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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2014年 08月 31日 ( 1 )

無題

サンケイの「朝の詩」欄の次のような詩が目に留りました。

「言葉」

ここを通らせてね

その言葉が

聞こえませんでした


むかでが部屋を

歩きました

人間は

怖がり 慌て

時にやっつけ

命を奪う


言葉が通じれば

はい どうぞ

それで済んだ事なのに



人の首を切り落としたり、銃で無造作に殺しまくったりする動画がネットに出回っているようです。

だけど、わたしはこの詩を書いたような人がいることで恐怖や悲しみの淵から引き返してこられるような気がします。

ほんの少し打ち勝てるような気がします。

作者が「言葉が通じればー」と言っていることは、言葉がないだけで意識は同じだということでしょう。

すべての生きものは、かたちが違うだけで命も意識も同じだということでしょう。


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わたしも、ムカデが出てくると、つい反射的にそこらにあるものでばぁ~んと叩いて殺してしまうことがありますが、それは本意ではなく、あとで悪いことをしたという気持ちでいっぱいになります。

ほんとうは、常備してある広口の壜を出てきたムカデにかぶせ、下敷きのようなものを壜の下から差し入れ逆さまにして捕獲するのですが。

しかし、そんなことは気休めにすぎません。

実際は無数のいのちを殺して生きているからです。

どこかで、このいのちは殺してもいいとか殺さなければいけないという線引きをしなければならないことは恐ろしい選択です。

だから、せめて、無数のいのちを殺しているのだという認識だけは持っていたい。


溺れていたカマキリを娘が救助
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息子や娘はいわゆる「虫も殺さない(殺せない)」人間です。

しかし、これは親が言ったことでもなく、親に見習ったことでもありません。

わたしはそんな人間ではなかったからです。


こういうことからも輪廻転生が確信できるのです。

たとえば、転生など信じない人でも、人の才能や性格を「持って生まれたもの」だということを何気なく言っているのですが、それは決して親から貰ったものということを意味していません。

子どもは親の創造物ではありません。

一つの永遠のいのち(意識)が、縁のある魂である親の肉体を媒介としてこの世に生まれてくるということではないでしょうか。

そんな気がしてなりません。

そうとしか思えません。

そう思うとすべての説明がつくように思います。

虫も殺せない子どもは、明らかに魂のレベルがわたしより上なのです。


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そのことを言うにはもう少し時間と観察が必要だと思っていますので、いまは言えないのですが、やっぱり、こころの働きって凄いということです。

良いことも悪いこともすべてはこころ次第だということです。


人はからだに良くないことには敏感です。

身体に悪い食べ物や生活習慣はよく知っていてもそれが実行できないのが人間の弱さです。

しかし、身体に悪いことには関心があっても、こころに悪いことへの関心はますます希薄になってきていないでしょうか。

悪いこころでいることは気持ちのいいことではないのに、案外平気というか無関心な人がいるのですね。

このごろ、そんなことを考えることが多くなりました。

なんで、みすみす自分のこころを悪くするのだろうと。

もちろん、わたしも悪いこころがよく生起しますが、それはまた苦しみの生起でもあります。

いちばん恐ろしいこころは憎悪です。

社会が憎しみで染まることがいちばん恐ろしい。

すでにそうなってしまったのでしょうか、、


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by michi-no-yuri | 2014-08-31 08:45 | Comments(0)