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谷間の百合

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十二日 その二  これは愛 たぶん愛。

以前、うちのニワトリが凶暴なことを書きましたが、それに異変が起きていました。
犬と目が合うと飛びかかっていたニワトリがいまは借りてきた猫のようにおとなしくなりました。
二羽はイジメ、イジメラレル関係で、わたしはイヤだなあ、困ったなあと思っていたのですが、それもピタッと止んでいました。
いじめているところを見たら、ピシャッと叩いていたのですが、それが効いたとは思えません。
わたしは、ニワトリがわが子のようにかわいいのですが、そういうわたしの大きな愛情(笑うところではありません)がかの女らのこころを変えたのでしょうか。
もし、そうだとしたら愛の力とはなんと偉大なことかと思わざるを得ません。

ニワトリは養鶏場から貰ってくるのですが、たくさんの仲間の中から選ぶということがわたしにはできないので、いつも子どもに貰いに行ってもらっています。
選ぶということは、それ以外を排除することですから、それがわたしには耐えられないのです。
ときどき ニワトリを眺めてはこの子らの仲間はとっくにこの世にいないのだ思ってしんみりすることがあります。


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先日、死後のことを書いて、書き忘れていたことがありました。
六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間界、天界)は「この世」にあるということです。
よく言われる「あの世」とは「この世」のことだと思います。
あえて「あの世」と言うのならそれは、死んでから転生するまでの49日間を指すのだろうと思います。
わたしは17歳のころ、自分の「行い」はすべてどこかに記録されているのではないか、死んだらその記録をもとに清算をしなければならないのではないかということをよく考えていました。
いま、それは正解だったと思っています。
こういうことは本で知ったことでもだれかから聞いたことでもありません。
一つ確信を与えてくれたのは、その後よんだ岡潔の本(たしか、小林秀雄との対談本)で「中有」という仏教の言葉を知ったことです。
「中有」とは、死んでから49日間滞在する世界だということです。
仏教は死後のことしか説いていないように思います。
現世利益を説く宗教がありますが、それを宗教と言っていいのかどうか、、
死後というものが無かったら救済という考えは生まれません。
勝手に死んでいけばいいだけです。


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by michi-no-yuri | 2017-11-12 12:07 | Comments(0)
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