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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2017年 09月 18日 ( 2 )

十八日 その二  安倍一強を支えているのは統一教会ですか。

総理にはよほど勝算があるのでしょう。
そのためのミサイルであり外交であり民進党のごたごたであり不倫報道でした。
総理はヒットラーでさえ二の足を踏むようなことでもできるのです。
自分の野心、保身のために北のミサイルを利用し、国民に戦争の脅威を煽っているのです。
29日までにあと1.2発のミサイルが飛ばされるのかも。

マスコミは不倫報道にうつつを抜かしていないで加計の追及に戻り、加計幸太郎と山口敬之をとッ捕まえて国民の前に引き出すくらいの働きをしてはどうか。

日朝会談15年ということできのうは国民大集会が開催され、そこで総理は、「安倍内閣で解決する強い覚悟のもと、私が司令塔となり北へ決断を迫りたい」と挨拶したそうです。
何もしないでよく顔を出せるものだとその厚顔無恥に驚くと共に、まだ制裁を求める家族会にも呆れます。
怒り、悲しみが15年も続くことにも驚きます。
ほんとうに、まだ総理を信じておられるのでしょうか。
もう、総理の思想や政策を支持する気持ちの方が強くなっているのではないかと訝りたくなります。

産経が総理の北への制裁がロシアの譲歩を引き出したとトンデモないことを言っています。
プーチン大統領のロシアが制裁決議案に賛成したのは総理との会談の成果だと言っています。
こういう感想を洩らしている政府高官とはだれのことでしょう。
総理の周りはこんな極楽トンボしかいないのだとしたら、この国には絶望しかありません。
やはり、プーチン大統領から贈られた「村正」について、官邸はいまも「判定」に苦しんでいるそうです。
どうせ、分かりっこないのだけど、もっと苦しめばいいと思うよ。
これで自刃するくらいの覚悟でアメリカのポチを止めよ、どうせできないだろうけどと、プーチン大統領は軽蔑しながら挑発しているのです(?)
日本の空も国土もアメリカのものなのです。
アメリカは日本の好きなところに基地を持てるのです。
日本国憲法より上にある日米地位協定でそう決まっているのです。

総理に意見したり諫言する者がいないことが日本の悲劇です。
総理の周りには、さすが総理、やっぱり総理というような人間ばかりのようです。
安倍一強と言われる所以です。
一強を支えているのが統一教会ということでよろしいでしょうか。
戦後、70有余年、統一教会はきょうの日を目標にコツコツ政界に地歩を築いてきたのでしょう。










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by michi-no-yuri | 2017-09-18 14:44 | Comments(2)

十八日 その一  不倫報道は人権侵害

衆院選挙が10月29日に決まりました。
それまでに、あと2回くらいミサイルが打ち上げられるのかもしれません。
ひところ、森友、加計一色だった報道がいつの間にか不倫報道に代わっていました。
しかし、選挙が決まったからにはマスコミも不倫を追っかけるのは手控えるのでしょうね。

マスコミが当人に向かって「不倫をしていましたか」「一線を超えましたか」と声を掛けているのを見てわたしは恥かしくなりました。
一線を超えたかどうかくらいでガタガタ言うなと思いました。
大人の男女ならそういうこと、つまり魔が差してそういう関係になるということはよくあることでしょう。
男は外に7人の敵がいると言われてきましたが、その内の2人くらいは女性で、誘惑という名の敵かもしれません。
また、男性と同じように外で働くことが多くなった女性にも魔がさす機会が格段に増えたということです。
強い不倫願望をもちながら、そういう魔がさす恩恵に与れない人間が人の不倫をやっかみ半分で非難するのではありませんか。

わたしは不倫を肯定しているのではありません。
不倫は倫理に背くことです。
なぜなら、被害者がいるからです。
配偶者の不倫に苦しむ夫や妻以上に、子どもが傷つき苦しみ、それを一生引きずって生きていくことになるからです。
男女の一線というのは曖昧にしてぼかすのが大人の対応ではありませんか。
視聴率しか頭にないマスコミはそこまで考えません。
わたしは人権問題だと思っています。

過日「徽宗皇帝のブログ」に植木等さんのことが書かれていました。
スーダラ節を歌うに当たって、根が真面目人間の植木さんは困って僧侶である父親に相談したら、詞を見たお父さんは「う~ん、これは親鸞の生き様に通じる精神だ。地球上に人類が存在する限り永遠不滅の真理だ」と言ったのだそうです。
この詩をみて、なんだこのふしだらで不道徳な詞はと怒るようでは永遠不滅の真理を理解する資格もないということです。
いけないことだと分かっていても、してしまうのが人間です。
わたしは、そういう人間の弱さを愛おしいと思うことがあります。
自分を愛するとは弱さを受けいれることでもあると思います。
(弱さに甘えるということではありません。)
自分は何一つ間違ったことをせず真っ直ぐに生きてきたと胸を張るような人とはお近付きになりたいと思いません。
そういう人間は救われないと親鸞は言っていませんでしたか?











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by michi-no-yuri | 2017-09-18 14:36 | Comments(0)