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谷間の百合

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世界で起きていることは、すべて仕組まれている。

きょうのサンケイ「正論」の執筆者は、あの憎きジェームス.E.アワーでした。
わたしは、声にこそ出しませんでしたが、「シャラップ!」「黙れ!黙れ!」と叫びながら読んでいました。(笑

やはり、石原都知事のヘリテージ財団での講演は、アメリカとの共同謀議(?)の上で行われたものだと疑われても仕方がないような背景があるようです。
石原さんは
「どの国の国民も戦争のための戦争は欲しない。だが、わけても、国民が自国の独立を愛し、自国を尊敬している国は、自らの自由に対する攻撃には、必要ならば武力によって抵抗することを厭わない。」と講演のなかで述べたそうです。
その通りです。
しかし、それも日本が独立国だという前提での話です。独立を愛したくても悲しいかな、日本は独立国ではないのです。
一国の首相と並ぶ権威をもつ首長がなぜ、こんな重大なことをアメリカまで行って発言するのでしょうか。まるで、亡命政府のやり方ではありませんか。

面白い記述がありました。
国会で、日本の防衛政策を非難されたときに、小泉元首相が「奴隷の平和は選ばない」と言ったという件です。
小泉さん、知ってますか。主人あっての奴隷なのです。
小泉さんの発言を正確な文脈に直すと、「アメリカの奴隷の下での平和はない」となって、わたしは、独立宣言かと思いましたよ。
気の利いたことを言ったつもりでも、所詮は売国奴の小ネズミだったというお話でした。

アワーさんは、憲法改正と国家安全保障のいずれかを日本人が決断するのであれば、米国は、「トモダチ作戦」でしたように、友達としての温かい支持を差し伸べるべき、だと言っています。
どんなに声色を変えようと、言い方を変えようと、もう子ヤギたちは騙されないということをいい加減肝に銘じて知れ!と言いたくなるのですが、やはり、騙される人が多くて言えないのが悔しいです。(尖閣購入に寄付した人たち!)

在日中国大使館の一等書記官が、外国人登録証明書を不正に更新したとして、警視庁公安部が出頭を要請していたということですが、どういうことなのか意味が分かりません。マスコミはもうかれがスパイであるかのような印象操作をしていますが、案外それが目的なのかもしれません。嫌疑や容疑はいくらでも後でくっつけられるのですから。

よく、引用されるのですが、
フランクリン.ルーズベルトが「世界的な事件は、偶然に起きることは決してない。そうなるように、前もって仕組まれてそうなると。。。わたしはあなたに賭けてもいいと。」
と言っています。
世界的な事件でなくても、日常的な事件、事故もほとんどが自然に起きるのではなく
起こされていると思っていいのではないでしょうか。
真珠湾攻撃の謀略を仕掛けた張本人のひとりが言うことですから、これほど確かなことはありません。
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by michi-no-yuri | 2012-05-31 11:51 | Comments(0)

人間はどんなことでもする。

最近、飯山一郎さんのところから来ましたと言われる方が三人ほどおられて
何のことか意味が分からなかったのですが、きのうになって、「文殊菩薩」という
ブログ板に取り上げていただいていたことを知りました。
遅くなりましたが、わたしの拙文を転載していただきありがとうございました。

ところで、そのブログで感動的な写真を見ました。
キャプションには「ドイツ反格差デモ鎮圧にあたった警官隊がヘルメットを脱ぎデモに参加」とありましたが、これは事実なのだろうかと、何度も目を擦って見直すような
信じられないような気持で見ました。

考えられるありとあらゆる人間性への屈辱、凌辱をユダヤ人に加えたあのナチスドイツの後輩たちが、という思いがしたからです。
しかし、迫害やポグロムのさなかにあっても、神のような、珠玉のような人間性を垣間見せてくれたドイツ兵やドイツ人は沢山いたのです。片方では、そういう「善なる人間性」が、ドイツ人の民族的、精神的伝統のなかで脈打っていたということでしょうか。
そういうエピソードを知るたびに、わたしは人間の素晴らしさに感動し感謝しました。

話は変わりますが、
「つむじ風」ブログの「人肉カプセル」の記事に、臓器を摘出するための殺される子どものことが書かれていました。
これをわたしたちの世界観の外にあることとして無視することはできません。事実として認識することはほんとうに辛いことです。生きてはいけないような気持になります。しかし、生きるということは、そういうことも受け入れるということなのでしょうね。

先日は、モンゴールから生後二か月の赤ちゃんが心臓の手術を受けるために来日しました。何としても子どもを助けたい親の気持ちは痛いほど分かります。
しかし、一方では、臓器を商品として高く売るために、子どもを出産する親もいるのです。両方とも人間の真実です。
記事のなかに、
親が子どもを可愛がるというのは、裕福な先進国のつくりだした「神話」だという一行がありました。そうだろうと思います。
しかし、これも一概に先進国の作り出した神話だとは言えない現実が日本でも頻発しています。遊びたい、自分のやりたいことが邪魔されるなどという理由で放置され虐待されている子どもは多いのではないでしょうか。
ここから、子どもの臓器を売るに至る行程は長いのか短いのか、あるいは、その懸隔は深いのか浅いのかは、わたしには分かりませんが、人間の真実のなかには、悪魔と天使が併存しているという認識は持つべきだろうと思います。
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by michi-no-yuri | 2012-05-30 10:34 | Comments(0)

「権威」は権力者から与えられるもの。

「ウォール.ストリート.ジャーナル」に続いて「ワシントン.ポスト」にも橋下市長の記事が載ったということで、発行部数50万と少ない分を権威が補っているようなことをテレビの人間が興奮気味に喋っていました。
権威というならNHKにも朝日にもあるでしょ。
わたしは、権威というものは権力者が与えるもの、言い換えれば、権力に服従しないものには与えられないのだということを知っといたほうがいいよ、とテレビに向かって言ってやりました。(笑

おそらく、橋下市長の生みの親であるデーブ.スペクターが働きかけたのでしょう。
(かれは、確か、アメリカABCテレビのナントカでした。)
わたしが、毎回口を酸っぱくして言っているようにwアメリカに褒められる人間は
「悪い人」なのです。

だれかが、選挙が先送りになればなるほど、橋下「維新の会」には有利に働くと言っていましたが、そうでしょうか?
実は、わたしの中で、かれへの危機感、警戒感がいつごろからか、潮が引いていくように、かなたへ遠のいていったのですが、なぜなのか自分でも計りかねています。
照さんではありませんが、わたしの中の全能の神様が、その内、かれは失速し、自滅するよとでも教えてくれたのでしょうか。わたしには聞こえませんでしたが。

すべては、ご主人様がいつまでご健在かとうことにかかっているのは間違いないでしょう。

橋下市長は
照明が明るい店舗を住民が監視し通報する「電力通報窓口」を設置するそうです。
ついに、来たかという感想です。監視、密告社会の到来です。
かれの究極の目的は、反橋下の人間を炙り出して、弾圧を加えることでしょう。
そのときになって何を言っても遅いのです。
かれはこう言うでしょう。
「独裁でなければいけないと言って自分は当選したのだ。文句あるか?」と。

どうか、潮が引くようにわたしの中から遠のいていった警戒感がほんとうの予知というものであってくれますように。
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by michi-no-yuri | 2012-05-29 16:42 | Comments(2)

雑感。

吉本芸人の河本さんの母親が生活保護を受けていた問題では賛否ありますが、
なぜ、不正受給でないのかは、法律や数字に疎いわたしには理解できません。
法を厳密に解釈すればそういうことになるのか、あるいは、福祉事務所に非があるということなのか、わたしの頭では分かりません。

そのことではなく、わたしは吉本については腹に据えかねることがあります。
なぜ、特定の芸人ばかりがテレビに出てくるのかということです。
具体的に言えば、千原兄弟とサバンナです。
この二組をテレビに出さないでほしいと言えば、個人の名誉を毀損することになりますか。それなら、その前に、なぜ、かれらがテレビに出ずっぱりなのかを説明してほしい。何百人といる吉本芸人の中から、なぜ、人気も芸もあるわけではない二組をテレビ局は異常なほど多用するのか、その理由を聞かせてほしいのです。

また、吉本で許せないのが服装のだらしなさです。
テレビに出るということは、「ハレ」の場所へ出るということです。晴れがましい場所に出るのに、あの恰好はないでしょう。
吉本やテレビ局には、そういう常識や見識を持った人間はいないのですか。

わたくしごとですが、
生活を簡略化して、できるだけぼーっとした時間をつくることをこころがけているわたしですが、Tシャツやトレーナーが着られないのです。お出かけするところもないのに
毎日、白いブラウスをとっかえては、せっせとアイロンをかけています。
(安い白いブラウスに白や赤や黒の透明で光沢のある長めのネックレスをするのが、わたしの夏の定番のおしゃれです。)
小沢さんといっしょでwわたしも「白」が大好きなのです。
(小沢さん、白いオシドリはもうお手元に届きましたか?)

こんなことを書くと、いかにも几帳面できれい好きな人間に思われそうですが、まったくそうではありません。あることに几帳面だということは、別のことにはだらしないということですから。

(吉本からの連想で)
若い男女のヘアースタイルが大いに気に入らなくても、これがハヤリですからしかたありませんね。
ポマードと言うと、子どもが笑うのですが、わたしはポマードをつけて、七三かオールバックかリーゼントに髪をきれいになでつけている男ならもうだれでもいいです。
むしろ、イケメンよりもブサメンのほうがカッコよくなります。
ほこりはたかるし、枕カバーは汚れるしでポマードは敬遠されますが、そこをあえてそうするのが男の美学ではありませんか。
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by michi-no-yuri | 2012-05-28 14:44 | Comments(2)

歴史はくり返す。

鳩山元首相が3月に続いて訪中し、李克強副首相と会談したことをサンケイが次のように報じています。
「鳩山氏は、尖閣で日中が対立する現在を『さざ波』と表現するなど、現状認識の甘さを露呈した。」と。
アメリカの意を忖度して、「波高し」の状態を作り出したい勢力にとって、鳩山さんの度重なる個人的な行動は苦々しく、目障りでしかたがないということでしょうか。

「スロウ忍ブログ」が鳩山さんの訪中は
「国内シオニスト勢力による日中離反工作の火消し」であり「ぶっちゃけ鳩山氏ほどいい動きをしている政治家は他に居ない」と言っておられることに、わたしは同感します。
わたしも、この鳩山さんの行動は、純粋な憂国の情からでたものであると感じて、
ほ~っと大きな安堵の溜め息をつきました。

しかも、会談相手の李克強という人は、かって、小沢さんの家に居候していたことがあるというではありませんか。こういう個人的なパイプが、国の命運を左右することがあることを思うと、やはり、小沢さんは「やることはやっておられる」のだと深く感じ入ります。(そういえば、アメリカの子どもたちとも何かの縁があって、日本に招待したりされていましたね。)
このたびの鳩山訪中にも小沢さんの関与があるのかもしれません。

メディアは、尖閣周辺に中国の船が出没している、あるいは、中国は日本の国土を買い漁っているとか言って、警戒心を煽っていますが、そもそもこういう状況は《故意》に作り出されたものです。留学生10万人受け入れで大量の中国人を入国させたのは中曽根内閣です。今も、新たに30万人の受け入れが進行しているのです。日本に中国人をどんどん受け入れよというのがご主人様のご意向だということで、中曽根さんは淡々とそれを実行したのです。すべてはジョセフ・ナイがまとめた「対日報告書」のシナリオ通りの動きになっているのです。

人間に化け損なったタヌキのような経団連の会長も、懲りることなく移民の受け入れを
提言しています。自分のことしか考えない経済人の分際で、国のことに口をだすな、
大企業がいなくなっても、人口が減っても日本は大丈夫だから、つべこべ言わずに日本から出て行けと言いたくなるのはわたしだけでしょうか。

少子化対策とは、少子化を推し進めるための対策なのです。かれらは日本の人口を減らし移民を受け入れようとしているのです。なぜかと言えば、日本人を殲滅したいからです。多分、白人に逆らった民族がどうなるかを思い知らせたいのでしょう。

中曽根、石原という人間の立ち位置ははっきりしているではありませんか。
かれらは自分たちの目の黒い内に戦争がしたくてしようがない老人たちなのです。
身を捨ててもいい、なんて心にもないことを言っていますが、そんな汚いいのち、勝手に朽ちていってくれと願うだけです。

わたしは、これを書きながら、わたしたちは「国家の意思」というものを一度でも見たことがあるだろうか、感じたことがあっただろうかと思ったとたん、涙が溢れて止まらなくなりました。

いま、戦争することに「国家の意思」が美々しく偽装され、作動しつつあることを感じ、わたしはただ茫然としています。歴史は繰り返すのですね。
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by michi-no-yuri | 2012-05-27 11:22 | Comments(2)

エンマ大王とは自分の良心のことではないでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件の再審請求が認められませんでした。
菅家さんが言われた「人の人生を何と思っているんだ!」の一言が、重くこころにのしかかりました。ほんとに!!
奥西さんが50年の間、独房でどんな思いで生きてきたのか、あなたたちは一瞬でも考えたことがあるのか。
ゴルフにグルメ三昧とは言いませんが、晩酌や食後の一杯のコーヒーを愉しんでいるささやかな至福のひとときに、チラッとでも死刑囚の身の上が脳裏を過ったことはないのか。

驚いたのは、弁護側が提出した科学的証拠を退けて、自白を採用したことです。こんな時代に逆行した司法判断が許されるのでしょうか。

ある人が、どんな人間も100%自白すると言っていたことが強く印象に残っています。
世間の多くの人は、自白ほど確かなものはないと思っているかもしれませんが、トンデモナイことです。それはあまりにも浅薄な人間観です。
わたし自身も、していなくても自白するような気がします。取調官は、おそらく、アメとムチを使い分けて攻めてくるでしょうが、ムチには耐えられても、アメ(情)で迫られたらヤバイなということが自分で想像できるのです。ストックホルム症候群とはシチュエーションは違いますが、それと似たような関係になるのではという恐れを持つのです。

自白ほど確かなことはないと思っている人は、人間(自分)の弱さを知らないのです。
いつか、子どもが「ボクは、もしそういうことになったら、100%自白するから
そのつもりでいてくれ」と冗談めかして言ったことがありましたが、この子はすでに
人間の弱さを知っているのだと思って、かえって安心感をもったことでした。そして、
おそらく、かれは最後まで頑張るんではないかとも思いました。

高校生のとき、2,3 回続けて、警察で尋問を受けている夢を見ました。どんなに無実を訴えてもまったく話が通じないことに絶望し、胸も張り裂けんばかりに泣きながら目が覚めるのです。後年、これはきっと前世での経験だろうと確信したのですが、それ以来、わたしは、警察の人間とはゼッタイ話が通じることはないと思って生きてきました。

また、やっていないのなら、堂々とやっていないと言えばいいと言う人がいますが、それも浅薄な考え方です。そんなことが通用する世界でないことは小沢さんの事件をみればイヤというほど分かることではありませんか。

閻魔大王の前では、嘘も隠し事も通じないそうです。わたしの想像ですが、閻魔大王とは、人間を裁く存在ではなく、すべてを映し出す鏡、つまり、自分の中の良心のことをいうのではないでしょうか。
その良心の鏡に、自分の悪業のすべてが映し出され、がまの油ではありませんが、おのれの罪深さを知って苦しむことになるのではないかと思います。

稲垣足穂は言っています。
「死んだらオシマイだなんて、そうは問屋がおろすもんか」と。

死は終わりではなさそうです。
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by michi-no-yuri | 2012-05-26 10:56 | Comments(0)

文化の破壊

詳しくは知らないのですが、ヒップホップダンス(これだけではないようですが)を中学校の必修にすることを発案したのは安倍元総理だということで驚きました。どういう手続き、経緯を踏めば、こんな重要なことが一議員によって簡単に決められてしまうのか不思議でなりません。どういう理由で、どういう経緯を経て決められたのでしょうか。
これは、誇張ではなく日本文化の破壊です。

何かを見に行ったり、聴きに行ったりすることが全くと言っていいほどないわたしですが、一つだけ楽しみにしているのが市民文化祭です。お目当ては「△△音頭」の踊りです。永遠に踊っていてほしいと思うくらい魅了されるのです。
粋(いき)で、優美で、色っぽくて、愛嬌があって。。。。。ああ、これぞ日本の庶民文化の神髄だと思い、陶酔して見ているのです。

ところが、非常に不快なことがあります。ヒップホップと「よさこい」です。
嫌いというレベルを通り越して憎悪しています。
目をつむって耐えているのですが、なんで、子どもにこんな憎たらしいダンスを踊らせるのかと憤懣やるかたなくなるのです。
「よさこい」もそうです。共通しているのが衣装の汚らしさとだらしなさです。優美さや愛嬌など微塵もありません。

そういうダンスがなぜ、日本文化を破壊するかと言えば、それによって日本女性特有の所作、身のこなし、しぐさが損なわれるからです。それが損なわれることによって、身体表現に集約されている文化そのものが破壊されるのです。したがって、今以上に、日本女性から殺伐としたオーラが発散することになるのではないでしょうか。
安倍さんが言う「美しい日本」がまたまた失われるのです。

本場の「よさこい」はどうなのかとユーチューブで見たら、なんか変な衣装で踊っていました。だれかがデザインしたものでしょうが、余計なことをしたものです。

もう一つ嫌なのが、女性が大太鼓を打つことです。男性のすることは何でもしたくなるのでしょうが、これだけは手をつけないでほしかったと思いました。
一つくらい、男の世界、男の聖域を残してもいいのではありませんか。
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by michi-no-yuri | 2012-05-24 11:16 | Comments(8)

石原慎太郎という人間。

きのうのサンケイの世論調査は、一瞬、サンケイの読者を対象に行ったものかと思いました。石原氏の支持が高かったのは、小沢さんとの連携を明確に否定したことが、好感をもたれたwのだとサンケイは分析していますが、いろいろ工作してあの程度ならたいしたことはありません。それにしても、小沢さんの不支持が80%には笑ってしまいます。

石原さんは、小沢さんを明確に否定したということですが、小沢さんの何を否定しているのかは明確ではありません。一人の政治家をそこまで否定するのなら、それを明確にするのが政治家の説明責任というものでしょう。小沢さんにばかり説明責任の義務があるわけではありません。

かれが小沢さんについて公の場で
「死んでも嫌だ」「生理的に受け付けない」と言ったのを聞いて、わたしはあっ気にとられました。これが男の言うことでしょうか。公人の言う言葉でしょうか。
今はそれほどでもありませんが、女性がよく「生理的にイヤ」と言うことに対して、
男性は「だから、女は子宮でしかものを考えられない」とか「女は論理的に考えられない」と言って罵倒しました。わたしは、自分が言われたわけでもないのにそのことが恨み骨髄でwぜったいに「生理的」という言葉は使ってやるもんかと思って生きてきたのです。

ところが、石原慎太郎さんは平気でそれを口にするのです。
かれが、ものごとを筋道たてて論理的に話したことがあっただろうかという、わたしの分析が正しかったことが証明されたのです。

人間は偉くなればなるほど口を慎むものでしょう。それは、いわゆる「守りに入る」という面もあるでしょうが、それ以上に、言葉に責任が伴うことを身に染みて感じるからではありませんか。

わたしは、この人を日本人とは思っていません。
先日は、記者会見で、息子の伸晃さんのことに言及し、あんなクズのような党から出たら、かれも人気が出るのだという意味のことを言っていました。
以前は、絵描きの息子の作品を、都が買い上げたことが明るみに出て批判されたとき、
「言っときますがね、かれは才能のある芸術家なんだ」と言いました。
どれだけ親馬鹿なんだという話ではなく、わたしが自信をもって言えるのは、日本人ならゼッタイこういうことは言わないということです。
これほど人間や国民をバカにしたはなしはないのです。
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by michi-no-yuri | 2012-05-23 11:08 | Comments(0)

「過去で生きていたものと、現在で生きているものとが、一つでなければ、歴史ではない。」

「過去で生きていたものと、現在で生きているものとが、一つでなければ、歴史ではない。」
と言ったのは誰だったかしらと思って調べたら、あの秋山真之の子の秋山大という人物でした。このことは、わたしがいつも思っていることで、先日、ふとこの言葉を思い出して、多くもない本をひっくり返していました。
歴史家や、世に多く存在する歴史愛好家には、この視点が欠けているのではないかと
いうことを日頃思っていたからです。
ある時代の歴史にやたら詳しい人がいますが、知っているだけなら、それだけのことで、ただの物知りということ以上の意味や意義は何もありません。

また、宗教やスピリチュアル系の本を読んで、難しいことを良く知っている人は、他者のものの見方や考え方を隅々までチェックしてクレームをつけたがります。全体への視点があれば、もう少しすべてに寛容になれるものをと思います。

よく、科学と一口に言っても、どれだけの分野に細分化されているのだろうと思っていたのですが、いつか、井口和基さんが、そのことに触れて、自分は自分の専門分野以外のことは分からないと書いておられたことがありました。しかし、井口さんがブログにおいて、専門分野のことを一般化、普遍化することにこころを砕いておられるせいで、わたしのような人間でも、科学というものを自分の生に僅かなりとも引き寄せることができるのです。
専門が専門の殻に閉じこもっている限り、それは生きた科学とは言えないのではないでしょうか。そういう専門家はきっと全体の俯瞰図を描けないのでしょう。言い換えれば、人間への関心や愛情がないということです。

この、全体と部分、専門と普遍の関係も、「過去で生きているものと、現在で生きているものがひとつでなければ」という法則?に当てはまるのです。
わたしが、広く、浅くをモットーにしていると言ったのは、このことが念頭にあったからです。一つのことやある一部分に捉われて、全体を見失うのを恐れるからです。
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by michi-no-yuri | 2012-05-22 11:03 | Comments(2)

ほんとうの大阪クオリティー

吉本の芸人が、何千万という収入がありながら母親に生活保護を受けさせていたことが
このところずーっと話題になっています。
「貰えるもんは、もろといたらええ」と言ったということが、大阪クオリティなどと言われて揶揄され侮辱されていることがわたしは悲しい。

ある人が、日本を悪くしたのは、吉本、日教組、創価学会だと言ったことには大いに納得するのですが、とくに、吉本という悪貨が、良貨であった本来の大阪を駆逐してしまったことは返す返すも口惜しいことです。

以前にも書いたことがあるのですが、
東京で役人人生を勤め上げて帰郷した人から聞いた話です。
その人も大阪生まれなのに、大阪には偏見があって、ゼニ、カネがすべてのがめつい世界だと思っていたそうです。ところが、そうではなかったと。
東京では他人のお金で飲食する人間が多いが、大阪人は自分のお金で飲み食いする。
つまり、そのことが象徴しているのは、大阪商人に代表される大阪人には独立不羈の精神と進取の意気があるということだというお話でした。

これは、父が、ゼニ、カネよりも大事なものがあることを教えてくれたエピソードの一つですが
父が、毎朝、ある公共の場所の清掃をひとりでしていたことを、某新聞社が聞きつけて記事にしたいと言ってきたのですが、父は会おうとはしませんでした。
そのとき「恥を知るのが日本人や」と呟いた父をいまでもはっきり覚えています。
何であれ、新聞に載るというのは恥ずかしいことだったのです。
父がしていたことは、無意識だったでしょうが、陰徳を積むということで、決して人に知られたくないことだったのでしょう。

「細雪」とは言い過ぎかもしれませんが、田辺聖子さんなどの小説の中にほんとうの大阪があるのではないでしょうか。どちらも読んだことはないのですが、
何となくそんな気がしました。
先日、ほんとうに久しぶりに大阪のミナミをちらっとだけ歩いて多国籍都市のような印象を持ったのですが、表面的には大きく変貌したとはいえ、
大阪商人の心意気は、細々ながら絶えることなく、大阪の地下水脈を流れているのを
こころの琴線で感じることができました。
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by michi-no-yuri | 2012-05-21 13:12 | Comments(3)