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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

デマを創る人、拡散する人、信じる人。

官僚OBが名前をだして、公文書改ざんで国の「底が抜けてしまった感じ」だと言いました。
底が抜けるということは、無法、無秩序な社会になるということで、日本国民はまだその恐ろしさを知りません。
わたしは、政治がどんなに堕落、腐敗しようと、司法が健全に機能していればと、そこに一縷の望みを託していたのですが、それも見事に裏切られ、抜けた底を覗く勇気もない状態です。

菅野完さんのツイッターで見たのですが、

御成敗式目 第15条に、謀書(公文書改ざん)の罪科の事として
右、侍に於ては所領を没収せらるべし。もし所帯なき者は遠流に処せらるべきなり。凡下の輩は火印をその面に捺さるべきなり。執筆の者もまたともに同罪たり。


とあるそうです。
それほど公文書は国にとって大切なものだということです。
国が依って立つところの基本だからです。
いずれ司法は公文書改ざんに手を付けるのでしょうか。
そうしないと歴史に顔向けできないと思いますけど。
いまの一億二千万人の国民を騙し黙らせても、歴史は黙っていないでしょうから。
公文書改ざんと同様の問題にデマがあります。
沖縄の知事選では玉城さんへの酷いデマが飛び交ったのですが、翁長前知事のときも、すぐバレるようなデマがネットで流れました。
デマを許さないでほしい。
いまなら発信元を突き止めることができるのでぜひ告訴してほしい。
わたしはデマを発信する行為は、それこそ顔に焼印を捺されてもいいくらいの重罪だと思っています。
いまは名誉棄損で告訴できますが、過去の歴史上のことではデマの作り放題です。


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その典型例が明治天皇すり替え説なるものです。
さらに、昭和天皇ほど陰謀やデマに晒された人物もいません。
過日は、山岸飛鳥さんが、天皇は保身のために沖縄を売ったと根拠にもならない文書を出していましたが、こころの中のことは、本人が自分は保身のためにやったと言わないかぎり証明されることにはなりません。
きのう書いた、天皇が言った「自分の身はどうなっても」というのはその場にいた書記官長が記録したものです。
天皇はこころにもないことを言っていると思うのは、そういうレベルの人間が思うことなので勝手ですが、外に向かって言ったり書いたりするのは別です。
外に出れば言葉は必ず一人歩きをするからです。

一次資料を無視して主観だけで書くのは公文書改ざんと同じ行為ではありませんか。
おそらくそういう資料など見たくないのでしょう。
なぜなら、デマを信じる人にとっては天皇は私利私欲の人間でなければならないからです。
天皇がスイスの銀行に莫大な蓄財をしているというのは、戦前ならあり得ない話ではないかもしれません。
敗色濃くなった時期に軍部か軍部に群がる有象無象が天皇名義で海外に資産を移すということはあり得る話だと思いますがこれだって憶測の域を出ません。
もしそうだとしてそのお金を皇族が使ったという証拠はあるのでしょうか。
天皇財閥って何のことですか。
ドゥテルテ大統領は皇居を訪れ、一瞬で日本の国体、日本の文化の神髄を理解しました。
肝心の日本人でそれを理解できない人がたくさんいるというのに。


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by michi-no-yuri | 2018-10-12 10:05 | Comments(10)
Commented by 平ねぎ at 2018-10-13 09:09 x
>きのう書いた、天皇が言った「自分の身はどうなっても」というのはその場にいた書記官長が記録したものです。
これは間違いだと思います。
豊下楢彦:昭和天皇の戦後日本、岩波書店、2016年、p66、から引用します。
引用ここから~
さらに、実は1975年11月号の『文芸春秋』で作家の児島襄が「奥村勝蔵が手記した会見記録」を公表していたが、そこには「全責任発言」はなかった。つまり、昭和天皇とマッカーサーとの最初の会見の通訳を行った奥村が書き記した会見記録は、天皇の戦争責任にかかわる発言として、「コノ戦争ニツイテハ、自分トシテハ極力避ケ度イ考デアリマシタガ、戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ、自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス」と記すのみであった。
もちろん、この奥村の手記を児島がどのようにして入手したのか、それは本物なのか、という疑問は残されたままであった。しかし、情報公開法の施行をうけて、2002年10月には外務省も宮内庁も、昭和天皇とマッカーサーの第1回会見の会見記録を公開したが、児島が発表した奥村の手記とほぼ同じものであり、やはり「全責任発言」はなかった。
引用ここまで~
「自分の身はどうなっても」ではなく、「自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス」が真相のようです。
Commented by 豊岳正彦 at 2018-10-13 09:31 x
明治憲法とともに「男子」万世一系のでっち上げが国家権力の総力を挙げてプロパガンダされた。

長州ファイブ伊藤博文英國フリーメーソンが起草して発布は明治22年で、昭和22年日本国憲法施行とともに廃止された。
男子万世一系は仏法である17条憲法にも5箇条ご誓文にも日本国憲法にもない。
つまり男子万世一系を主張する者は皆一神教フリーメーソンである。
日本はムー大陸以前から仏教国なんだけどね(笑い)
一神教フリーメーソンなど三宝帰依日本人の足もとにも及ばないよ(笑い)
一神教の迷いから覚めて解脱するように。
諸悪莫作衆善奉行
一切衆生悉有仏性
草木国土悉皆成仏
父母恩重経
南無父母無二佛
拈華微笑
Commented by michi-no-yuri at 2018-10-13 11:36
平むぎさま

コメントありがとうございます。
天皇とマッカーサーの会見でのヤリトリは録音がそのままの状態で残っているのならともかく、言葉の綾のレベルのことをあれこれ言っても詮無いことだと思います。
その場にいた通訳と雖も、いまのようにメモをとりながら話を進めたとは思えないからです。
天皇以外、マッカーサーと両国の通訳の3人がそれぞれ証言を残しているのですが、おっしゃるような「もっとも遺憾とするところである」では、マッカーサーが書いている「大きな感動が私を揺さぶった」との釣り合いがとれません。
アメリカ側が、天皇は命乞いに来ると思っていたところに、「我が身を委ねる」と天皇が言ったから如上の感想になったのではありませんか。
マッカーサーの回顧録は大分後で書かれたもののようですから記憶が薄れていたとしても、それを補って余りあるものがマッカーサーの心奥にいつまでも消えずにあったのではないでしょうか。
回顧録にはこう書かれています。
「天皇は、私は戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行ったすべての行動に対して責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に私自身を委ねるためにここに来ました。」
児島穣の本や外務省の記録は奥村通訳官が書いたものをそのまま書いているのでしょう。
奥村という人の優先順位というか重要だと思う箇所にその文言が入っていなかったとも考えられなくはありません。
なにしろ密接でのヤリトリです。
わたしの書いた「わが身はどうなっても」は最後の御前会議での天皇の発言でこれは間違いありません。
それと同じことをマッカーサーにも言ったと書いたのは、それまでさんざん聞いていたことだからです。
また、言葉は違っても「身代わり」「委ねる」は同じ意味でしょう。
「我が身がどうなっても」という同じ文言でないといけない理由でもあるのでしょうか。
唯、引用されている部分だけでは全体が分かりません。
そこだけ抜き出すとまるで言い訳みたいだと誤解する人がいるのではないでしょうか。
Commented by michi-no-yuri at 2018-10-13 11:51
豊岳正彦さま

コメントありがとうございます。
仰っていることは、わたしには馴染みのない視点ですが分からないわけではありません。
わたしも男子の「万世一系」でなければとは思っていません。
名前を書くのも嫌な竹田恒泰はゼッタイに男系でなければならないと言い、皇統とは「血」だと言っています。
わたしは「血」とは抽象的な意味の方が重要だと思っているのですが。
Commented by 平ねぎ at 2018-10-13 12:11 x
何度も指摘していますが、私のHNは平むぎ(麦)ではありま
せん。平ねぎ(葱)です。間違えないでください。
谷間の百合さんは思い込みの激しい方で、天皇のことになると夢見る乙女になってしまうんですね。
豊下楢彦:昭和天皇の戦後日本、岩波書店、もしくは、豊下楢彦:昭和天皇マッカーサー会見、岩波現代文庫、を読まれることを強く勧めます。
「昭和天皇の戦後日本」p63に、マッカーサー回想記について、「いかに80歳を超えた時期の執筆とはいえ、事実関係の誤りはあまりにもひどいと言わざるを得ない」と書かれています。マッカーサー回想記は信頼できないと豊下氏は述べています。
豊下氏は、昭和天皇研究の第一人者です。昭和天皇の研究者なのです。専門家の言うことには素直に耳を傾けるべきだと思います。
Commented by 平ねぎ at 2018-10-13 12:57 x

回顧録にはこう書かれています。
「天皇は、私は戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行ったすべての行動に対して責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に私自身を委ねるためにここに来ました。」

これが書かれている文献を教えてください。
ちなみに、津島一夫訳:マッカーサー回想記(下)、朝日新聞社、1964、には、該当箇所はつぎのように記述されています。
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにおたずねした」
意味は同じでも表現が違います。なぜ違うのか知りたいのです。
Commented by michi-no-yuri at 2018-10-13 13:09
平ねぎさま

おかしいおかしいと思いながら平むぎと書いたのは、平麦のことを書いておられたからですが、ご気分を悪くされたのなら謝ります。
ところで、わたしのことを思い込みがはげしいとか夢見る乙女だとか言うのは平ねぎさまの逃げですよ。
逃げないで、どこがそうなのか指摘してくださいませんか。
豊下楢彦という人は名前くらいは知っていますが、どんな考えの人かまでは知りません。
それに専門家と言っても左脳の人右脳の人トンデモ脳の人までいます。
その豊下という人は素直に耳を傾けるに値する人なのですか。
わたしは、専門家という人種をほとんど信じないのですが。
マッカーサーの回顧録、誤りが多いということですが、それにしては首尾一貫していませんか。
天皇の印象、評価は最初から何も変わっていないと思いますが。
ところで、平ねぎさまはなぜ豊下楢彦の書いたものを正しいと思われるのでしょうか。
それがわたしのイチバンの疑問です。
Commented by 平ねぎ at 2018-10-13 13:27 x
>ところで、平ねぎさまはなぜ豊下楢彦の書いたものを正しいと思われるのでしょうか。
それがわたしのイチバンの疑問です。

豊下さんは学者です。学問をしている人です。研究の対象が昭和天皇だっただけです。学問の対象に固定観念や先入観があれば、学問にならないのです。豊下さんは、研究対象に対して中立の立場に立っています。それが、信用している理由の1つです。

私は、谷間の百合さんが天皇崇拝者であろう何であろうと構いません。お好きなようにというスタンスです。
でも、「デマを創る人、拡散する人、信じる人。」と言いながら、いかにも尤もらしく、いい加減な知識に基づく情報を垂れ流す人を見過ごすことができません。だから、コメントしました。
Commented by at 2018-10-13 13:29 x
回顧録は日本語原文、
マッカーサー回想記は、日本語→英語→日本語の翻訳文、
と思われます。内容が一緒でも表現が違うのは、一方が翻訳を重ねたからです。
Commented by 平ねぎ at 2018-10-13 15:56 x
>逃げないで、どこがそうなのか指摘してくださいませんか。
谷間の百合さんの書かれている記事を読んでそう感じました。
こうあってほしいという願望が、いつのまにか事実にすり替わっているように思われる箇所が随所に見られました。
逆におききしたい。谷間の百合さんは、昭和天皇についてどのような文献を読まれましたか?
私は、主に次の三つです。
1.衝撃の未公開記録 昭和天皇の独白8時間、平成2年文芸春秋12月号
2.豊下楢彦:昭和天皇の戦後日本<憲法・安保体制>にいたる道、岩波書店
3.豊下楢彦:昭和天皇・マッカーサー会見、岩波現代文庫
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