どういうとき、どういうところで日本人だと感じるかと訊かれたら、わたしは即座に「盆踊り」と答えるでしょう。
「おわら風の盆」が終わるとともに、日本の夏も終わり、そぞろ寂寥の思いがせまってきます。
「風の盆」踊りは、もの哀しく優雅でどこまでもこころを魅了して止みませんが、ときどき、二胡の音色に誘われて幽霊が出てきそうでゾクッとすることがあります。
それに引き替え、河内(かわち)音頭や江州(ごうしゅう)音頭は威勢がいい。
ここには、「風の盆」にはない卑猥さや威勢のよさがあってこれぞ盆踊りの真骨頂だと思わせてくれます。
大仰に言えば、日本のエロティシズムの神髄、淵源ここにアリという思いです。
実は、きのうは、阿波踊りに始まり、河内、江州音頭の盆踊りを数時間ユーチューブで見ていました。
江州音頭の盆踊りを見ている内に、なにかが記憶の底でうごめくのを感じたのですが、数秒後、突然「だれがカバやねん」という大津生まれのロックバンドの名まえが浮上しました。
関西以外の人は知らないと思いますが、1980年ころに関西限定で一世風靡?したバンドです。
とくに「大津シティ今恋心」の曲名が浮かんだときは、若いときから親しんでいた大津から琵琶湖にかけての夜景が眼前に広がって懐かしさにウルウルしました。
他に「どこかでオオカミがないている」「類人猿ママ」「恋のシンキンコウソク」などの曲名を次々思い出しました。
LPも持っていたはずなのですがどこにいってしまったのだろう。
しかし、きょう記事にしたのはそういう懐旧の情を書きたかったわけではありません。
あのころ日本はほんとうに元気だったということが言いたかったのです。
いまは、お笑いも音楽も規格にはめられ、おとなしくそれに従って仕事をしているという感じで、どこにも進化も突破口もありません。
時代を突破しようというエネルギーのないお笑いや音楽に何の価値があるでしょう。
局やスポンサーやあるいは「お上」を気にして、どこにお笑いや音楽のレゾンデートルがあるでしょう。
ちなみに「だれカバ」のメンバーはヘルメットを被り土方の恰好でステージに上がっていました。
そういうことが出来たのも、空気を読まない、読まなくていいという時代性があったからだと思います。
ヘルメットを着用したのは、学生運動の単なる名残なのか、或いは、その反権力の精神を引き継ごうという意思だったのか、、、
わたしは詳しくは知らないのですが、あのころは日本のいたるところで「だれカバ」のようなロックバンドが誕生していたのではなかったでしょうか。
あのころの日本は、いまでは信じられないほど元気でした。
×