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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2012年 11月 26日 ( 1 )

ある感想。

きのうの「暗黒夜考ブログ」に、
松本英志という人の「特ア三国の『反日イデオロギー』にいかに向き合うべきか?」という長文のコメントが転載されています。
その読後感を少しだけ書いてみたいと思います。

≪この三国が掲げている「反日イデオロギー」の背後には、一見したところ無関係に見えるアメリカが深く関わっていることに気付かねばならない。
特に、中国とアメリカ、そして韓国とアメリカとの関係をよくよく見据えてみるならば、国民ではなく「国家権力」同士のレベルではこの三国が「対日関係」では密かに連携し、共に「日本封じ込め」という共通の利害関係で結ばれており、それが中共、韓国という日本周辺諸国においては「反日イデオロギー」という国家戦略として運用されている、という「国際政治の実態構図」が浮かび上がってくるのである。≫


ここで述べられていることは、すでに散々言われてきたことで、わたしたちには、基本中の基本の認識ではないでしょうか。

≪「反日イデオロギー」とは、決して中国(中共)、韓国、そして北朝鮮の「国民感情」なのではなく、実はこの三国に不可欠な「国家戦略」なのである、という重要な点に気付かねばならない。この三国にとって、「反日イデオロギー」とは国民の国家への不満、怒りの矛先をそらすために必要不可欠な仕掛けなのであり、日本とはまさになくてはならない「悪役」であり、国民の不満と怒りを向けさせておくための「スケープゴート」なのである。≫


これも散々言われてきたことで、その通りだと思うものの、韓国の場合は少し事情が違うのではないかと思います。
確かに、反日教育によって反日感情が植えつけられたという面が大きいことは事実でしょうが、先般の大統領の竹島上陸が自分の支持率挽回を目論んだものだと言われているように、韓国では逆に、政府が国民感情に迎合せざるを得ないという国内事情があるのではありませんか。
親日発言をすると袋叩きに合うような社会にあっては、政府といえども「反日イデオロギー」を標榜せざるを得ないということです。

わたしが違和感というより、悲しみのようなものを覚えたのが次の部分です。

≪「中国の多くの国民は中共政府から過酷な弾圧を受け、その圧政と抑圧に喘いでいる。彼らには言論の自由もなければ、思想の自由もない。中国国民の大多数を占める農民には移動の自由すらない。そもそも、彼らには基本的人権すらないのだ。我々は、そんな中国国民に心から同情すると共に、中国国民を圧政、暴政で苦しめている中共政府を断固として糾弾する。我々日本人の敵は中共政府なのであり、中共政府の圧政、暴政に苦しむ中国国民ではない。」というメッセージを、ことあるごとに「中国国民」に対して発信し続ける。≫

わたしは深く嘆息しながらこう思いました。
かれらに「言論の自由」がないように、わたしたちにも「言論の自由」はないのにという感慨です。
いまのところ、ネットでは自由に発言できているように見えているだけです。
本来ならば、そのためにこそ戦わなければならないマスコミが、自ら「言論の自由」を放棄しました。自由を放棄したばかりではなく、真実は隠せという至上命令に無抵抗に従いました。そういう日本のマスコミをスルーして、どうして他国の「言論の自由」を批判できるでしょう。

「かれらには基本的人権さえない。」
では、わたしたちにはそれがあるでしょうか。
福島県民を避難させず、ガレキを全国にばら撒いて、国民が被曝しようがどうでもいいと考えているような政府を持つ日本人に、基本的人権があるといえるでしょうか。

国民レベルの連帯は、わたしには幻想としか思えません。
日本が在日朝鮮人に乗っ取られている現状を放置して、どうして国民同士が連帯できるでしょうか。
韓国から、どんなに無礼な仕打ちをうけても、ほとぼりが醒めたころだと判断したのか、こちらから出向いていって経済協力を申しでるような日本の政権です。









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by michi-no-yuri | 2012-11-26 11:18 | Comments(1)