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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2017年 09月 05日 ( 1 )

日野皓正さんが悪いのです。

日野皓正さんの中学生への往復ビンタ事件では賛否両論が出ていますが、日野さんが悪いに決まっているではありませんか。
もし、わたしが観客としてあの場にいたら、不快感なんて生易しい感情ではなく、屈辱感でこころがグチュグチュになっていたことでしょう。
あれは、中学生個人への暴力に留まらず、観客への目に見えない暴力であり侮辱でした。
帰国した日野さんは記者に向かって「オマエら」を連発していましたが、「キミら」ではなくあえてオマエらと言ったところに日野さんの人間性がモロに出ていたように思いました。
オレをだれだと思っている? オレは世界の日野皓正だぞという意識で今まで生きてきたのだなと思いました。
こういう自分を大きく見せたがる人間はごろごろいて、この界隈で、或いはこの業界でオレの名まえを知らない奴はもぐりだというセリフを男性が言うのをいままでに2.3度聞いたことがありますが、そのたびにわたしは下を向いたり顔をそむけたものでした。
もちろん、音楽家にも人格者や教育者はたくさんいるのだと思いますが、音楽家、しかも世界的な音楽家=人格者とは限りません。
世間はそこを誤解しているのではないでしょうか。
日野さんもですが、わたしは松本人志さんの発言が気になりました。
むかしは暴力は良くて、なぜ今はいけないのかその理由が分からない、だれも言ってくれないと言っていますが、こういういい方はほんとうに卑劣で狡い。
コメンテーターとしてテレビに出ているなら、考えてから出てこい、自分の意見を先ず言えということです。
日野さんの行為を肯定しているくせに、それを疑問形にして問題提起するという狡い手法です。
(番組を降りるという話はどうなりましたか。)


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それに、大きな勘違いは、むかしは体罰はよかったと言っていることです。
むかしっていつのことですか。
むかしは体罰が普通に行われていたというのは大きな誤解です。
極数少ない読書(小説)体験ですが、明治の富国強兵制の下でも学校では、前川さんの言う個人の尊厳があったと思います。
生徒は一人一人独立した人格として尊重されていたように思うのです。
もし、子どもが先生に殴られるようなことがあれば大事件になり、まず親が黙っていなかったのではないでしょうか。
明治には、顔を殴るなどは武士の風上にも置けない行為だという武士道精神がまだ生きていたのだと思います。
(わたしはいままで読んだものからの印象だけで言っているのですが、もし、そんなことはないという事実があれば教えてください。)
松本さんは、自分たちの世代は「すげえ体罰」を受けたと言っていますが、自分の体験ではないのです。
体罰の是非についての答えは「殴られた中学生のこころの中にある」と、分かったような分からないようなことを言っていますが、もし、自分が直接体罰を受けていたなら、同じことを言えたでしょうか。
あれは愛のムチだったとでも言うのでしょうか。

松本さんが、自分たち体罰世代は変な大人になっていないし、むしろ若者より常識があると言っていて笑ってしまいます。
常識を備えた人間が安倍政治を支持し、共謀罪に賛成し冤罪もやむを得ないと言うのですか。
それに、昔はよかったことで、いまはいけないことはいくらでもあります。
たとえば、暴力を戦争に置き換えたらよく分かるのではありませんか。
しかし、松本さんならなぜ戦争はいけないのかと思っていそうですね。


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by michi-no-yuri | 2017-09-05 10:46 | Comments(0)