基本方針は「日本アウト」の記事は、いつもながらの鋭い分析で、分析そのものには、胸がすくとは言えても、読後は胸が衝かれる、胸が潰れる、胸が塞ぐような思いがしました。

わたしは、この分析の通りだろうと思います。
震災後に突如持ちあがったTPPが、徐々に動きが鈍くなり、最近では、日本なんかもうどうでもいいという感じになっているのが不思議でした。

「反戦の家づくり」様は
一つには、もうフクイチは手の打ちようがないと判断したのではないか。
加えて、この先、健康被害による莫大な医療費や補償費が経済を圧迫する。
こういう状況を見て、アメリカは「日本に玉子を産ませることを諦めたのだ」
「玉子を産ませてから回収するのではなく、さっさと鳥のまま捌(さば)いてしまおうということだ」と書いておられます。
アングロサクソンの本性が露わになったということで、驚くに当たらないとはいえ、
沸々と怒りと反発心が湧き起こります。

手っ取り早く鳥を捌くとは、尖閣に火を付けることでしょうか。日本国民に、さも重大性と緊急性があるかのように思わせるために、石原都知事を呼びつけて尖閣買い上げを公表させ、さらに、野田総理にも国が買い上げると言わせたのです。
現実に、あの海域で何かが起きているわけでもないのです。近々、そこに、どんな時限爆弾を仕掛けようとしているのでしょうか。


神浦元彰さんが、
米軍が、オスプレイの配備を強行したのは、外務省がそのようにアメリカに働きかけた可能性があると言われたそうですが、このことは、鳩山元総理がインタビューのなかで何度も言及されていることと符合します。
普天間の問題で、アメリカが直接言ってくるのではなく、外務省と防衛省の官僚どもがアメリカの意を忖度して強硬に反対してきたと、鳩山さんは言っておられました。

国民は、そういう官僚がだれかを知ることができません。
ぜひ、顔写真と名前を公表してほしいものです。
もう、世間で生きていけないようにしてやりたい!!

「反戦の家づくる」様は、アメリカのシナリオを潰すために、四つの課題を提言しておられます。

1. 戦争にはしないという強い意志を持ち、それを表明する。
2. そういう政治家を育てて応援する。
3. 福島(とその周辺)の汚染地域の避難を支援する。
4. 日本を「世界の核の墓場」にさせない。

なぜ、全国知事会などで、避難民の受け入れが議題に上らないのでしょう。
「がれき」は利権を生むが、避難民はそうではなく、逆に財政を圧迫するからですか。
それだけではなく、他に、福島から出てほしくない理由があるのですね。

きのう、NHKに出ていた細野さんは人造人間みたいでした。

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by michi-no-yuri | 2012-07-24 11:51 | Comments(0)

わたしは、ますます、日本にのめり込んでいく。

わたしが読む数少ないブログの一つの「酔生夢人」様が
「見かけだけで言えば、長い間の刷り込みによって、西洋人が美しいと思う心性を捨てることができない。」と書いておられて、ちょっとがっかりしました。
わたしなんか、とっくに、そんな刷り込みから自力脱出してw以来、西洋何するものぞという気概で生きて来たというのに。(笑

何も反発心からではなく、わたしは、西洋人を美しいとは思わないのです。
東洋の美、日本の美に目覚めてからというものは。

よく、タモリさんが、痩せたいという女性に、「おんなはポッチャリがいいんだよ」とか「おなかはポッコリがいいんだよ」と言われるのですが、さすが、タモリさんだと思います。「短足がいいんだよ」とはまだ聞いたことはありませんが、多分、そう思っておられるはずです。

わたしが男なら、ベッドに横たわる裸の女性の長~い足や、板のようなおなかを見た途端、その気がなくなると思いますw
やはり、おなかは丸くて柔らかいのがいいと思うのですが。
これまで、日本人女性の欠点とされてきた体型が、このごろになって、わたしには
哀しいまでに「優しいからだ」に思えてきたのです。


いつだったかフランスの女性が、日本の着物の配色にはセンスが感じられないと言っているのをテレビで見て、呉服屋の娘としては聞き捨てならないと思いました。
日本の色の奥深さ、配色の妙が、あんたなんかに分かるもんかと。
まったく、西洋の色彩感覚なんか足元にも及ばないよ、と言ってやりたくなりました。
わたしの耳に残っている色の名前に
浅葱(あさぎ)色
鴇(とき)色
木賊(とくさ)色
納戸(なんど)色
鈍(にび)色 などがありますが、
この日本独特の微妙な色合い、風合いが西洋人に分かるもんかと憤然たる思いがしました。

わたしは、ますます、日本にのめり込んでいくようです。


話しはかわりますが、昨晩、夜中に目が覚めて
人間って大変だぞ
生きなければならず
死ななければならず
(涅槃とやらに到達するまでは)
それを永遠に繰り返さなければならず
と思ったとき、底なしの深淵を覗いたような気持ちになりぞーっとしました。
自己放棄はできないのです。終わりにすることはできないのです。
自殺は単なる途中下車に過ぎません。

わたしはそう思っています。

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by michi-no-yuri | 2012-07-23 15:09 | Comments(1)

「トモダチ作戦」に隠されている寓意。

「トモダチ作戦」と称して、日米がM8・2首都直下地震を想定して合同演習したということです。
朝霞駐屯地で合同訓練の打ち合わせをする自衛隊と在日米軍兵士というキャプションのついた写真には、自衛隊員の姿はなく、日本側としては北沢元防衛大臣だけが写っていました。(この人のアメリカべったりの態度には怒りを覚えます。おそらく、去年7月に、朝霞駐屯地に米海兵隊の連絡将校のポストを新設したのはこの人物でしょう。)

この首都直下地震を想定した日米の合同訓練と聞いて、日本人は何と思うのでしょうか。
わたしは、不思議でならないのです。なぜ、こんなことが当たり前のようにできるのでしょうか。国内の問題なのに、なぜ、当然のように最初から米軍が入っているのですか。
こんなことが、当たり前のように行われ、当たり前のように受け取られていることが、わたしには耐えられないのですが、ほとんどの人は平気なのでしょうか。

だれが立案し、だれが許可したのでしょうか。もう、完全に米軍のなすがままなのですか。
専守防衛が聞いて呆れます。日本は何を守ろうとしているのですか。ほんとの敵が誰かも分からずに、誰と戦うつもりですか。中国や半島ばかり向いている間に(向かされている間に)守るべき日本がなくなっているではありませんか。

わたしは見てなかったのですが、先週の「そこまで言って委員会」で、桂ざこばさんが
尖閣で中国と戦争すればいいと言ったとか。
日本にはアメリカが付いているから負けることはないと言ったとか。
これが、多くの日本人が思っていることかもしれませんね。

日本人はここまで見事に洗脳されてしまったのです。日本人の覚醒を極度に恐れる
アメリカは、その洗脳装置によって、長きに亘って日本人の精神性を眠らせ続けてきたのです。
だからなのです。覚醒しなければならないのです。今がその時なのです。

オスプレイにたいして、親米、従米のマスコミやジャーナリストまでが異議を唱えるようになったことに、流れの変化を感じます。これをきっかけに、「原発要らない」と合わせて「米軍要らない」のシュプレヒコールが湧き起こらないものでしょうか。

「トモダチ作戦」に隠されている寓意とは、声色を変えたり、足を白く塗ったりして子ヤギ(日本)を騙して食べようとしているオオカミ(アメリカ)のことなのです。

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by michi-no-yuri | 2012-07-22 08:01 | Comments(1)

選手会のみなさん、頑張ってください。

WBCの不参加決定ということ、最初どういうことか分かりませんでしたが
少し事情が分かって、「やったね!」と思いました。
選手会のみなさん、相手が折れて、納得できる回答が得られるまで、ゼッタイ妥協しないで頑張ってください。
コミッショナーやオーナー側がどういう手を使って説得に乗り出してくるか分かりませんが負けないで!

コミッショナーの媚米、従米派で、元駐米大使の加藤良三さんの狼狽ぶりには笑ってしまいました。アメリカ様に逆らうなんてトンデモナイことだとオロオロしちゃって。。。
お金の問題ではないと言っていましたが、この人は選手会がお金のことを言っているというくらいの認識しかないのです。かれらは、今後の日本野球を考えて、苦渋の決断をしたと言っているのです。

ほんとに、コミッショナーなんて安易に選出されるのですね。ボランティアなのですか。
報酬がでているのですか。
最近は、ねこの駅長さんもいるのですから、こんな見識も判断力もない人は、ねこさんに代わってもらったらどうですか。同じお飾りなら可愛いほうがいいではありませんか。

こんな人が駐米大使をしていたのです。
先日、野田総理が訪米したときのレセプションか何かの会場で見た藤崎駐米大使、
何と言えばいいのでしょうか、ほんの一瞬見ただけですが、完全にアメリカ側の人間
だという態度がありありと見て取れました。実に不愉快でした。

とにかく、選手会のみなさん、折れないで頑張ってください。
あなたたちは、総理大臣より偉いです。
野田総理はアメリカの要求はすべて丸呑み、もしかしたら、要求されていないことまで
向こうのこころを忖度して差し出しているかもしれません。

きのう、鳩山元総理のインタビューを聞いたのですが、そういうことを言っておられました。アメリカが直接要求してくるではなく、日本のお役人が相手のこころを忖度して
ああだこうだ言ってくると。あまりにも情けなくて涙もでません。
駐米大使もそうですが、まるでご用聞きです。ご機嫌をとるために、注文されていないものまで気を利かせて持ってあがるのです。

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by michi-no-yuri | 2012-07-21 11:36 | Comments(1)