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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2012年 11月 11日 ( 1 )

「天皇」 わたしの中の。

天皇はわれわれと同じ人間だと言う人がいます。
どういう観点から、どういう意図でわざわざこんなことを言われるのでしょうね。
また、天皇制は虚構だと言う人もいます。
天皇を利用したい人間や利用された天皇しか見ない者にとってはそうかもしれませんが、わたしにとっては虚構ではありません。その成り立ちにしても、生まれるべくして生まれ、なるべくしてなったものであり、何もないところに人工的につくられたものではありません。

こういうことを言う人たちの最大の誤解は、天皇をヒエラルキー(階級制)の頂点に位置する存在だと勘違いしていることです。
しかし、これこそが、かれら「国際金融マフィア」がつくった虚構ではありませんか!
国民を洗脳するための虚構の概念ではありませんか!

天皇と国民の間には何者も介在しません。言い換えれば、介在する者こそ天皇を利用する者だということです。

何が言いたいかと言いますと、きのうの続きになりますが、
かれら「国際金融マフィア」がロシアで何をしようとしたかということが、日本と天皇制について考えさせるものがあるからです。

続きですが、将軍はこう言っています。

≪「今日、人々は、悪いことの全てに対してプーチンを責める。」
「それは人々が、この国で何が進行しているかを理解していないからだ。」
「私たちの国は、多くの政党と運動に分割されている。そして誰もがそれぞれの幸福のために戦っている。軍港主義者は軍のために、キリスト教徒はキリスト教徒にために、イスラム教信者はイスラム教信者のために、労働者は労働者のために。この争いの結果、私たちは失業し、戦争せずに軍隊がつぶされ、国が崩壊させられた。」≫


「かれら」が先ずやることは、対立関係、対立構造をつくって人間を争わせ、その関係を裁断することです。政党間、宗教間の対立や争いから「かれら」は更に、それを個人的な人間関係の対立へと誘導してきました。
ここに挙げられていることの他に「かれら」が手をつけたのが、親子、男女、夫婦、先生と生徒の関係です。
フェニズムがそうですし、わたしがよく言う教職者のセクハラ、痴漢行為を大々的に報道するのも人間関係の破壊が目的です。

いじめ問題の根底にあるのもそういうことです。
子どもから、尊敬、友情、思いやりのこころを奪うことが「かれら」の目的です。
いじめ問題、少子化問題はゼッタイ解決しません。
それを推進している人間がいるからです。
より争わせ、より人口を減らすことに腐心している人間がいるからです。

この対立関係を超克するものが天皇のご存在ではありませんか!
わたしにとって、天皇制とは、対立関係を収斂する装置なのです。


以前、このブログで取り上げた、新保祐司さんが「いまの危機は忠誠心の喪失に。」という記事の中でこう言っておられます。

≪人間は人間である根本的な根拠に、忠誠心がある。人間は自己の外部にある対象に対して忠誠心を抱くことによって、初めて自己を持つことができるという逆説的な存在である。
自己に対して忠誠であることは、「戦後民主主義」のイデオロギーの一つであろうが、自己に忠誠であることは、忠誠がそもそも自己の外部にあるものを対象にするものであるから成り立たないのである。この矛盾を矛盾として感じないのは、「戦後民主主義」という「空想」の中にいるからである。≫


ドストエフスキーは、自己犠牲、名誉、尊厳、友愛、団結、などの人間精神の発揚の場として、戦争さえ肯定しました。
わたしは決して戦争は肯定しません。
しかし、ドストエフスキーの言う人間の持つ美しい徳性や心性こそ「かれら」が殲滅したいことだったということだけは言っておきたいと思います。
結果、そういう精神は行き場を失い、逼塞させられました。

先日、両陛下の前に片膝ついて深々と挨拶した外国人の騎手に日本人が感動したのは、行場を失って彷徨っていた自分のなかの名誉や尊厳への憧れがわずかでも疑似体験できたからではないでしょうか。


いつか、わたしは右翼や左翼の言語ではなく、普遍的言語で「天皇」を書いてみたい。まだまだ無理ですが、自分が納得したいため、自分のためだけにいつか書いてみたいと思っています。









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by michi-no-yuri | 2012-11-11 09:08 | Comments(3)