ブログトップ

谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

永遠に(死んでも)変わらないもの。

きのうの国会審議、新聞などは野党の追及空回りと書いていますが、総理がまともに答えないので空回りするのは当然です。
空回りでも時間がくれば成立してしまうのが分かっていて野党はどうするのかが問われているのです。
質問するだけで終わりですか。

百田尚樹の講演が中止になった詳しい経緯は知らないのですが、きょうの産経は「崩れた『言論の自由』」という見出しで大きく取り上げています。
言論の自由が聞いて呆れます。
言論の自由は当たり前のことですが責任と一体です。
総理は嘘をつくことで言論の自由を際限なく行使していますが、説明責任は一切果たしていません。
以下、右にならえです。

その百田尚樹を菅野完さんが「そもそも保守でも右翼でも愛国でもない」と言っているのはかれらの本質を見事についています。
総理以下の改憲論者は、まさしく、保守でも右翼でも愛国でもありません。
では何ものなのかということですが、わたしは、いつかの時点で受けた「刷り込み」がかれらの行動の原点だと思っています。
だから、総理がその典型なのですが、左翼、日教組、従軍慰安婦、朝日新聞などという言葉にパブロフの犬的反応をするのです。
これは、右に限ったことではなく左も同じです。
(自慢ではありませんが幸い、わたしは自助努力で「刷り込み」を克服してきたと自負しています。)


c0243877_10184257.jpg


10代の中ごろに、いっしょになれないことを悲観して心中した相思相愛の男女が、息を吹き返して蘇生したら相手の顔も見ずに別々に帰って行くことが多かったとどこかで読んで、わたしは衝撃と共になんとなく分かるような気がしたことを覚えています。
イデオロギーなんていうものも所詮そんなものかも知れないとわたしが思うのも、その経験が基本にあるからかもしれません。
いちど死んで生き返ってきたら、そんなものがバカらしくなるのではないかと。
だから、よく考えるのです。
死んでも変わらないものがあるとしたらそれは何だろうと。
輪廻転生を信じているわたしはそれを考えないわけにはいかないのです。
そして、それは、「常識」だったり、ほんとうのささやかな正義感だったりするのではないかと考えるようになったのは、前川さんの出現があったからかもしれません。
常識、正義感、あったものをなかったことにはできないという当たり前のことは、何度死んでも変わらないのではないでしょうか。
わたしは変わらないものを手に入れたい。
有為転変、諸行無常の「生」において変わらないもの。
それは愛、無償の愛、、、。


c0243877_1019169.jpg










×
[PR]
by michi-no-yuri | 2017-06-06 10:26 | Comments(0)
<< 野党はどうするつもり? どこかに正義があると思うから人... >>