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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

「悲しくてやりきれない」を悲しく歌ってはいけない。

はしだのりひこさんが亡くなりました。
つぎつぎと人が死に、そのスピードが速まっているのを感じます。
かれを偲んで、ユーチューブで何曲か聞いたのですが、「悲しくてやりきれない」を聞いたとき、いままで、わたしの中でわだかまっていたものを吐き出したくなりました。
この曲は「この世界の片隅で」のオープニングテーマ曲に採用されコトリンゴさんが歌っています。
圧倒的な高評価、好評価を受けています。
なので、それに異を唱えるのは身のすくむような思いなのですが、大袈裟ですが、千万人と雖も吾往かんの気持ちを奮い起こして書きます。

わたしは、コトリンゴさんのあの歌い方は作品を殺したと思っています。
「フォーク.クルセダーズ」はたんたんとむしろ明るく歌っているのですが、それが正解だと思います。
悲しそうに歌うことはあの作品の本質の理解を誤らせます。
あの作品のどこに悲しみの本質があったのでしょうか。
親や兄の死も、驚くほどあっさりと描かれています。
悲しみは、ただ生きていくことに追われている中で消化、無化されていたのかもしれません。
感じ方は人それぞれで、わたしが悲しいと思ったのは、幼馴染の水原とまだあどけなさの残る若い娼婦の死ですが、当人たちは運命を運命として受け入れていて、呪ったり悲しんだりしていません。
そこに悲しみの本質があるのではありませんか。
だからこそ、明るくさらっと歌うことで透明感が生まれ、ほんとうの悲しみを表現できるのだと思うのです。
戦争のさなかに、悲しみが入り込む余地はありません。
戦争は、恐怖であり、戦慄であり、残酷な酸鼻を極めた世界です。 
あのような感傷的、情緒的な歌い方は戦争の美化につながりかねません。
あの歌い方に感動するのは戦争を知らない人間の情緒的な反応なのだろうと思います。


「悲しくてやりきれない」を悲しく歌ってはいけない。_c0243877_10303126.jpg










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by michi-no-yuri | 2017-12-03 10:33 | Comments(2)
Commented by ツユクサ at 2017-12-03 11:27 x
こんにちは。加藤和彦さん、はしだのりひこさんが亡くなり、フォークルで健在なのは北山修さんだけになりましたね。寂しいです・・
『帰ってきたヨッパライ』の大ヒットの後、2枚目のシングルになるはずだった『イムジン河』が発売自粛になり、どんな曲を出そうかと悩んでいたとき、加藤和彦さんが『イムジン河』のテープを逆回ししてみると良いメロディだったそうです。それを元に作ったのが『悲しくてやりきれない』の曲で、詩はサトウハチローですが、フォークルの三人は「『イムジン河』が出せなくて悲しい」という気持ちで歌ったと言われています。
はしださんのご冥福をお祈りします。独特な歌声と『風』『花嫁』の作曲は永遠に残したいですね。
Commented by michi-no-yuri at 2017-12-03 15:30
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
そんなエピソードがあったとは知りませんでした。
だから曲調が似ていたのですね。
若い3人が「イムジン河」が歌えないことを受け入れるまでにどれほどの葛藤、怒りがあったことだろうと想像すると辛いものがあります。
(比べるのは変ですが、わたしは、2日間ログインできないだけで憔悴しましたからw)
時代をつくった才能あるグループでしたが、いま、時代をつくれるような人がいません。
音楽や文学などあらゆる文化的なものが元気だったら、今のような政治の腐敗もなかったような気がします。
文化の衰退が安倍一強を許したと言ってもいいのではないでしょうか。
いまは何もありません。
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