ブログトップ

谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

安倍晋三という「悪人」と籠池泰典という「善人」

尊敬し信じていた人に裏切られたら人間はどうなるか、仲間だと信じていた人たちにそっぽを向かれることがどんなものか、、
わたしが森友の件でもっとも関心を持ったのは、人間の「信義」についてでした。
「日本会議」初め、保守、右翼の仲間、同志と思ってきた人間が、いっせいに籠池さんから逃げ出したのは、総理の嘘を知ったからでしょう。
総理が籠池さんに対して、最初国会で言った「私の考えに共鳴する人」というスタンスを持ち続けていればこんなことにはならなかったのです。
しかし、その後、問題が大きくなりそうだと感じた総理は、自分の関与を否定するために籠池さんを切らざるを得なくなったのです。
しかし、ものは言いようで、その言い方が、籠池さんに「立場上総理も苦しいのだ」と思わせる余地があればこうはならなかったはずです。

籠池理事長は、3.10日の園内での記者会見で、その場にいたのが菅野完さんだと知って、「あんたが菅野さんか!」と激昂して立ち上がり、長男に押し留められてその場はおさまったのですが、なんと、その日から2日後には、菅野さんは籠池一家の救世主になっていたのです。
長男の佳茂さんの、菅野さんは話の分かる人だとの直感がなければこういう展開にはなっていません。
長女の町浪さんの電話での受け答えにも教養を感じさせるものがあり、失礼ながら、あの親からどうして?と思ったものでしたが、思想や行動に大いに問題があったとしても、あの夫婦は基本的に善人であり正直者なのだという結論を持つに至りました。
政治家や教育者にありがちな嘘や偽善が無かったということが、子どもにとってのいちばんの教育になっていたのかもしれません。


c0243877_11494418.jpg


それまでは不倶戴天の敵だと思ってきたであろう福島瑞穂さんや小池晃さんなどを自宅に招じ入れて話をするまで、籠池さんのこころは変わっていたのです。
それでも、総理に対して、口汚く非難することはなく、あくまで抑制と節度を崩さなかったところが、わたしが籠池さんを人間的に評価する点です。

菅野さんの過去の経歴をだしてきてトンデモナイ人間だとの印象操作をする人がいますが、(飯山さんなどなど)わたしは、過去あっての現在ですが、その現在がどうかということにしか関心がありません。
肩書や学歴など評価の対象にはならないのです。
その人のそのときそのときの現在がすべてです。
法律に引っかからないだけで、人間として許せないような「悪」を行っている人間はたくさんいます。
「森友」がそういう人間を炙り出すきっかけになればいい。

あるコメント欄に「最高のエンターテイメントは『勧善懲悪』」だと書かれていましたが、いじめが横行し、それで自殺する子どもが後を絶たないのは、世の中から「勧善懲悪」の土壌や気風が失われたからだと思います。
もし、そういう倫理観が社会に根付いていたら、いまのような陰湿ないじめはなかったのではないでしょうか。


c0243877_1150611.jpg










×
[PR]
by michi-no-yuri | 2017-03-20 10:56 | Comments(0)
<< 真の敵に立ち向かうべく本気を出そう。 菅野完さんは、西郷隆盛が言った... >>