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谷間の百合

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八日 その二  来生はお針子になりたい。

きのうの記事に対して、「ツユクサ」さまがコメント欄に稲垣足穂の「白昼見」の一節を紹介しておられました。
父親を偲び、謡曲「敦盛」の一節を口ずさみつつ襯衣(はだぎ)の破れを繕っていた足穂は、この行為が嬉しいのは、そこに精神が宿っているからではなく、お金には代えられない成果があるからだと言っています。
「丹念に綴り繕われた足袋や股引など『こんなたぐいを以ってダンディズムと称すべきでありましょうか』」
と言っています。
褌一丁か、寝間着兼用の浴衣姿で繕いものをしていたであろう足穂は、さすが「精神の人」で、真の「ダンディズム」の奥義を教えてくれています。
むかし、姉が、英国紳士がホテルの部屋で靴下の穴を繕っているところを目撃したそうですが、やはり、ダンディズム発祥の国は違います。

足袋は親指のところから痛んでくるのか、母がそこに交互に糸を潜らせて美しく仕上げていたことをよく覚えています。
わたしは、幼いころ針仕事をする母の傍らでよく話を聞いたり、絵本を読んだりして過ごしたことがどんなに幸せなことだったかと思い出さずにはいられません。
(姉や兄はそういう経験がないということです。)

いまの人は何が幸せなのだろうと思うことがよくあります。
少なくとも、繕いものをしたり、布地を買ってきて自分でスカートやブラウスを作る喜びを知りません。
わたしは自分で作ったものを捨てることが出来ないのですが、それでも厳選した数点のものを、わたしが死んだときにお棺にいっしょに納めてほしいと娘に頼んであります。
娘も不器用なくせに縫うことが好きで、母娘で来生はお針子になりたいねと言っています。
(それも、あくまで気ままにというのが条件です。)
それが、足穂の言うお金には代えられない幸せだということを知っているからです。

前住んでいた家の壁に、パリの下町だと思われる紳士服の店の奥で仕事をしている職人さんの写真を、わたしは長い間貼っていました。
自分でも、なんでこんな写真がそんなに好きなのか説明ができませんが、汲めども尽きせぬ魅力を感じていました。


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by michi-no-yuri | 2017-04-08 15:00 | Comments(0)
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