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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2017年 06月 04日 ( 1 )

どこかに正義があると思うから人は生きられる。

総理のラジオでの前川さんへの反論は聞き苦しく、これが日本の総理かと泣くに泣けない情けなさで、正直前川さんと入れ替わってほしいと思いました。
前川さんは総理の考えとか意向は関係ないのだと、要は、手続きと議論がすっ飛ばされたことをもって行政が歪められたと言っているのです。
これに総理は答えていません。
2月の時点で、内閣府が新設は困難だとしていたのが、なぜ半年後に「急げ」となったのか、それを知っていて答えられるのは総理しかいないのです。

「誤嚥性肺炎」の記事が読みたくて「週刊新潮」を買ったのですが、グラビアのコラム、「管言妄語」で、あの「国家の品格」の著者藤原正彦さんが、前川さんの女性の貧困を知りたかったというのは笑止千万だ、「助平なので」でよかったのだと書いています。
同じように、中山なりあきさんも、貧困の実地調査とは噴飯、買春していただけと言い切っています。
言えば言うほど前川さんの人間性が輝きを増し、それに比例して自分たちの品性下劣を天下に晒していることをいい加減知ったらどうだろう。
自分なら喜んで誘惑に負けるようなことを言う男は、そう言うことで自分の性的能力を自慢したいのです。
そんなことでしか男をアピールできないほど自分に自信がないのです。
今回ほど、下僕の目に英雄なし、蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘るという諺が脳裏をよぎっていったことはありません。


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藤原さんは、保守の人で安倍総理の支持者ですから、次は是非「総理の品格」を書いてください。
わたしはいつか保守派の言論人から安倍総理批判が出てくることをひそかに待っていましたが、現在に至るもそういう人は現れません。
小泉純一郎の倫理観の欠如をあれほど厳しく問うていた西尾幹二さんもなぜか安倍総理には沈黙です。

世間を知っている、酸いも甘いも噛み分けていると言われるのは、社会や人間の裏面や本音の部分、いわゆる「俗」に通暁している人を指すことがほとんどですが、しかし、俗と同時に「聖」も知らなければほんとうに世間を知ったことにならないのではないでしょうか。
わたしは、たとえ自分が馬鹿でも汚れていても、人の「聖」が分かり、それに対して讃仰するこころを持っていることを誇りに思っています。

きょうの「酔生夢人のブログ」に正義について書かれていました。
人はどこかに正義があると思うから生きられるのではないでしょうか。

以下に抜粋。

「君たちが言わなくなれば死語になる 戦隊ヒーロー正義を叫べ!」(若手短歌作家天野慶の歌)

戦隊ヒーローや正義の主人公への共感は、正義への潜在的な共感だ。誰の心にも本当は正義への共感はあるはずだ。だが、正義を嘲笑することがかっこいいかのような風潮のために、正義は死語になりかかっている。何よりも国会において、政府において、正義は嘲笑されている。



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by michi-no-yuri | 2017-06-04 10:34 | Comments(0)