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谷間の百合

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2017年 04月 06日 ( 1 )

「天皇の為に」は禁句にすべき.

菅野完さんの著書「日本会議の研究」の中に、「日本青年協議会」の学生組織に身を置く青年が、そこで語られる言葉が情念ばかりで論理性が無いことに嫌気がさし、批判的になっていくエピソードが書かれています。
あるとき京大農学部卒の会員が、あまりにも天皇、天皇とうるさいので「天皇陛下がサリンを撒けっていうたらサリンを撒くのですか」と挑発したところ、日ごろ、天皇陛下のお考えだけを忖度しろと言っていたその会員は
「もう、ホンマに、文字通り頭抱えて悩み出したんですよ。う~とか唸って。2時間くらいず~っと唸りながら考えてるんです。」
という状態になったと。
なぜ、「そのときは身を挺して天皇をお諫めしてお止めする」という簡単な答えが浮かんでこないのかとわたしは恐ろしくなりました。
と同時に、戦前、戦中の軍人にはこういう人間が多かったのではないか、そして、そういう思考停止の組織によって日本は戦争に引きずり込まれ、310万の同胞の犠牲を出したのではないかと思わざるを得ませんでした。
「天皇のため」との一言で、すべてが進み、そして、すべてが片付けられてしまった、、
いま、また同じような人間によって同じようなことが進行しています。
「考える」「論理的かつ柔軟に考える」という知的習慣のない人間がまた「天皇のために」という言葉の上で胡坐をかいて威張るような社会がすぐ眼前に迫っています。


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セウォル号では、高校生たちは教師の船室から出ないようにという指示に従ったばっかりに船と運命をともにしてしまいました。
そのことで、曽野綾子さんが自分なら、緊急の場合は先生の命令に従うなと子どもに教えておくと書いていましたが、わたしもそう思います。
先生の命令云々ではなく、いざというときにはとっさの判断が生死を分けた例をわたしたちはたくさん見てきました。
そのとっさの判断が身に付くのは、先人や大人の経験や知恵に依るものであって、そういうもっとも大事な言い伝えが断絶していることがいちばんの問題ではないでしょうか。
東北の沿岸部には「津波てんでん」ということが言い伝えられています。
「いのちてんでん」とも言うそうです。
とても重い言葉です。
そのためには、あの人の考えは絶対だとか、あの人についていけば間違いないというような考えは捨てるべきではないでしょうか。
自分を守るとは、まず、そういう考えを捨てることから始まるように思います。
天皇も人間で、過たれることがあるかもしれません。
そういうときは身を挺してお諫めするのが真の尊皇です。
そんなことも分からない人間の集団、組織が安倍政権の背後で蠢いているのです。


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by michi-no-yuri | 2017-04-06 11:01 | Comments(0)