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谷間の百合

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夏は来ぬ。

きのうは新緑をもとめて近辺のあちこちをドライブしました。

湯あたりという言葉がありますが、新緑にも「あたる」ということが言えるのかけさは起きられませんでした。

それで、欠かしたことのないラジオ体操と犬の散歩が果たせませんでした。

ずーっと感動のしっぱなしだったのですから無理もありません。

いきなり、耳元で鋭く啼くホトトギス

水が張られた田の面に、白い雲がゆっくり流れていきます。

それらが、フクシマの見捨てられた自然や田畑と重なってよけい情感を揺さぶりました。



夏は来ぬ

卯の花の 匂う垣根に

ホトトギス 早もきなきて

忍び音もらす 夏は来ぬ


五月雨の そそぐ山田に

早乙女が 裳裾ぬらして

玉苗ううる 夏は来ぬ


五月やみ ホタルとびかい

水鶏(くいな)なき 卯の花さきて

早苗うえわたす 夏は来ぬ



大好きな、多分、イチバン好きな唱歌です。

わたしにとっての「歓喜の歌」です。

でも、この一年でもっとも美しい季節は、「美」の宿命に洩れず、あっという間に終わってしまいます。

(この歌では、田植えとホタルが同時にでてきますが、昔はそうだったのでしょうか。)
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by michi-no-yuri | 2012-04-30 18:08 | Comments(2)

わたしは、やっぱり神さまにお願いすることにします。

きのう、ひろみさんからのコメントで、一人ひとりが声を上げなければという強いメッセージをいただきました。
いつもいつも背中を押されているようで、正直なところ、もう少しお手柔らかにと思っています。(笑)

わたしにはそもそも元気というものがありません。

このブログを書くのがいっぱいいっぱいで、あとは寝ているようなものです。(このところ、畑で忙しくしていますが)

ブログも五つか六つ目を通すだけで、長い記事や難解な記事ははなからスルーです。

根気というものがないのです。

そういうわたしですから、つい安易に神さまにお願いしてしまい、ひろみさんから叱られることになりました。

一人ひとりが声をあげなければならないということに、反論や異論のあろうはずはありません。

このたびの小沢さんの無罪も、多くの人の声があればこそで、その声の大きさを無視できなくなったからでしょう。

もっとも、かれらの側に多少でも正義があれば、いくら声が大きくても雑音として耳を貸すことはなかったのでしょうが、何分、弱味のあり過ぎる連中ですから。

(「自民党政治のパンツを剥ぐ」というブログによれば、森ゆうこさんと八木啓代さんの決死の行動によって、もし、有罪になれば世界的スキャンダルになるということで無罪にせざるを得なかったということでらしいです。)

しかし、一人ひとりの声は、ともすれば一人ひとりのエゴの発現ということになりかねません。

同じ目的のために、小異を捨てて大同にというのも最初だけですぐに各人のエゴが出てきて自然消滅というのが大概のパターンです。

脱原発くらいは国民のコンセンサスだと思っていたのに、そうはならずに利権や思惑が錯綜して収集がつかない状態です。

東電、推進派は、自分たちの利権、保身、メンツを守るのに死にもの狂いですし、その縮図が地元にもあるようです。

脱原発にみせかけて再稼働か増税かの選択を迫る市長も現れました。

また、尖閣買い上げについて、都庁に掛かってきた電話の九割は賛同するものだったそうです。

おそらく、それによって中国と戦争になってもいいというより戦争を望んでいる人たちでしょう。

戦争がどういうものか想像もできない人たちなのです。しかし、こういうのも国民の声です。

ひろみさんには人間への信頼が根底にあるのですね。スバラシイ素質ですね。

そこがわたしと違うのかもしれません。

人間は、常識、良識、理性、正気といったものを最後まで持ち続けることが可能だろうかという疑問が、わたしのなかにあります。

わたしはそれらを持っているだろうか、持っているとして、どこまで、いつまで持ちこたえることができるだろうかという疑問がたえず頭をもたげてきます。

そんなものは、時代の激変に直面すれば、あっ気なく瓦解し変質してしまうのではないだろうかという恐れです。

なんやかやという経緯を経て、わたしは最後に神さまにお願いすることになりました。

日本の神々ならきっと良きように計らってくださると信じることにしたのです。

このこと、どうか非科学的だとは思わないでほしいのです。

天皇陛下が毎日、そうしておられるのですから。


「つむじ風」のコメントで見たのですが、ひろみさん、大変お元気とのこと思わず顔がほころびました。

わたしなんか病気になればすぐ神さまに縋ってしまいそうですがひろみさんに倣って勉強もしないといけませんね。

わたしは勉強嫌いの劣等生で、ここがイチバンひろみさんと違うところだといつも思っているのです。
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by michi-no-yuri | 2012-04-29 10:51 | Comments(5)

どうすれば、かれらを日本から追い出せるでしょうか。

石原都知事の『無罪と言ったって灰色、限りなく黒に近い判決』との発言は官僚とマスコミに洗脳された模範解答だと「スロウ忍」様は言っておられます。

また、「真実はマスコミが垂れ流す情報の真逆にあるとみて間違いない」とのことですが、これが、わたしが産経新聞を愛読する理由なのです。

産経の記事の真逆に真実があると思えるのですから、真実を探し出す労力がどれだけ軽減されるか、その恩恵ははかりしれません。

限りなく黒に近いのなら、どこがどうグレーなのか、根拠をあげて言わないのは卑怯ではありませんか。

言えないですね。

何しろレクチャーを受けての発言ですものね。

いつか、わたしの息子が、テレビでかれが喋っているのを見て「この人は,其処らあたりで聞いてきたことを喋っているだけみたい」と言ったことがありますが、たいした慧眼ではありませんか。

ほんとうに、かれは物事を筋道立てて真剣に考えたことがあるのでしょうか。

口からでまかせを言って、何十年も日本の国に関わってこられたのですから、世間なんて甘いものです。

何が憎いかと言えば、そういうことです。

日本という国を私物化しているような態度です。

(わたしは、あの日本人離れ?をした歩き方に虫唾が走ります。)

小泉進次郎さんが記者に囲まれ(なぜ、記者はかれにコメントを求めるのでしょう。)

「よけい霧が深まった」と言っていましたが、その霧の正体は何ですか。

言えないでしょう?ジェラルド・カーチスという偽神父のような、ユダのような顔をした先生からどんな教育を受けたのですか。

若い内に,反日という毒を注ぎ込まれ、行き先は地獄と決まっている道をこれから歩んでいくのかと思うと憐れです。

父親は、その「悪」を自分ひとりで引き受ければいいものを、息子にも分け与えてしまいました。なんという父親でしょうか。

父親の過去が,進次郎さんの耳にも入らないはずはないと思うのですが、スルーなのですか。

まともな神経の人間なら、恥かしくて、地面に穴を掘ってそこに顔を突っ込まずにはいられないと思います。

わたしは、ジェラルド・カーチスのような人間が、日本のことに口を差し挟んでくるのが耐えられません。

どうしたら、かれらを日本から追い出せるでしょうか。
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by michi-no-yuri | 2012-04-28 09:52 | Comments(1)

素直に喜べない「無罪判決」

無罪と聞いた途端、わたしはフィギュアの鈴木明子選手のように
手を叩いてピョンピョン飛び跳ねました。

その後、しばらくして脱力したようになり、きょうはもう何もしまいと決めて肘掛け椅子にからだを沈めました。

しかし、その内、ジャパンハンドラーがこのまま手を拱いているわけがないではないかという不安感が徐々に胸に満ちてきました。

その不安感は、夕方の情報番組で、橋下市長の再稼働の発言を聞いてピークに達しました。わたしは不安感と不快感で眠れぬ夜を過ごすこととなったのです。

けさ、イチバンに「反戦の家づくり」のブログを読んで、わたしが感じたことと同じようなことが書かれていたことに意を強くしたものの、それが却って不安感を募らせることにもなりました。

管理人様は、犯罪認定しながら無罪判決を出した理由の一つはアメリカに、小沢一郎を飼い殺しにする=角を矯める意図があるのではないかと分析しておられます。

実は、わたしは小沢、橋下の連携などあり得ないと思っているのですが、
もし、可能性があるとすれば、橋下のような人間を野放しにしておくのは危険だから、自分の陣営に取り込んで、それこそ角を矯めるという戦術もありかなと思っていました。

ところが管理人様は、それがアメリカが小沢さんに対して意図していることではないかと言われるのです。

なるほどです。橋下市長がツイッターで小沢さんを持ち上げているのもそういう意図があるのでしょう。

つまり、ジャパンハンドラーは橋下市長に奴隷頭(総理大臣)を任せて、その流れの中で、小沢グループを取り込んでいくというのが無罪判決の狙いではないかと。

アメリカが求めているのは、ストレートに自分たちの言うことを聞く有能なキャラクターであり、それが橋本市長なのだと。

過日、わたしはアメリカはもうTPPなんかどうでもいいと思っているのではないかと書きましたが、それは、政府を相手にするよりも橋下市長を首相にする方が手っ取り早く事が進むということをかれらが考えているのではないかと思ったからです。

きのう、マスコミは橋下市長のコメントをとるのに必死だったようですが、ついに姿をみせなかったそうです。

管理人様いわく、ここで間違うわけにはいかないからご主人様の念入りなレクチャーを受けているのだろう、ですって。

わたしも同じことを思っていたので笑ってしまいましたが、あれだけ饒舌で雄弁にみえる人間でも自分の意思ではなくレクチャーをうけて喋っているのだと思うと憐れになります。

それにしても他人の意思をあれだけ見事に喋れるのは一種の天才かもしれません。

さすが、アメリカはいい人物を探し当てました。

代わりに会見した松井知事は、「維新の会」と小沢さんの連携はあり得ない。政策がまったく違うと、つい本音を喋っていたようです。正直は人なのでしょう。

住民に、増税か再稼働かの選択を迫っている件についても今更驚きません。

そもそも、関西財界を初め、原発推進派に取り囲まれている人物がどうして脱原発を行えるでしょう。すべてパフォーマンスです。

八つの提案を引っ提げて官邸に乗り込んだのもそうです。

一石二鳥のパフォーマンスです。

国民受けのする大義名分を見つけては,上京の機会をつくるのです。国民に存在をアピールする一方で、怪しげな人物と合って密談をこらせるからです。

先日は、安倍元総理と合っていたようですが、まあ、想定内の人物ではあります。

いろいろな人物と会う度に、発言が微妙に変化していますから、注意して聞いていなければなりません。
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by michi-no-yuri | 2012-04-27 11:17 | Comments(0)

東大という「悪」 (あくまで象徴としての)

東大を初め、元帝大と言われる大学の建学の意義や精神は、公への奉仕だったはずです。

小沢さんがよく言われる「ご奉公」がその本分だったはずなのに、

そんな精神はすでに明治のころから姿を変えて、立身出世がまかり通っていたようです。

しかし、そのころの立身出世はまだよかったのです。

国のためという気持ちもあり、貧しいものに自分の富を分配するという気風があったからです。

優秀なのに家が貧しくて上の学校に行けない子どもに出資するということはよくあったことだと祖父母などから聞いていました。現在の奨学金に相当するものです。

しかし、いまどこを探してもそういう気風も伝統もありません。


戦後は、ひたすら立身出世と私利私欲のための東大になりました。

それが当たり前になりました。

ただ、私利私欲だけなら、その道義的責任のほとんどは個人が負えばいいのですが、かれらはそれに飽き足らず、積極的に売国、壊国に関わっていったのです。

薄弱な精神によって、己が欲望の赴くままに。

その一方で、国民は「お国のため」という考えは軍国主義につながる「悪」の代名詞のように思い込まされてきました。

それに代わって、個人主義はスバラシイ価値なのだと教えられたのです。

それが、アメリカがもっとも日本人に洗脳したいことだったのです。

そこに隠された意図とは、国民のこころをバラバラにして、二度と団結して強い国にならないようにということです。

しかし、国の平和と安泰を願い、国民の幸福を思って国に奉仕することがどうして「悪」でなんかでありましょう。

いま、日本は亡国の瀬戸際にあると言われています。

小沢さんではありませんが、国民にとっても最後の「ご奉公」になるかもしれません。

国のために、何かができることは嬉しいことではありませんか。

誇らしいことではありませんか。

無能で邪悪で無慈悲な為政者によって、わたしたちは国とつながっているという安心感と喜びを根こそぎ奪われました。
(かれらはその罪の大きさを想像すらできないでしょう。)

それを国民の連帯感と思いで取り戻したいではありませんか。

国家の建設という大事業を、日本人の誇りと意地にかけて成し遂げたいではありませんか。


「阿修羅」に、「月刊日本」からの亀井静香さんのインタビュう―記事が転載されています。繰り返し読んで胸がいっぱいになりました。
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by michi-no-yuri | 2012-04-25 11:06 | Comments(0)

東大という呪縛

ある喫茶店で、その女性に会ったのはもう十年以上前のことです。
七十代半ばくらいだったでしょうか。
隣の席のわたしに、身を乗り出して話しかけてきたのですが、それがなんといきなり
息子二人が東大を出たという話だったのです。
呆気にとられてチラっとウエイトレスの方を見ると「また始まった」という顔をしたので、その女性はだれかれなしにその話をしていることが分かりました。

先日、久しぶりにその喫茶店に入ったらその女性がいました。荒んだような、すこし痴呆がでているような風体を見てわたしは胸を突かれ、言いようのない悲しみに襲われました。

以下はわたしの想像ですが、
息子二人は東大を出たあと、お役人になり東京に居を構えた。
親元へは何年どころか何十年も帰ってきていない。
嫁や孫の話しがまったくでてこないのは、一度も顔を見たことがないから。
息子も母親を東京に呼ぶことはなかった。

彼女は自分の幸福のすべてを、息子二人を東大へ行かせることと引き換えてしまったのかもしれません。だれかれなしにそれを話すのは、払った代償を少しでも取り戻したいからでしょうか。
わたしは彼女の中の荒涼とした心象風景を思ってぞっとすると同時に、
自分の子どもたちが、社会的に何一つ自慢するものがなくてほんとうに良かったとこころの底から思ったものでした。

東大を出た人間は死ぬまでその肩書の呪縛から自由になることはできません。
母親が自分の幸福を犠牲にしたように、かれらは自由を犠牲にしたのです。
真の「自由」というものを感じることから見放された哀れな人間ではないかと、わたしは思っているのです。(かれらには分からないでしょうが。)
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by michi-no-yuri | 2012-04-24 10:46 | Comments(0)

戦争のつくられ方

天木直人さんの記事は転載先で見るくらいで、なかには賛同できる記事が少なからずあるものの違和感を持つことがよくありました。
わたしは、意見や見解の違いで違和感を持つことは滅多にありませんので、この違和感をどう表現していいのか分かりませんが、
エラそうに言わせてもらえば、思想や論理の不徹底さへの違和感ではないかと思っています。
たとえば、右でも左でもないと称する人がどっちつかずかと言えば、決してそうではなくそこには確たるポリシーがあるのですが、天木さんの場合はそういうものも感じられないのです。

特に、直近の二つの記事を読んで、正直驚かずにはいられませんでした。
どうも、天木さんには、欧米への信頼感のようなものが思想の根底にあるようです。

「野田首相を引退させる最善の方法」という記事では、イギリスとドイツの国連大使夫人が、シリアのアサド大統領夫人へ、「ご主人を止めさせて」というメッセージに、
弾圧で殺された子どもを前に泣き伏す女性の映像なども紹介した動画をユーチューブに投稿した行為に賛辞を述べておられます。
外交官夫人のことはともかく、天木さんは元外交官としてなぜ欧米のプロパガンダを疑うことをされないのですか。それが湾岸戦争の教訓だったはずです。
少女や看護婦に嘘の証言をさせてアメリカは戦争に突入していきました。
このことによって、わたしたちでさえ、戦争はこうしてつくられていくのだということを知ったのです。
まして、殺された子どもがなぜ大統領側の犯行だと言えるのですか。
確か、ドイツのジャーナリストがシリアに入り、見ると聞くとではまったく逆だったと証言していたと思います。
そもそも、天木さんには、何でシリアが非難、攻撃されるに至っているのかということへの考察がありません。シリアは何か悪いことをしたのですか。何もないから、大統領の弾圧に苦しむ国民という構図のシナリオを描いたのではありませんか。


「アウンサンスーチーさんを見捨てた日本政府」では、ニューズウィーク日本語版の記事を秀逸だと評しておられますが、その記事たるや、惨憺たるものです。
イチバン驚いたのが、スーチーさんをマンデラやガンジーと同列に評価していたことです。欧米と戦ったガンジーと欧米の手先のスーチーさんが同列だなんて……..

日本政府がスーチーさんに冷たいというのはほんとうですか。もし、ほんとうならその理由が知りたいです。興味があります。まさか、テイン・セイン大統領を歓迎したことがその理由ではないでしょうね。欧米が支えているスーチーさんを日本政府が冷たくするとは思えないのですが。
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by michi-no-yuri | 2012-04-23 16:32 | Comments(0)

仏隆寺に行ってきました。

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今年も仏隆寺に行ってきました。満開でした。

十五年ほど前に初めて訪れたのは晩秋の寒い日で、
辺りに人影はなく寂寞としていました。

写真の中の人と人の間に小さく見える黒い四角の部分が山門です。
その犬は下界を睥睨するかのように、その前で仁王立ち?していました。
まるで劇画の世界でした。
わたしが声を掛けると、犬は躊躇いも見せず、真っ直ぐに駆け下りてきたのです。
そして、下で両手を広げて待ち構えていたわたしの胸に飛び込んできました。

お寺に犬の写真があります。まったく別物で、似ても似つかぬ犬です。
なぜなのか分かりません。
その犬は小柄な(小型犬ではありません)日本犬で、
俊敏なからだと聡明な目を持っていました。
わたしはあのような犬を他に見たことがありません。

もう、疾うに死んでいるのは間違いないのですが
わたしはいずれかの生で、なんとしても巡り合いたい………
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by michi-no-yuri | 2012-04-22 21:25 | Comments(0)

「存在の耐えられない軽さ」

東電会長に内定した下河辺という人を、どこかで見た顔だと思ったら
AIJの浅川社長でした。よく似ています。
証人喚問での答弁を聞くともなしに聞いていて、わたしは「つむじ風」の飄平様が
過日の記事で次のように書いておられたことを思い出していました。(いま、その記事が探し出せないのですが)
悪いことを知って行うのと、知らずに行うのとどっちの罪が深いかというと、知らずに行う方である、なぜなら反省することができないからだと。
まったく、その通りなのです。
浅川社長は、悪いことをしたという自覚も認識もないようです。それが、存在感の薄い印象を与えるのではないでしょうか。同じことなら自覚的な「悪」をしなさいよ。そうでないと救われませんよ。
よく、救いようがないと言われますが、救われようがないと言うのが正しくはありませんか。自分を救うのは、自分しかいないというのは、罪の自覚が救済の前提だからです
それにしても、あれだけ雰囲気が似ているということは、下河辺さんも浅川さんと同類の人種だと思ってもいいのでしょうか。


女優の杉本彩さんが、韓流スターのどこがいいの?というような発言をされて問題になったようですが、感じ方は違うかもしれませんが、わたしも激しくそう思います。
韓国の映画やドラマは見ませんので、映画スターは知らないのですが(ヨンさまは知っています)K.POPの男性グループなど、かくも頻繁にCMに出てくるとどうしても目に入ります。そのたびに、この薄気味の悪さは何だろうと思うのです。
人間性が感じられないとでも言えばいいのでしょうか、このウス~い感じは何だろうと思うのです。
昔、「存在の耐えられない軽さ」という映画がありましたが、わたしにとって、かれらは、軽さに薄さがプラスされたような「耐えられない存在」なのです。
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by michi-no-yuri | 2012-04-22 10:10 | Comments(1)

小沢さんが待ち遠しい。

岩上安身さんが小沢さんにインタビューしておられる動画、一時間と長いのですが、
わたしは最後まで気が抜けない感じで一気に視聴しました。
インタビューの出来不出来は偏に聞き手の力量に掛かっています。
真剣勝負に臨むくらいの気持ちでないといけないのです。
珍しく、小沢さんが能動的、積極的に喋っておられるのは、岩上さんの気迫と熱意に感応して自然にそうなっていったのでしょう。

TPPについて、今までは、自由貿易ということと、そのためのセーフティネットの整備ということくらいしか聞いてこなかったのですが、今回はかなり踏み込んだ発言をしておられます。
アメリカの幾つかの大企業の世界戦略に、アメリカ政府が歩調を合わせてやっていることである。
アメリカの狙いは、医療、郵貯にあり、規制を緩和して日本の社会をアメリカ流にするという意図があって、いうなれば、日米構造協議(年次改革要望書)の総決算なのだと。

推進派の議員が、これは日米同盟なのだとか、日本が主権を主張するのは五十年早いとか言っていることは、信じられないこと、何か勘違いしているのではないか、政治家としての認識も 見識もないと驚いておられます。

核武装が潜在的な抑止力になるという意見については、政治的にはアメリカはじめ周辺国との間に摩擦を生み、軍事的には、結局使えないものを持っても意味がないから反対だということです。

以前から、中国国内の不安定要因を指摘しておられましたが、それがいよいよ表面化してきたのではないか、中国が政治的、経済的に不安定になれば北朝鮮を制御することができなくなり、それが北の暴発を誘引する要因になるかもしれない、ということらしいです。

さすがに、もう「政治と金」という言葉は聞かなくなりました。
小沢さんが無罪になり、政治に復帰してこられたとき、そういうウゾウムゾウのゴミ人間にはもう、小沢さんを攻撃する余力はないでしょう。しかし、そこで終わらないのがマスゴミ人間です。それまでのことは口を拭って今度はきっと小沢さんを持ち上げるのでしょうね。
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by michi-no-yuri | 2012-04-20 10:34 | Comments(0)